感動的な演奏に出合う場合はその余韻にひたすら浸り、酔っていたいという気持ちが強く、他のことはあまり考えられない。だが、自分の気持ちにまったく届かない演奏に出合うと、どうしてだろうと自問自答する。
これが音楽の奥深さであり、不思議なところであり、尽きぬ魅力なのだろう。
河村尚子の「NHK音楽祭2011 関連イベント トップアーティストからのメッセージ」(18時開演 上野学園石橋メモリアルホール)を聴くために急いで会場に向かった。
彼女がリハーサルをしている最中にようやく到着し、ここから私もマイクテストなどに加わった。このコンサートは先日書いたNHK−FM「サンデークラシックワイド」の番組で放送され、私は後半の河村尚子の対談相手を務めることになっていた。
彼女はシューマンやバッハやベートーヴェンを演奏し、トークもこなし、2時間にわたってさまざまな魅力を存分に発揮した。
1日たったいまでも、シューマンの「フモレスケ」の美しい演奏が頭のなかで繰り返し響いている。
ラヴェルの「夜のガスパール」。これは今年の「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」でアブデル=ラーマン・エル=バシャがラヴェルのほぼ全曲演奏を行ったが、そのときに「ラヴェルの作品のなかでもっとも難しい作品。と同時に、フランスのピアノ作品のなかでももっとも難しい作品」と評していたもの。「オンディーヌ」「絞首台」「スカルボ」という3曲で構成され、それぞれ複雑なリズムと主題と和音と内容と技巧が盛り込まれている。
ホジャイノフは優れたテクニックの持ち主で、難度の高い作品を得意とするが、「夜のガスパール」はそれでもなおこれは非常に難しい作品だということを示唆していた。
ラヴェルのピアノ作品は、特有のエスプリ、ユーモア、ウイットなどが潜んでいる。それを表現するのは、至難の業である。私はラヴェルが大好きなため、さまざまなピアニストでこの作品を聴いている。そして、いつもその斬新で複雑で繊細で詩的であり、また悪魔的でもある内容の表現の難しさに、ピアニストの挑戦心と苦労と複雑な心境を思い知らされる。
ラヴェルの「ラ・ヴァルス」を披露したが、これこそパリで勉強しているチョ・ソンジンのすべてを物語っていた。ラヴェルの渦巻くようなワルツのなかから湧き上がるきらめき、ファンタジー、彫刻を思わせるような立体的な響きを超絶技巧をものともしない自然なテクニックでかろやかに、しかも奥深い響きで最後まで一気に聴かせたからだ。
チョ・ソンジンの演奏は、底力がある。からだはそんなに大きくなく、以前よりもスリムになったが、ピアノを豊かに鳴らすスケールの大きさと、けっしてたたきつけずにおなかに響くような強音は圧巻だ。
河村尚子
デビュー当初からその人の才能を信じ、応援し続けているアーティストが若木がぐんぐん空に向かって伸びていくような活躍を見せると、自分の信じていたことがまちがっていなかったと、自信のようなものが湧いてくる。
河村尚子は、最初に演奏を聴き、インタビューをしたときから「この人は伸びる」と確信した。
いまや彼女は国際舞台で活躍するピアニストとなり、録音も定期的にリリースし、ドイツの大学で教鞭も執り、著名な指揮者やオーケストラと共演し、室内楽でも幅広いアーティストと演奏を行っている。まさにこの10年で、大きな飛躍を遂げたピアニストとなった。
「あっというまだったような、でも、いろんなことがあったので、長かったような…」
先日、インタビューで会った彼女は、日本デビュー10周年を迎えて、感慨深げに語った。
「これまでは教会でのセッション録音でしたが、今回は初めてのライヴ録音です。コンチェルトではもちろん緊張はしましたが、指揮者とオーケストラがすばらしかったため、気持ちよく演奏することができました」
河村尚子の日本デビュー10周年アニヴァーサリー・リリースCDは、昨秋プラハでイルジー・ビエロフラーヴェク指揮チェコ・フィルと共演してドヴォルザーク・ホールで演奏したラフマニノフのピアノ協奏曲第2番と、チェロのクレメンス・ハーゲンとのデュオによるラフマニノフのチェロ・ソナタと、ラフマニノフの前奏曲3曲というラフマニノフ・アルバム。
