田部京子&上海クァルテットによるシューマン:ピアノ五重奏曲〜NHKBSプレミアム・クラシック倶楽部 − 上海クァルテット 演奏会 −(2013年1月14日放送)上海クァルテット(以下「上海SQ」と略記)、
私にとっては初耳の団体でした。
(室内楽の方は少し疎いので・・・)
2013年1月15日に、上海SQの演奏会が、
NHKBSプレミアムで放送されていました。
収録は2012年10月31日、東京・石橋メモリアルホールです。
上海SQに興味があった、というよりは、
共演者が田部京子さんだったからです。
放送された曲目は、
ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第6番(第2楽章を除く)と、
シューマンのピアノ五重奏曲Op.44でした。
(ショスタコの方は聴くのをパスしましたが・・・)
シューマンのピアノ五重奏曲、何度か聴いたことがあります。
近年では、アルゲリッチらによる、
「東日本大震災のためのチャリティ・コンサート」(2012年1月29日放送)で、
ピアノの女王様アルゲリッチによる堂々とした演奏を聴いたことがあります。
その他、グレン・グールドのアルバム
(カップリングはブラームスのピアノ五重奏曲)とか、
後は演奏者が誰だったか忘れてしまうようなのがいくつか・・・
しかしどれを聴いても、さほど好きにはなれなかった曲です。
上述のアルゲリッチの演奏では、シューマンを聴くというよりは、
アルゲリッチの演奏を聴くのがメインになりますね・・・
ピアノの女王様にひたすら奉仕する4人のナイト?
当然、ピアノばかりが印象に残ってしまいます。
(参考:グールド盤※輸入盤)
今回取り上げた、田部京子&上海SQの演奏は、
ピアノは王女様的に適度に華やかですが目立ちすぎず、
少し地味な上海SQの演奏を見事に盛り立て、
理想的ともいえるような心地良いものに仕上がっていました。
放送されたものは録画しておいたので、
ここ数日間でかれこれ10回近く聴いています。
この曲の魅力にようやく開眼させられた演奏となりました。
田部京子さんの演奏は、
クララ・シューマンその人が弾いているかのような印象さえ受けます。
田部京子さんはカルミナ弦楽四重奏曲と、
2008年にこの曲を録音しています。
試聴した限りでは放送の演奏との優劣はちょっとわからないですね・・・
(短い中でも、
カルミナSQのはじけるような新鮮味ある音色が魅力的だとは思いましたが・・・)
ちなみに、この盤は、
2008年度の音楽之友社レコード・アカデミー賞受賞(室内楽部門)を受賞しています。
ご興味のある方はどうぞ。
(私もそのうち手に入れるかもしれませんが・・・
しばらくは放送録画の演奏で十分かな?)
1998年に初共演して以来、数々の名演奏を生んだ名コンビによる待望の日本ツアー。細やかなピアニズムで近年ベートーヴェンやブラームスに新境地を見せるピアニストと、1984年にスイスで結成され、内田光子やS.マイヤーらと共演する緻密で自然な演奏が身上のトップ・カルテットは、両者ともに根強いファンを持っています。このコンビによる『シューベルト「ます」&シューマン「ピアノ五重奏曲」』は2008年レコード・アカデミー賞を受賞。ツアー曲目のブラームス「ピアノ五重奏曲」の新譜もリリース予定。
シューマンを軸に、ロマン派の音楽世界をたずねる好評シリーズ「シューマン・プラス」。第4章となる7月8日(水)の公演は、生まれた年が1年しか違わず、親交があったシューマンとメンデルスゾーンを取り上げます。ピアニスト田部京子さんにシューマンとメンデルスゾーンの魅力を語ってもらいました。
「同じロマン派でも2人の音楽は対照的ですが、互いに尊敬していました。それぞれ自分の中には存在しないものへの憧れを感じていたのではないかという気がします。
