もう隠せない! この事実を知らないのは日本国民だけ(simatyan2のブログ)
http://www.asyura2.com/15/genpatu42/msg/369.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 3 月 22 日 15:11:15: igsppGRN/E9PQ
★< 8000 Bq/kgを超えた横浜市内の学校>
鶴見区末吉小学校 9900 Bq/kg
港北区矢上小学校 13400 Bq/kg
西区軽井沢中学校 13600 Bq/kg
都筑区東山田 9600 Bq/kg
緑区山下みどり台小学校 9500 Bq/kg
戸塚区下郷小学校 8700 Bq/kg
青葉区桂小学校 9200 Bq/kg
都筑区茅ヶ崎東小学校 14200 Bq/kg
都筑区南山田小学校 10700 Bq/kg
でもでもでもでも・・・・・・翌年はもっと高くなって、再び政府に除染の請求・・・・
横浜市は【放射性物質汚染対処特措法】に基づき、8,000Bq/kg超の指定廃棄物申請をする旨公表し
ました。神奈川では現状申請がないはずなので、これで県内最初の指定廃棄物です。
もう隠せない! この事実を知らないのは日本国民だけ
http://ameblo.jp/usinawaretatoki/entry-12004671013.html
2015-03-22 13:12:33NEW ! simatyan2のブログ
前の記事でも紹介した福島の放射能を可視化した写真集がアメリカ
でも出版されるようですね。
フランスでも紹介されたことが、著者・森敏東大名誉教授のブログ
に書かれてあります。
http://moribin.blog114.fc2.com/blog-entry-1842.html
・
僕のブログでもアクセス数が多く反響大きい時は、関係者やネトウヨ
の攻撃コメントが何十件も続きます。
たいていは同じ発信地、同じIPアドレスなので無視しますが、
中にはまじめに質問してくる人も数多くいます。
しかしそれらの人にまじめに応えても、次には違う人が同じ質問を
繰り返してきて限がないので無視することにしています。
ただこれらの疑問にアメリカ版は完全に応えるような内容になって
るようですね。
一番多いのが、
同じ物体の放射能汚染の地域別の可視化画像がないと何とも言え
ない、あるいは危険性がわからない、という意見です。
例えば魚とか鳥とかの放射能汚染が、福島と他の地域を比較した
可視化画像がないと意味がないというものですね。
しかしそれらもちゃんと存在するのです。
一例を挙げると下の画像ですね。
同一の車のエアフィルターを、シアトル、東京、福島の3箇所で
比較した画像を見ると一目瞭然です。
あとアメリカ版では日本では出来なかった人体の画像も掲載される
ようなのでショックはさらに大きくなるでしょうね。
英語版が出るということは他国にも翻訳されるということです。
日本では大手マスコミは一切沈黙してますし、政府による言論統制
も今後さらに厳しくなるので、知らないのは日本国民だけという
ことにもなりかねませんね。
なにせ、日本では首相が
「アンダーコントロールは完全にされて、何の問題もないことを
私が保証する」
と言ってしまったんですから。
政権と一心同体のマスコミが公表できるわけもありません。
公表しようとすると今まで危険だった基準値を引き上げるしかない
のです。
それはすでに行われましたね。
例えば、セシウム137による土壌汚染の避難の目安は
・乳幼児 1 Bq/kg まで
・~6才まで 20 Bq/kg まで
・小中学生 50 Bq/kg まで
・大人 100 Bq/kgまで
ですが、現在の日比谷公園は800 Bq/kgです。
基準値を引き上げてこれです。
311の原発事故前では、100 Bq/kg のものは、放射性の危険
物質としてドラム缶に密閉され厳重に管理されていたのです。
それが今では800 Bq/kg の所に住んでるんですね。
ならば、セシウムの300倍強い毒性といわれるストロンチウム
ならどうか?
ストロンチウムは 0.33bq/kg で危険と言われています。
そうすると
300キロ圏 立ち入り禁止区域
1000キロ圏 強制避難地域
1000キロ超 選択避難地域
すなわち、
東京を始めとする関東全域 「立ち入り禁止区域」
大阪を始めとする関西、四国、中国、北海道 「強制避難地域」
九州のみ 「選択避難地域」
となってしまい、とても公表などできるはずも有りません。
もちろん昔の数値に照らし合わせてということで、決して脅かし
たり煽ったりするつもりはありません。
タバコの健康被害と同じで、1日1本ならほとんど健康に問題
はないでしょう。
しかし10本ならどうか、100本吸えば肺がんリスクは上がる
が、10本程度なら問題ないと言ってるような感じに聞こえます。
こういうことを書くと必ず揚げ足取りをする人が現れますが、
ここで言ってるのは危険であるとか、危険でないとかではなく、
政府が勝手に基準値を変えたりしてることを言ってるのです。
先日、「福島第一原発事故5年目の真実 地獄に住む子どもたち」
という動画がアップされました。
福島第一原発事故5年目の真実 地獄に住む子どもたち Koriyama, Fukushima Prefecture
見ればわかるように線量計は鳴りっぱなしで、まだまだ収束など
していないことがわかります。
こういう事実が公になることにより、政権擁護というか、政権の
飼い犬、ネット右翼などは、
「どうして本当のことを言うのだ」
と怒り心頭に達すると思います。
だからガン登録法などを推し進めて、正しい情報を流したら逮捕
とか、患者が増えてるとかいう情報を広めると重罪、とか中国並に
厳しくしようとしているのです。
知らされなければ、「存在」しないことになる、そんなバカげた
ことが現実の日本で起ころうとしているんですね。
「人の価値とは、生まれや身分によるものではなく、清らかな行いによって決まる」
仏教聖典おしえ第四章煩悩第一節心の穢れ第七項(p85)
外から飛んでくる毒矢は防ぐすべがあっても、内からくる毒矢は防ぐすべがない。貪(むさぼ)りと瞋(いか)りと愚かさと高ぶりとは、四つの毒矢にもたとえられるさまざまな病を起こすものである。
心に貪りと瞋りと愚かさがあるときは、口には偽りと無駄口悪口と二枚舌を使い、身には殺生と盗みとよこしまな愛欲を犯すようになる。
意の三つ、口の四つ、身の三つ、これらを十悪という。
知りながらも偽りを言うようになれば、どんな悪事をも犯すようになる。悪いことをするから、偽りを言わなければならないようになり、偽りを言うようになるから、平気で悪いことをするようになる。
人の貪りも、愛欲も恐れも瞋りも、愚かさからくるし、人の難儀も不幸も、また愚かさからくる。愚かさは実に人の世の病毒にほかならない。
_____________
「なぜイスラエルなのか」
なぜユダヤフリーメーソンはイスラエルに建国したのか。それはキリスト教ユダヤ教イスラム教の聖地が同じ場所にあるからです。一神教は異教徒を攻撃しますが聖地に居る者を攻撃できません。ゆえにキリストの墓の下の地下室にユダヤフリーメーソンの世界本部があるのです。紋章はユダヤ教キリスト教イスラム教の紋章を重ねて三位一体としたNWOの紋章ですね。
ということは第三次大戦が起こって世界中に報復合戦で核兵器が打ち込まれてもイスラエルだけが聖地だからどこの国からも核攻撃されない。ノアの箱舟のごとく全人類が滅んでもイスラエルに居座ったユダヤフリーメーソンだけが生き残るという仕掛けです。ゆえに世界中に戦争が起こるよう常に策謀している悪魔の正体がイスラエルであることが証明されます。
このユダヤフリーメーソンの悪業を封じ込めるためには、国連でイスラエルを永久敵国に指定すればよい。国連敵国日本と同じように国外で一切の武力行使ができない国にしてやれば、悪魔はすべての魔力を失います。箱舟に悪魔を封じ込めるわけです。これで日本国憲法9条が希求する世界平和がこの地球上に実現します。
また、NHKと携帯電話を潰してやればイスラエルと子分アメリカへの裏送金それぞれ年約10兆円の戦争策謀資金が枯渇するので、地上からすべての戦争が無くなります。これは世界中どこの国にも出来ない、唯一仏教徒日本国民にしか出来ない仕事ですね、地上恒久平和実現。
2
心の構造
迷いもさとりも心から現われ、すべてのものは心によって作られる。
ちょうど手品師が、いろいろなものを自由に現わすようなものである。
人の心の変化には限りがなく、その働きにも限りがない。
汚れた心からは汚れた世界が現われ、清らかな心からは清らかな世界が現われるから、外界の変化にも限りがない。
絵は絵師によって描かれ、外界は心によって作られる。
心はたくみな絵師のように、さまざまな世界を描き出す。
この世の中で心のはたらきによって作り出されないものは何一つない。
ところが、この心は常に恐れ悲しみ悩んでいる。すでに起こったことを恐れ、まだ起こっていないことをも恐れている。
なぜなら、この心の中に無明と病的な愛着とがあるからである。
