ベートーヴェンのピアノ曲はあまりに複雑なので、公の場で演奏するのはとても難しいのです。それはベートーヴェン自身が作曲家として、またひとりの人間として複雑であったからでしょう。彼は才能がありすぎて、やることなすこと、全てにおいて完璧でした。優れた即興の技術で聴衆を驚愕させてしまう高次元のヴィルトゥオーゾでしたし、例えば、その場で与えられたテーマを即興で用いて、聴衆の目の前で変奏曲を作ってしまうような天才でした。チェロやヴィオラなど、ピアノ以外の楽器も演奏できました。彼の功績は、ひとつの大陸の様なものでしょう。もしも様々な作曲家たちを美しい島々に喩えるなら、ベートーヴェンの島は大陸と同じ程に大きい、という意味で。
<最初の一音を発する前にさえヴィルトゥオジティの存在が察せられるべき作品、「熱情」>
――多くの人がソナタ第23番「熱情」に魅了されますが、第24番がとても難しい作品であるということを意識している人は少数ですね!
同感です。これまで私が演奏してきたあらゆる音楽と比べても、第24番のソナタほど楽譜を読み込むのに苦労した作品はありません。とりわけ適切な指使いや手の動きを見出すという点において。また、このソナタを通して、ベートーヴェンのピアノ書法が当時、どれほど時代の先を行っていたのかがありありと理解することができました。もちろん、ベートーヴェンが血の通った哲学者として精神的に進歩していたこともこの曲から伺えます。
そして私は、「熱情」とはヴィルトゥオジティが存在する作品であり、最初の一音を発する前にさえ、その存在が察せられるべきであるということを学びました。ベートーヴェン自身は、この作品を書いた当時、ヴィルトゥオジティにおいて右に出るものはいませんでした。それはのちの時代や現代でも言えることでしょう。そういう意味でも私は先ほど、他の作曲家たちがそれぞれ島に喩えられるなら、ベートーヴェンは大陸だ、と述べたのです。
――なぜ「熱情」の演奏に取り掛かるまでに長い時間を要したのでしょうか?コンクールや音楽学校の試験でもおなじみの作品ですから、これまでも演奏のチャンスはあったのではないかと想像します・・・。
確かにそうですね。多くのピアノ学習者、プロのピアニストたちが、何らかの段階に達した時に挑む作品ですから。
私の場合、コンサートやCDで何度聴いても――聴くのを辞めてみても――「熱情」の本質がさっぱり分からなかったのです。「なぜこの音楽がありのままに弾かれる時、これほど美しいと感じられるのか?」という私自身の謎めいた問いに、答えを見出したい。それが私の関心の的でした。その答えを、ついに何年か前につかんだのです。それは、ベートーヴェンのソナタの楽譜を自宅の書斎で開き、ピアノに触れることなくそれを見た時でした。私の目は突然、第1楽章の2ページ目の、第一主題と第二主題をつなぐ素材に釘付けになりました。何か実に魅力的なものに遭遇してしまったのです。ソナタから、もっと見つめてほしいと誘われたような感覚をおぼえました。何度も何度も楽譜を見返したあとで、ようやくピアノでこれを弾く決心をしました。そんなわけで、非常に長い時間がかかったのです。4年ほど前の夏の、長い期間だったと記憶しています。長い時間をかけて、このソナタを理解し演奏するには、過去の知識や以前に耳にしたこと全てを忘れる必要があると悟りました。このソナタはまるで迷宮のように私を見つめました――作品自体はとても良く知っているはずなのに、現実の感覚では完全に未知の世界だったのです。それが、この作品への取り組みの始まりでした。
《ベートーヴェン・プログラム》
ピアノ・ソナタ第8番 ハ短調 op.13「悲愴」
ロンド・ア・カプリッチョ op.129 「失われた小銭への怒り」
ピアノ・ソナタ第22番 ヘ長調 op.54
ピアノ・ソナタ第23番 ヘ短調 op.57 「熱情」