彼女は恩師のクライネフからロシア・ピアニズムの真髄を伝授され、ラフマニノフを愛したクライネフの思いをいまも大切に、作曲家の魂に迫る。
今回のラフマニノフづくしのアルバムは、ラフマニノフのさまざまな面を聴くことができる。このインタビューは「intoxicate」の秋の号に掲載される予定だ。
河村尚子のこのコンチェルトは、現地で絶賛され、本人も非常に思い出深い演奏となったようだ。
コンサートは10月9日から11日まで3日間行われ、地下に設置された録音機材のあるところですぐに演奏を聴くことができたそうだ。
「ですから、初日の演奏を聴き、スタッフとともにここはもう少しこうしよう、この方がいいかもしれないと、話し合いをもつことができました。公開ゲネプロもあり、そこには着飾った年配の方々や、きちんとした服装の小学生たちも聴きにきてくれたんですよ。本番よりは安いチケットで入れるため、みんなチェコ・フィルの演奏をとても楽しみにしているようです。こういう制度はすばらしいなあと思いました」
プラハの町も散策し、歴史と伝統を感じさせる空気を味わいながら、すばらしい音響の美しいホールで演奏でき、貴重な体験をした。
「チェコ・フィルの弦の響きは、本当に特有のものがありますね。ビエロフラーヴェクさんもとてもソリストを大切にしてくれるマエストロで、のびのびと弾くことができました」
なお、クレメンス・ハーゲンとのデュオは、ドイツのエルマウ城のコンサートホールでのライヴ。この城は上質なホテルとなっていて、そのなかにホールがあり、周囲は一面の緑で、とても環境がいいところだそうだ。
新譜は、9月24日にリリースされる(ソニー)。
今日の写真は、インタビューの前日、日本に帰国したばかりという河村尚子。疲れも見せず、元気に答えてくれた。会うたびに堂々と、たくましくなっていく彼女。自信に満ちている感じで、10年間の濃密な歩みが演奏と言動にあふれている。
萩原麻未
一昨日、雪のなかを銀座まで萩原麻未のインタビューに出かけた。
彼女会うのは、久しぶり。これは彩の国さいたま芸術劇場音楽ホールのピアノ・リサイタル(6月22日)に先駆けて行われたもので、劇場の冊子にインタビュー記事として掲載される。
今回のプログラムはフォーレの夜想曲第1番、第2番からスタート。ドビュッシーの「ベルガマスク組曲」と「喜びの島」へと続き、後半はラヴェルの「高雅で感傷的なワルツ」で開始、最後はラヴェルの「ラ・ヴァルス」で幕を閉じるという、フランス作品で構成されている。
このプログラムについていろんなことを聞き、近況や今後のスケジュールなどとともに、いまもっとも興味を抱いていることなどにも触れた。
今回のリサイタルは、この劇場の「ピアノ・エトワール・シリーズ」のひとつで、若手ピアニストのなかでもひときわ輝く新鋭ピアニストが登場するもの。萩原麻未も、それを考慮してじっくりとプログラムを選んだようだ。
彼女に会うと、いつものんびりマイペースの話し方に私もつられそうになるが、口数がそう多いほうではないため、自然に私がどんどんことばをつないで質問の答えを促すようになってしまう。
そのうちに彼女特有のユーモアが顔をのぞかせ、場が一気にのどかな空気に満たされる。
萩原麻未は以前から室内楽が好きで、いまも内外の多くのアーティストと共演を重ねている。インタビューでも、ソロ作品の話をしているうちに、その作曲家の室内楽作品からインスパイアされたという話に移ってしまい、次第に合わせものの話に…。
「あっ、リサイタルの話でしたよね」
そういって、ソロ作品の話題に戻り、また気がつくと室内楽の話に移行していく。
「ねえ、またリサイタルの話に戻っていい?」
私がこう方向転換をして、そのつどふたりで笑ってしまう。
その意味では、このリサイタルは、彼女のソロを聴く貴重な機会となる
今日は、フランスの若手ピアニスト、リーズ・ドゥ・ラ・サールのリサイタルを聴きに紀尾井ホールに出かけた。
前半はラヴェルの「鏡」とドビュッシーの「前奏曲集より」というフランス作品でスタート。