迷いの世界はこの心から起こり、迷いの心で見るので迷いの世界となる。
このように、この世界は心に導かれ、心に引きずられ、心の支配を受けている。
迷いの心によって、悩みに満ちた世間が現われる。
すべてのものは、みな心を先とし、心を主とし、心から成っている。
汚れた心でものを言い、また身で行なうと、苦しみがその人に従うのは、ちょうど牽(ひ)く牛に車が従うようなものである。
しかし、もし善い心でものを言い、または身で行なうと、楽しみがその人に従うのは、ちょうど影が形に添うようなものである。
悪い行ないをする人は、この世では、悪いことをしたと苦しみ、後の世では、その悪い報いを受けてますます苦しむ。
善い行ないをする人は、この世において、善いことをしたと楽しみ、後の世では、その報いを受けてますます楽しむ。
心のけがれ
仏性を覆いつつむ煩悩に2種類ある。
1つは道理に迷う理性の煩悩である。2つには実際に当たって迷う感情の煩悩である。
この2つの煩悩は、無明(むみょう)と愛欲となる。
無明とは無知のことで、ものの道理をわきまえないことである。
愛欲は激しい欲望で、生に対する執着が根本であり、見るもの聞くものすべてを欲しがる欲望ともなり、死を願うような欲望ともなる。
この無明と愛欲とをもとにして、貪(むさぼ)り、瞋(いか)り、愚かさ、邪見、恨み、嫉み、へつらい、たぶらかし、おごり、あなどり、ふまじめ、その他いろいろの煩悩が生まれてくる。
この貪(むさぼ)りと瞋(いか)りと愚かさは、世の3つの火といわれる。
貪りの火は、欲にふけって真実心を失った人を焼き、瞋りの火は、腹を立てて、生けるものの命を害する人を焼き、愚かさの火は、心迷って仏の教えを知らない人を焼く。
まことにこの世はさまざまの火に焼かれている。
貪りの火、瞋りの火、愚かさの火、生・老・病・死の火、憂い・悲しみ・苦しみ・悶えの火、――さまざまな火によって炎々と燃え上がっている。
これらの煩悩の火はおのれを焼くばかりでなく、他をも苦しめ、人を身・口・意の3つの悪い行為に導くことになる。
貪(むさぼ)りは満足を得たい気持ちから、瞋(いか)りは満足を得られない気持ちから、愚かさは不浄な考えから生まれる。
貪りの罪の汚れは少ないけれども、これを離れることは容易でなく、瞋りは罪の汚れが大きいけれども、これを離れることは早いものである。
愚かさは罪の汚れも大きく、またこれを離れることも容易ではない。
人間の欲にははてしがない。それはちょうど塩水を飲むものが、いっこうに渇きが止まらないのに似ている。
人はその欲を満足させようとするけれども、不満がつのっていらだつだけである。
人は欲のために争い、欲のために戦う。また人は欲のために身をもちくずし、盗み、詐欺をはたらき、姦淫する。
また、欲のために身・口・意の罪を重ね、この世で苦しみを受けるとともに、死んで後の世には、暗黒の世界に入ってさまざまな苦しみを受ける。
外から飛んでくる毒矢は防ぐすべがあっても、内からくる毒矢は防ぐすべがない。
貪りと瞋りと愚かさと高ぶりとは、4つの毒矢にもたとえられるさまざまな病を起こすものである。
心に貪(むさぼ)りと瞋(いか)りと愚かさがあるときは、口には偽りと悪口と二枚舌を使い、身には殺生と盗みとよこしまな愛欲を犯すようになる。
意の3つ、口の4つ、身の3つ――これらを十悪という。
人の貪(むさぼ)りも、愛欲も恐れも瞋(いか)りも、愚かさからくる。人の不幸も難儀もまた、愚かさからくる。愚かさは実に人の世の病毒にほかならない。
人は煩悩によって業を起こし、業によって苦しみを招く。煩悩と業と苦しみの3つの車輪はめぐりめぐってはてしがない。
この車輪の回転には始まりもなければ終わりもない。しかも、人はこの輪廻から逃れるすべを知らない。
永劫に回転する輪廻に従って、人はこの現在の生から次の生へと永遠に生まれ変わってゆく。
迷いのすがた
この世の人びとは、身分の高下にかかわらず、富の多少にかかわらず、すべてみな金銭のことだけに苦しむ。
なければないで苦しみ、あればあるで苦しみ、ひたすらに欲のために心を使って、安らかなときがない。
富める人は、田があれば田を憂え、家があれば家を憂え、すべて存在するものに執着して憂いを重ねる。
あるいは災いにあい、困難に出会い、奪われ焼かれてなくなると、苦しみ悩んで命まで失うようになる。
貧しいものは、常に足らないことに苦しみ、家を欲しがり、田を欲しがり、この欲しい欲しいの思いに焼かれて、心身ともに疲れ果ててしまう。
このために命を全うすることができずに、中途で死ぬようなこともある。
人は互いに敬愛し、施しあわなければならないのに、わずかな利害のために互いに憎み争うことだけをしている。
しかも、争う気持ちがほんのわずかでも、時の経過に従ってますます大きく激しくなり、大きな恨みになることを知らない。
この世の争いは、互いに害し合ってもすぐに破滅に至ることはないけれども、毒を含み、怒りが積み重なり、憤りを心にしっかり刻みつけてしまい、生を変え、死を変えて、互いに傷つけ合うようになる。
人は愛欲の世界にひとり生まれ、ひとり死ぬ。
未来の報いは代わって受けてくれるものがなく、おのれひとりでそれに当たらねばならない。
善と悪とはそれぞれの報いを異にし、善は幸いを、悪は災いをもたらすことが、動かすことのできない道理によって定まっている。
しかも、それぞれがおのれの業を担い、報いの定まっているところへ、ひとり赴く。
まことに、世俗のことはあわただしく過ぎ去ってゆき、頼りとすべきものは何一つない。
この中にあって、こぞってみな快楽のとりことなっていることは、嘆かわしい限りと言わなければならない。
このような有様がこの世の姿である。
人びとは苦しみの中に生まれてただ悪だけを行ない、善を行なうことを少しも知らない。
だから自然の道理によって、さらに苦しみの報いを受けることを避けられない。
栄華の時勢は長続きせず、たちまちに過ぎ去る。
この世の快楽も何一つ永続するものはない。
だから、人は世俗のことを捨て、健全なときに道を求め、永遠の生を願わねばならない。
道を求めることをほかにして、どんな頼み、どんな楽しみがあるというのか。
ところが人びとは、善い行為をすれば善を得、道にかなった行為をすれば道を得るということを信じない。
また、人が死んでまた生まれるということを知らず、施せば幸いを得るということを信じない。
善悪にかかわるすべてのことを信じない。
ただ、誤った考えだけを持ち、道も知らず、善も知らず、心が暗くて、吉凶禍福が次々に起こってくる道理を知らず、ただ眼前に起こることだけについて泣き悲しむ。
どんなものでも永久に変わらないものはないのであるから、すべてうつり変わる。
ただ、これについて苦しみ悲しむことだけ知っていて、教えを聞くことがなく、心に深く思うことがなく、ただ眼前の快楽におぼれて、財貨や色欲を貪って飽きることを知らない。
人びとが、遠い昔から迷いの世界を経めぐり、憂いと苦しみに沈んでいたことは、言葉では言い尽くすことができない。
しかも今日に至ってもなお、迷いは絶えることがない。
いま、仏の教えに会い、仏の名を聞いて信ずることができたのは、まことにうれしいことである。
だから、よく思いを重ね、悪を遠ざけ、善を選び、努め行なわなければならない。
仏の教えを知った以上は、人は他人に従って煩悩や罪悪のとりこになってはならない。
また仏の教えをおのれだけのものとすることなく、それを実践し、それを他人に教えなければならない。
心を清める
一、人には、迷いと苦しみのもとである煩悩がある。この煩悩のきずなから逃れるには五つの方法がある。
第一には、ものの見方を正しくして、その原因と結果とをよくわきまえる。
すべての苦しみのもとは、心の中の煩悩であるから、その煩悩がなくなれば、苦しみのない境地が現われることを正しく知るのである。
見方を誤るから、我という考えや、原因・結果の法則を無視する考えが起こり、この間違った考えにとらわれて煩悩を起こし、迷い苦しむようになる。
第二には、欲をおさえしずめることによって煩悩をしずめる。
明らかな心によって、眼・耳・鼻・舌・身・意の六つに起こる欲をおさえしずめて、煩悩の起こる根元を断ち切る。
第三には、物を用いるに当たって、考えを正しくする。
着物や食物を用いるのは享楽のためとは考えない。
着物は暑さや寒さを防ぎ羞恥を包むためであり、食物は道を修めるもととなる身体を養うためであると考える。
この正しい考えのために、煩悩は起こることができなくなる。
第四には何ごとも耐え忍ぶことである。
暑さ・寒さ・飢え・渇きを耐え忍び、ののしりや謗(そし)りを受けても耐え忍ぶ。
この忍びを受けることによって、自分の身を焼き滅ぼす煩悩の火は燃え立たなくなる。
第五には、危険から遠ざかることである。
賢い人が、荒馬や狂犬の危険に近づかないように、行ってはならない所、交わってはならない友は遠ざける。
このようにすれば煩悩の炎は消え去るのである。
二、世には五つの欲がある。
眼に見るもの、耳に聞く声、鼻にかぐ香り、舌に味わう味、身に触れる感じ、この五つのものをここちよく好ましく感ずることである。
多くの人は、その肉体の好ましさに心ひかれて、これにおぼれ、その結果として起こる災いを見ない。