メンデルスゾーンはバッハ再興の原動力になるなど、古典的な音楽への執着と敬意が根底にあって、その形式の枠組みの中でのロマンティシズムを最大限に追求したように感じます。彼の人生の中で起こる苦難も葛藤も、その心の中で和解させて音楽に向かっているような印象です。短調のパッセージであっても、どこかに幸福感があり救いを感じます。初めて聴く人でも親しみを覚える美しいメロディーには、全体を通して”優しいうた”が感じられます。端正な音楽の中に秘められた豊かなロマン性を、7月8日には感じて頂ければと思っています。
これに対してシューマンは、彼の中に存在する様々な情感を自己の中で消化しきれないままに音楽へと表出しているような印象です。断片的な曲想が連なって一つの幻想的な世界が出来る。一見捉えどころがない、その独特のファンタジーがシューマンの面白さなんです。今回演奏するフモレスケは、想像があちこちに飛翔して夢と幻想の世界をさまよい、詩的な印象も受けます。まさにシューマンならではの魅力がぎっしりと詰まった曲なので、そのファンタジーの世界を楽しんでいただければと思います」
ザ・フェニックスホール人気の「ティータイムコンサートシリーズ」は2011年度、ピアニスト田部京子さんのリサイタルで幕を開ける(6月10日)。かつて、史上最年少で日本音楽コンクールを制し、欧州のコンクールで優れた経歴を積んだ。内外の一流オーケストラや室内楽グループと共演を重ね、リサイタルなどでも滋味溢れる音色を奏でる、正に日本を代表する実力派の一人。今公演のタイトルは、「アイネ・クライネ・シューベルティアーデ」。ドイツ語で、「小さなシューベルト演奏会」といった意味で、田部さんのライフワークであるフランツ・シューベルト(1797-1828)のピアノ曲を演奏する。プログラムは、最晩年のソナタなど、一般には「歌曲王」として親しまれている作曲家が愛した楽器、ピアノで綴った、ポエジー(詩情)あふれる名作が並んでいる。田部さんは近年、とりわけシューマンやメンデルスゾーンといったロマン派作品の演奏で高評を得ているが、そうしたレパートリーの「核」となっているのが、これらシューベルトの作品である。その魅力はどこに−。寄せる思いを伺った。
(ザ・フェニックスホール・谷本 裕)
「孤独が生んだポエジー」
―最後のソナタを収録したアルバムを発表したのが1994年6月。その後もシューベルト作品の録音を続けられ、この作曲家のソロCDが既に5枚。舞台でも度々演奏され、正に「ライフワーク」ですね。
振り返ると、道が出来ています。でも実は私、最初からシューベルト作品に親しみを持っていた訳ではなかった。高校3年の時に日本音楽コンクールで一位になってしまい、自分でも驚いているうちに、色んな舞台で弾かせて頂けるようになりました。よく弾いていたのは、リストやショパンの華やかな作品。シューマンの「交響的練習曲」のような、高い技巧が求められる作品にも傾倒していました。シューベルト作品には幼い頃、ピアノを習う多くの子が弾く「楽興の時」など小品に触れたことはありますが、特に後期の作品は取っ付きにくい感じでした。東京芸大を受験した際、初期の或るソナタに取り組んだのですが、正直なところ、あまりよく把握出来ませんでした。
―入学した後は−。
やはり遠い存在でした。彼と同時代のベートーヴェンの作品に比べ、色んな楽想が絡み合うように連なっていて、フレーズがつかみづらい。何とか近付きたい、と楽曲分析したりしてみましたが、なかなか自分のものにならない。シューベルトは「何か」を感じないと弾けないのではないかと思うようになったのですが、それが分からない。そんな時、ふと足を運んだリサイタルで、初めてシューベルトへの扉が開かれました。
―どなたの演奏だったんでしょう。