響きがとてもクリアで、ペダルのこまやかな使用が功を奏し、あいまいな音がまったくない。打鍵も深く、リズムも明確で、ときおり強靭さが際立つ。
ホールが小さすぎると思えるほどの音量も披露し、とりわけ高音のカーンという鋭いタッチが印象に残った。
彼女のピアノは、もやもやした響きや淡い色を前面に押し出すピアニズムとは一線を画し、確固たる信念に貫かれたフランス作品を打ち出していた。
後半は、プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」から10の小品。彼女はこの作品を得意としていて、録音も行っているが、まさにロシア作品が向いているという奏法。ドラマを浮き彫りにし、音量豊かに物語を強靭なテクニックと鍛え抜かれたリズム表現で鮮やかに生み出していく。
しかし、25歳というのが信じられないほど、古典的なピアニズムが随所に顔をのぞかせている。
今日は、男性ファンが圧倒的に多く、CD発売のデスクの前には男性がずらり。終演後はサイン会があるということで、そこでも男性陣が長蛇の列になるのだろう。
この公演評は、次号の「モーストリー・クラシック」に書く予定になっている。
フランスはピアニストが多く生まれる国である。しかも、個性派が際立つ。最近は男性ピアニストが多いが、リーズがそのなかに大きな花を咲かせるのはまちがいない。
こういうピアニストは、長く聴き続けていくことに価値がある。また、次回を楽しみにしたい。
庄司紗矢香&メナヘム・プレスラー
なんと感動的な一夜だったことだろう。
今夜は、サントリーホールに庄司紗矢香とメナヘム・プレスラーのデュオ・リサイタルを聴きにいった。
私はアーティストがステージに登場したときからその音楽は始まっていると思うが、今日もふたりが姿を現したときから、すでにすばらしいコンサートになることが予測できた。
庄司紗矢香はウエストのうしろ側にバラがついた美しいサーモンピンクのドレスをまとい、ゆったりとした足取りのプレスラーとにこやかに登場。
プログラムは、モーツァルトの「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ変ロ長調K.454」からスタート。プレスラーの音量はけっして大きくないため、庄司紗矢香も音を抑制し、静けさに満ちたおだやかなモーツァルトとなった。
次いでシューベルトの「ヴァイオリンとピアノのための二重奏曲イ長調作品162」が演奏され、幻想的でかろやかで歌心あふれる作風をふたりは相手の音に注意深く耳を傾けながら、二重奏を楽しんでいるように演奏。とりわけ第4楽章のピアノとヴァイオリンの音の対話が密度濃く、テンポの速い部分の呼吸がピタリと合っていた。
後半は、シューベルトの「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第1番ニ長調作品137-1」。今日はふたりの音をひとつもらさず聴こうとする熱心な聴衆がホールを埋め尽くしたためか、このシューベルトも歌謡的な主題を耳を研ぎ澄まして聴いている感じで、奏者と聴衆の間に一体感が生まれた。
最後は、ブラームスの「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第1番ト長調《雨の歌》」。この作品では、庄司紗矢香もプレスラーも自由闊達な演奏となり、哀愁や憧憬に満ちた旋律をのびやかにうたい上げ、ブラームスの傑作をこの上なく美しく、情感豊かに奏でた。
その余韻が残るなか、アンコールが始まった。
最初はドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」。ふたりは1曲終わると手を取り合い、寄り添って舞台袖へと歩みを進めるのだが、このアンコールが終わったとき、プレスラーが庄司のドレスの裾を踏んでしまい、ふたりでおっとっと。ここでホール中が笑いに包まれた。
でも、それが一変して涙に変わったのは、プレスラーがアンコールにショパンの「ノクターン第20番嬰ハ短調」を弾き始めてから。あまりの美しさ、静謐で陰影に富み、表情豊かで心にじわじわと沁み込んでくるピアノに、ホール全体が涙に暮れたような雰囲気に包まれた。
