4号機と避難・移住準備
2013年10月31日 [原発]
最近のフェイスブックやツイッターには、いよいよ日本の終焉だ、という危機意識に基づいた投稿が多い。
国民の愚民化に努めるテレビの、明るい陽気さ加減と大違いだ。
例えば、Fibrodysplasia は9月26日のツイッターで次のようにツイートしている。
「東日本と西日本で、どうせ10年以上、平均寿命が異なってくるのだから、移住の説得などせず、放っておけばいい。もう引っ越せる人は、引っ越している。放っておけ。それに、もう引っ越しても遅い。初期被曝と吸気被曝の累積で、手遅れだ。週刊朝日の記事じゃないが、尿からもセシウムが検出されている」
「慢性的な低線量の被曝によって、病気になったとしても、本人は、放射能のせいだとは思わない。世間も放射能のせいだとは言わない。放っておけ。資料を渡しても読まないぞ。どうしても、土壌汚染されたエリアで暮らしたいのだから、説得しても無駄だ。そこがいいんだよ。子供だけが可哀想」
「ひつこいな。東日本のものは、出荷しても食べないって。誰がなんと言おうと、毒物だ。いい加減、農業・漁業・畜産業を諦めろよな。産地偽装だって、毎日、極度に警戒している。毎日だ。毎日警戒している。東日本での食糧生産は終わったんだ。それが原発事故の帰結。当たり前だろ。どんだけ放出したんだ」
この危機意識は普遍的なもので、世界と一体のものとなっている。東京オリンピック開催に浮かれているわが国のマスメディアだけが異様なのだ。
ここでは11月から始まる福島第1原発4号機共用プールの、1535体の燃料集合体の取り出しに関する危機意識を考えてみる。
東電4号機は、日本政治の劣悪の象徴である。たかが電気で、よくも国土の喪失につながる、最悪の場合には北半球の滅亡につながる装置を作らせたものである。
4号機建屋の設計思想が凄まじく、使用済み燃料プールは建屋の4〜5階あたりにある。1535本(原子炉2基以上の量)の燃料棒を収納している。震度5で倒壊するといわれている。
東電任せではダメだ、日本政府任せではダメだ、というのが世界の論調だ。世界中が動き出している。まず、アメリカの国会議員、カナダ、そして次々と。「日本の動きは遅すぎる。米国はスピードアップに向けた支援をすべきだ」。これが世界の論調だ。
北半球の人類の生存がかかった大仕事なのである。これを失敗続きの東電がやる。安倍晋三は相変わらず後ろに隠れる。これは菅直人が敷いた路線だ。
菅は民主党を潰した元凶と誰もが思っている。しかしそれだけではない。東電を前面に押し立て、政治が後ろに隠れる構造を作ったのも菅である。
かくしてもっともダメな東電が仕事をやるのだが、このときも、東電が考えるのは経済効率だ。
もし4号機が危機的状態になったら、過去の事例から政府も東電も情報を隠蔽する可能性が高い。すると、フェイスブックやツイッターの情報が私たちの生死を決める命綱になる。
「特定秘密保護法案」が通っていると、国民のための情報がネット上に拡散しない可能性が高い。しかし、この段階ですでにカタストロフィであり、情報をつかんだ官僚や政治家、それにマスメディアが逃亡を始めると思われる。その動きを見て、ネット上に様々な情報が拡散する可能性が高い。
情報をキャッチしたら、混乱で交通手段が途絶する前にとりあえず避難して、様子を見る。何も起きなかったら戻る、ということの繰り返しをやったらよい。これだと家族の反対者を説得しやすい筈だ。
もしどうしても家を離れたくないという家族がいたときは、置いて行くことを、日頃から話し合っておくべきである。説得の時間などはない。
特に子供のいる家族では、子供のためにも夫婦のどちらかが移住しなくてはならない。死なばもろとも、といった、大人の道連れに子供をするのは止めるべきだ。
愚かな大人たちが原発事故を起こしたうえに、子供をこれ以上道連れにしてはならない。
どうしても夫婦で留まって死ぬのなら、とりあえず子供を連れて逃げて、施設に預けて、大人だけ引き返せばよい。
今からでも、避難に必要な身の回りのものをまとめ、避難ルートなども考えておくべきだ。
ネット上の危機感は世界と一体のもの、と書いたが、
例えばドイツではメディア(『netzfrauen』)が次のように発信している。
長いので、要旨を箇条書きにして紹介する。
1 福島第1原発の4号機の、使用済み燃料プール内の核燃料棒を安全に取りだすことは、ヨーロッパのわたしたちの生存に関係する。
