プロコフィエフ ヴァイオリン協奏曲第1番
2012.04.26
..美と歪み
プロコフィエフは若い頃、斬新な作風で賛否両論を巻き起こし、注目を集めていた。ヴァイオリン協奏曲第1番は、そんな彼が青春期の最後に完成させた傑作である。作曲時期は1915年から1917年。初演は1917年11月に予定されていたが、ロシア革命のために流れてしまい、6年後の1923年10月18日、パリで行われた。指揮はセルゲイ・クーセヴィツキー、ソリストはマルセル・ダリュー。評判は芳しくなく、聴衆はこのような作品を演奏させられたダリューに同情を寄せたという。騒動を呼んだストラヴィンスキーの『春の祭典』、サティの『パラード』などを通過してきたパリの人々にも、この作品は受け入れられなかったのだ。
状況が一変するのは翌年のこと。プラハの国際現代音楽祭でヨーゼフ・シゲティがこれを演奏し、さらに各国で紹介に努めたことにより、評価が高まった。多くの場合、ひとつのヴァイオリン協奏曲がマスターピースとして世に定着していく背景には、すぐれたヴァイオリニストの存在があるものだが、この作品の場合はシゲティがその役目を果たしている。プロコフィエフはシゲティを「私の協奏曲の最高の理解者」と呼び、2人は友情で結ばれた。
この作品のオリジナリティには何度聴いても感服させられる。第1楽章冒頭、プロコフィエフ自身が「夢見るような」と語った美しい動機からはじまり、そのフォルムが徐々に歪み、原始的躍動感を帯び始める。そのメロディーとリズムが織りなすいびつな音楽語法は、誰の真似でもないし、誰にも真似できない。その語法でぐいぐい押し切り、野性的な舞踏を思わせるクライマックスへとなだれ込んで行く展開部に、思わずこちらの呼吸も荒くなる。
第2楽章のスケルツォは一種の常動曲。協奏曲の中で「スケルツォ」と明示された楽章が出てくるのは、この作品が初といわれている。不謹慎に思えるほど軽快で、素早く、シニカルで、落ち着きがない。まるで悪い冗談のような音楽。常人からはまず出てこない旋律発想である。おそらくヴァイオリンを弾いたことのない人でも、無茶なことをしていると感じるに違いない。それくらい超絶技巧が求められる難曲だ。「スル・ポンティチェロ」(駒の近くを弾く)と指定された有名な部分では、ヴァイオリンの奇怪な音が忘れがたい聴感的感触を生む。私はこの楽章を聴いていると、坂口安吾の「風博士」を思い出してしまう。あえて意味を一切残さず、当惑だけを残す風のような音楽である。
第3楽章は変奏曲風の構成で、ヴァイオリンの奏でる美しいメロディーが表情を変えながら、オーケストラと対話し、やがてその掛け合いが熱を帯びはじめる。が、それも束の間、「夢見るような」動機があらわれ、瞑想的に曲をとじる。
プロコフィエフは自分の作風について「古典的」「革新的」「トッカータの要素」「抒情的」という4つの特徴を述べているが、その全てがこの協奏曲には盛り込まれている。革新性や容赦のない鋭角的リズムの印象などから、「カコフォニー(不快音)の音楽家」と呼ばれていたプロコフィエフだが、この作品を聴き終えた後に残るのは、不快と表裏一体のところにある快感だろう。美とグロテスクと歪みが渾然一体となって作り出す神秘的な香気ーーその未体験の空気に戸惑う人も多いだろうし、初演時のパリの聴衆の困惑も想像できなくはないが、それでも「もう一度聴いてみたい」と思わせる抗し難い魅力がこの作品には確かにある。
「プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第2番」について
ご紹介したいと思います。
セルゲイ・プロコフィエフ(1891〜1953)は
現在のウクライナ(当時はソビエト領土)に生まれた
ロシアの作曲家・ピアニストです。
激動のロシア帝政時代に、風刺的で独善的、
伝統に縛られない個性的な作曲家として名声を得ました。
革命後の1918年、シベリア・日本を経由してアメリカに亡命。
その後パリで過ごし、18年の海外生活を経て、
ソビエトに帰還。スターリンの下で、
音楽創造は制約されつつも、名曲をたくさん生み出しました。
Sergei Prokofiev
プロコフィエフは2つのヴァイオリン協奏曲を残していますが、
この「第2番協奏曲」は、1935年に、
フランス人ヴァイオリニストであるロベール・ソータン(Robert Soetens)
のファンたちによって委嘱され、その演奏権利は、
1年間独占的にソータンが得る、という条件付きでした。
演奏旅行で様々な地に居たプロコフィエフは、
第1楽章の主題はパリで、第2楽章の第1主題はボロネジで、
オーケストレーションはバクーで作曲、
初演は1935年12月にマドリッドで行われました。
ソータンとはスペインをはじめ、各地を演奏して回りましたが、
ソータンの独占演奏権利が切れたあと、
20世紀の偉大なヴァイオリニスト、ヤッシャ・ハイフェッによって
積極的に演奏されたことで、この作品の真価が急速に広められました。
曲は3楽章構成です。
なんといっても一番印象的なのは、
独奏ヴァイオリンで始められる第1楽章冒頭の旋律です!