これはちょうど、森の鹿が猟師のわなにかかって捕えられるように、悪魔のしかけたわなにかかったのである。
まことにこの五欲はわなであり、人びとはこれにかかって煩悩を起こし、苦しみを生む。
だから、この五欲の災いを見て、そのわなから免れる道を知らなければならない。
三、その方法は一つではない。
例えば、蛇と鰐(わに)と鳥と犬と狐と猿と、その習性を別にする六種の生きものを捕えて強いなわで縛り、そのなわを結び合わせて放つとする。
このとき、この六種の生きものは、それぞれの習性に従って、おのおのその往みかに帰ろうとする。
蛇は塚に、鰐は水に、鳥は空に、犬は村に、狐は野に、猿は森に。
このために互いに争い、力のまさったものの方へ、引きずられてゆく。
ちょうどこのたとえのように、人びとは目に見たもの、耳に聞いた声、鼻にかいだ香り、舌に味わった味、身に触れた感じ、及び、意(こころ)に思ったもののために引きずられ、その中の誘惑のもっとも強いものの方に引きずられてその支配を受ける。
またもし、この六種の生きものを、それぞれなわで縛り、それを丈夫な大きな柱に縛りつけておくとする。
はじめの間は、生きものたちはそれぞれの住みかに帰ろうとするが、ついには力尽き、その柱のかたわらに疲れて横たわる。
これと同じように、もし、人がその心を修め、その心を鍛練しておけば、他の五欲に引かれることはない。
もし心が制御されているならば、人びとは、現在においても未来においても幸福を得るであろう。
四、人びとは欲の火の燃えるままに、はなやかな名声を求める。
それはちょうど香が薫りつつ自らを焼いて消えてゆくようなものである。
いたずらに名声を求め、名誉を貪って、道を求めることを知らないならば、身はあやうく、心は悔いにさいなまれるであろう。
名誉と財と色香とを貪り求めることは、ちょうど、子供が刃(やいば)に塗られた蜜をなめるようなものである。
甘さを味わっているうちに、舌を切る危険をおかすこととなる。
愛欲を貪り求めて満足を知らない者は、たいまつをかかげて風に逆らいゆくようなものである。
手を焼き、身を焼くのは当然である。
貪りと瞋(いか)りと愚かさという三つの毒に満ちている自分自身の心を信じてはならない。
自分の心をほしいままにしてはならない。
心をおさえ欲のままに走らないように努めなければならない。
五、さとりを得ようと思うものは、欲の火を去らなければならない。
干し草を背に負う者が野火を見て避けるように、さとりの道を求める者は、必ずこの欲の火から遠ざからなければならない。
美しい色を見、それに心を奪われることを恐れて眼をくり抜こうとする者は愚かである。
心が主であるから、よこしまな心を断てば、従者である眼の思いは直ちにやむ。
道を求めて進んでゆくことは苦しい。しかし、道を求める心のないことは、さらに苦しい。
この世に生まれ、老い、病んで、死ぬ。その苦しみには限りがない。
道を求めてゆくことは、牛が重荷を負って深い泥の中を行くときに、疲れてもわき目もふらずに進み、泥を離れてはじめて一息つくのと同じでなければならない。
欲の泥はさらに深いが、心を正しくして道を求めてゆけば、泥を離れて苦しみはうせるであろう。
六、道を求めてゆく人は、心の高ぶりを取り去って教えの光を身に加えなければならない。
どんな金銀・財宝の飾りも、徳の飾りには及ばない。
身を健やかにし、一家を栄えさせ、人びとを安らかにするには、まず、心をととのえなければならない。
心をととのえて道を楽しむ思いがあれば、徳はおのずからその身にそなわる。
宝石は地から生まれ、徳は善から現われ、智慧は静かな清い心から生まれる。
広野のように広い迷いの人生を進むには、この智慧の光によって、進むべき道を照らし、徳の飾りによって身をいましめて進まなければならない。
貪(むさぼ)りと瞋(いか)りと愚かさという三つの毒を捨てよ、と説く仏の教えは、よい教えであり、その教えに従う人は、よい生活と幸福とを得る人である。
七、人の心は、ともすればその思い求める方へと傾く。
貪(むさぼ)りを思えば貪りの心が起こる。
瞋(いか)りを思えば瞋りの心が強くなる。
損なうことを思えば損なう心が多くなる。
牛飼いは、秋のとり入れ時になると、放してある牛を集めて牛小屋に閉じこめる。
これは牛が穀物を荒して抗議を受けたり、また殺されたりすることを防ぐのである。
人もそのように、よくないことから起こる災いを見て、心を閉じこめ、悪い思いを破り捨てなければならない。
貪(むさぼ)りと瞋(いか)りと損なう心を砕いて、貪らず、瞋(いか)らず、損なわない心を育てなければならない。
牛飼いは、春になって野原の草が芽をふき始めると牛を放す。
しかし、その牛の群れの行方を見守り、その居所に注意を怠らない。
人もまた、これと同じように、自分の心がどのように動いているか、その行方を見守り、行方を見失わないようにしなければならない。
八、釈尊がコーサンビーの町に滞在していたとき、釈尊に怨みを抱く者が町の悪者を買収し、釈尊の悪口を言わせた。
釈尊の弟子たちは、町に入って托鉢(たくはつ)しても一物も得られず、ただそしりの声を聞くだけであった。
そのときアーナンダは釈尊にこう言った。
「世尊よ、このような町に滞在することはありません。他にもっとよい町があると思います」
「アーナンダよ、次の町もこのようであったらどうするのか」
「世尊よ、また他の町へ移ります」
「アーナンダよ、それではどこまで行ってもきりがない。
わたしはそしりを受けたときには、じっとそれに耐え、そしりの終わるのを待って、他へ移るのがよいと思う。
アーナンダよ。仏は、利益・害・中傷・ほまれ・たたえ・そしり・苦しみ・楽しみという、この世の八つのことによって動かされることがない。
こういったことは、間もなく過ぎ去るであろう」
善い行ない
一、道を求めるものは、常に身と口と意の三つの行ないを清めることを心がけなければならない。
身の行ないを清めるとは、生きものを殺さず、盗みをせず、よこしまな愛欲を犯さないことである。
口の行ないを清めるとは、偽りを言わず、悪口を言わず、二枚舌を使わず、むだ口をたたかないことである。
意の行ないを清めるとは、貪(むさぼ)らず、瞋(いか)らず、よこしまな見方をしないことである。
心が濁れば行ないが汚れ、行ないが汚れると、苦しみを避けることができない。
だから、心を清め、行ないを慎しむことが道のかなめである。
二、昔、ある金持ちの未亡人がいた。
親切で、しとやかで、謙遜であったため、まことに評判のよい人であった。
その家にひとりの女中がいて、これも利口でよく働く女であった。
あるとき、その女中がこう考えた。
「うちの主人は、まことに評判のよい人であるが、腹からそういう人なのか、または、よい環境がそうさせているのか、一つ試してみよう」
そこで、女中は、次の日、なかなか起きず、昼ごろにようやく顔を見せた。
主人はきげんを悪くして、「なぜこんなに遅いのか。」ととがめた。
「一日や二日遅くても、そうぶりぶり怒るものではありません」とことばを返すと、主人は怒った。
女中はさらに次の日も遅く起きた。
主人は怒り、棒で打った。
このことが知れわたり、未亡人はそれまでのよい評判を失った。
三、だれでもこの女主人と同じである。
環境がすべて心にかなうと、親切で謙遜で、静かであることができる。
しかし、環境が心に逆らってきても、なお、そのようにしていられるかどうかが問題なのである。
自分にとって面白くないことばが耳に入ってくるとき、相手が明らかに自分に敵意を見せて迫ってくるとき、衣食住が容易に得られないとき、このようなときにも、なお静かな心と善い行ないとを持ち続けることができるであろうか。
だから、環境がすべて心にかなうときだけ、静かな心を持ちよい行ないをしても、それはまことによい人とはいえない。
仏の教えを喜び、教えに身も心も練り上げた人こそ、静かにして、謙遜な、よい人といえるのである。
四、すべてことばには、時にかなったことばとかなわないことば、事実にかなったことばとかなわないことば、柔らかなことばと粗いことば、有益なことばと有害なことば、慈しみのあることばと憎しみのあることば、この五対がある。
この五対のいずれによって話しかけられても、
「わたしの心は変わらない。
粗いことばはわたしの口から漏れない。
同情と哀れみとによって慈しみの思いを心にたくわえ、怒りや憎しみの心を起こさないように」
と努めなければならない。
八、人が心に思うところを動作に表すとき、常にそこには反作用が起こる。
人はののしられると、言い返したり、仕返ししたくなるものである。
人はこの反作用に用心しなくてはならない。
それは風に向かって唾(つばき)するようなものである。
それは他人を傷つけず、かえって自分を傷つける。
それは風に向かってちりを掃くようなものである。
それはちりを除くことにならず、自分を汚すことになる。
仕返しの心には常に災いがつきまとうものである。
甘い汁を吸う
甘い汁を吸わない
選択権が存在する。
初めは、ほんの出来心で、
甘い汁を、舐めた。
今では、甘い汁を、ゴクゴク飲んでも、
足りねー!足りねー!