ヴィレム・ブロンズさん(※)。弾かれたのは、今回、私も取り上げる最後のソナタ。何かが、ひたひた心に打ち寄せて来るようでした。決してヴィルトゥオーゾではありませんが、シューベルトの音楽をこよなく愛し、精神を伝えようとする意志の力が作品の素晴らしさを十分に教えてくれました。疑問が解け、「こんなに美しい音楽だったのか!」と “開眼”したのです。
―どこに惹かれたのでしょう。
彼の音楽、特に晩年のソナタには、深い苦しみや哀しみが刻まれています。そして、死への不安の半面、それに憧れるような重い要素もあります。でも、真冬の曇天に仄かな薄日が差すような、生き生きと明るいパッセージが、ふっと現れることもよくあります。青年時代の、春の回想という感じで、寒々しい、さすらいの道程に微かな「希望」が生まれる。様々な思いが交錯するので、時には「混沌」に思えたのですが、実はそこにこそ彼の心の襞がある。弾き手は、そんな思いの数々を丁寧に掬い取り、丹念に表現することが大事なんです。そうすることで、独特の深い精神性や美しさが広がってくる。あの頃は、そんな読み分けも出来ていなかった。思いを表現する技術も備えていなかった。
―今の田部さんの、豊かな演奏を知る者には、ちょっと意外なお話です。
「技術」というものは本来、自分の中の音楽像を表現するためにある。弾き手の内側に切実な求めがあって、初めて身に付く。ショパンやリストの華麗な音楽を表現する技術もあれば、シューベルトの豊かな精神性を表現する技術もあります。ショパンの音楽は入り口が広い。きらびやかで、親しみやすい旋律がある。音楽の側から、弾き手の心に入ってくる。シューベルトの場合はむしろ逆。弾き手の方から、耳を澄ませ心を添わせていく営みが必要です。
―彼はどんな人だったのでしょう。
彼の音楽、特にピアノ作品や室内楽には、本当に親しい人にだけ心を開く「打ち明け話」のような楽想が出てきます。それを受け止める人々がいた訳ですよね。気心知れた仲間と、和気あいあい楽しんだ演奏会が「シューベルティアーデ」だったのでしょうね。でも内心、孤独に悩んでいたとも思います。いつも自分自身と対話を重ねていたことが、譜面から読み取れます。こんな彼が描いた世界を、私も成長する中で少しずつ感じられるようになりました。
―契機は。
ベルリン留学です。充実したレッスンはもちろん、交響曲や室内楽などシューベルトの色々な音楽に生で触れる機会が豊かでした。また異国で初めての独り暮らしをし、旅もしました。長く厳しい冬の日々からも、シューベルトの孤独感や寂寥感を少しは共有できたかもしれない。私はもともと北海道生まれですが、当時ベルリンの冬は今よりずっと雪が多く、凍る風を頬に受けて雪明りの中を歩いていると、孤独な魂の気概とか、哀愁と背中合わせの自然の生命力や春への憧れのような感情が湧いてくる。それも、彼の心象の一つだったかもしれません。
―これまでの演奏活動の中で辛かった経験は−。
もう今から15年も前、宮城でのレコーディングの際の出来事。スタッフが迎えに来てくれた車に同乗し、会場に向かう途中で追突を受け、首を痛めて半年間、演奏会をキャンセルし休養しました。生活の中心を突然、外部の力で差し押さえられたような毎日。やり場のない気持ちと不安で、とても辛い日々でした。翌年には幸い、舞台に戻ることができ、こうして長年にわたって演奏を続けている。振り返るとその半年間は、多くのことを教えてくれた貴重な時間だったような気がします。人生は何が起こるかわからない。一回一回の舞台が、もしかすると最後になるかもしれない、という重み。「一期一会」への感謝…私と同様の経験や、孤独感を感じたことのある人は、いつの時代にも必ずおられるはず。そんな人の心に、シューベルトの音楽は優しく染み込んでくると思います。
―今後について。
シューベルトを契機に私は、多くの作曲家の晩年の作品に惹かれるようになりました。晩年の作品には、その人の人生、歩みが凝縮されている。そんな作品のメッセージを理解し、感じ、伝えるには、演奏家も一人の人間として濃密な時間を生きなくてはならないと思っています。