2 4号機の使用済み核燃料プールは、地面から100フィート(30.5メートル)にある。4号機の使用済み核燃料プールは深刻な被害を受け、漏れており、核燃料プールから1,300本以上の使用済み燃料を取りだすため、東電は遅くとも60日後(11月 注: 兵頭)に開始することを通達した。
3 4号機の使用済み核燃料プール内の核燃料は400トンある。広島の原爆より15,000倍の放射性放射線を放出する。
4 東京電力はこの危機を克服するための、科学的、技術的、財政的資源を持っていない。日本政府にも4号機の核燃料棒取り出しの危険を克服できない。
5 4号機の核燃料プールから1,300本以上の使用済み燃料を取りだすことは非常に危険な試みなので、世界中の最高の科学者とエンジニアの協調的な助けが必要である。
6 福島第1原発からの蒸気の雲の流れで、現在も地下で核分裂が継続していることがわかる。融けた核燃料がどのような状態であるか誰もわからない状態である。
7 大量の汚染水は、現在では、巨大なタンク約1000個に、収集されているが、次の地震が起きれば、全てのタンクが破れて汚染水が漏れることになる。その後、毒である数千トンの汚染水が太平洋に流れることになる。
8 4号基から50m離れた場所に大規模な使用済み核燃料の貯蔵プールがあり、そこに6,000本以上の使用済み核燃料が冷却されている。それらには、プルトニウムも含まれている。
大規模な使用済み核燃料の貯蔵プールには屋根もなく、次の地震や津波で、隣接している建物が倒壊すると、その影響で核燃料の貯蔵プールが壊れ、全ての冷却水が流出することになる。
9 福島第1原発には 合計で11,000本以上の核燃料棒がある。
10 日本では、多くの地域で高い放射線が検出されている。特に子供たちに甲状腺疾患が増加しており、苦しんでいる。
関東全域で被曝が深刻になっている。しかし、被曝の情報がソーシャルメディアを通じて広まっているのは、主として東京の汚染状況である。
東京から人が逃げている。条件がかなう人から先に脱出しなければならない。移住しなければならない。特に若い人たちは。
新聞もテレビも、東京の危険性を報道しない。しかしかれらは東京を脱出し続けている。かれらは、現在、報道と生き方とを完全に変えている。報道は東京安全神話のでっち上げ、生き方は東京脱出である。
原発安全神話と同様に、東京安全神話は、政府や東電などのクライアント(電力会社 広告宣伝部)が神話創造のルーツになっている。
第5権力としての電通・博報堂など広告代理店のメディア局が、政府とクライアントの意向を受けて、第4権力としてのマスメディア(テレビ局・ラジオ局・新聞局・雑誌局)に安全神話を流させている。
つまり東京安全神話は、政府・クライアント→広告代理店→マスメディア→国民、といったルートで流れる。安全神話を受け取る国民の側からはマスメディアと政府・クライアント(電力会社)しか見えない。
両者の間に入って、マスメディアを支配している広告代理店は、一般の国民にはこれまで未知の存在であった。しかし原発安全神話と東京安全神話を創り、第4権力のマスメディアに危険性を隠蔽させているのは、第5権力といわれ、第4権力を支配する広告代理店なのである。
さて、暗いシニシズムやニヒリズムが関東を被っている。放射能汚染された東京の地価の暴落は、破綻国家の幕引き、すなわち国家の終焉に繋がる劇的なものになる。東京の1,300万の生命は国家資産にすぎない。だから、政府、都、クライアントの意向を受けた広告代理店の指示で、マスメディアは東京から人を逃がさないように東京の危険性を隠蔽するのである。
汚染瓦礫の焼却によって東京の1,300万人、大阪の880万人を被曝させる。さらに日本列島に被曝を拡大し、平準化することで、賠償を無化する。米国・官僚・政府の棄民が継続して実施されている。
これから全国で暴発する癌などの被曝患者は、 TPP参加後に米国医療界へ献上する。見返りに宗主国から植民地日本での支配者の位置を安堵してもらう、あるいは自分たちは海外へ移住する。それが既得権益支配層の基本的なスタンスだ。
東京の状況を見るには、細部を見るのが一番よい。
子どもの甲状腺検査や血液検査などの対応を積極的にされていた三田茂医師は、この年度一杯(来年三月末)で、小平の三田医院を閉じられて、来年春以降に岡山市内に移住されます。岡山市内でも、それほど時を経ずして、医院の開業も予定されています。小平市での診察は、来年三月末までとなります。三田先生が、3.11以後に、被曝の懸念もあって診察したお子さんは千数百人になっています。都内、否、関東では圧倒的に彼が1人で頑張っているのが実情です。