甘い汁、を、飲めなくなってから、
苦悶が始まる。
それだけの事をして、まで、舐めたかった汁。
もう飲めないんだぜ。
騙したり、殴ったり、殺したり…
そうまでして舐めたかった汁。
28. 2015年3月24日 10:33:21 : 2RkSJbizMQ
現在日本は満身創痍、半身不随。しかし日本人はあまり気にしていない。日本人は馬鹿か?
しかし実際問題として正確な放射能の値や分布を認めたら政府は首都圏に退避勧告を出さざるを得なくなり、大混乱が起きて首都機能が無くなってしまう。だから政府はそういうことは隠してしまう。国会議員は議事堂で放射線汚染のなか被曝しながら真面目に法律を審議し、討論をしているではないか。国会議員は神風特攻隊員と同じだ。尊敬に値する。売国奴の連中はもう海外に移住しているよ。
31. 2015年3月24日 12:26:42 : ZrMDpsyito
この国はもう一度、水爆を落とされる方がいい。今度は地方でなく東京の霞ヶ関の真上で爆発させることだ。ついでに大阪のど真ん中、名古屋が標的がいい。
それでもアベを総大将とする日本の自己中政治屋、官僚、マスゴミ、国民はわからないだろうと想像するが。
3
(選択A)「汚染地域の子供の移住の支援に税金を使う」のに、国民は賛成!
(選択B)「食べて応援で全国民被爆させる」のと「キチガイじみた安全神話を押しつける」のに、国民は反対!
Aの予算より、Bの最終コスト=全国民の健康障害の方が遙かに大きい。
93. 2015年3月27日 02:59:10 : TGgfYEbPRU
国家機関は電力会社による核自爆テロから国民を守ってはくれない・・・。
2度あることは3度ある・・・1度目の事故で政策変えられないのが日本の痛いところ・・・。
94. 2015年3月27日 08:15:34 : aoHsrIsoTY
2015.3.25 21:55
敦賀・東通に「活断層」 原子力規制委が評価書受理
http://www.sankei.com/affairs/news/150325/afr1503250044-n1.html
敦賀原発で行なわれた専門家による断層調査=2014年6月、福井県敦賀市(矢田幸己撮影)
http://www.sankei.com/affairs/photos/150325/afr1503250044-p1.html
原子力規制委員会は25日、日本原子力発電敦賀原発(福井県)2号機の敷地内破砕帯(断層)について、「将来活動する可能性のある断層(活断層)」と判断した専門家調査団の評価書を受理し、確定した。2年以上に及んだ調査は終えるが、原電は抗議を続けており、再稼働に向けた審査を申請する意向を示している。原発の新規制基準では、活断層の真上に重要施設があることを認めておらず、再稼働は極めて困難になる。
規制委は同じく東北電力東通原発(青森県)についても、敷地内に「活断層」があると指摘した評価書を受理した。重要施設直下の破砕帯については、活動性の有無を両論併記とするなど曖昧なままにした。東北電は既に1号機の再稼働に向けた審査を申請。中断していた審査が動き出す。
規制委は6原発で破砕帯調査を進めているが、調査を終えたのは、活断層はないと判断した関西電力大飯原発(福井県)を含め計3カ所。活断層が確定するのは初めてとなる。
敦賀の破砕帯については、規制委の専門家調査団が平成24年12月に現地調査を開始した。25年5月に、2号機直下を走る破砕帯「D-1」が、活断層の可能性が否定できないと認定し、規制委も了承した。
しかし原電が新しいデータを記載した報告書を提出したため調査を再開。追加評価会合を5回開いたが、結論は変わらなかった。
原電は既に運転期間が40年を超えている1号機の廃炉を決定。2号機も再稼働できないと、経営上の苦難がさらに増す。
一方で、東通の評価書では、敷地内を南北に走る破砕帯「F-3」と「F-9」を「活断層」と指摘。これら2本の破砕帯は、重要施設の真下にはないため廃炉にはならないが、大幅な耐震工事が必要になる。
◇
【用語解説】破砕帯(断層)調査
東京電力福島第1原発事故後、旧原子力安全・保安院が6原発の敷地内に活断層の疑いを指摘。原子力規制委員会が引き継ぎ、学会の推薦で選ばれた外部有識者4人と規制委の委員1人の計5人で専門家調査団を組織した。調査団は現地調査後、会合で審議し評価書案を作成。審査に当たった4人以外の外部有識者がピア・レビュー(検証会合)を開き、その後、規制委が評価書を受理する。
2015.3.25 21:56
「活断層」評価 不可解な運営 質問状考慮せず“強行採決” 事業者と対立深まる
http://www.sankei.com/life/news/150325/lif1503250043-n2.html
敦賀原発と東通原発の破砕帯が「活断層」と評価され、一連の調査が終結した。ただ、原子力規制委員会側の調査や会合では不可解な運営があり、事業者が質問状を出しても考慮されなかった。事業者との対立ばかりが目立ち、“強行採決”した形で、規制委としても後味の悪さが残った。
「重大かつ明白に信義則と適正手続に反するものであり、当然無効である」。日本原子力発電は25日、こうした文書をメディアに配布した。
新しい評価書では、調査に当たった専門家調査団とは別の専門家が昨年12月のピアレビュー(検証会合)で出した「科学的な点から評価に問題がある」との疑問を必ずしも解消していない。2年以上にわたり計12回開かれた会合でも、規制委側の一方的な対応が見られた。
昨年6月に開かれた会合では、断層を覆う地層の年代について原電が説明している最中に、規制委側から「時間もないから後でいい」と止められた。原電が新しいデータを出そうとしても「いつまでたっても終わらない」と資料をはねつける場面もあった。
今月5日には、原電が評価書案に63カ所の誤りがあるとして質問状を提出。規制委側は「検討する」と応じたが、回答のないまま今回の評価書を確定した。
調査を担当した規制委の石渡明委員は「抗議が出ていることは承知している。事業者からの情報は十分考慮し、決して無視したというわけではない」と強調。田中俊一委員長も「申請があれば今後の審査会合で判断する」と突き放した。
調査の意義が途中で変更を遂げたことに、専門家調査団からも反発の声が出ている。当初は調査団が判断した結果を規制委が了承していたが、調査団に法的な位置付けがないことが指摘されると、昨年12月、「審査の中で、重要な知見の一つとして参考とする」と方針転換し、調査団の結論を“格下げ”したからだ。
審議の不可解さは東通原発でも見られた。評価会合の場で、東北電力は破砕帯の変形の要因を「岩盤が風化し、結晶が成長して膨張したことによる影響だ」との主張を展開してきた。しかし、東北電がこうした例を紹介した際に、規制委側は「根拠を欠いた架空の説だ」「時間の無駄だ」と一方的に議論を打ち切った。
東北電もこの日「当社に説明の機会がなく、十分な議論を行うことができなかった」とコメントし、規制委との全面対決を示唆している。(原子力取材班)
95. 2015年3月27日 09:48:45 : 738DnzHLQk
ネット右翼の、リーダー格の正体
「増税の一方で、税金2800億円をドブに捨てる役所のデタラメ
まったく懲りない連中である。 役所の巨額の無駄遣いが明らかになった。
会計検査院は7日、官庁や政府出資法人など、2013年度の決算検査報告書を安倍首相に提出。
指摘された税の無駄遣いは595件、2831億円に上った。 」
http://megalodon.jp/2015-0121-1449-10/nikkan-gendai.com/articles/view/news/154792/
96. 2015年4月23日 18:49:34 : AiChp2veWo
IOCってなんで・・・、AS・その方が大逆転劇が鮮明だから。
97. 不眠症 2015年12月05日 19:14:56 : nYRH.ca0zYtKk[1] : mBqEoVAF7k : YuLD0e5f9D4
、
さすが!『原発』365日間アクセス№1!