私も、もうダメだ、こりゃ、あかん、涙腺がゆるんでたまらん、と思って、ハンカチをごそごそ探した。
すると、ふたりはブラームスの「愛のワルツ作品39-15」をかろやかに弾き始めた。
うん、これでひと息つけるゾ。なんて素敵なデュオなんだろう。
そう思ってホッとしていたら、庄司紗矢香がまた目でプレスラーに合図を送り、彼がピアノを弾き始めた。
ショパンの「マズルカ作品17-4」である。ああっ、ダメだ〜。今度こそ、ハンカチ、ハンカチ…。
こうして感動的な一夜は幕を閉じた。
帰路に着く間もずっとプレスラーのショパンが頭から離れず、いまだ余韻に浸っている。
明日の午後は、いよいよ待ちに待ったプレスラーのインタビューだ。さて、どんな話が出るだろうか。まず、会った途端、今日感銘を受けたことを口走りそうだ。
あまりにも深い感動を受けたため、今夜は脳が覚醒し、眠れそうもない。
アリス=紗良・オット&フランチェスコ・トリスターノ
昨日は、アリス=紗良・オット&フランチェスコ・トリスターノのピアノ・デュオ・リサイタルを聴きにすみだトリフォニーホールに出かけた。
ふたりは4年前に出会い、すぐに意気投合。ついにピアノ・デュオを行うまでになった。
2013年9月にはベルリンで「スキャンダル」(ユニバーサル)と題したCDを録音。そのレコーディングが終わった後の来日時、フランチェスコにインタビューをしたが、アリスはこの録音のなかに収録されているフランチェスコの新作「ア・ソフト・シェル・グルーヴ」の楽譜を見た途端、絶句し、「ええーっ、弾けな〜い!」と絶叫したとか。
でも、そこは根性のある(?)アリスのこと、譜面をピアノの下にバーッと散らばして、必死に練習したという。
その曲は、昨日の後半の第1曲目に登場。フランチェスコのいつもの特徴が色濃く表れた曲想で、グルーヴ感あり、ミニマリズムの側面あり、繊細でささやくような旋律が出てきたかと思うと、突然テクノのようなリズムが巻き起こる。本人いわく、「毎回、演奏するごとに変容していく曲」だそうだ。
コンサートの前半は、フランチェスコの編曲によるラヴェルの「ボレロ」。彼が原曲の小太鼓によって刻まれるリズムを担当し、アリスが旋律を奏でる。フランチェスコはこの「ボレロ」を2台ピアノのために編曲することを以前から夢見ていたようで、ようやく実現した。
演奏は、冒頭から息の合ったところを見せ、ふたりの静と動のバランスが瞬時に交替していくところが刺激的だった。
続いてはドビュッシー(ラヴェル編)の「3つのノクターンより」。彼らは微妙な光を表現するように幾重にも陰影を変化させ、アリスのスタインウェイ、フランチェスコのヤマハCFXの音色の違いが前面に現れた。
前半の最後は、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」。これはまさに若さあふれるエネルギッシュな演奏で、ワルツの旋回がみずみずしい響きで奏され、踊る人々が見えるような視覚的な演奏となった。
そして後半はフランチェスコの新作に次いで、いよいよこの夜のメイン、ストラヴィンスキーの「春の祭典」が登場。原始的で宗教色が強く、革新性に満ちたこの曲を、ふたりは体当たりで演奏。
「こんなハードなプログラム、若くなくちゃ弾けないよね」
友人に会ったとき、彼がいったひとこと。まさしくその通り。
アリスもフランチェスコもデビュー当初からよく話を聞き、演奏も聴き続けているが、本当にいい演奏のパートナーを見つけたものだと思う。
性格はかなり異なり、演奏もまったく違うものをもっているが、ふたりがともに演奏すると個性の違いが際立ってぶつかりあい、刺激的なデュオが生まれる。各地でのツアーを予定しているそうだから、もっともっとデュオが濃密になっていくに違いない。
それにしても、ピアニストはいつもひとりで演奏しなければならないから孤独だ、とよくいうけど、アリスとフランチェスコは幸せだ。こんなにすばらしいパートナーを得ることができたのだから…。