ピアノ・ソナタ第24番 嬰ヘ長調 op.78
<ソナタ第22・24番は奇想天外な実験的作品>
――一方、ソナタ第24番は作曲家ベートーヴェンにとっての新しい出発点でもありました。彼は過去には無かった何か全く新しいものを生み出した芸術家といえますね。
いくつかの資料によれば、ベートーヴェン自身が第24番のソナタを気に入っていたそうですよ。それが真実であるかはさておき、確実に言えるのは、第24番は想像的な精神が遍在する作品、奇想天外な実験的作品だということです。第22番にも同様のことが言えます。彼はのちに出現する「映画」に非常に似たアプローチを行っているのではないでしょうか。いかなる「間」もおかずに、おのおのの音楽素材が、まるで連続する映像が変化を形成していくように提示されているという意味で。ごく短い音楽要素が互いに緊密に関係づけられ、それがどちらの楽章でも意外な効果を生み出しています。驚くべきは、ユーモアがやがて標題音楽の比喩的表現の一部を担うようになる前の時代に、このソナタではすでに、ユーモア――私たち人間が種として持つ長所――が表現されています。さらに驚くべきは、素材の濃縮です。つまり、あまりにも多くの音の情報が、2つのごく短い楽章の中に圧縮されているのです。それこそが、力強く、そして長く続く“精神の爆発”を形成しているのです。
<様式へのアプローチにも変化を導入したベートーヴェン>
――ところで、第22番のソナタが軽視されているのは本当に残念ですね。独特で、魅力的な発想に満ちた作品です。
おっしゃる通りです。ベートーヴェン以後、全ての時代、全ての地域の全ての作曲家が、この第22番の影響を受けています。例えばシューマンは、リズムとハーモニーの点で第22番を参考にしています。「トッカータ」がその例ですね。ブラームスの全ピアノ作品も、両手が対等に扱われているという点において、第22番の影響下にあります。ラフマニノフやグラナドス、そして20世紀のあらゆる才能ある作曲家にも、同様の指摘ができます。ベートーヴェンと同じ方法でピアノ作品を書けるものは、もはや皆無でしょう。なぜなら第22番のソナタは、ピアノの全鍵盤を駆使し、それ以前には存在しなかった高い域のヴィルトゥオジティに到達しただけでなく、様式へのアプローチにも変化をもたらしたからです。例えば、第22番の第1楽章は厳密に言えばメヌエットではありませんが、「メヌエット」という表記が、この曲の時間感覚やテンポ、性格、あるいは精神を理解できるよう導いてくれます。これは言い換えれば、フォーム(形式)を超える、ということですね。ベートーヴェンがその例を示したのちに、他の作曲家がこれに追随したのだと思います。
<今の自分にはより多くの解決策と選択肢があります>
――ポゴレリッチさんの今回のベートーヴェン・プログラムでは、難易度の高い作品ばかりが選曲されていますね。こうしたプログラムを準備し終えた今、どのような想いをお持ちですか。
このプログラムは、ベートーヴェンの表現の幅の広さ、私たちの想像を超える程の多様性、そして尽きることのない“発明の才”を象徴していると思います。それは元々、私のプログラミングの目標・目的であったわけではなく、むしろ結果として生じたことです。プログラミングをした時を振り返ってみると、それはまるで、ピアノ、さらに広い意味で音楽という山を登っているような体験でした。その間、音楽が適切に、しかし同時に心地よく流れるように、正しい動作を模索していました。何十年も前、10歳の私がこの演奏困難な作品に向き合っていた頃と同じように、自分が出くわしてしまった巨大な作品を前にして、目先の物しか見えないような感覚に陥りました。当時と現在の唯一の違いは、今では自分の手中に、より多くの解決策があるということです。自分の中にあるオプションが以前よりも増えているということですね。それでもなお、全精神と指10本をフル活用しないと扉は開きません。しかしその扉が開いた時、その向こうには想像を超える驚くべき世界、気高く美しい世界が広がっています。芸術家は体験したその世界を、聴き手に伝えることになるのです。