私にとっては初耳の団体でした。
(室内楽の方は少し疎いので・・・)
2013年1月15日に、上海SQの演奏会が、
NHKBSプレミアムで放送されていました。
収録は2012年10月31日、東京・石橋メモリアルホールです。
上海SQに興味があった、というよりは、
共演者が田部京子さんだったからです。
放送された曲目は、
ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第6番(第2楽章を除く)と、
シューマンのピアノ五重奏曲Op.44でした。
(ショスタコの方は聴くのをパスしましたが・・・)
シューマンのピアノ五重奏曲、何度か聴いたことがあります。
近年では、アルゲリッチらによる、
「東日本大震災のためのチャリティ・コンサート」(2012年1月29日放送)で、
ピアノの女王様アルゲリッチによる堂々とした演奏を聴いたことがあります。
その他、グレン・グールドのアルバム
(カップリングはブラームスのピアノ五重奏曲)とか、
後は演奏者が誰だったか忘れてしまうようなのがいくつか・・・
しかしどれを聴いても、さほど好きにはなれなかった曲です。
上述のアルゲリッチの演奏では、シューマンを聴くというよりは、
アルゲリッチの演奏を聴くのがメインになりますね・・・
ピアノの女王様にひたすら奉仕する4人のナイト?
当然、ピアノばかりが印象に残ってしまいます。
(参考:グールド盤※輸入盤)
今回取り上げた、田部京子&上海SQの演奏は、
ピアノは王女様的に適度に華やかですが目立ちすぎず、
少し地味な上海SQの演奏を見事に盛り立て、
理想的ともいえるような心地良いものに仕上がっていました。
放送されたものは録画しておいたので、
ここ数日間でかれこれ10回近く聴いています。
この曲の魅力にようやく開眼させられた演奏となりました。
田部京子さんの演奏は、
クララ・シューマンその人が弾いているかのような印象さえ受けます。
田部京子さんはカルミナ弦楽四重奏曲と、
2008年にこの曲を録音しています。
試聴した限りでは放送の演奏との優劣はちょっとわからないですね・・・
(短い中でも、
カルミナSQのはじけるような新鮮味ある音色が魅力的だとは思いましたが・・・)
ちなみに、この盤は、
2008年度の音楽之友社レコード・アカデミー賞受賞(室内楽部門)を受賞しています。
ご興味のある方はどうぞ。
(私もそのうち手に入れるかもしれませんが・・・
しばらくは放送録画の演奏で十分かな?)
1998年に初共演して以来、数々の名演奏を生んだ名コンビによる待望の日本ツアー。細やかなピアニズムで近年ベートーヴェンやブラームスに新境地を見せるピアニストと、1984年にスイスで結成され、内田光子やS.マイヤーらと共演する緻密で自然な演奏が身上のトップ・カルテットは、両者ともに根強いファンを持っています。このコンビによる『シューベルト「ます」&シューマン「ピアノ五重奏曲」』は2008年レコード・アカデミー賞を受賞。ツアー曲目のブラームス「ピアノ五重奏曲」の新譜もリリース予定。
シューマンを軸に、ロマン派の音楽世界をたずねる好評シリーズ「シューマン・プラス」。第4章となる7月8日(水)の公演は、生まれた年が1年しか違わず、親交があったシューマンとメンデルスゾーンを取り上げます。ピアニスト田部京子さんにシューマンとメンデルスゾーンの魅力を語ってもらいました。
「同じロマン派でも2人の音楽は対照的ですが、互いに尊敬していました。それぞれ自分の中には存在しないものへの憧れを感じていたのではないかという気がします。