冒頭の放射性物質写真比較の説得力に関心しました。
原発再稼動で、鹿児島県薩摩川内市に帰省しても泊まらず
挨拶まわりをして半日で関西にとんぼかえりしてます。
過去に、新幹線建設予算欲しさから原発反対派住民を
『説得?』工作していた卑しい土建屋根性の自分が恥ずかしい。
桜島異変の影響が原発になければいいのですが‥‥
推進派川内市民の方々は再稼動で大喜びですが‥‥
自分自身は反省してます。
、
98. 2016年3月29日 21:40:29 : RQpv2rjbfs : DnS7syXjc2g[135]
▲△▽▼
騒ぐのは都で肺がんが爆発的に増えてからでも遅くない。いや遅いか。今更どうしようもないからどうでもよい。オーメン。
東京都で出た使用済みのエアフィルターは完全に放射性廃棄物になっているということですね。
http://www.asyura2.com/15/genpatu42/msg/369.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 3 月 22 日 15:11:15: igsppGRN/E9PQ
★< 8000 Bq/kgを超えた横浜市内の学校>
鶴見区末吉小学校 9900 Bq/kg
港北区矢上小学校 13400 Bq/kg
西区軽井沢中学校 13600 Bq/kg
都筑区東山田 9600 Bq/kg
緑区山下みどり台小学校 9500 Bq/kg
戸塚区下郷小学校 8700 Bq/kg
青葉区桂小学校 9200 Bq/kg
都筑区茅ヶ崎東小学校 14200 Bq/kg
都筑区南山田小学校 10700 Bq/kg
でもでもでもでも・・・・・・翌年はもっと高くなって、再び政府に除染の請求・・・・
横浜市は【放射性物質汚染対処特措法】に基づき、8,000Bq/kg超の指定廃棄物申請をする旨公表し
ました。神奈川では現状申請がないはずなので、これで県内最初の指定廃棄物です。
もう隠せない! この事実を知らないのは日本国民だけ
http://ameblo.jp/usinawaretatoki/entry-12004671013.html
2015-03-22 13:12:33NEW ! simatyan2のブログ
前の記事でも紹介した福島の放射能を可視化した写真集がアメリカ
でも出版されるようですね。
フランスでも紹介されたことが、著者・森敏東大名誉教授のブログ
に書かれてあります。
http://moribin.blog114.fc2.com/blog-entry-1842.html
・
僕のブログでもアクセス数が多く反響大きい時は、関係者やネトウヨ
の攻撃コメントが何十件も続きます。
たいていは同じ発信地、同じIPアドレスなので無視しますが、
中にはまじめに質問してくる人も数多くいます。
しかしそれらの人にまじめに応えても、次には違う人が同じ質問を
繰り返してきて限がないので無視することにしています。
ただこれらの疑問にアメリカ版は完全に応えるような内容になって
るようですね。
一番多いのが、
同じ物体の放射能汚染の地域別の可視化画像がないと何とも言え
ない、あるいは危険性がわからない、という意見です。
例えば魚とか鳥とかの放射能汚染が、福島と他の地域を比較した
可視化画像がないと意味がないというものですね。
しかしそれらもちゃんと存在するのです。
一例を挙げると下の画像ですね。
同一の車のエアフィルターを、シアトル、東京、福島の3箇所で
比較した画像を見ると一目瞭然です。
あとアメリカ版では日本では出来なかった人体の画像も掲載される
ようなのでショックはさらに大きくなるでしょうね。
英語版が出るということは他国にも翻訳されるということです。
日本では大手マスコミは一切沈黙してますし、政府による言論統制
も今後さらに厳しくなるので、知らないのは日本国民だけという
ことにもなりかねませんね。
なにせ、日本では首相が
「アンダーコントロールは完全にされて、何の問題もないことを
私が保証する」
と言ってしまったんですから。
政権と一心同体のマスコミが公表できるわけもありません。
公表しようとすると今まで危険だった基準値を引き上げるしかない
のです。
それはすでに行われましたね。
例えば、セシウム137による土壌汚染の避難の目安は
・乳幼児 1 Bq/kg まで
・~6才まで 20 Bq/kg まで
・小中学生 50 Bq/kg まで
・大人 100 Bq/kgまで
ですが、現在の日比谷公園は800 Bq/kgです。
基準値を引き上げてこれです。
311の原発事故前では、100 Bq/kg のものは、放射性の危険
物質としてドラム缶に密閉され厳重に管理されていたのです。
それが今では800 Bq/kg の所に住んでるんですね。
ならば、セシウムの300倍強い毒性といわれるストロンチウム
ならどうか?
ストロンチウムは 0.33bq/kg で危険と言われています。
そうすると
300キロ圏 立ち入り禁止区域
1000キロ圏 強制避難地域
1000キロ超 選択避難地域
すなわち、
東京を始めとする関東全域 「立ち入り禁止区域」
大阪を始めとする関西、四国、中国、北海道 「強制避難地域」
九州のみ 「選択避難地域」
となってしまい、とても公表などできるはずも有りません。
もちろん昔の数値に照らし合わせてということで、決して脅かし
たり煽ったりするつもりはありません。
タバコの健康被害と同じで、1日1本ならほとんど健康に問題
はないでしょう。
しかし10本ならどうか、100本吸えば肺がんリスクは上がる
が、10本程度なら問題ないと言ってるような感じに聞こえます。
こういうことを書くと必ず揚げ足取りをする人が現れますが、
ここで言ってるのは危険であるとか、危険でないとかではなく、
政府が勝手に基準値を変えたりしてることを言ってるのです。
先日、「福島第一原発事故5年目の真実 地獄に住む子どもたち」
という動画がアップされました。
福島第一原発事故5年目の真実 地獄に住む子どもたち Koriyama, Fukushima Prefecture
見ればわかるように線量計は鳴りっぱなしで、まだまだ収束など
していないことがわかります。
こういう事実が公になることにより、政権擁護というか、政権の
飼い犬、ネット右翼などは、
「どうして本当のことを言うのだ」
と怒り心頭に達すると思います。
だからガン登録法などを推し進めて、正しい情報を流したら逮捕
とか、患者が増えてるとかいう情報を広めると重罪、とか中国並に
厳しくしようとしているのです。
知らされなければ、「存在」しないことになる、そんなバカげた
ことが現実の日本で起ころうとしているんですね。
「人の価値とは、生まれや身分によるものではなく、清らかな行いによって決まる」
仏教聖典おしえ第四章煩悩第一節心の穢れ第七項(p85)
外から飛んでくる毒矢は防ぐすべがあっても、内からくる毒矢は防ぐすべがない。貪(むさぼ)りと瞋(いか)りと愚かさと高ぶりとは、四つの毒矢にもたとえられるさまざまな病を起こすものである。
心に貪りと瞋りと愚かさがあるときは、口には偽りと無駄口悪口と二枚舌を使い、身には殺生と盗みとよこしまな愛欲を犯すようになる。
意の三つ、口の四つ、身の三つ、これらを十悪という。
知りながらも偽りを言うようになれば、どんな悪事をも犯すようになる。悪いことをするから、偽りを言わなければならないようになり、偽りを言うようになるから、平気で悪いことをするようになる。
人の貪りも、愛欲も恐れも瞋りも、愚かさからくるし、人の難儀も不幸も、また愚かさからくる。愚かさは実に人の世の病毒にほかならない。
_____________
「なぜイスラエルなのか」
なぜユダヤフリーメーソンはイスラエルに建国したのか。それはキリスト教ユダヤ教イスラム教の聖地が同じ場所にあるからです。一神教は異教徒を攻撃しますが聖地に居る者を攻撃できません。ゆえにキリストの墓の下の地下室にユダヤフリーメーソンの世界本部があるのです。紋章はユダヤ教キリスト教イスラム教の紋章を重ねて三位一体としたNWOの紋章ですね。
ということは第三次大戦が起こって世界中に報復合戦で核兵器が打ち込まれてもイスラエルだけが聖地だからどこの国からも核攻撃されない。ノアの箱舟のごとく全人類が滅んでもイスラエルに居座ったユダヤフリーメーソンだけが生き残るという仕掛けです。ゆえに世界中に戦争が起こるよう常に策謀している悪魔の正体がイスラエルであることが証明されます。
このユダヤフリーメーソンの悪業を封じ込めるためには、国連でイスラエルを永久敵国に指定すればよい。国連敵国日本と同じように国外で一切の武力行使ができない国にしてやれば、悪魔はすべての魔力を失います。箱舟に悪魔を封じ込めるわけです。これで日本国憲法9条が希求する世界平和がこの地球上に実現します。
また、NHKと携帯電話を潰してやればイスラエルと子分アメリカへの裏送金それぞれ年約10兆円の戦争策謀資金が枯渇するので、地上からすべての戦争が無くなります。これは世界中どこの国にも出来ない、唯一仏教徒日本国民にしか出来ない仕事ですね、地上恒久平和実現。
2
心の構造
迷いもさとりも心から現われ、すべてのものは心によって作られる。
ちょうど手品師が、いろいろなものを自由に現わすようなものである。
人の心の変化には限りがなく、その働きにも限りがない。