ふたりともすらりとしたモデル体型で、才能と人気と美貌に恵まれている、性格もいいし。う〜ん、神はちょっといろんなものを与えすぎじゃない(笑)。
これが音楽の奥深さであり、不思議なところであり、尽きぬ魅力なのだろう。
河村尚子の「NHK音楽祭2011 関連イベント トップアーティストからのメッセージ」(18時開演 上野学園石橋メモリアルホール)を聴くために急いで会場に向かった。
彼女がリハーサルをしている最中にようやく到着し、ここから私もマイクテストなどに加わった。このコンサートは先日書いたNHK−FM「サンデークラシックワイド」の番組で放送され、私は後半の河村尚子の対談相手を務めることになっていた。
彼女はシューマンやバッハやベートーヴェンを演奏し、トークもこなし、2時間にわたってさまざまな魅力を存分に発揮した。
1日たったいまでも、シューマンの「フモレスケ」の美しい演奏が頭のなかで繰り返し響いている。
ラヴェルの「夜のガスパール」。これは今年の「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」でアブデル=ラーマン・エル=バシャがラヴェルのほぼ全曲演奏を行ったが、そのときに「ラヴェルの作品のなかでもっとも難しい作品。と同時に、フランスのピアノ作品のなかでももっとも難しい作品」と評していたもの。「オンディーヌ」「絞首台」「スカルボ」という3曲で構成され、それぞれ複雑なリズムと主題と和音と内容と技巧が盛り込まれている。
ホジャイノフは優れたテクニックの持ち主で、難度の高い作品を得意とするが、「夜のガスパール」はそれでもなおこれは非常に難しい作品だということを示唆していた。
ラヴェルのピアノ作品は、特有のエスプリ、ユーモア、ウイットなどが潜んでいる。それを表現するのは、至難の業である。私はラヴェルが大好きなため、さまざまなピアニストでこの作品を聴いている。そして、いつもその斬新で複雑で繊細で詩的であり、また悪魔的でもある内容の表現の難しさに、ピアニストの挑戦心と苦労と複雑な心境を思い知らされる。
ラヴェルの「ラ・ヴァルス」を披露したが、これこそパリで勉強しているチョ・ソンジンのすべてを物語っていた。ラヴェルの渦巻くようなワルツのなかから湧き上がるきらめき、ファンタジー、彫刻を思わせるような立体的な響きを超絶技巧をものともしない自然なテクニックでかろやかに、しかも奥深い響きで最後まで一気に聴かせたからだ。
チョ・ソンジンの演奏は、底力がある。からだはそんなに大きくなく、以前よりもスリムになったが、ピアノを豊かに鳴らすスケールの大きさと、けっしてたたきつけずにおなかに響くような強音は圧巻だ。
河村尚子
デビュー当初からその人の才能を信じ、応援し続けているアーティストが若木がぐんぐん空に向かって伸びていくような活躍を見せると、自分の信じていたことがまちがっていなかったと、自信のようなものが湧いてくる。
河村尚子は、最初に演奏を聴き、インタビューをしたときから「この人は伸びる」と確信した。
いまや彼女は国際舞台で活躍するピアニストとなり、録音も定期的にリリースし、ドイツの大学で教鞭も執り、著名な指揮者やオーケストラと共演し、室内楽でも幅広いアーティストと演奏を行っている。まさにこの10年で、大きな飛躍を遂げたピアニストとなった。
「あっというまだったような、でも、いろんなことがあったので、長かったような…」
先日、インタビューで会った彼女は、日本デビュー10周年を迎えて、感慨深げに語った。
「これまでは教会でのセッション録音でしたが、今回は初めてのライヴ録音です。コンチェルトではもちろん緊張はしましたが、指揮者とオーケストラがすばらしかったため、気持ちよく演奏することができました」
河村尚子の日本デビュー10周年アニヴァーサリー・リリースCDは、昨秋プラハでイルジー・ビエロフラーヴェク指揮チェコ・フィルと共演してドヴォルザーク・ホールで演奏したラフマニノフのピアノ協奏曲第2番と、チェロのクレメンス・ハーゲンとのデュオによるラフマニノフのチェロ・ソナタと、ラフマニノフの前奏曲3曲というラフマニノフ・アルバム。