岡山でも、被曝問題に対しての対応は継続して行うそうです。
この話は、実は相当前から、三田先生は考えられていて、僕も岡山の状況などについて、いろんな意見を聞かれました。三田医師は、元々、出身が小平市。お父さんの代から三田医院は開院されていて、引き継いだ病院を一度閉じて、地元でない岡山で新たに開院するという話です。
これは、一般の方が勤務先を変えて移住するよりも、開業医が二代にわたって医療を長年続けていた地を去り、まったく新しい処で始めるのは、相当な賭けに近いです。こんな話は通常できることではありません。相当な覚悟と相当な危機意識が無いとありえない話であることは、まず認識して下さい。
「三年間、東京で対応してきたけれども、子どもや女性たちの診察を続けての状況や、更にデータ的な厳しさも含めて、自分自身もこうした場所に居続けるのが限界と判断して、岡山に移ることにしました。」という話です。
というよりも、三田先生が僕に言っていたのは、「ここまで我慢してやりつづけたから、もういいでしょう。はっきり言って、事故後、東京で居つづけ過ぎたと思っている。医師として、医療行為としては、だれもやらないから、ぼくがやるしかない、そう思ってやり続けてきたけれども、それで自分の命を縮めているのは分っています。どこまで、汚染地でできるのか、そろそろ限界になってきたということです。」
ご本人が喉調子が悪いのは、ここ一年くらい、僕は電話口で何回となく話して知っています。
「最初は、小平あたりの汚染が低いから、まだ何とかなるのかと思っていましたが、身体的におかしい状態が、東葛エリアの患者さんから東京23区の患者に広がり、最近では地元の小平市の患者にまで出始めています。甲状腺がんの若い女性なんかも出始めてくると、非常に危機感は強まっています。濃縮した汚染が小平市内でもとんでもない値を聞きはじめましたし、吸気被曝の影響を防ぐことは無理です。」
「皆さんに、これはこうだ、どれはこうだと明示できないけれども、実は僕の医学的な感覚でおかしいことは幾らも起き始めていて、そうして気がついていることのうちに、一定部分は、多分放射能の影響として、健康被害として認知される事象になると思っています。三年間、子どもや母親、若い女性たちの甲状腺検査、さらに血液検査、血液像の確認だけでも、おきつつある実感は強いです。ですから、特に何か異変が起きているお子さんや若い女性には、可能なら避難移住したほうが良い事もはっきり話していましたしね。」
「そうした人達の中で、動いた人もいるけれど、うちに診察に来ることで、何か満足して、居つづける人がいます。子どもなどは特に、避難移住したり一ヶ月くらい保養しても、血液像が好転するケースを多くみていますから、僕が東京にいることで東京に留まることが出来ると考える人たちがいるのは、引っかかっていました。こうしたことからも、今回の決断があります。」
「僕が、病院ごと岡山に移住することを見て、うちにきているような患者さんたちや被曝を懸念している人たちがどのように受け止めて行動するのか。何かの切っ掛けになる可能性も考えました。」
「勿論、岡山でも、通常業務に加えて、被曝に関しても対応します。関東からの避難者は、岡山には多いですからね。」
彼は、医療従事者として限界まで対応し、これ以上、東京で医療行為を続けることは厳しいと判断したということです。毎日毎日の診察で、誰よりも放射能による健康被害の実感を認識しながら生きている、三田医師の見解です。
『木下黄太のブログ』が、「『お前だけ助かればいいのか』『水筒は駄目だ』級友と教師に”一億総被曝”を強いられる小学生女子、東京」というタイトルで、考えさせる記事を載せている。
次に引用するのは、東京の小学生の娘とその母親の話である。
「この小学生の御嬢さんは、それでも自分の命をまもる、と言って、マスクをしたり、水筒を持っていこうとしたり、おかあさんに言われるというよりも、自ら進んで対応しようとするのです。これは、本当は偉いことだと思います。
しかし、このお子さんに、今度は、クラスメートの小学生が『お前だけ助かればいいのか』と詰め寄ったりするそうです。そればかりか、教師が『水筒を持ってくるな』、こういうことを平気で言うそうです。日本の、東京の公立小学校では、小さい女の子にこうしたことがおこなわれています。
この小学生の女の子は、調子が悪くて、最近は、目がかすむこともあるそうです。