<全ソナタは、独自の言語を話し独自の歌を唱う、全く異なる32人のよう>
――ベートーヴェンの真髄を探求してきた過去を振り返ってみて、感じることがあれば語っていただけますか。
さきほどあなたも触れていましたが、私は20代前半にソナタ第32番を演奏し、ドイツ・グラモフォンにその録音も残しています。しかし、だからといって自動的にベートーヴェンの他のソナタを簡単に演奏できるわけではありません。全32曲のベートーヴェンのソナタはどれも、兄弟や姉妹のように似ているわけではないからです。それは喩えるなら、独自の言語を話し、独自の歌を唱う、全く異なる32人の人物に出会うことです。だからこそ私たちは、謙虚さに立ち返るわけですね。巨大な建物を目の前にし、どうにかしてそこに入りたいと願っている・・・けれども、どうすればよいかすぐには分かりません。しかし、その意図が誠実であれば、拍手喝采よりも真髄を求めるのであれば、そして時に過程において巨大なカテドラルの中で耐える覚悟があるならば、その先には宝石箱が存在し、それを目にすることができるのです。
ベートーヴェン大好きなアマチュアです。
どうしても、短調の曲(悲愴、月光、熱情、テンペストなど)が劇的で好まれる傾向がありますが、ぜひ、長調のベートーヴェンに目を向けてみてください。
すばらしい曲がたくさんあります。
悲愴、テンペストを全楽章通して弾けることを前提に考えると、次の曲、お勧めできます。
・7番 作品10−3:みずみずしい感性と野心を感じる、初期の傑作です。内田光子もアルゲリッチも、10歳のころこの曲を弾いて、天才であることを世間に知らしめました。
・18番 作品31−3:テンペストの次の曲です。2楽章と4楽章に技術的チャレンジがあり、テンペストより若干難しいですが、ユニークですばらしい曲、弾いていて楽しいです。
・27番 作品90:短調の堂々とした1楽章と、可憐な変奏曲の2楽章の対比がユニークです。演奏は全般に難しくありませんが、小さいと若干きびしいかも知れません。
・31番 作品110:深遠崇高な後期ソナタの一つ。しかし、31番は、他の後期4曲よりはるかに弾きやすく、ピアニスティック。芸術的価値は最高度です。
ユーザーID:0433691291
ご参考までに・・・ サキ 2014年5月3日 5:41
昔の本ですが、長岡敏夫(著)『ピアノの学習』音楽の友社(1972年版)に学習段階・曲目の目安が記されています。
べートーヴェン「ソナタ」(初級・中級・上級)参考学習順序:
No.20(中1)→ No.19(中2)→ No.25(中3)→ No.9(中4)→ No.1(中4−上1)→ No.10(中5)→ No.6(中5)→ No.5(中5)→
No.7(上1)→ No.12(上1)→ No.8(上1)→ No.13(上1)→ No.15(上1)→ No.11(上1)→
No.2 (上2)→ No.3(上2)→ No.24(上2)→ No.27(上2)→ No.4(上2)→ No.17(上2)→
No.22(上3)→ No.18(上3)→ No.14(上3)→ NO.16(上3)→ No.30(上4)→ No.31(上4)→ No.26(上4)→ No.21(上4)→
NO.23(上5)→ No.28(上5)→ No.32(上5)→ No.29(上5) ご参考まで。
ピアノは小さなオーケストラ!フレーズごと、自由に編成楽器を思い浮かべながら弾くともっと楽しくなりますよ。
ユーザーID:7627774119
トピ主です aki(トピ主) 2014年5月5日 22:35
トピ主です。
お二方ともレスありがとうございます!