汚れた心からは汚れた世界が現われ、清らかな心からは清らかな世界が現われるから、外界の変化にも限りがない。
絵は絵師によって描かれ、外界は心によって作られる。
心はたくみな絵師のように、さまざまな世界を描き出す。
この世の中で心のはたらきによって作り出されないものは何一つない。
ところが、この心は常に恐れ悲しみ悩んでいる。すでに起こったことを恐れ、まだ起こっていないことをも恐れている。
なぜなら、この心の中に無明と病的な愛着とがあるからである。
迷いの世界はこの心から起こり、迷いの心で見るので迷いの世界となる。
このように、この世界は心に導かれ、心に引きずられ、心の支配を受けている。
迷いの心によって、悩みに満ちた世間が現われる。
すべてのものは、みな心を先とし、心を主とし、心から成っている。
汚れた心でものを言い、また身で行なうと、苦しみがその人に従うのは、ちょうど牽(ひ)く牛に車が従うようなものである。
しかし、もし善い心でものを言い、または身で行なうと、楽しみがその人に従うのは、ちょうど影が形に添うようなものである。
悪い行ないをする人は、この世では、悪いことをしたと苦しみ、後の世では、その悪い報いを受けてますます苦しむ。
善い行ないをする人は、この世において、善いことをしたと楽しみ、後の世では、その報いを受けてますます楽しむ。
心のけがれ
仏性を覆いつつむ煩悩に2種類ある。
1つは道理に迷う理性の煩悩である。2つには実際に当たって迷う感情の煩悩である。
この2つの煩悩は、無明(むみょう)と愛欲となる。
無明とは無知のことで、ものの道理をわきまえないことである。
愛欲は激しい欲望で、生に対する執着が根本であり、見るもの聞くものすべてを欲しがる欲望ともなり、死を願うような欲望ともなる。
この無明と愛欲とをもとにして、貪(むさぼ)り、瞋(いか)り、愚かさ、邪見、恨み、嫉み、へつらい、たぶらかし、おごり、あなどり、ふまじめ、その他いろいろの煩悩が生まれてくる。
この貪(むさぼ)りと瞋(いか)りと愚かさは、世の3つの火といわれる。
貪りの火は、欲にふけって真実心を失った人を焼き、瞋りの火は、腹を立てて、生けるものの命を害する人を焼き、愚かさの火は、心迷って仏の教えを知らない人を焼く。
まことにこの世はさまざまの火に焼かれている。
貪りの火、瞋りの火、愚かさの火、生・老・病・死の火、憂い・悲しみ・苦しみ・悶えの火、――さまざまな火によって炎々と燃え上がっている。
これらの煩悩の火はおのれを焼くばかりでなく、他をも苦しめ、人を身・口・意の3つの悪い行為に導くことになる。
貪(むさぼ)りは満足を得たい気持ちから、瞋(いか)りは満足を得られない気持ちから、愚かさは不浄な考えから生まれる。
貪りの罪の汚れは少ないけれども、これを離れることは容易でなく、瞋りは罪の汚れが大きいけれども、これを離れることは早いものである。
愚かさは罪の汚れも大きく、またこれを離れることも容易ではない。
人間の欲にははてしがない。それはちょうど塩水を飲むものが、いっこうに渇きが止まらないのに似ている。
人はその欲を満足させようとするけれども、不満がつのっていらだつだけである。
人は欲のために争い、欲のために戦う。また人は欲のために身をもちくずし、盗み、詐欺をはたらき、姦淫する。
また、欲のために身・口・意の罪を重ね、この世で苦しみを受けるとともに、死んで後の世には、暗黒の世界に入ってさまざまな苦しみを受ける。
外から飛んでくる毒矢は防ぐすべがあっても、内からくる毒矢は防ぐすべがない。
貪りと瞋りと愚かさと高ぶりとは、4つの毒矢にもたとえられるさまざまな病を起こすものである。
心に貪(むさぼ)りと瞋(いか)りと愚かさがあるときは、口には偽りと悪口と二枚舌を使い、身には殺生と盗みとよこしまな愛欲を犯すようになる。
意の3つ、口の4つ、身の3つ――これらを十悪という。
人の貪(むさぼ)りも、愛欲も恐れも瞋(いか)りも、愚かさからくる。人の不幸も難儀もまた、愚かさからくる。愚かさは実に人の世の病毒にほかならない。
人は煩悩によって業を起こし、業によって苦しみを招く。煩悩と業と苦しみの3つの車輪はめぐりめぐってはてしがない。
この車輪の回転には始まりもなければ終わりもない。しかも、人はこの輪廻から逃れるすべを知らない。
永劫に回転する輪廻に従って、人はこの現在の生から次の生へと永遠に生まれ変わってゆく。
迷いのすがた
この世の人びとは、身分の高下にかかわらず、富の多少にかかわらず、すべてみな金銭のことだけに苦しむ。
なければないで苦しみ、あればあるで苦しみ、ひたすらに欲のために心を使って、安らかなときがない。
富める人は、田があれば田を憂え、家があれば家を憂え、すべて存在するものに執着して憂いを重ねる。
あるいは災いにあい、困難に出会い、奪われ焼かれてなくなると、苦しみ悩んで命まで失うようになる。
貧しいものは、常に足らないことに苦しみ、家を欲しがり、田を欲しがり、この欲しい欲しいの思いに焼かれて、心身ともに疲れ果ててしまう。
このために命を全うすることができずに、中途で死ぬようなこともある。
人は互いに敬愛し、施しあわなければならないのに、わずかな利害のために互いに憎み争うことだけをしている。
しかも、争う気持ちがほんのわずかでも、時の経過に従ってますます大きく激しくなり、大きな恨みになることを知らない。
この世の争いは、互いに害し合ってもすぐに破滅に至ることはないけれども、毒を含み、怒りが積み重なり、憤りを心にしっかり刻みつけてしまい、生を変え、死を変えて、互いに傷つけ合うようになる。
人は愛欲の世界にひとり生まれ、ひとり死ぬ。
未来の報いは代わって受けてくれるものがなく、おのれひとりでそれに当たらねばならない。
善と悪とはそれぞれの報いを異にし、善は幸いを、悪は災いをもたらすことが、動かすことのできない道理によって定まっている。
しかも、それぞれがおのれの業を担い、報いの定まっているところへ、ひとり赴く。
まことに、世俗のことはあわただしく過ぎ去ってゆき、頼りとすべきものは何一つない。
この中にあって、こぞってみな快楽のとりことなっていることは、嘆かわしい限りと言わなければならない。
このような有様がこの世の姿である。
人びとは苦しみの中に生まれてただ悪だけを行ない、善を行なうことを少しも知らない。
だから自然の道理によって、さらに苦しみの報いを受けることを避けられない。
栄華の時勢は長続きせず、たちまちに過ぎ去る。
この世の快楽も何一つ永続するものはない。
だから、人は世俗のことを捨て、健全なときに道を求め、永遠の生を願わねばならない。
道を求めることをほかにして、どんな頼み、どんな楽しみがあるというのか。
ところが人びとは、善い行為をすれば善を得、道にかなった行為をすれば道を得るということを信じない。
また、人が死んでまた生まれるということを知らず、施せば幸いを得るということを信じない。
善悪にかかわるすべてのことを信じない。
ただ、誤った考えだけを持ち、道も知らず、善も知らず、心が暗くて、吉凶禍福が次々に起こってくる道理を知らず、ただ眼前に起こることだけについて泣き悲しむ。
どんなものでも永久に変わらないものはないのであるから、すべてうつり変わる。
ただ、これについて苦しみ悲しむことだけ知っていて、教えを聞くことがなく、心に深く思うことがなく、ただ眼前の快楽におぼれて、財貨や色欲を貪って飽きることを知らない。
人びとが、遠い昔から迷いの世界を経めぐり、憂いと苦しみに沈んでいたことは、言葉では言い尽くすことができない。
しかも今日に至ってもなお、迷いは絶えることがない。
いま、仏の教えに会い、仏の名を聞いて信ずることができたのは、まことにうれしいことである。
だから、よく思いを重ね、悪を遠ざけ、善を選び、努め行なわなければならない。
仏の教えを知った以上は、人は他人に従って煩悩や罪悪のとりこになってはならない。
また仏の教えをおのれだけのものとすることなく、それを実践し、それを他人に教えなければならない。
心を清める
一、人には、迷いと苦しみのもとである煩悩がある。この煩悩のきずなから逃れるには五つの方法がある。
第一には、ものの見方を正しくして、その原因と結果とをよくわきまえる。
すべての苦しみのもとは、心の中の煩悩であるから、その煩悩がなくなれば、苦しみのない境地が現われることを正しく知るのである。
見方を誤るから、我という考えや、原因・結果の法則を無視する考えが起こり、この間違った考えにとらわれて煩悩を起こし、迷い苦しむようになる。
第二には、欲をおさえしずめることによって煩悩をしずめる。
明らかな心によって、眼・耳・鼻・舌・身・意の六つに起こる欲をおさえしずめて、煩悩の起こる根元を断ち切る。
第三には、物を用いるに当たって、考えを正しくする。
着物や食物を用いるのは享楽のためとは考えない。
着物は暑さや寒さを防ぎ羞恥を包むためであり、食物は道を修めるもととなる身体を養うためであると考える。
この正しい考えのために、煩悩は起こることができなくなる。
第四には何ごとも耐え忍ぶことである。
暑さ・寒さ・飢え・渇きを耐え忍び、ののしりや謗(そし)りを受けても耐え忍ぶ。
この忍びを受けることによって、自分の身を焼き滅ぼす煩悩の火は燃え立たなくなる。
第五には、危険から遠ざかることである。
賢い人が、荒馬や狂犬の危険に近づかないように、行ってはならない所、交わってはならない友は遠ざける。
このようにすれば煩悩の炎は消え去るのである。