視神経が被曝症状であった場合、本当にまずいですが、このお子さんのいる地域が、汚染の酷い東京東部であるため、視神経の異常が起きても、何らおかしくないと僕は思います。イタリアでも、チェルノブイリ当時、白内障が多発していますから。お子さんの目の動向は注意して下さい。
ほんとに、なんと話していいかわかりませんが、政府や文部省の体制側が、被曝なんて大丈夫という雰囲気を捏造することで、それが学校現場でも、無言の圧力として浸透します。否、無言でなく、はっきりとした方針と押し付けられます。完全に狂った所業です。
こうした所業を、率先して執り行おうとする学校の教師がいます。戦前の国民学校で日常的に展開した状態が、今、21世紀の日本で、さらにグロテスクな形で展開します。そうして、学校の教師という権威が、振りかざす刃を見て、同じ小学生が、クラスメートの女子小学生に詰め寄る構図です。
「お前だけ助かればよいのか」と。
一億総被曝という奈落の底に直走る滑車に、乗りたくないと懇願する人々にさえ、無理やり乗せて道連れにしようとする所業。上から下まで鬼畜以下の世界が、間近に到来しつつあるように僕にはみえています」
(引用終わり)
http://bit.ly/13Gltwu
「水筒を持ってくるな」、弁当を持ってくるな(給食を食べろ)、という教師は、みんなと同じことをしろ、といっているのと同じである。これは簡単に変わる。校長が、教委が、文科省が、違う方針を出せばいいだけの話だ。精神が奴隷なのだから。
敗戦後に手のひらを返したように教科書に墨を塗らせた教師と何も変わっていないのである。日本人の「長いものには巻かれろ」という奴隷根性はしっかりと受け継がれている。
ところでこの亡国の深刻な状況を日本にもたらしたのは自民党である。その自民党の中曽根康弘である。
かれはまだ元気で、この日本の敗亡の状況を妖怪のように徘徊し続けている。
1953年12月にアイゼンハワー大統領が「原子力の平和利用」を宣言した。その3か月後に、日本で中曽根康弘が原子力予算を国会に提出している。つまり日本で最初に原発の動きを政治化し、予算化し、現実化したのは中曽根康弘である。
中曽根康弘は、福島原発事故への政治家としての責任のとり方を語らねばならないのだが、もちろんそんなことはしない。
『KOCHI−MINPO(高知民報)』に「中曽根元首相 「慰安所」設置に関与 ボルネオ・バリクパパン 草の家が証拠公表」というタイトルで重要な記事が載っている。
「土人女を集め慰安所を開設」という記述がある。これまで中曽根氏は「慰安所とは碁を打つ所」としていた。(海軍航空基地第2設営班資料)
中曽根康弘・元首相が太平洋戦争中にボルネオ島で「慰安所」設置に関与していた事実を証明する資料を10月27日、「平和資料館・草の家」が発表しました。
高知市升形の「草の家」で開かれた会見では、岡村正弘館長、馴田正満研究員らが、防衛省防衛研究所戦史研究センターが複製・保存(※)している「海軍航空基地第2設営班資料」を示し説明。
当時の中曽根海軍主計中尉は、2300人の工員を徴用し飛行場を建設した第2同設営班に主計長として所属していたこと、ボルネオ島バリクパパン322基地に1942年3月11日「慰安所」を設営し、見取図もあること、「氣荒くなり日本人同志けんか等起る」中で「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設氣持の緩和に非常に効果ありたり」という記載があることを示しました。
中曽根元総理は回顧録 (『終りなき海軍』)に「三千人の大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんな彼らのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある」と自ら書いていたことに国際的な批判が高まり、07年3月23日の日本外国特派員協会記者会見では「慰安所」への関与について追及され「碁を打つなど休息所の目的で設置した」としていました。
今回、公表された文書は「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設」と明記されており、中曽根元首相の言い訳を覆しました。
岡村館長は「中曽根氏は真実を明らかにすべきだ。政府にも調査と事実公表を求めたい」と話しました。
※第二設営班の徴用技師・宮地米三・元工営長が防衛省戦史編纂官の依頼で1962年に複製し、同省が保管している文書であり信頼性は高い。(2011年11月6日 高知民報)」