とても参考になります。
素人ピアノ弾きさん
そうですね、私もかつては短調のドラマティックなソナタが好きでしたが、(といっても本当に有名なものしか知らないのですが(汗))練習中のテンペストも、かつてはつまらないと思っていた第二楽章に惹かれるようになりました。ですので、長調のおすすめソナタはとてもタイムリーで嬉しいです。できたら、初期のものから順番に弾いてみたいと思います。本当にありがとうございます!
サキさん
アドバイス、ありがとうございます。こんな本があるんですね!悲愴が上1で、テンペストが上2ですね。だいたいこのあたりを目安にしてみます。編成楽器を思い浮かべる、なるほど…。これまで考えた事なかったですが、すごく面白そうです。これまで、勝手にピアノ曲とオーケストラの曲は別物と思ってきましたが、そんなことないですね。教えていただいて開眼(笑)しました!
<最初の一音を発する前にさえヴィルトゥオジティの存在が察せられるべき作品、「熱情」>
――多くの人がソナタ第23番「熱情」に魅了されますが、第24番がとても難しい作品であるということを意識している人は少数ですね!
同感です。これまで私が演奏してきたあらゆる音楽と比べても、第24番のソナタほど楽譜を読み込むのに苦労した作品はありません。とりわけ適切な指使いや手の動きを見出すという点において。また、このソナタを通して、ベートーヴェンのピアノ書法が当時、どれほど時代の先を行っていたのかがありありと理解することができました。もちろん、ベートーヴェンが血の通った哲学者として精神的に進歩していたこともこの曲から伺えます。
そして私は、「熱情」とはヴィルトゥオジティが存在する作品であり、最初の一音を発する前にさえ、その存在が察せられるべきであるということを学びました。ベートーヴェン自身は、この作品を書いた当時、ヴィルトゥオジティにおいて右に出るものはいませんでした。それはのちの時代や現代でも言えることでしょう。そういう意味でも私は先ほど、他の作曲家たちがそれぞれ島に喩えられるなら、ベートーヴェンは大陸だ、と述べたのです。
――なぜ「熱情」の演奏に取り掛かるまでに長い時間を要したのでしょうか?コンクールや音楽学校の試験でもおなじみの作品ですから、これまでも演奏のチャンスはあったのではないかと想像します・・・。
確かにそうですね。多くのピアノ学習者、プロのピアニストたちが、何らかの段階に達した時に挑む作品ですから。
私の場合、コンサートやCDで何度聴いても――聴くのを辞めてみても――「熱情」の本質がさっぱり分からなかったのです。「なぜこの音楽がありのままに弾かれる時、これほど美しいと感じられるのか?」という私自身の謎めいた問いに、答えを見出したい。それが私の関心の的でした。その答えを、ついに何年か前につかんだのです。それは、ベートーヴェンのソナタの楽譜を自宅の書斎で開き、ピアノに触れることなくそれを見た時でした。私の目は突然、第1楽章の2ページ目の、第一主題と第二主題をつなぐ素材に釘付けになりました。何か実に魅力的なものに遭遇してしまったのです。ソナタから、もっと見つめてほしいと誘われたような感覚をおぼえました。何度も何度も楽譜を見返したあとで、ようやくピアノでこれを弾く決心をしました。そんなわけで、非常に長い時間がかかったのです。4年ほど前の夏の、長い期間だったと記憶しています。長い時間をかけて、このソナタを理解し演奏するには、過去の知識や以前に耳にしたこと全てを忘れる必要があると悟りました。このソナタはまるで迷宮のように私を見つめました――作品自体はとても良く知っているはずなのに、現実の感覚では完全に未知の世界だったのです。それが、この作品への取り組みの始まりでした。
《ベートーヴェン・プログラム》
ピアノ・ソナタ第8番 ハ短調 op.13「悲愴」
ロンド・ア・カプリッチョ op.129 「失われた小銭への怒り」
ピアノ・ソナタ第22番 ヘ長調 op.54
ピアノ・ソナタ第23番 ヘ短調 op.57 「熱情」