この主題は第1楽章を通して支配されます。
「ベートーヴェンのアダージョの精神を表している」と
専門家を唸らせる甘美で抒情的な第2楽章、
舞曲風のロンド、第3楽章は
ハラハラ、ドキドキ感に溢れています。
急に激しく怒りをぶつけているような場面、
かと思えば、繊細で優しい旋律が顔を出したり、
シリアスさと滑稽さ、など
とにかく場面転換が著しいプロコフィエフの音楽。
人気ヴァイオリニスト庄司紗矢香、得意のプロコフィエフ
1999年、パガニーニ国際ヴァイオリン・コンクールで史上最年少、日本人として初めて優勝して以来、日本を代表するトップ・ヴァイオリニストとして国際的な活躍を続ける庄司紗矢香。DGへの久々の協奏曲録音です。
ムラヴィンスキー時代からロシア最高のオーケストラとして君臨するサンクト・ペテルブルク・フィル(旧レニングラード・フィル)と、その芸術監督を25年務める巨匠テミルカーノフと庄司は共演を重ね、遂に録音を行いました。これ以上望めない最高のパートナーといえます。
曲は庄司得意のプロコフィエフ。2013年ロッテルダム・フィルとの第2番をはじめ、国内でも頻繁に取り上げているレパートリーで日本のファンにも馴染み深く、待望のリリースといえます。(UNIVERSAL MUSIC)
【収録情報】
プロコフィエフ:
・ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調 Op.19
・ヴァイオリン協奏曲第2番ト短調 Op.63
庄司紗矢香(ヴァイオリン)
サンクト・ペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団
ユーリ・テミルカーノフ(指揮)
録音時期:2012年9月
録音場所:サンクト・ペテルブルク
2012.04.26
..美と歪み
プロコフィエフは若い頃、斬新な作風で賛否両論を巻き起こし、注目を集めていた。ヴァイオリン協奏曲第1番は、そんな彼が青春期の最後に完成させた傑作である。作曲時期は1915年から1917年。初演は1917年11月に予定されていたが、ロシア革命のために流れてしまい、6年後の1923年10月18日、パリで行われた。指揮はセルゲイ・クーセヴィツキー、ソリストはマルセル・ダリュー。評判は芳しくなく、聴衆はこのような作品を演奏させられたダリューに同情を寄せたという。騒動を呼んだストラヴィンスキーの『春の祭典』、サティの『パラード』などを通過してきたパリの人々にも、この作品は受け入れられなかったのだ。
状況が一変するのは翌年のこと。プラハの国際現代音楽祭でヨーゼフ・シゲティがこれを演奏し、さらに各国で紹介に努めたことにより、評価が高まった。多くの場合、ひとつのヴァイオリン協奏曲がマスターピースとして世に定着していく背景には、すぐれたヴァイオリニストの存在があるものだが、この作品の場合はシゲティがその役目を果たしている。プロコフィエフはシゲティを「私の協奏曲の最高の理解者」と呼び、2人は友情で結ばれた。
この作品のオリジナリティには何度聴いても感服させられる。第1楽章冒頭、プロコフィエフ自身が「夢見るような」と語った美しい動機からはじまり、そのフォルムが徐々に歪み、原始的躍動感を帯び始める。そのメロディーとリズムが織りなすいびつな音楽語法は、誰の真似でもないし、誰にも真似できない。その語法でぐいぐい押し切り、野性的な舞踏を思わせるクライマックスへとなだれ込んで行く展開部に、思わずこちらの呼吸も荒くなる。
第2楽章のスケルツォは一種の常動曲。協奏曲の中で「スケルツォ」と明示された楽章が出てくるのは、この作品が初といわれている。不謹慎に思えるほど軽快で、素早く、シニカルで、落ち着きがない。まるで悪い冗談のような音楽。常人からはまず出てこない旋律発想である。おそらくヴァイオリンを弾いたことのない人でも、無茶なことをしていると感じるに違いない。それくらい超絶技巧が求められる難曲だ。「スル・ポンティチェロ」(駒の近くを弾く)と指定された有名な部分では、ヴァイオリンの奇怪な音が忘れがたい聴感的感触を生む。私はこの楽章を聴いていると、坂口安吾の「風博士」を思い出してしまう。あえて意味を一切残さず、当惑だけを残す風のような音楽である。
