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Channel: 丹沢最高峰 蛭ケ岳1673回超えを目指して 
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「名残のバラ」をよみがえらせる

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 手入れの行き届かない我が家のバラから、ピンクの花弁の「名残のバラ」が消えた。バラが毎年同じ木から咲いたり散ったりしても、来年また同じバラが咲くとは思えない。バラに限らず、今年咲き誇った桜もまた、今年だけの桜であった。
 

88歳のイタリアのピアニスト、アルド・チッコリーニが東京芸術劇場でリサイタルを開いた(6月18日)。黒い服のチッコリーニは舞台中央のピアノまで、杖(つえ)をついて少しずつ歩を進める。時間がかかるため拍手も宙に浮き、前の来日時よりかなり老いが感じられた。

 おじぎの後、ようやくピアノのイスに座ると、1曲目、ブラームス21歳の作品「四つのバラード」作品10を弾く前、手を上げずに鍵盤と一瞬、対峙(たいじ)した。

 直後、会場の静まりかえった空気の頁(ページ)をめくって姿を現したニ短調の和音は、深い低音と、かけ離れた高音が、響きのかなたで裏表のように張り付き、その光の透明な揺れ動きとかげりの切り込みが、悲痛となって押し寄せてくる。

 若いころの自作の多くを破棄したブラームスだが、この曲は残した。捨てきれなかったのだろう。作品のよってくるところをすべて作曲家の人生に求める必要はないが、「四つのバラード」が書かれた1854年、ブラームスは運命に襲われたと言えるほど激動の時を過ごしている。自分を見いだしてくれた作曲家、ロベルト・シューマンとピアニスト、クララの夫妻と親しくなった中で、ロベルトが川へ投身自殺を図り、ブラームスはクララを助け、愛を深める。

 曲の題材となったスコットランドのバラードは、息子が母に問い詰められて父殺しを告白してゆく中で、それは母が心理的に仕向けていた、と見えてくるギリシャ的な悲劇である。ブラームスにとって14歳年上のクララには母の要素もあっただろう。ロベルトを父代わりとして見ると、このバラードが当時のブラームスの心情そのものに思えてくる。それは、チッコリーニの演奏が、深い怜悧(れいり)をたたえた目で激情を自己のように見つめて突き詰め、こちらの心のひだに分け入る心理的体験をもたらすからであろう。チッコリーニの青春時の来歴は全く知らないが、ブラームスだけでなく、そこに若い日のチッコリーニが立ちつくしているようにも思えた。



今日はクラシック音楽の中でもっとも人気がなく、
演奏会に聴衆が集まりにくく経済効果の低い
だがしかし芸術的価値はもっとも高い
“室内楽”の公演のご紹介です。


室内楽「しつないがく」と読み、
英語はチェンバーミュージック(Chamber music)。



ピアノやヴァイオリンなどの器楽を主体とした
2名から10名前後の奏者による演奏、オーケストラと
異なり各パートがそれぞれ単独の奏者によるもので、
室内の広間や小ホールでの演奏に適した合奏の事を言います。



元来、室内楽にあたるイタリア語の
≪ムジカ・ダ・カメラ(musica da camera)≫の
カメラは王侯や貴族の邸宅内を意味する言葉。

17世紀バロック時代、教会の為でも劇場の為でもなく
お城の広間など邸宅の室内で演奏する為の小編成の
音楽作品は、ソナタ・ダ・カメラと名付けられました。

その後多くの作曲家がこの形態の作品を作曲した事から、
一つのジャンルの名前として
≪室内で奏でる音楽=室内楽≫と確立されました。



18世紀のハイドンからモーツァルト、
ベートーヴェンへかけてこのジャンルの発展の時期には、
当時の教養ある王侯貴族達の作曲依頼や資金援助が、
室内楽の高度な音楽性の確立と保持を支えたそうです。

大劇場でのオペラや、オーケストラと人気ソリストが
共演する演奏会は一般市民の娯楽の為のもので、
地味だけど優雅で繊細な室内楽は王侯貴族だけのお楽しみ、
という感じだったのかもしれません。
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室内楽の醍醐味は、一人一人が音で会話を出来る事。
毎回違う人と演奏することにより、同じ曲でも様々な表現や
音色の変化を楽しむ事が出来ます。

指揮者の小澤征爾氏も、オーケストラの練習の際には
いつも「室内楽弾いてるみたいに、一人一人聴き合って!」と
仰いますが、オーケストラの理想の形は
大人数になっても室内楽のように、
個々が生きた音楽で会話する事なのです。








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