ピアノ・ソナタ第24番 嬰ヘ長調 op.78
<ソナタ第22・24番は奇想天外な実験的作品>
――一方、ソナタ第24番は作曲家ベートーヴェンにとっての新しい出発点でもありました。彼は過去には無かった何か全く新しいものを生み出した芸術家といえますね。
いくつかの資料によれば、ベートーヴェン自身が第24番のソナタを気に入っていたそうですよ。それが真実であるかはさておき、確実に言えるのは、第24番は想像的な精神が遍在する作品、奇想天外な実験的作品だということです。第22番にも同様のことが言えます。彼はのちに出現する「映画」に非常に似たアプローチを行っているのではないでしょうか。いかなる「間」もおかずに、おのおのの音楽素材が、まるで連続する映像が変化を形成していくように提示されているという意味で。ごく短い音楽要素が互いに緊密に関係づけられ、それがどちらの楽章でも意外な効果を生み出しています。驚くべきは、ユーモアがやがて標題音楽の比喩的表現の一部を担うようになる前の時代に、このソナタではすでに、ユーモア――私たち人間が種として持つ長所――が表現されています。さらに驚くべきは、素材の濃縮です。つまり、あまりにも多くの音の情報が、2つのごく短い楽章の中に圧縮されているのです。それこそが、力強く、そして長く続く“精神の爆発”を形成しているのです。
<様式へのアプローチにも変化を導入したベートーヴェン>
――ところで、第22番のソナタが軽視されているのは本当に残念ですね。独特で、魅力的な発想に満ちた作品です。
おっしゃる通りです。ベートーヴェン以後、全ての時代、全ての地域の全ての作曲家が、この第22番の影響を受けています。例えばシューマンは、リズムとハーモニーの点で第22番を参考にしています。「トッカータ」がその例ですね。ブラームスの全ピアノ作品も、両手が対等に扱われているという点において、第22番の影響下にあります。ラフマニノフやグラナドス、そして20世紀のあらゆる才能ある作曲家にも、同様の指摘ができます。ベートーヴェンと同じ方法でピアノ作品を書けるものは、もはや皆無でしょう。なぜなら第22番のソナタは、ピアノの全鍵盤を駆使し、それ以前には存在しなかった高い域のヴィルトゥオジティに到達しただけでなく、様式へのアプローチにも変化をもたらしたからです。例えば、第22番の第1楽章は厳密に言えばメヌエットではありませんが、「メヌエット」という表記が、この曲の時間感覚やテンポ、性格、あるいは精神を理解できるよう導いてくれます。これは言い換えれば、フォーム(形式)を超える、ということですね。ベートーヴェンがその例を示したのちに、他の作曲家がこれに追随したのだと思います。
<今の自分にはより多くの解決策と選択肢があります>
――ポゴレリッチさんの今回のベートーヴェン・プログラムでは、難易度の高い作品ばかりが選曲されていますね。こうしたプログラムを準備し終えた今、どのような想いをお持ちですか。
このプログラムは、ベートーヴェンの表現の幅の広さ、私たちの想像を超える程の多様性、そして尽きることのない“発明の才”を象徴していると思います。それは元々、私のプログラミングの目標・目的であったわけではなく、むしろ結果として生じたことです。プログラミングをした時を振り返ってみると、それはまるで、ピアノ、さらに広い意味で音楽という山を登っているような体験でした。その間、音楽が適切に、しかし同時に心地よく流れるように、正しい動作を模索していました。何十年も前、10歳の私がこの演奏困難な作品に向き合っていた頃と同じように、自分が出くわしてしまった巨大な作品を前にして、目先の物しか見えないような感覚に陥りました。当時と現在の唯一の違いは、今では自分の手中に、より多くの解決策があるということです。自分の中にあるオプションが以前よりも増えているということですね。それでもなお、全精神と指10本をフル活用しないと扉は開きません。しかしその扉が開いた時、その向こうには想像を超える驚くべき世界、気高く美しい世界が広がっています。芸術家は体験したその世界を、聴き手に伝えることになるのです。
