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Channel: 丹沢最高峰 蛭ケ岳1673回超えを目指して 
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天皇とは何か? ニッポンとは何か?

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東大卒業記念時計を拝した時に、天皇は微動だにしなかった・・・

『 ぼかぁ~、日本とは何か? と考えた 』
『 その時に、まさしく微動だにしなかった天皇だと思ったね 』
『 あれが、ニッポンだと、思ったね 』
東大時計台で、かの戦中将校・生れ変わり全共闘と席を共にし
その内面を吐露していたぼんぼん文化人・・・。
かの丙種不合格・文芸人は、ソコを押し進めて
『 豊穣の海 』へと下船間近かに腹切って沈没した。

ニッポンとは何か?
天皇とは何か?


ドイツの場合は行政機構は壊滅しており、官僚機構も軍隊も解体したが、日本は軍隊は解散させるが、官僚機構はすべてそのまま残した。日本は空襲でも官庁がやられていない。国会議事堂はそのままきれいに残った。大蔵省や日銀も戦前からの建物がそのままだ。

ドイツは戦争に協力したマスメディアなどはすべて廃刊になった。日本は違った。悪かったのは軍部だけで、天皇はじめ、官僚機構がそうだし、独占企業、マスコミ、全部が元元平和主義者のような顔をして生き残った。それが単独占領を保障したわけだ。みなアメリカに協力して民族的な利益を売り飛ばしていった。

アメリカは日本占領に50万人の兵力を用意していた。しかし20万人でよいといって削った経緯がある。戦前の体制がそっくりアメリカの配下になったからできたことだ。いかに日本の支配階級が売国的かがわかる。

アメリカはアジアを侵略した日本を懲らしめるため、そして国民が好戦的であるから原爆投下をして戦争を終わらせ、いく百万の人命を救ったと、みずからを平和主義者であるかのように宣伝してきた。

だが実際は、日本を侵略し、単独で占領して属国にする計画を、ずっと以前から持っており、それを実現するチャンスと見なして緻密な計画を持って望んだ戦争であった。日本支配にあたっては、天皇を傀儡(かいらい)とする政府をつくることも計画していたし、戦時中も天皇や皇族を攻撃してはならないという命令を米軍将兵に厳守させていた。それは天皇側にも知らされており、近衛文麿や吉田茂などはその線で動いていた。東京大空襲でも皇居は攻撃されていない。


国民は皆“お国のため”といって国に殺された。天皇はアメリカに日本を占領してくれとお願いしたんだ!それは共産主義が怖くてアメリカに自分を守ってもらうためだった。

米軍の無差別空襲のなかで、不思議なことに皇居は攻撃対象からはずされ、三菱重工広島造船所や長崎造船所は広島、長崎の原爆投下でも被害はなく、下関空襲でも三菱や軍は無傷であった。日本はひどく痛めつけられ、戦争が終わったときには、かろうじてどうにか食っていける状態だったと、わたしたちは告げられる。 事実は、驚くほど少ない工場と住宅しか破壊されておらず、それもひどい損傷を受けていなかった。そして、インフラストラクチャーの損害はわずかだった。広く世間に知られている損害のほとんどは、普通の日本人が住んでいた数百万軒の紙と木でできたマッチ箱のような家だった。

アメリカの国立公文書館で発見された「米国陸軍軍事情報部真理作戦課『 日本プラン 』」

日本プラン」は1941(昭和16)年12月、すなわち日本軍の真珠湾攻撃の直後に作成が開始されたもので、「天皇を平和の象徴(シンボル)として利用する」戦略が明記されていた。すべての戦争責任を、「軍部」に押しつけて天皇を免罪し、「象徴天皇制」のもとで日本を占領支配するという計画を立てていた。1942(昭和17)年5月には「皇室に対するすべての攻撃は避けられなければならない」とする「英米共同指針計画」を出し、皇居への爆撃の禁止命令を厳格に実施させた。戦後駐日大使となったライシャワーはその当時、「 日米戦争勝利後の “ ヒロヒトを中心とした傀儡 (かいらい) 政権 ” 」を提言し、「 天皇は100万の軍隊駐留に匹敵する 」と主張していた。

昭和天皇にとっては「国体護持」だけが狙いで,アメリカが原爆を投下してくれた事にも感謝していた

英米が創り上げた天皇制政府は、ただみずからの支配的地位の温存、「 国体護持 」だけを求めて、人民の革命的な決起を恐れつづけ、アメリカに民族的な利益をすべて売り渡し、人民が肉体的、気力のうえでへとへとに疲れはてることを願っていた。この点でアメリカの支配層と利害が完全に一致していた。