(引用終わり)
2013年10月31日 [原発]
最近のフェイスブックやツイッターには、いよいよ日本の終焉だ、という危機意識に基づいた投稿が多い。
国民の愚民化に努めるテレビの、明るい陽気さ加減と大違いだ。
例えば、Fibrodysplasia は9月26日のツイッターで次のようにツイートしている。
「東日本と西日本で、どうせ10年以上、平均寿命が異なってくるのだから、移住の説得などせず、放っておけばいい。もう引っ越せる人は、引っ越している。放っておけ。それに、もう引っ越しても遅い。初期被曝と吸気被曝の累積で、手遅れだ。週刊朝日の記事じゃないが、尿からもセシウムが検出されている」
「慢性的な低線量の被曝によって、病気になったとしても、本人は、放射能のせいだとは思わない。世間も放射能のせいだとは言わない。放っておけ。資料を渡しても読まないぞ。どうしても、土壌汚染されたエリアで暮らしたいのだから、説得しても無駄だ。そこがいいんだよ。子供だけが可哀想」
「ひつこいな。東日本のものは、出荷しても食べないって。誰がなんと言おうと、毒物だ。いい加減、農業・漁業・畜産業を諦めろよな。産地偽装だって、毎日、極度に警戒している。毎日だ。毎日警戒している。東日本での食糧生産は終わったんだ。それが原発事故の帰結。当たり前だろ。どんだけ放出したんだ」
この危機意識は普遍的なもので、世界と一体のものとなっている。東京オリンピック開催に浮かれているわが国のマスメディアだけが異様なのだ。
ここでは11月から始まる福島第1原発4号機共用プールの、1535体の燃料集合体の取り出しに関する危機意識を考えてみる。
東電4号機は、日本政治の劣悪の象徴である。たかが電気で、よくも国土の喪失につながる、最悪の場合には北半球の滅亡につながる装置を作らせたものである。
4号機建屋の設計思想が凄まじく、使用済み燃料プールは建屋の4〜5階あたりにある。1535本(原子炉2基以上の量)の燃料棒を収納している。震度5で倒壊するといわれている。
東電任せではダメだ、日本政府任せではダメだ、というのが世界の論調だ。世界中が動き出している。まず、アメリカの国会議員、カナダ、そして次々と。「日本の動きは遅すぎる。米国はスピードアップに向けた支援をすべきだ」。これが世界の論調だ。
北半球の人類の生存がかかった大仕事なのである。これを失敗続きの東電がやる。安倍晋三は相変わらず後ろに隠れる。これは菅直人が敷いた路線だ。
菅は民主党を潰した元凶と誰もが思っている。しかしそれだけではない。東電を前面に押し立て、政治が後ろに隠れる構造を作ったのも菅である。
かくしてもっともダメな東電が仕事をやるのだが、このときも、東電が考えるのは経済効率だ。
もし4号機が危機的状態になったら、過去の事例から政府も東電も情報を隠蔽する可能性が高い。すると、フェイスブックやツイッターの情報が私たちの生死を決める命綱になる。
「特定秘密保護法案」が通っていると、国民のための情報がネット上に拡散しない可能性が高い。しかし、この段階ですでにカタストロフィであり、情報をつかんだ官僚や政治家、それにマスメディアが逃亡を始めると思われる。その動きを見て、ネット上に様々な情報が拡散する可能性が高い。
情報をキャッチしたら、混乱で交通手段が途絶する前にとりあえず避難して、様子を見る。何も起きなかったら戻る、ということの繰り返しをやったらよい。これだと家族の反対者を説得しやすい筈だ。
もしどうしても家を離れたくないという家族がいたときは、置いて行くことを、日頃から話し合っておくべきである。説得の時間などはない。
特に子供のいる家族では、子供のためにも夫婦のどちらかが移住しなくてはならない。死なばもろとも、といった、大人の道連れに子供をするのは止めるべきだ。
愚かな大人たちが原発事故を起こしたうえに、子供をこれ以上道連れにしてはならない。
どうしても夫婦で留まって死ぬのなら、とりあえず子供を連れて逃げて、施設に預けて、大人だけ引き返せばよい。
今からでも、避難に必要な身の回りのものをまとめ、避難ルートなども考えておくべきだ。
ネット上の危機感は世界と一体のもの、と書いたが、
例えばドイツではメディア(『netzfrauen』)が次のように発信している。
長いので、要旨を箇条書きにして紹介する。
1 福島第1原発の4号機の、使用済み燃料プール内の核燃料棒を安全に取りだすことは、ヨーロッパのわたしたちの生存に関係する。
