安倍晋三は単なる帽子であって頭ではない
無知無学ではあるが平気で嘘を言える点が高く評価されて首相の役を演じさせられているだけである
真の権力者から見れば安倍晋三程使い勝手の良いものはいないだろう
これもすべて日本が談合による社会であるから当然こうなる
安倍晋三政権は福島第一原発問題は放置して集団的自衛権行使容認問題で社会の関心を逸らしている
TPP問題も含め宗主国アメリカの日本植民地支配強化が急がれている
恥知らずの売国奴でなければこれほど日本の国富を棄損し自衛隊員をアメリカの戦争の為に提供するなどというバカげたことはできないのが道理だが
集団的自衛権行使容認となれば日本国の国民は帝国主義国家アメリカから侵略され搾取され虐げられそれ故アメリカと闘う者達から攻撃の対象になるのである
世界の多くの知識人からは、日本イコール「嘘」と云う言説が実しやかに、裏声で君が代を歌うように語られているそうだ。決定的だったのが、安倍晋三がオリンピック招致演説で「福島原発の放射能は、私のコントロール下にある。完全に汚染水はブロックしている!」この言葉が致命的に2020年五輪を決定させたと同時に、「嘘つき国家」をも決定づけたというのだから、痛しかゆしだ。否、五輪なんてのは1か月程度の祭りだが「嘘つき国家」の勲章は永遠ものだ。昨日のコラムではないが、世界の秩序は壊れたがっている。地球の内部が軋むほどヤバイ状況が各地域で起きている。平和ボケもいい加減にしないと拙いだろう。サッカーの話題も、LIVE中継中だけで良いじゃないか、世界全体を見つめ、何が起きているのかマジに考えないと、本当青天の霹靂なんて言葉は言い訳にもならないだろう。
この国は原発とともに滅びかねない。
旧ソ連がチェルノブイリによって崩壊したように、日本もフクシマによって、明治維新以来の支配体制が崩壊すればよい。
そろそろ、再来年辺りから、放射能の被害が覆い隠せなくなるだろう。
我々がやるべきことは、とにかく事実と真実を暴露し続けることだ。それがマスゴミと戦う唯一の方法だろう。
石原の「失言」に自民党が怒る、ということは、言ってはならないことを言ったからだろう。もし本当に必要な表現であれば失言であったから取り消せ、などということにはならないだろう。
実のところ、補助金漬けの日本社会が金目社会であったのであり、それが失言に相当するとして口に出した本人を糾弾するのはおかしいことだ。
金目表現が失当であるとして口を噤ませるより、金目で動く政治、行政システム全体が妥当かどうか、見直すべき機会とするべきだ。
無知無学ではあるが平気で嘘を言える点が高く評価されて首相の役を演じさせられているだけである
真の権力者から見れば安倍晋三程使い勝手の良いものはいないだろう
これもすべて日本が談合による社会であるから当然こうなる
安倍晋三政権は福島第一原発問題は放置して集団的自衛権行使容認問題で社会の関心を逸らしている
TPP問題も含め宗主国アメリカの日本植民地支配強化が急がれている
恥知らずの売国奴でなければこれほど日本の国富を棄損し自衛隊員をアメリカの戦争の為に提供するなどというバカげたことはできないのが道理だが
集団的自衛権行使容認となれば日本国の国民は帝国主義国家アメリカから侵略され搾取され虐げられそれ故アメリカと闘う者達から攻撃の対象になるのである
世界の多くの知識人からは、日本イコール「嘘」と云う言説が実しやかに、裏声で君が代を歌うように語られているそうだ。決定的だったのが、安倍晋三がオリンピック招致演説で「福島原発の放射能は、私のコントロール下にある。完全に汚染水はブロックしている!」この言葉が致命的に2020年五輪を決定させたと同時に、「嘘つき国家」をも決定づけたというのだから、痛しかゆしだ。否、五輪なんてのは1か月程度の祭りだが「嘘つき国家」の勲章は永遠ものだ。昨日のコラムではないが、世界の秩序は壊れたがっている。地球の内部が軋むほどヤバイ状況が各地域で起きている。平和ボケもいい加減にしないと拙いだろう。サッカーの話題も、LIVE中継中だけで良いじゃないか、世界全体を見つめ、何が起きているのかマジに考えないと、本当青天の霹靂なんて言葉は言い訳にもならないだろう。
この国は原発とともに滅びかねない。
旧ソ連がチェルノブイリによって崩壊したように、日本もフクシマによって、明治維新以来の支配体制が崩壊すればよい。
そろそろ、再来年辺りから、放射能の被害が覆い隠せなくなるだろう。
我々がやるべきことは、とにかく事実と真実を暴露し続けることだ。それがマスゴミと戦う唯一の方法だろう。
石原の「失言」に自民党が怒る、ということは、言ってはならないことを言ったからだろう。もし本当に必要な表現であれば失言であったから取り消せ、などということにはならないだろう。
実のところ、補助金漬けの日本社会が金目社会であったのであり、それが失言に相当するとして口に出した本人を糾弾するのはおかしいことだ。
金目表現が失当であるとして口を噤ませるより、金目で動く政治、行政システム全体が妥当かどうか、見直すべき機会とするべきだ。