第91回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝=報知新聞社後援)(2日、東京・読売新聞東京本社新社屋前―芦ノ湖、5区間=107・5キロ)
「ワクワク大作戦」は想像以上の破壊力を持っていた。創部97年目の青学大を初めて往路優勝に導いた原監督は「選手が想像以上の走りをしてくれた。私の中ではワクワク120%でした」と笑った。
采配がズバリとはまった。全日本では駒大に2分48秒差離された3位。「今回は駒大の独走はダメよ~ダメダメ」と1区から久保田和真(3年)、一色恭志(2年)と学生界トップクラスの選手を起用。総合2位でタスキをつなぐと、4区では前日に起用を決めた田村和希(1年)が大学初の区間新記録の激走。指揮官は「2週間前までおなかの調子が悪かったので怖かったけど、練習が良かったから」という期待に応えたルーキーは「沿道の応援がたくさんあって楽しく走れた」と胸を張った。
町田市内の寮では38人の寮生と一緒に生活。「自分に子供がいない分、選手が子供みたいなものですから」と彼女の話などフランクな相談にも積極的に乗る。その一方で選手に与えるのは自覚。「柔なチームにはしたくない。男として目標を持って行動させる」とトラックシーズンには5000メートルで14分10秒以内を目指す高い設定をつくり、戦う集団をつくってきた。
大会を盛り上げることを重要視する理由は?
「一番、大事なことは、最初に言ったように、箱根駅伝をさらに魅力あるコンテンツにすることです。野球やサッカーに流れている身体能力の高い子供を長距離走という地味なスポーツに呼び込み、競技人口の裾野を広げる。それが日本長距離界、マラソン界のレベルが向上につながるのです
青学大・神野(かみの)大地(3年)が来春の進路先として、コニカミノルタに絞っていることが2日、分かった。尊敬する宇賀地強(27)、前回大会5区区間賞の設楽啓太(23)らと競いながら世界を目指す。
コニカミノルタは全日本実業団駅伝(ニューイヤー駅伝)で2001年に初優勝後、8度Vを重ね「21世紀の王者」と呼ばれる強豪チーム。今年の大会でも2位に入った。「社会人3年目くらいに行ける、と感触を得たらマラソンに挑戦したい。一発目から2時間7分台を狙いたいですね」と神野。26歳で迎える2020年東京五輪では日本マラソン界の期待の星となりそうだ。
全日本実業団対抗駅伝(1日、群馬県庁前発着=7区間、100キロ)
トヨタ自動車が4時間51分41秒で4年ぶり2度目の優勝を果たした。3連覇を狙ったコニカミノルタが4時間53分20秒で2位、3大会ぶりの王座を目指した日清食品グループは3位だった。3区を終えてトップと28秒差の3位につけたトヨタ自動車は、4区の窪田忍が区間3位の好走でコニカミノルタ、日清食品グループとの先頭争いに持ち込んだ。5区の大石港与が終盤に抜け出し、6区の田中秀幸が独走態勢を築いた。
若い力がしっかりかみ合った。トヨタ自動車は4区で駒大出のルーキー・窪田が4年ぶりの王座奪回への道筋をつけ、6区では24歳の田中の力走で勝利を決定づけた。田中は「7人が力を出し切った結果」と笑った。
22キロの最長区間を任された窪田は28秒差でタスキを受けると「行けるところまで行こう」と突っ込んだ。4キロ手前でトップに追いつき、4秒差に縮めタスキをつないだ。
強い向かい風となった6区で、4秒リードの首位でタスキを受けた田中は「風よけで後ろにつかれたくない。前半からいく」と腹をくくった。序盤から飛ばし、最後は1分30秒差まで広げた。
4年前の優勝メンバーは3区の宮脇だけの布陣ながら、5区から3連続区間賞。2連覇へ向け、佐藤監督は「簡単ではない」と受け止め、一層の進化を誓った。
“伝説の営業マン”が箱根路の歴史に名を刻んだ。青学大・原晋監督(47)は中国電力で10年間のサラリーマン生活を経験。営業生活で培った「目標作成」などを陸上指導に応用し、チームを史上16校目の箱根王者に導いた。優勝候補筆頭だった駒大は青学大から10分50秒差の総合2位。渡辺康幸駅伝監督(41)が今季限りで退任する早大は5位に終わった。