メンデルスゾーンはバッハ再興の原動力になるなど、古典的な音楽への執着と敬意が根底にあって、その形式の枠組みの中でのロマンティシズムを最大限に追求したように感じます。彼の人生の中で起こる苦難も葛藤も、その心の中で和解させて音楽に向かっているような印象です。短調のパッセージであっても、どこかに幸福感があり救いを感じます。初めて聴く人でも親しみを覚える美しいメロディーには、全体を通して”優しいうた”が感じられます。端正な音楽の中に秘められた豊かなロマン性を、7月8日には感じて頂ければと思っています。
これに対してシューマンは、彼の中に存在する様々な情感を自己の中で消化しきれないままに音楽へと表出しているような印象です。断片的な曲想が連なって一つの幻想的な世界が出来る。一見捉えどころがない、その独特のファンタジーがシューマンの面白さなんです。今回演奏するフモレスケは、想像があちこちに飛翔して夢と幻想の世界をさまよい、詩的な印象も受けます。まさにシューマンならではの魅力がぎっしりと詰まった曲なので、そのファンタジーの世界を楽しんでいただければと思います」
ザ・フェニックスホール人気の「ティータイムコンサートシリーズ」は2011年度、ピアニスト田部京子さんのリサイタルで幕を開ける(6月10日)。かつて、史上最年少で日本音楽コンクールを制し、欧州のコンクールで優れた経歴を積んだ。内外の一流オーケストラや室内楽グループと共演を重ね、リサイタルなどでも滋味溢れる音色を奏でる、正に日本を代表する実力派の一人。今公演のタイトルは、「アイネ・クライネ・シューベルティアーデ」。ドイツ語で、「小さなシューベルト演奏会」といった意味で、田部さんのライフワークであるフランツ・シューベルト(1797-1828)のピアノ曲を演奏する。プログラムは、最晩年のソナタなど、一般には「歌曲王」として親しまれている作曲家が愛した楽器、ピアノで綴った、ポエジー(詩情)あふれる名作が並んでいる。田部さんは近年、とりわけシューマンやメンデルスゾーンといったロマン派作品の演奏で高評を得ているが、そうしたレパートリーの「核」となっているのが、これらシューベルトの作品である。その魅力はどこに−。寄せる思いを伺った。
(ザ・フェニックスホール・谷本 裕)
「孤独が生んだポエジー」
―最後のソナタを収録したアルバムを発表したのが1994年6月。その後もシューベルト作品の録音を続けられ、この作曲家のソロCDが既に5枚。舞台でも度々演奏され、正に「ライフワーク」ですね。
振り返ると、道が出来ています。でも実は私、最初からシューベルト作品に親しみを持っていた訳ではなかった。高校3年の時に日本音楽コンクールで一位になってしまい、自分でも驚いているうちに、色んな舞台で弾かせて頂けるようになりました。よく弾いていたのは、リストやショパンの華やかな作品。シューマンの「交響的練習曲」のような、高い技巧が求められる作品にも傾倒していました。シューベルト作品には幼い頃、ピアノを習う多くの子が弾く「楽興の時」など小品に触れたことはありますが、特に後期の作品は取っ付きにくい感じでした。東京芸大を受験した際、初期の或るソナタに取り組んだのですが、正直なところ、あまりよく把握出来ませんでした。
―入学した後は−。
やはり遠い存在でした。彼と同時代のベートーヴェンの作品に比べ、色んな楽想が絡み合うように連なっていて、フレーズがつかみづらい。何とか近付きたい、と楽曲分析したりしてみましたが、なかなか自分のものにならない。シューベルトは「何か」を感じないと弾けないのではないかと思うようになったのですが、それが分からない。そんな時、ふと足を運んだリサイタルで、初めてシューベルトへの扉が開かれました。
―どなたの演奏だったんでしょう。
ヴィレム・ブロンズさん(※)。弾かれたのは、今回、私も取り上げる最後のソナタ。何かが、ひたひた心に打ち寄せて来るようでした。決してヴィルトゥオーゾではありませんが、シューベルトの音楽をこよなく愛し、精神を伝えようとする意志の力が作品の素晴らしさを十分に教えてくれました。疑問が解け、「こんなに美しい音楽だったのか!」と “開眼”したのです。