この時期、日本から和平打診の情報がアメリカの新聞で報道され、沖縄戦のさなかの5月には降服の打診がおこなわれたが、アメリカ政府が公式に拒否した事実も明らかにされている。

 当時、アメリカにとっては、なによりも戦後のソ連の影響力を排除し、日本を単独占領支配すること、そのために日本の人民の反米的要素、革命的な気力を喪失させることが最大の眼目となっていた。45年2月のヤルタ会談で、ドイツ敗北後の3カ月後にソ連が参戦することが約束されたことは、アメリカ支配層がそれまでに計画的に日本を制圧することを至上命令とした。そのために、原爆の開発と日本への投下計画「マンハッタン計画」をおしすすめ、広島・長崎への投下を強行したのである。


戦後の日本はアメリカを「解放軍」と美化するとともに、1部のA級戦犯だけを処罰し、あとの責任は「 1億総懺悔 」といって国民全体に押し付け、戦争をおこした財閥、政治家、官僚、マスコミ指導者などはアメリカによって守られた。兵隊経験者を「 加害者 」といって排除することは、第2次大戦の真実にベールを掛け、ふたたび日本を戦争にたたきこむアメリカの利害から出発していた。

「アメリカはイラクでも同じことを繰り返し、その野蛮さは動物以下じゃないか。戦後社会は、アメリカのうたう民主主義に巧妙に騙されてきた。

原爆や空襲でこれだけひどい目にあわされたのに、いつのまにか親兄弟を殺したマッカーサーを尊敬し、チョコレートや脱脂粉乳などの家畜の餌を与えられたことを感謝するようにされた。


南京城攻略の折、降伏した中国兵数千人を城壁の傍らに立たせておき銃剣にて全員を刺殺した時の司令官は昭和天皇の叔父で天皇に顔がそっくりの < 朝香の宮 >と言う奴だ。 南京大虐殺は天皇家の命令で行われたことは明らかだ。

日米戦争に突き進むとき、すでに中国で打ち負かされており、戦死者は20万人近くになっていた。ここで支配勢力が心配したことは、中国撤退となると、天皇の権威が崩壊することであり、反乱・革命が起きることであった。そして日米戦争に突き進んだ。

天皇を頭とする政治家、財閥などは、原爆投下を絶好のチャンスとして、アメリカに降伏し、命乞いをした。そして戦争に駆り立て犠牲を強いた人人には何の償いもせず、民族的な利益のすべてを売り飛ばすことでその支配の地位を守ってもらう道を選んだ。


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ゆえに、こういうこと↓ がさも当然のように出て来る。





●昭和天皇ヒロヒトは、
スイスに莫大な蓄財が出来た感謝の印に、
「 敵国の戦争指揮官 」の
ドレーパーに
< 勲一等瑞宝章 >を与え表彰している。


●平成天皇アキヒトは、昨秋・2014年秋

「 日本調教師であり世界の戦争屋 」の

ジョセフ・ナイ米国国家安全保障会議NSC・議長に

< 旭日重光章 >を与え表彰している。


●平成天皇アキヒトは、
「 ジャパン・ハンドラーであり世界の戦争屋 」の
ラムズフェルド元国防長官と
アーミテージ元国務副長官に
< 旭日大綬章 >を与え表彰している。



日本軍と米軍が「 殺し合えば殺し合う程 」この銀行が儲かる
「 仕組み 」になっていた。この銀行の私的利益のために
日本と米国の軍人は「 殺し合い 」をした。


●この金儲けシステムの
●米国側にドレーパーがおり、
●日本側に天皇が居た。

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ヒロシマとナガサキへの原爆投下は
天皇ヒロヒトの、指定。


戦争末期、ドレイパーは、
天皇が無条件降伏を申し出ると同時に、
「 戦争犯罪人として自分を処刑しないで欲しい 」
と命乞いをした事に対し、天皇の命の保証と戦後における
天皇制度の維持を確約し、それと引き換えに、
日本に原爆を投下し、その威力がどの程度なのかを見終えるまで無条件降伏を承認しない、という条件を出した。

天皇は広島・長崎への原爆投下を事前に承認し、

それと引き換えに、自分の命と地位の延命を手に入れた。

天皇ヒロヒトは、自分1人が助かり、それと引き換えに、

広島、長崎の市民の皆殺しを承諾した。


これが、
「 同業者、兵器密売企業の共同経営者 」

天皇とドレイパーの密約である。

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ぼんぼんぼっちゃん文芸文化人_三島が知れば
ウンコ漏らすだろうな・・・。

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