就任11年目で悲願の優勝を果たした青学大・原晋監督は「2004年から強化が始まり一時は廃部の危機に立たされたこともありましたが、本当に半歩半歩、積み上げてきた。それがなければ実現できませんでした」と感無量の表情を浮かべた。選手には「ここにいる選手たちは自立した本当にいいヤツらです」とたたえた。
10時間50分を突破する史上最速記録には「東洋大さんが10時間51分を記録した時は10年破られないんじゃないかと言われていましたが、それを2分も超えてどこにこんな力があるんじゃないかと思いました。選手にはありがとうと言いたいです」と声を震わせていた。
81キロの巨体が東京・大手町で3度舞った。就任11年目で青学大を総合優勝に導いた原監督は「私も準備(ダイエット)しておけば良かった」と笑いながら、歓喜に酔いしれた。
箱根駅伝には縁もゆかりもない中京大出身。04年4月に青学大の監督に就任し、上層部には「3年で出場、5年でシード権、10年で優勝争い」と宣言していた。しかし、成績が出せなかった頃は「外様」と陰口をたたかれ、就任3年目の06年予選会では16位惨敗。大学幹部から「話が違う」と責められ、長距離部門も廃部寸前になった時期もあった。
ただ、指揮官には確かな自信があった。10年間務めた中国電力でのサラリーマン時代には持ち前の体力を生かして精力的に営業活動。山口・徳山市(現周南市)の営業所時代に、省エネ空調設備「エコアイス」を社内で一番売り上げて評価を上げ、新たに立ち上げた住宅関係事業の初期メンバーに選ばれるなど、能力を発揮した。
その経験から「高い目標を立て、それを実行することが大事。商品を売るにはその魅力を伝えることが必要」と選手に指導。他校ならエース級の選手にしか求めない「5000メートルで14分10秒以内」などの目標設定をさせ、自覚を促した。同時に大学側にも「広報活動につながる」と働きかけ、神奈川・相模原市内の大学キャンパスに専用グラウンドやクロカンコースを設置。さらに大手スポーツ用品メーカー・アディダスとパートナーシップ契約を結ぶなど、ブランド力アップにも努めた。
こうした環境の整備と並行して、選手のスカウトも重点的に敢行。営業時代に培った話術を武器に、相手にされなかった高校へも頻繁に通い有力選手を獲得。神野ら今回の主力は、ほぼスカウトの成果だった。そして宣言通り、箱根には09年大会で33年ぶりに出場。翌10年にはシード権を獲得し、優勝争いの目標だった10年「プラス1年」で制してみせた。
ビジネス風の合理的手法に加え「熱さも大事」。この日も、出場できなかった4年生を給水担当にするなど、絆を大切にした。箱根路に強烈すぎる新風を吹かせたカリスマ営業マンは「選手にありがとうと言いたい」と一緒に生活する“子供”たちに感謝した。
◆原 晋(はら・すすむ)1967年3月8日、広島・三原市生まれ。47歳。世羅高3年時に全国高校駅伝4区2位。中京大3年の日本インカレ5000メートル3位。89年に中国電力陸上部に1期生として入部。主将として93年の全日本実業団駅伝初出場。27歳で引退し、サラリーマン生活を経て04年青学大監督に就任。12年出雲駅伝で大学3大駅伝初優勝。176センチ、81キロ。家族は妻・美穂さん(47)。
「ワクワク大作戦」は想像以上の破壊力を持っていた。創部97年目の青学大を初めて往路優勝に導いた原監督は「選手が想像以上の走りをしてくれた。私の中ではワクワク120%でした」と笑った。
采配がズバリとはまった。全日本では駒大に2分48秒差離された3位。「今回は駒大の独走はダメよ~ダメダメ」と1区から久保田和真(3年)、一色恭志(2年)と学生界トップクラスの選手を起用。総合2位でタスキをつなぐと、4区では前日に起用を決めた田村和希(1年)が大学初の区間新記録の激走。指揮官は「2週間前までおなかの調子が悪かったので怖かったけど、練習が良かったから」という期待に応えたルーキーは「沿道の応援がたくさんあって楽しく走れた」と胸を張った。
町田市内の寮では38人の寮生と一緒に生活。「自分に子供がいない分、選手が子供みたいなものですから」と彼女の話などフランクな相談にも積極的に乗る。その一方で選手に与えるのは自覚。「柔なチームにはしたくない。男として目標を持って行動させる」とトラックシーズンには5000メートルで14分10秒以内を目指す高い設定をつくり、戦う集団をつくってきた。
大会を盛り上げることを重要視する理由は?