彼女は恩師のクライネフからロシア・ピアニズムの真髄を伝授され、ラフマニノフを愛したクライネフの思いをいまも大切に、作曲家の魂に迫る。
今回のラフマニノフづくしのアルバムは、ラフマニノフのさまざまな面を聴くことができる。このインタビューは「intoxicate」の秋の号に掲載される予定だ。
河村尚子のこのコンチェルトは、現地で絶賛され、本人も非常に思い出深い演奏となったようだ。
コンサートは10月9日から11日まで3日間行われ、地下に設置された録音機材のあるところですぐに演奏を聴くことができたそうだ。
「ですから、初日の演奏を聴き、スタッフとともにここはもう少しこうしよう、この方がいいかもしれないと、話し合いをもつことができました。公開ゲネプロもあり、そこには着飾った年配の方々や、きちんとした服装の小学生たちも聴きにきてくれたんですよ。本番よりは安いチケットで入れるため、みんなチェコ・フィルの演奏をとても楽しみにしているようです。こういう制度はすばらしいなあと思いました」
プラハの町も散策し、歴史と伝統を感じさせる空気を味わいながら、すばらしい音響の美しいホールで演奏でき、貴重な体験をした。
「チェコ・フィルの弦の響きは、本当に特有のものがありますね。ビエロフラーヴェクさんもとてもソリストを大切にしてくれるマエストロで、のびのびと弾くことができました」
なお、クレメンス・ハーゲンとのデュオは、ドイツのエルマウ城のコンサートホールでのライヴ。この城は上質なホテルとなっていて、そのなかにホールがあり、周囲は一面の緑で、とても環境がいいところだそうだ。
新譜は、9月24日にリリースされる(ソニー)。
今日の写真は、インタビューの前日、日本に帰国したばかりという河村尚子。疲れも見せず、元気に答えてくれた。会うたびに堂々と、たくましくなっていく彼女。自信に満ちている感じで、10年間の濃密な歩みが演奏と言動にあふれている。
萩原麻未
一昨日、雪のなかを銀座まで萩原麻未のインタビューに出かけた。
彼女会うのは、久しぶり。これは彩の国さいたま芸術劇場音楽ホールのピアノ・リサイタル(6月22日)に先駆けて行われたもので、劇場の冊子にインタビュー記事として掲載される。
今回のプログラムはフォーレの夜想曲第1番、第2番からスタート。ドビュッシーの「ベルガマスク組曲」と「喜びの島」へと続き、後半はラヴェルの「高雅で感傷的なワルツ」で開始、最後はラヴェルの「ラ・ヴァルス」で幕を閉じるという、フランス作品で構成されている。
このプログラムについていろんなことを聞き、近況や今後のスケジュールなどとともに、いまもっとも興味を抱いていることなどにも触れた。
今回のリサイタルは、この劇場の「ピアノ・エトワール・シリーズ」のひとつで、若手ピアニストのなかでもひときわ輝く新鋭ピアニストが登場するもの。萩原麻未も、それを考慮してじっくりとプログラムを選んだようだ。
彼女に会うと、いつものんびりマイペースの話し方に私もつられそうになるが、口数がそう多いほうではないため、自然に私がどんどんことばをつないで質問の答えを促すようになってしまう。
そのうちに彼女特有のユーモアが顔をのぞかせ、場が一気にのどかな空気に満たされる。
萩原麻未は以前から室内楽が好きで、いまも内外の多くのアーティストと共演を重ねている。インタビューでも、ソロ作品の話をしているうちに、その作曲家の室内楽作品からインスパイアされたという話に移ってしまい、次第に合わせものの話に…。
「あっ、リサイタルの話でしたよね」
そういって、ソロ作品の話題に戻り、また気がつくと室内楽の話に移行していく。
「ねえ、またリサイタルの話に戻っていい?」
私がこう方向転換をして、そのつどふたりで笑ってしまう。
その意味では、このリサイタルは、彼女のソロを聴く貴重な機会となる
今日は、フランスの若手ピアニスト、リーズ・ドゥ・ラ・サールのリサイタルを聴きに紀尾井ホールに出かけた。
前半はラヴェルの「鏡」とドビュッシーの「前奏曲集より」というフランス作品でスタート。
響きがとてもクリアで、ペダルのこまやかな使用が功を奏し、あいまいな音がまったくない。打鍵も深く、リズムも明確で、ときおり強靭さが際立つ。