二、世には五つの欲がある。
眼に見るもの、耳に聞く声、鼻にかぐ香り、舌に味わう味、身に触れる感じ、この五つのものをここちよく好ましく感ずることである。
多くの人は、その肉体の好ましさに心ひかれて、これにおぼれ、その結果として起こる災いを見ない。
これはちょうど、森の鹿が猟師のわなにかかって捕えられるように、悪魔のしかけたわなにかかったのである。
まことにこの五欲はわなであり、人びとはこれにかかって煩悩を起こし、苦しみを生む。
だから、この五欲の災いを見て、そのわなから免れる道を知らなければならない。
三、その方法は一つではない。
例えば、蛇と鰐(わに)と鳥と犬と狐と猿と、その習性を別にする六種の生きものを捕えて強いなわで縛り、そのなわを結び合わせて放つとする。
このとき、この六種の生きものは、それぞれの習性に従って、おのおのその往みかに帰ろうとする。
蛇は塚に、鰐は水に、鳥は空に、犬は村に、狐は野に、猿は森に。
このために互いに争い、力のまさったものの方へ、引きずられてゆく。
ちょうどこのたとえのように、人びとは目に見たもの、耳に聞いた声、鼻にかいだ香り、舌に味わった味、身に触れた感じ、及び、意(こころ)に思ったもののために引きずられ、その中の誘惑のもっとも強いものの方に引きずられてその支配を受ける。
またもし、この六種の生きものを、それぞれなわで縛り、それを丈夫な大きな柱に縛りつけておくとする。
はじめの間は、生きものたちはそれぞれの住みかに帰ろうとするが、ついには力尽き、その柱のかたわらに疲れて横たわる。
これと同じように、もし、人がその心を修め、その心を鍛練しておけば、他の五欲に引かれることはない。
もし心が制御されているならば、人びとは、現在においても未来においても幸福を得るであろう。
四、人びとは欲の火の燃えるままに、はなやかな名声を求める。
それはちょうど香が薫りつつ自らを焼いて消えてゆくようなものである。
いたずらに名声を求め、名誉を貪って、道を求めることを知らないならば、身はあやうく、心は悔いにさいなまれるであろう。
名誉と財と色香とを貪り求めることは、ちょうど、子供が刃(やいば)に塗られた蜜をなめるようなものである。
甘さを味わっているうちに、舌を切る危険をおかすこととなる。
愛欲を貪り求めて満足を知らない者は、たいまつをかかげて風に逆らいゆくようなものである。
手を焼き、身を焼くのは当然である。
貪りと瞋(いか)りと愚かさという三つの毒に満ちている自分自身の心を信じてはならない。
自分の心をほしいままにしてはならない。
心をおさえ欲のままに走らないように努めなければならない。
五、さとりを得ようと思うものは、欲の火を去らなければならない。
干し草を背に負う者が野火を見て避けるように、さとりの道を求める者は、必ずこの欲の火から遠ざからなければならない。
美しい色を見、それに心を奪われることを恐れて眼をくり抜こうとする者は愚かである。
心が主であるから、よこしまな心を断てば、従者である眼の思いは直ちにやむ。
道を求めて進んでゆくことは苦しい。しかし、道を求める心のないことは、さらに苦しい。
この世に生まれ、老い、病んで、死ぬ。その苦しみには限りがない。
道を求めてゆくことは、牛が重荷を負って深い泥の中を行くときに、疲れてもわき目もふらずに進み、泥を離れてはじめて一息つくのと同じでなければならない。
欲の泥はさらに深いが、心を正しくして道を求めてゆけば、泥を離れて苦しみはうせるであろう。
六、道を求めてゆく人は、心の高ぶりを取り去って教えの光を身に加えなければならない。
どんな金銀・財宝の飾りも、徳の飾りには及ばない。
身を健やかにし、一家を栄えさせ、人びとを安らかにするには、まず、心をととのえなければならない。
心をととのえて道を楽しむ思いがあれば、徳はおのずからその身にそなわる。
宝石は地から生まれ、徳は善から現われ、智慧は静かな清い心から生まれる。
広野のように広い迷いの人生を進むには、この智慧の光によって、進むべき道を照らし、徳の飾りによって身をいましめて進まなければならない。
貪(むさぼ)りと瞋(いか)りと愚かさという三つの毒を捨てよ、と説く仏の教えは、よい教えであり、その教えに従う人は、よい生活と幸福とを得る人である。
七、人の心は、ともすればその思い求める方へと傾く。
貪(むさぼ)りを思えば貪りの心が起こる。
瞋(いか)りを思えば瞋りの心が強くなる。
損なうことを思えば損なう心が多くなる。
牛飼いは、秋のとり入れ時になると、放してある牛を集めて牛小屋に閉じこめる。
これは牛が穀物を荒して抗議を受けたり、また殺されたりすることを防ぐのである。
人もそのように、よくないことから起こる災いを見て、心を閉じこめ、悪い思いを破り捨てなければならない。
貪(むさぼ)りと瞋(いか)りと損なう心を砕いて、貪らず、瞋(いか)らず、損なわない心を育てなければならない。
牛飼いは、春になって野原の草が芽をふき始めると牛を放す。
しかし、その牛の群れの行方を見守り、その居所に注意を怠らない。
人もまた、これと同じように、自分の心がどのように動いているか、その行方を見守り、行方を見失わないようにしなければならない。
八、釈尊がコーサンビーの町に滞在していたとき、釈尊に怨みを抱く者が町の悪者を買収し、釈尊の悪口を言わせた。
釈尊の弟子たちは、町に入って托鉢(たくはつ)しても一物も得られず、ただそしりの声を聞くだけであった。
そのときアーナンダは釈尊にこう言った。
「世尊よ、このような町に滞在することはありません。他にもっとよい町があると思います」
「アーナンダよ、次の町もこのようであったらどうするのか」
「世尊よ、また他の町へ移ります」
「アーナンダよ、それではどこまで行ってもきりがない。
わたしはそしりを受けたときには、じっとそれに耐え、そしりの終わるのを待って、他へ移るのがよいと思う。
アーナンダよ。仏は、利益・害・中傷・ほまれ・たたえ・そしり・苦しみ・楽しみという、この世の八つのことによって動かされることがない。
こういったことは、間もなく過ぎ去るであろう」
善い行ない
一、道を求めるものは、常に身と口と意の三つの行ないを清めることを心がけなければならない。
身の行ないを清めるとは、生きものを殺さず、盗みをせず、よこしまな愛欲を犯さないことである。
口の行ないを清めるとは、偽りを言わず、悪口を言わず、二枚舌を使わず、むだ口をたたかないことである。
意の行ないを清めるとは、貪(むさぼ)らず、瞋(いか)らず、よこしまな見方をしないことである。
心が濁れば行ないが汚れ、行ないが汚れると、苦しみを避けることができない。
だから、心を清め、行ないを慎しむことが道のかなめである。
二、昔、ある金持ちの未亡人がいた。
親切で、しとやかで、謙遜であったため、まことに評判のよい人であった。
その家にひとりの女中がいて、これも利口でよく働く女であった。
あるとき、その女中がこう考えた。
「うちの主人は、まことに評判のよい人であるが、腹からそういう人なのか、または、よい環境がそうさせているのか、一つ試してみよう」
そこで、女中は、次の日、なかなか起きず、昼ごろにようやく顔を見せた。
主人はきげんを悪くして、「なぜこんなに遅いのか。」ととがめた。
「一日や二日遅くても、そうぶりぶり怒るものではありません」とことばを返すと、主人は怒った。
女中はさらに次の日も遅く起きた。
主人は怒り、棒で打った。
このことが知れわたり、未亡人はそれまでのよい評判を失った。
三、だれでもこの女主人と同じである。
環境がすべて心にかなうと、親切で謙遜で、静かであることができる。
しかし、環境が心に逆らってきても、なお、そのようにしていられるかどうかが問題なのである。
自分にとって面白くないことばが耳に入ってくるとき、相手が明らかに自分に敵意を見せて迫ってくるとき、衣食住が容易に得られないとき、このようなときにも、なお静かな心と善い行ないとを持ち続けることができるであろうか。
だから、環境がすべて心にかなうときだけ、静かな心を持ちよい行ないをしても、それはまことによい人とはいえない。
仏の教えを喜び、教えに身も心も練り上げた人こそ、静かにして、謙遜な、よい人といえるのである。
四、すべてことばには、時にかなったことばとかなわないことば、事実にかなったことばとかなわないことば、柔らかなことばと粗いことば、有益なことばと有害なことば、慈しみのあることばと憎しみのあることば、この五対がある。
この五対のいずれによって話しかけられても、
「わたしの心は変わらない。
粗いことばはわたしの口から漏れない。
同情と哀れみとによって慈しみの思いを心にたくわえ、怒りや憎しみの心を起こさないように」
と努めなければならない。
八、人が心に思うところを動作に表すとき、常にそこには反作用が起こる。
人はののしられると、言い返したり、仕返ししたくなるものである。
人はこの反作用に用心しなくてはならない。
それは風に向かって唾(つばき)するようなものである。
それは他人を傷つけず、かえって自分を傷つける。
それは風に向かってちりを掃くようなものである。
それはちりを除くことにならず、自分を汚すことになる。
仕返しの心には常に災いがつきまとうものである。
甘い汁を吸う
甘い汁を吸わない
選択権が存在する。
初めは、ほんの出来心で、
甘い汁を、舐めた。
今では、甘い汁を、ゴクゴク飲んでも、
足りねー!足りねー!