「一番、大事なことは、最初に言ったように、箱根駅伝をさらに魅力あるコンテンツにすることです。野球やサッカーに流れている身体能力の高い子供を長距離走という地味なスポーツに呼び込み、競技人口の裾野を広げる。それが日本長距離界、マラソン界のレベルが向上につながるのです
青学大・神野(かみの)大地(3年)が来春の進路先として、コニカミノルタに絞っていることが2日、分かった。尊敬する宇賀地強(27)、前回大会5区区間賞の設楽啓太(23)らと競いながら世界を目指す。
コニカミノルタは全日本実業団駅伝(ニューイヤー駅伝)で2001年に初優勝後、8度Vを重ね「21世紀の王者」と呼ばれる強豪チーム。今年の大会でも2位に入った。「社会人3年目くらいに行ける、と感触を得たらマラソンに挑戦したい。一発目から2時間7分台を狙いたいですね」と神野。26歳で迎える2020年東京五輪では日本マラソン界の期待の星となりそうだ。
全日本実業団対抗駅伝(1日、群馬県庁前発着=7区間、100キロ)
トヨタ自動車が4時間51分41秒で4年ぶり2度目の優勝を果たした。3連覇を狙ったコニカミノルタが4時間53分20秒で2位、3大会ぶりの王座を目指した日清食品グループは3位だった。3区を終えてトップと28秒差の3位につけたトヨタ自動車は、4区の窪田忍が区間3位の好走でコニカミノルタ、日清食品グループとの先頭争いに持ち込んだ。5区の大石港与が終盤に抜け出し、6区の田中秀幸が独走態勢を築いた。
若い力がしっかりかみ合った。トヨタ自動車は4区で駒大出のルーキー・窪田が4年ぶりの王座奪回への道筋をつけ、6区では24歳の田中の力走で勝利を決定づけた。田中は「7人が力を出し切った結果」と笑った。
22キロの最長区間を任された窪田は28秒差でタスキを受けると「行けるところまで行こう」と突っ込んだ。4キロ手前でトップに追いつき、4秒差に縮めタスキをつないだ。
強い向かい風となった6区で、4秒リードの首位でタスキを受けた田中は「風よけで後ろにつかれたくない。前半からいく」と腹をくくった。序盤から飛ばし、最後は1分30秒差まで広げた。
4年前の優勝メンバーは3区の宮脇だけの布陣ながら、5区から3連続区間賞。2連覇へ向け、佐藤監督は「簡単ではない」と受け止め、一層の進化を誓った。
“伝説の営業マン”が箱根路の歴史に名を刻んだ。青学大・原晋監督(47)は中国電力で10年間のサラリーマン生活を経験。営業生活で培った「目標作成」などを陸上指導に応用し、チームを史上16校目の箱根王者に導いた。優勝候補筆頭だった駒大は青学大から10分50秒差の総合2位。渡辺康幸駅伝監督(41)が今季限りで退任する早大は5位に終わった。
就任11年目で悲願の優勝を果たした青学大・原晋監督は「2004年から強化が始まり一時は廃部の危機に立たされたこともありましたが、本当に半歩半歩、積み上げてきた。それがなければ実現できませんでした」と感無量の表情を浮かべた。選手には「ここにいる選手たちは自立した本当にいいヤツらです」とたたえた。
10時間50分を突破する史上最速記録には「東洋大さんが10時間51分を記録した時は10年破られないんじゃないかと言われていましたが、それを2分も超えてどこにこんな力があるんじゃないかと思いました。選手にはありがとうと言いたいです」と声を震わせていた。
81キロの巨体が東京・大手町で3度舞った。就任11年目で青学大を総合優勝に導いた原監督は「私も準備(ダイエット)しておけば良かった」と笑いながら、歓喜に酔いしれた。
箱根駅伝には縁もゆかりもない中京大出身。04年4月に青学大の監督に就任し、上層部には「3年で出場、5年でシード権、10年で優勝争い」と宣言していた。しかし、成績が出せなかった頃は「外様」と陰口をたたかれ、就任3年目の06年予選会では16位惨敗。大学幹部から「話が違う」と責められ、長距離部門も廃部寸前になった時期もあった。
ただ、指揮官には確かな自信があった。10年間務めた中国電力でのサラリーマン時代には持ち前の体力を生かして精力的に営業活動。山口・徳山市(現周南市)の営業所時代に、省エネ空調設備「エコアイス」を社内で一番売り上げて評価を上げ、新たに立ち上げた住宅関係事業の初期メンバーに選ばれるなど、能力を発揮した。
その経験から「高い目標を立て、それを実行することが大事。商品を売るにはその魅力を伝えることが必要」と選手に指導。他校ならエース級の選手にしか求めない「5000メートルで14分10秒以内」などの目標設定をさせ、自覚を促した。同時に大学側にも「広報活動につながる」と働きかけ、神奈川・相模原市内の大学キャンパスに専用グラウンドやクロカンコースを設置。さらに大手スポーツ用品メーカー・アディダスとパートナーシップ契約を結ぶなど、ブランド力アップにも努めた。
こうした環境の整備と並行して、選手のスカウトも重点的に敢行。営業時代に培った話術を武器に、相手にされなかった高校へも頻繁に通い有力選手を獲得。神野ら今回の主力は、ほぼスカウトの成果だった。そして宣言通り、箱根には09年大会で33年ぶりに出場。翌10年にはシード権を獲得し、優勝争いの目標だった10年「プラス1年」で制してみせた。
ビジネス風の合理的手法に加え「熱さも大事」。この日も、出場できなかった4年生を給水担当にするなど、絆を大切にした。箱根路に強烈すぎる新風を吹かせたカリスマ営業マンは「選手にありがとうと言いたい」と一緒に生活する“子供”たちに感謝した。
◆原 晋(はら・すすむ)1967年3月8日、広島・三原市生まれ。47歳。世羅高3年時に全国高校駅伝4区2位。中京大3年の日本インカレ5000メートル3位。89年に中国電力陸上部に1期生として入部。主将として93年の全日本実業団駅伝初出場。27歳で引退し、サラリーマン生活を経て04年青学大監督に就任。12年出雲駅伝で大学3大駅伝初優勝。176センチ、81キロ。家族は妻・美穂さん(47)。