ホールが小さすぎると思えるほどの音量も披露し、とりわけ高音のカーンという鋭いタッチが印象に残った。
彼女のピアノは、もやもやした響きや淡い色を前面に押し出すピアニズムとは一線を画し、確固たる信念に貫かれたフランス作品を打ち出していた。
後半は、プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」から10の小品。彼女はこの作品を得意としていて、録音も行っているが、まさにロシア作品が向いているという奏法。ドラマを浮き彫りにし、音量豊かに物語を強靭なテクニックと鍛え抜かれたリズム表現で鮮やかに生み出していく。
しかし、25歳というのが信じられないほど、古典的なピアニズムが随所に顔をのぞかせている。
今日は、男性ファンが圧倒的に多く、CD発売のデスクの前には男性がずらり。終演後はサイン会があるということで、そこでも男性陣が長蛇の列になるのだろう。
この公演評は、次号の「モーストリー・クラシック」に書く予定になっている。
フランスはピアニストが多く生まれる国である。しかも、個性派が際立つ。最近は男性ピアニストが多いが、リーズがそのなかに大きな花を咲かせるのはまちがいない。
こういうピアニストは、長く聴き続けていくことに価値がある。また、次回を楽しみにしたい。
庄司紗矢香&メナヘム・プレスラー
なんと感動的な一夜だったことだろう。
今夜は、サントリーホールに庄司紗矢香とメナヘム・プレスラーのデュオ・リサイタルを聴きにいった。
私はアーティストがステージに登場したときからその音楽は始まっていると思うが、今日もふたりが姿を現したときから、すでにすばらしいコンサートになることが予測できた。
庄司紗矢香はウエストのうしろ側にバラがついた美しいサーモンピンクのドレスをまとい、ゆったりとした足取りのプレスラーとにこやかに登場。
プログラムは、モーツァルトの「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ変ロ長調K.454」からスタート。プレスラーの音量はけっして大きくないため、庄司紗矢香も音を抑制し、静けさに満ちたおだやかなモーツァルトとなった。
次いでシューベルトの「ヴァイオリンとピアノのための二重奏曲イ長調作品162」が演奏され、幻想的でかろやかで歌心あふれる作風をふたりは相手の音に注意深く耳を傾けながら、二重奏を楽しんでいるように演奏。とりわけ第4楽章のピアノとヴァイオリンの音の対話が密度濃く、テンポの速い部分の呼吸がピタリと合っていた。
後半は、シューベルトの「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第1番ニ長調作品137-1」。今日はふたりの音をひとつもらさず聴こうとする熱心な聴衆がホールを埋め尽くしたためか、このシューベルトも歌謡的な主題を耳を研ぎ澄まして聴いている感じで、奏者と聴衆の間に一体感が生まれた。
最後は、ブラームスの「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第1番ト長調《雨の歌》」。この作品では、庄司紗矢香もプレスラーも自由闊達な演奏となり、哀愁や憧憬に満ちた旋律をのびやかにうたい上げ、ブラームスの傑作をこの上なく美しく、情感豊かに奏でた。
その余韻が残るなか、アンコールが始まった。
最初はドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」。ふたりは1曲終わると手を取り合い、寄り添って舞台袖へと歩みを進めるのだが、このアンコールが終わったとき、プレスラーが庄司のドレスの裾を踏んでしまい、ふたりでおっとっと。ここでホール中が笑いに包まれた。
でも、それが一変して涙に変わったのは、プレスラーがアンコールにショパンの「ノクターン第20番嬰ハ短調」を弾き始めてから。あまりの美しさ、静謐で陰影に富み、表情豊かで心にじわじわと沁み込んでくるピアノに、ホール全体が涙に暮れたような雰囲気に包まれた。