2 4号機の使用済み核燃料プールは、地面から100フィート(30.5メートル)にある。4号機の使用済み核燃料プールは深刻な被害を受け、漏れており、核燃料プールから1,300本以上の使用済み燃料を取りだすため、東電は遅くとも60日後(11月 注: 兵頭)に開始することを通達した。
3 4号機の使用済み核燃料プール内の核燃料は400トンある。広島の原爆より15,000倍の放射性放射線を放出する。
4 東京電力はこの危機を克服するための、科学的、技術的、財政的資源を持っていない。日本政府にも4号機の核燃料棒取り出しの危険を克服できない。
5 4号機の核燃料プールから1,300本以上の使用済み燃料を取りだすことは非常に危険な試みなので、世界中の最高の科学者とエンジニアの協調的な助けが必要である。
6 福島第1原発からの蒸気の雲の流れで、現在も地下で核分裂が継続していることがわかる。融けた核燃料がどのような状態であるか誰もわからない状態である。
7 大量の汚染水は、現在では、巨大なタンク約1000個に、収集されているが、次の地震が起きれば、全てのタンクが破れて汚染水が漏れることになる。その後、毒である数千トンの汚染水が太平洋に流れることになる。
8 4号基から50m離れた場所に大規模な使用済み核燃料の貯蔵プールがあり、そこに6,000本以上の使用済み核燃料が冷却されている。それらには、プルトニウムも含まれている。
大規模な使用済み核燃料の貯蔵プールには屋根もなく、次の地震や津波で、隣接している建物が倒壊すると、その影響で核燃料の貯蔵プールが壊れ、全ての冷却水が流出することになる。
9 福島第1原発には 合計で11,000本以上の核燃料棒がある。
10 日本では、多くの地域で高い放射線が検出されている。特に子供たちに甲状腺疾患が増加しており、苦しんでいる。
関東全域で被曝が深刻になっている。しかし、被曝の情報がソーシャルメディアを通じて広まっているのは、主として東京の汚染状況である。
東京から人が逃げている。条件がかなう人から先に脱出しなければならない。移住しなければならない。特に若い人たちは。
新聞もテレビも、東京の危険性を報道しない。しかしかれらは東京を脱出し続けている。かれらは、現在、報道と生き方とを完全に変えている。報道は東京安全神話のでっち上げ、生き方は東京脱出である。
原発安全神話と同様に、東京安全神話は、政府や東電などのクライアント(電力会社 広告宣伝部)が神話創造のルーツになっている。
第5権力としての電通・博報堂など広告代理店のメディア局が、政府とクライアントの意向を受けて、第4権力としてのマスメディア(テレビ局・ラジオ局・新聞局・雑誌局)に安全神話を流させている。
つまり東京安全神話は、政府・クライアント→広告代理店→マスメディア→国民、といったルートで流れる。安全神話を受け取る国民の側からはマスメディアと政府・クライアント(電力会社)しか見えない。
両者の間に入って、マスメディアを支配している広告代理店は、一般の国民にはこれまで未知の存在であった。しかし原発安全神話と東京安全神話を創り、第4権力のマスメディアに危険性を隠蔽させているのは、第5権力といわれ、第4権力を支配する広告代理店なのである。
さて、暗いシニシズムやニヒリズムが関東を被っている。放射能汚染された東京の地価の暴落は、破綻国家の幕引き、すなわち国家の終焉に繋がる劇的なものになる。東京の1,300万の生命は国家資産にすぎない。だから、政府、都、クライアントの意向を受けた広告代理店の指示で、マスメディアは東京から人を逃がさないように東京の危険性を隠蔽するのである。
汚染瓦礫の焼却によって東京の1,300万人、大阪の880万人を被曝させる。さらに日本列島に被曝を拡大し、平準化することで、賠償を無化する。米国・官僚・政府の棄民が継続して実施されている。
これから全国で暴発する癌などの被曝患者は、 TPP参加後に米国医療界へ献上する。見返りに宗主国から植民地日本での支配者の位置を安堵してもらう、あるいは自分たちは海外へ移住する。それが既得権益支配層の基本的なスタンスだ。
東京の状況を見るには、細部を見るのが一番よい。
子どもの甲状腺検査や血液検査などの対応を積極的にされていた三田茂医師は、この年度一杯(来年三月末)で、小平の三田医院を閉じられて、来年春以降に岡山市内に移住されます。岡山市内でも、それほど時を経ずして、医院の開業も予定されています。小平市での診察は、来年三月末までとなります。三田先生が、3.11以後に、被曝の懸念もあって診察したお子さんは千数百人になっています。都内、否、関東では圧倒的に彼が1人で頑張っているのが実情です。