第3楽章は変奏曲風の構成で、ヴァイオリンの奏でる美しいメロディーが表情を変えながら、オーケストラと対話し、やがてその掛け合いが熱を帯びはじめる。が、それも束の間、「夢見るような」動機があらわれ、瞑想的に曲をとじる。
プロコフィエフは自分の作風について「古典的」「革新的」「トッカータの要素」「抒情的」という4つの特徴を述べているが、その全てがこの協奏曲には盛り込まれている。革新性や容赦のない鋭角的リズムの印象などから、「カコフォニー(不快音)の音楽家」と呼ばれていたプロコフィエフだが、この作品を聴き終えた後に残るのは、不快と表裏一体のところにある快感だろう。美とグロテスクと歪みが渾然一体となって作り出す神秘的な香気ーーその未体験の空気に戸惑う人も多いだろうし、初演時のパリの聴衆の困惑も想像できなくはないが、それでも「もう一度聴いてみたい」と思わせる抗し難い魅力がこの作品には確かにある。
「プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第2番」について
ご紹介したいと思います。
セルゲイ・プロコフィエフ(1891〜1953)は
現在のウクライナ(当時はソビエト領土)に生まれた
ロシアの作曲家・ピアニストです。
激動のロシア帝政時代に、風刺的で独善的、
伝統に縛られない個性的な作曲家として名声を得ました。
革命後の1918年、シベリア・日本を経由してアメリカに亡命。
その後パリで過ごし、18年の海外生活を経て、
ソビエトに帰還。スターリンの下で、
音楽創造は制約されつつも、名曲をたくさん生み出しました。
Sergei Prokofiev
プロコフィエフは2つのヴァイオリン協奏曲を残していますが、
この「第2番協奏曲」は、1935年に、
フランス人ヴァイオリニストであるロベール・ソータン(Robert Soetens)
のファンたちによって委嘱され、その演奏権利は、
1年間独占的にソータンが得る、という条件付きでした。
演奏旅行で様々な地に居たプロコフィエフは、
第1楽章の主題はパリで、第2楽章の第1主題はボロネジで、
オーケストレーションはバクーで作曲、
初演は1935年12月にマドリッドで行われました。
ソータンとはスペインをはじめ、各地を演奏して回りましたが、
ソータンの独占演奏権利が切れたあと、
20世紀の偉大なヴァイオリニスト、ヤッシャ・ハイフェッによって
積極的に演奏されたことで、この作品の真価が急速に広められました。
曲は3楽章構成です。
なんといっても一番印象的なのは、
独奏ヴァイオリンで始められる第1楽章冒頭の旋律です!
この主題は第1楽章を通して支配されます。
「ベートーヴェンのアダージョの精神を表している」と
専門家を唸らせる甘美で抒情的な第2楽章、
舞曲風のロンド、第3楽章は
ハラハラ、ドキドキ感に溢れています。
急に激しく怒りをぶつけているような場面、
かと思えば、繊細で優しい旋律が顔を出したり、
シリアスさと滑稽さ、など
とにかく場面転換が著しいプロコフィエフの音楽。
人気ヴァイオリニスト庄司紗矢香、得意のプロコフィエフ
1999年、パガニーニ国際ヴァイオリン・コンクールで史上最年少、日本人として初めて優勝して以来、日本を代表するトップ・ヴァイオリニストとして国際的な活躍を続ける庄司紗矢香。DGへの久々の協奏曲録音です。
ムラヴィンスキー時代からロシア最高のオーケストラとして君臨するサンクト・ペテルブルク・フィル(旧レニングラード・フィル)と、その芸術監督を25年務める巨匠テミルカーノフと庄司は共演を重ね、遂に録音を行いました。これ以上望めない最高のパートナーといえます。
曲は庄司得意のプロコフィエフ。2013年ロッテルダム・フィルとの第2番をはじめ、国内でも頻繁に取り上げているレパートリーで日本のファンにも馴染み深く、待望のリリースといえます。(UNIVERSAL MUSIC)
【収録情報】
プロコフィエフ:
・ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調 Op.19
・ヴァイオリン協奏曲第2番ト短調 Op.63
庄司紗矢香(ヴァイオリン)
サンクト・ペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団
ユーリ・テミルカーノフ(指揮)
録音時期:2012年9月
録音場所:サンクト・ペテルブルク