私も、もうダメだ、こりゃ、あかん、涙腺がゆるんでたまらん、と思って、ハンカチをごそごそ探した。
すると、ふたりはブラームスの「愛のワルツ作品39-15」をかろやかに弾き始めた。
うん、これでひと息つけるゾ。なんて素敵なデュオなんだろう。
そう思ってホッとしていたら、庄司紗矢香がまた目でプレスラーに合図を送り、彼がピアノを弾き始めた。
ショパンの「マズルカ作品17-4」である。ああっ、ダメだ〜。今度こそ、ハンカチ、ハンカチ…。
こうして感動的な一夜は幕を閉じた。
帰路に着く間もずっとプレスラーのショパンが頭から離れず、いまだ余韻に浸っている。
明日の午後は、いよいよ待ちに待ったプレスラーのインタビューだ。さて、どんな話が出るだろうか。まず、会った途端、今日感銘を受けたことを口走りそうだ。
あまりにも深い感動を受けたため、今夜は脳が覚醒し、眠れそうもない。
アリス=紗良・オット&フランチェスコ・トリスターノ
昨日は、アリス=紗良・オット&フランチェスコ・トリスターノのピアノ・デュオ・リサイタルを聴きにすみだトリフォニーホールに出かけた。
ふたりは4年前に出会い、すぐに意気投合。ついにピアノ・デュオを行うまでになった。
2013年9月にはベルリンで「スキャンダル」(ユニバーサル)と題したCDを録音。そのレコーディングが終わった後の来日時、フランチェスコにインタビューをしたが、アリスはこの録音のなかに収録されているフランチェスコの新作「ア・ソフト・シェル・グルーヴ」の楽譜を見た途端、絶句し、「ええーっ、弾けな〜い!」と絶叫したとか。
でも、そこは根性のある(?)アリスのこと、譜面をピアノの下にバーッと散らばして、必死に練習したという。
その曲は、昨日の後半の第1曲目に登場。フランチェスコのいつもの特徴が色濃く表れた曲想で、グルーヴ感あり、ミニマリズムの側面あり、繊細でささやくような旋律が出てきたかと思うと、突然テクノのようなリズムが巻き起こる。本人いわく、「毎回、演奏するごとに変容していく曲」だそうだ。
コンサートの前半は、フランチェスコの編曲によるラヴェルの「ボレロ」。彼が原曲の小太鼓によって刻まれるリズムを担当し、アリスが旋律を奏でる。フランチェスコはこの「ボレロ」を2台ピアノのために編曲することを以前から夢見ていたようで、ようやく実現した。
演奏は、冒頭から息の合ったところを見せ、ふたりの静と動のバランスが瞬時に交替していくところが刺激的だった。
続いてはドビュッシー(ラヴェル編)の「3つのノクターンより」。彼らは微妙な光を表現するように幾重にも陰影を変化させ、アリスのスタインウェイ、フランチェスコのヤマハCFXの音色の違いが前面に現れた。
前半の最後は、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」。これはまさに若さあふれるエネルギッシュな演奏で、ワルツの旋回がみずみずしい響きで奏され、踊る人々が見えるような視覚的な演奏となった。
そして後半はフランチェスコの新作に次いで、いよいよこの夜のメイン、ストラヴィンスキーの「春の祭典」が登場。原始的で宗教色が強く、革新性に満ちたこの曲を、ふたりは体当たりで演奏。
「こんなハードなプログラム、若くなくちゃ弾けないよね」
友人に会ったとき、彼がいったひとこと。まさしくその通り。
アリスもフランチェスコもデビュー当初からよく話を聞き、演奏も聴き続けているが、本当にいい演奏のパートナーを見つけたものだと思う。
性格はかなり異なり、演奏もまったく違うものをもっているが、ふたりがともに演奏すると個性の違いが際立ってぶつかりあい、刺激的なデュオが生まれる。各地でのツアーを予定しているそうだから、もっともっとデュオが濃密になっていくに違いない。
それにしても、ピアニストはいつもひとりで演奏しなければならないから孤独だ、とよくいうけど、アリスとフランチェスコは幸せだ。こんなにすばらしいパートナーを得ることができたのだから…。
ふたりともすらりとしたモデル体型で、才能と人気と美貌に恵まれている、性格もいいし。う〜ん、神はちょっといろんなものを与えすぎじゃない(笑)。