岡山でも、被曝問題に対しての対応は継続して行うそうです。
この話は、実は相当前から、三田先生は考えられていて、僕も岡山の状況などについて、いろんな意見を聞かれました。三田医師は、元々、出身が小平市。お父さんの代から三田医院は開院されていて、引き継いだ病院を一度閉じて、地元でない岡山で新たに開院するという話です。
これは、一般の方が勤務先を変えて移住するよりも、開業医が二代にわたって医療を長年続けていた地を去り、まったく新しい処で始めるのは、相当な賭けに近いです。こんな話は通常できることではありません。相当な覚悟と相当な危機意識が無いとありえない話であることは、まず認識して下さい。
「三年間、東京で対応してきたけれども、子どもや女性たちの診察を続けての状況や、更にデータ的な厳しさも含めて、自分自身もこうした場所に居続けるのが限界と判断して、岡山に移ることにしました。」という話です。
というよりも、三田先生が僕に言っていたのは、「ここまで我慢してやりつづけたから、もういいでしょう。はっきり言って、事故後、東京で居つづけ過ぎたと思っている。医師として、医療行為としては、だれもやらないから、ぼくがやるしかない、そう思ってやり続けてきたけれども、それで自分の命を縮めているのは分っています。どこまで、汚染地でできるのか、そろそろ限界になってきたということです。」
ご本人が喉調子が悪いのは、ここ一年くらい、僕は電話口で何回となく話して知っています。
「最初は、小平あたりの汚染が低いから、まだ何とかなるのかと思っていましたが、身体的におかしい状態が、東葛エリアの患者さんから東京23区の患者に広がり、最近では地元の小平市の患者にまで出始めています。甲状腺がんの若い女性なんかも出始めてくると、非常に危機感は強まっています。濃縮した汚染が小平市内でもとんでもない値を聞きはじめましたし、吸気被曝の影響を防ぐことは無理です。」
「皆さんに、これはこうだ、どれはこうだと明示できないけれども、実は僕の医学的な感覚でおかしいことは幾らも起き始めていて、そうして気がついていることのうちに、一定部分は、多分放射能の影響として、健康被害として認知される事象になると思っています。三年間、子どもや母親、若い女性たちの甲状腺検査、さらに血液検査、血液像の確認だけでも、おきつつある実感は強いです。ですから、特に何か異変が起きているお子さんや若い女性には、可能なら避難移住したほうが良い事もはっきり話していましたしね。」
「そうした人達の中で、動いた人もいるけれど、うちに診察に来ることで、何か満足して、居つづける人がいます。子どもなどは特に、避難移住したり一ヶ月くらい保養しても、血液像が好転するケースを多くみていますから、僕が東京にいることで東京に留まることが出来ると考える人たちがいるのは、引っかかっていました。こうしたことからも、今回の決断があります。」
「僕が、病院ごと岡山に移住することを見て、うちにきているような患者さんたちや被曝を懸念している人たちがどのように受け止めて行動するのか。何かの切っ掛けになる可能性も考えました。」
「勿論、岡山でも、通常業務に加えて、被曝に関しても対応します。関東からの避難者は、岡山には多いですからね。」
彼は、医療従事者として限界まで対応し、これ以上、東京で医療行為を続けることは厳しいと判断したということです。毎日毎日の診察で、誰よりも放射能による健康被害の実感を認識しながら生きている、三田医師の見解です。
『木下黄太のブログ』が、「『お前だけ助かればいいのか』『水筒は駄目だ』級友と教師に”一億総被曝”を強いられる小学生女子、東京」というタイトルで、考えさせる記事を載せている。
次に引用するのは、東京の小学生の娘とその母親の話である。
「この小学生の御嬢さんは、それでも自分の命をまもる、と言って、マスクをしたり、水筒を持っていこうとしたり、おかあさんに言われるというよりも、自ら進んで対応しようとするのです。これは、本当は偉いことだと思います。
しかし、このお子さんに、今度は、クラスメートの小学生が『お前だけ助かればいいのか』と詰め寄ったりするそうです。そればかりか、教師が『水筒を持ってくるな』、こういうことを平気で言うそうです。日本の、東京の公立小学校では、小さい女の子にこうしたことがおこなわれています。
この小学生の女の子は、調子が悪くて、最近は、目がかすむこともあるそうです。