甘い汁、を、飲めなくなってから、
苦悶が始まる。
それだけの事をして、まで、舐めたかった汁。
もう飲めないんだぜ。
騙したり、殴ったり、殺したり…
そうまでして舐めたかった汁。
28. 2015年3月24日 10:33:21 : 2RkSJbizMQ
現在日本は満身創痍、半身不随。しかし日本人はあまり気にしていない。日本人は馬鹿か?
しかし実際問題として正確な放射能の値や分布を認めたら政府は首都圏に退避勧告を出さざるを得なくなり、大混乱が起きて首都機能が無くなってしまう。だから政府はそういうことは隠してしまう。国会議員は議事堂で放射線汚染のなか被曝しながら真面目に法律を審議し、討論をしているではないか。国会議員は神風特攻隊員と同じだ。尊敬に値する。売国奴の連中はもう海外に移住しているよ。
31. 2015年3月24日 12:26:42 : ZrMDpsyito
この国はもう一度、水爆を落とされる方がいい。今度は地方でなく東京の霞ヶ関の真上で爆発させることだ。ついでに大阪のど真ん中、名古屋が標的がいい。
それでもアベを総大将とする日本の自己中政治屋、官僚、マスゴミ、国民はわからないだろうと想像するが。
3
(選択A)「汚染地域の子供の移住の支援に税金を使う」のに、国民は賛成!
(選択B)「食べて応援で全国民被爆させる」のと「キチガイじみた安全神話を押しつける」のに、国民は反対!
Aの予算より、Bの最終コスト=全国民の健康障害の方が遙かに大きい。
93. 2015年3月27日 02:59:10 : TGgfYEbPRU
国家機関は電力会社による核自爆テロから国民を守ってはくれない・・・。
2度あることは3度ある・・・1度目の事故で政策変えられないのが日本の痛いところ・・・。
94. 2015年3月27日 08:15:34 : aoHsrIsoTY
2015.3.25 21:55
敦賀・東通に「活断層」 原子力規制委が評価書受理
http://www.sankei.com/affairs/news/150325/afr1503250044-n1.html
敦賀原発で行なわれた専門家による断層調査=2014年6月、福井県敦賀市(矢田幸己撮影)
http://www.sankei.com/affairs/photos/150325/afr1503250044-p1.html
原子力規制委員会は25日、日本原子力発電敦賀原発(福井県)2号機の敷地内破砕帯(断層)について、「将来活動する可能性のある断層(活断層)」と判断した専門家調査団の評価書を受理し、確定した。2年以上に及んだ調査は終えるが、原電は抗議を続けており、再稼働に向けた審査を申請する意向を示している。原発の新規制基準では、活断層の真上に重要施設があることを認めておらず、再稼働は極めて困難になる。
規制委は同じく東北電力東通原発(青森県)についても、敷地内に「活断層」があると指摘した評価書を受理した。重要施設直下の破砕帯については、活動性の有無を両論併記とするなど曖昧なままにした。東北電は既に1号機の再稼働に向けた審査を申請。中断していた審査が動き出す。
規制委は6原発で破砕帯調査を進めているが、調査を終えたのは、活断層はないと判断した関西電力大飯原発(福井県)を含め計3カ所。活断層が確定するのは初めてとなる。
敦賀の破砕帯については、規制委の専門家調査団が平成24年12月に現地調査を開始した。25年5月に、2号機直下を走る破砕帯「D-1」が、活断層の可能性が否定できないと認定し、規制委も了承した。
しかし原電が新しいデータを記載した報告書を提出したため調査を再開。追加評価会合を5回開いたが、結論は変わらなかった。
原電は既に運転期間が40年を超えている1号機の廃炉を決定。2号機も再稼働できないと、経営上の苦難がさらに増す。
一方で、東通の評価書では、敷地内を南北に走る破砕帯「F-3」と「F-9」を「活断層」と指摘。これら2本の破砕帯は、重要施設の真下にはないため廃炉にはならないが、大幅な耐震工事が必要になる。
◇
【用語解説】破砕帯(断層)調査
東京電力福島第1原発事故後、旧原子力安全・保安院が6原発の敷地内に活断層の疑いを指摘。原子力規制委員会が引き継ぎ、学会の推薦で選ばれた外部有識者4人と規制委の委員1人の計5人で専門家調査団を組織した。調査団は現地調査後、会合で審議し評価書案を作成。審査に当たった4人以外の外部有識者がピア・レビュー(検証会合)を開き、その後、規制委が評価書を受理する。
2015.3.25 21:56
「活断層」評価 不可解な運営 質問状考慮せず“強行採決” 事業者と対立深まる
http://www.sankei.com/life/news/150325/lif1503250043-n2.html
敦賀原発と東通原発の破砕帯が「活断層」と評価され、一連の調査が終結した。ただ、原子力規制委員会側の調査や会合では不可解な運営があり、事業者が質問状を出しても考慮されなかった。事業者との対立ばかりが目立ち、“強行採決”した形で、規制委としても後味の悪さが残った。
「重大かつ明白に信義則と適正手続に反するものであり、当然無効である」。日本原子力発電は25日、こうした文書をメディアに配布した。
新しい評価書では、調査に当たった専門家調査団とは別の専門家が昨年12月のピアレビュー(検証会合)で出した「科学的な点から評価に問題がある」との疑問を必ずしも解消していない。2年以上にわたり計12回開かれた会合でも、規制委側の一方的な対応が見られた。
昨年6月に開かれた会合では、断層を覆う地層の年代について原電が説明している最中に、規制委側から「時間もないから後でいい」と止められた。原電が新しいデータを出そうとしても「いつまでたっても終わらない」と資料をはねつける場面もあった。
今月5日には、原電が評価書案に63カ所の誤りがあるとして質問状を提出。規制委側は「検討する」と応じたが、回答のないまま今回の評価書を確定した。
調査を担当した規制委の石渡明委員は「抗議が出ていることは承知している。事業者からの情報は十分考慮し、決して無視したというわけではない」と強調。田中俊一委員長も「申請があれば今後の審査会合で判断する」と突き放した。
調査の意義が途中で変更を遂げたことに、専門家調査団からも反発の声が出ている。当初は調査団が判断した結果を規制委が了承していたが、調査団に法的な位置付けがないことが指摘されると、昨年12月、「審査の中で、重要な知見の一つとして参考とする」と方針転換し、調査団の結論を“格下げ”したからだ。
審議の不可解さは東通原発でも見られた。評価会合の場で、東北電力は破砕帯の変形の要因を「岩盤が風化し、結晶が成長して膨張したことによる影響だ」との主張を展開してきた。しかし、東北電がこうした例を紹介した際に、規制委側は「根拠を欠いた架空の説だ」「時間の無駄だ」と一方的に議論を打ち切った。
東北電もこの日「当社に説明の機会がなく、十分な議論を行うことができなかった」とコメントし、規制委との全面対決を示唆している。(原子力取材班)
95. 2015年3月27日 09:48:45 : 738DnzHLQk
ネット右翼の、リーダー格の正体
「増税の一方で、税金2800億円をドブに捨てる役所のデタラメ
まったく懲りない連中である。 役所の巨額の無駄遣いが明らかになった。
会計検査院は7日、官庁や政府出資法人など、2013年度の決算検査報告書を安倍首相に提出。
指摘された税の無駄遣いは595件、2831億円に上った。 」
http://megalodon.jp/2015-0121-1449-10/nikkan-gendai.com/articles/view/news/154792/
96. 2015年4月23日 18:49:34 : AiChp2veWo
IOCってなんで・・・、AS・その方が大逆転劇が鮮明だから。
97. 不眠症 2015年12月05日 19:14:56 : nYRH.ca0zYtKk[1] : mBqEoVAF7k : YuLD0e5f9D4
、
さすが!『原発』365日間アクセス№1!
冒頭の放射性物質写真比較の説得力に関心しました。
原発再稼動で、鹿児島県薩摩川内市に帰省しても泊まらず
挨拶まわりをして半日で関西にとんぼかえりしてます。
過去に、新幹線建設予算欲しさから原発反対派住民を
『説得?』工作していた卑しい土建屋根性の自分が恥ずかしい。
桜島異変の影響が原発になければいいのですが‥‥
推進派川内市民の方々は再稼動で大喜びですが‥‥
自分自身は反省してます。
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98. 2016年3月29日 21:40:29 : RQpv2rjbfs : DnS7syXjc2g[135]
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騒ぐのは都で肺がんが爆発的に増えてからでも遅くない。いや遅いか。今更どうしようもないからどうでもよい。オーメン。
東京都で出た使用済みのエアフィルターは完全に放射性廃棄物になっているということですね。