―どこに惹かれたのでしょう。
彼の音楽、特に晩年のソナタには、深い苦しみや哀しみが刻まれています。そして、死への不安の半面、それに憧れるような重い要素もあります。でも、真冬の曇天に仄かな薄日が差すような、生き生きと明るいパッセージが、ふっと現れることもよくあります。青年時代の、春の回想という感じで、寒々しい、さすらいの道程に微かな「希望」が生まれる。様々な思いが交錯するので、時には「混沌」に思えたのですが、実はそこにこそ彼の心の襞がある。弾き手は、そんな思いの数々を丁寧に掬い取り、丹念に表現することが大事なんです。そうすることで、独特の深い精神性や美しさが広がってくる。あの頃は、そんな読み分けも出来ていなかった。思いを表現する技術も備えていなかった。
―今の田部さんの、豊かな演奏を知る者には、ちょっと意外なお話です。
「技術」というものは本来、自分の中の音楽像を表現するためにある。弾き手の内側に切実な求めがあって、初めて身に付く。ショパンやリストの華麗な音楽を表現する技術もあれば、シューベルトの豊かな精神性を表現する技術もあります。ショパンの音楽は入り口が広い。きらびやかで、親しみやすい旋律がある。音楽の側から、弾き手の心に入ってくる。シューベルトの場合はむしろ逆。弾き手の方から、耳を澄ませ心を添わせていく営みが必要です。
―彼はどんな人だったのでしょう。
彼の音楽、特にピアノ作品や室内楽には、本当に親しい人にだけ心を開く「打ち明け話」のような楽想が出てきます。それを受け止める人々がいた訳ですよね。気心知れた仲間と、和気あいあい楽しんだ演奏会が「シューベルティアーデ」だったのでしょうね。でも内心、孤独に悩んでいたとも思います。いつも自分自身と対話を重ねていたことが、譜面から読み取れます。こんな彼が描いた世界を、私も成長する中で少しずつ感じられるようになりました。
―契機は。
ベルリン留学です。充実したレッスンはもちろん、交響曲や室内楽などシューベルトの色々な音楽に生で触れる機会が豊かでした。また異国で初めての独り暮らしをし、旅もしました。長く厳しい冬の日々からも、シューベルトの孤独感や寂寥感を少しは共有できたかもしれない。私はもともと北海道生まれですが、当時ベルリンの冬は今よりずっと雪が多く、凍る風を頬に受けて雪明りの中を歩いていると、孤独な魂の気概とか、哀愁と背中合わせの自然の生命力や春への憧れのような感情が湧いてくる。それも、彼の心象の一つだったかもしれません。
―これまでの演奏活動の中で辛かった経験は−。
もう今から15年も前、宮城でのレコーディングの際の出来事。スタッフが迎えに来てくれた車に同乗し、会場に向かう途中で追突を受け、首を痛めて半年間、演奏会をキャンセルし休養しました。生活の中心を突然、外部の力で差し押さえられたような毎日。やり場のない気持ちと不安で、とても辛い日々でした。翌年には幸い、舞台に戻ることができ、こうして長年にわたって演奏を続けている。振り返るとその半年間は、多くのことを教えてくれた貴重な時間だったような気がします。人生は何が起こるかわからない。一回一回の舞台が、もしかすると最後になるかもしれない、という重み。「一期一会」への感謝…私と同様の経験や、孤独感を感じたことのある人は、いつの時代にも必ずおられるはず。そんな人の心に、シューベルトの音楽は優しく染み込んでくると思います。
―今後について。
シューベルトを契機に私は、多くの作曲家の晩年の作品に惹かれるようになりました。晩年の作品には、その人の人生、歩みが凝縮されている。そんな作品のメッセージを理解し、感じ、伝えるには、演奏家も一人の人間として濃密な時間を生きなくてはならないと思っています。