視神経が被曝症状であった場合、本当にまずいですが、このお子さんのいる地域が、汚染の酷い東京東部であるため、視神経の異常が起きても、何らおかしくないと僕は思います。イタリアでも、チェルノブイリ当時、白内障が多発していますから。お子さんの目の動向は注意して下さい。
ほんとに、なんと話していいかわかりませんが、政府や文部省の体制側が、被曝なんて大丈夫という雰囲気を捏造することで、それが学校現場でも、無言の圧力として浸透します。否、無言でなく、はっきりとした方針と押し付けられます。完全に狂った所業です。
こうした所業を、率先して執り行おうとする学校の教師がいます。戦前の国民学校で日常的に展開した状態が、今、21世紀の日本で、さらにグロテスクな形で展開します。そうして、学校の教師という権威が、振りかざす刃を見て、同じ小学生が、クラスメートの女子小学生に詰め寄る構図です。
「お前だけ助かればよいのか」と。
一億総被曝という奈落の底に直走る滑車に、乗りたくないと懇願する人々にさえ、無理やり乗せて道連れにしようとする所業。上から下まで鬼畜以下の世界が、間近に到来しつつあるように僕にはみえています」
(引用終わり)
http://bit.ly/13Gltwu
「水筒を持ってくるな」、弁当を持ってくるな(給食を食べろ)、という教師は、みんなと同じことをしろ、といっているのと同じである。これは簡単に変わる。校長が、教委が、文科省が、違う方針を出せばいいだけの話だ。精神が奴隷なのだから。
敗戦後に手のひらを返したように教科書に墨を塗らせた教師と何も変わっていないのである。日本人の「長いものには巻かれろ」という奴隷根性はしっかりと受け継がれている。
ところでこの亡国の深刻な状況を日本にもたらしたのは自民党である。その自民党の中曽根康弘である。
かれはまだ元気で、この日本の敗亡の状況を妖怪のように徘徊し続けている。
1953年12月にアイゼンハワー大統領が「原子力の平和利用」を宣言した。その3か月後に、日本で中曽根康弘が原子力予算を国会に提出している。つまり日本で最初に原発の動きを政治化し、予算化し、現実化したのは中曽根康弘である。
中曽根康弘は、福島原発事故への政治家としての責任のとり方を語らねばならないのだが、もちろんそんなことはしない。
『KOCHI−MINPO(高知民報)』に「中曽根元首相 「慰安所」設置に関与 ボルネオ・バリクパパン 草の家が証拠公表」というタイトルで重要な記事が載っている。
「土人女を集め慰安所を開設」という記述がある。これまで中曽根氏は「慰安所とは碁を打つ所」としていた。(海軍航空基地第2設営班資料)
中曽根康弘・元首相が太平洋戦争中にボルネオ島で「慰安所」設置に関与していた事実を証明する資料を10月27日、「平和資料館・草の家」が発表しました。
高知市升形の「草の家」で開かれた会見では、岡村正弘館長、馴田正満研究員らが、防衛省防衛研究所戦史研究センターが複製・保存(※)している「海軍航空基地第2設営班資料」を示し説明。
当時の中曽根海軍主計中尉は、2300人の工員を徴用し飛行場を建設した第2同設営班に主計長として所属していたこと、ボルネオ島バリクパパン322基地に1942年3月11日「慰安所」を設営し、見取図もあること、「氣荒くなり日本人同志けんか等起る」中で「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設氣持の緩和に非常に効果ありたり」という記載があることを示しました。
中曽根元総理は回顧録 (『終りなき海軍』)に「三千人の大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんな彼らのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある」と自ら書いていたことに国際的な批判が高まり、07年3月23日の日本外国特派員協会記者会見では「慰安所」への関与について追及され「碁を打つなど休息所の目的で設置した」としていました。
今回、公表された文書は「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設」と明記されており、中曽根元首相の言い訳を覆しました。
岡村館長は「中曽根氏は真実を明らかにすべきだ。政府にも調査と事実公表を求めたい」と話しました。
※第二設営班の徴用技師・宮地米三・元工営長が防衛省戦史編纂官の依頼で1962年に複製し、同省が保管している文書であり信頼性は高い。(2011年11月6日 高知民報)」
(引用終わり)