<全ソナタは、独自の言語を話し独自の歌を唱う、全く異なる32人のよう>
――ベートーヴェンの真髄を探求してきた過去を振り返ってみて、感じることがあれば語っていただけますか。
さきほどあなたも触れていましたが、私は20代前半にソナタ第32番を演奏し、ドイツ・グラモフォンにその録音も残しています。しかし、だからといって自動的にベートーヴェンの他のソナタを簡単に演奏できるわけではありません。全32曲のベートーヴェンのソナタはどれも、兄弟や姉妹のように似ているわけではないからです。それは喩えるなら、独自の言語を話し、独自の歌を唱う、全く異なる32人の人物に出会うことです。だからこそ私たちは、謙虚さに立ち返るわけですね。巨大な建物を目の前にし、どうにかしてそこに入りたいと願っている・・・けれども、どうすればよいかすぐには分かりません。しかし、その意図が誠実であれば、拍手喝采よりも真髄を求めるのであれば、そして時に過程において巨大なカテドラルの中で耐える覚悟があるならば、その先には宝石箱が存在し、それを目にすることができるのです。
ベートーヴェン大好きなアマチュアです。
どうしても、短調の曲(悲愴、月光、熱情、テンペストなど)が劇的で好まれる傾向がありますが、ぜひ、長調のベートーヴェンに目を向けてみてください。
すばらしい曲がたくさんあります。
悲愴、テンペストを全楽章通して弾けることを前提に考えると、次の曲、お勧めできます。
・7番 作品10−3:みずみずしい感性と野心を感じる、初期の傑作です。内田光子もアルゲリッチも、10歳のころこの曲を弾いて、天才であることを世間に知らしめました。
・18番 作品31−3:テンペストの次の曲です。2楽章と4楽章に技術的チャレンジがあり、テンペストより若干難しいですが、ユニークですばらしい曲、弾いていて楽しいです。
・27番 作品90:短調の堂々とした1楽章と、可憐な変奏曲の2楽章の対比がユニークです。演奏は全般に難しくありませんが、小さいと若干きびしいかも知れません。
・31番 作品110:深遠崇高な後期ソナタの一つ。しかし、31番は、他の後期4曲よりはるかに弾きやすく、ピアニスティック。芸術的価値は最高度です。
ユーザーID:0433691291
ご参考までに・・・ サキ 2014年5月3日 5:41
昔の本ですが、長岡敏夫(著)『ピアノの学習』音楽の友社(1972年版)に学習段階・曲目の目安が記されています。
べートーヴェン「ソナタ」(初級・中級・上級)参考学習順序:
No.20(中1)→ No.19(中2)→ No.25(中3)→ No.9(中4)→ No.1(中4−上1)→ No.10(中5)→ No.6(中5)→ No.5(中5)→
No.7(上1)→ No.12(上1)→ No.8(上1)→ No.13(上1)→ No.15(上1)→ No.11(上1)→
No.2 (上2)→ No.3(上2)→ No.24(上2)→ No.27(上2)→ No.4(上2)→ No.17(上2)→
No.22(上3)→ No.18(上3)→ No.14(上3)→ NO.16(上3)→ No.30(上4)→ No.31(上4)→ No.26(上4)→ No.21(上4)→
NO.23(上5)→ No.28(上5)→ No.32(上5)→ No.29(上5) ご参考まで。
ピアノは小さなオーケストラ!フレーズごと、自由に編成楽器を思い浮かべながら弾くともっと楽しくなりますよ。
ユーザーID:7627774119
トピ主です aki(トピ主) 2014年5月5日 22:35
トピ主です。
お二方ともレスありがとうございます!
とても参考になります。
素人ピアノ弾きさん
そうですね、私もかつては短調のドラマティックなソナタが好きでしたが、(といっても本当に有名なものしか知らないのですが(汗))練習中のテンペストも、かつてはつまらないと思っていた第二楽章に惹かれるようになりました。ですので、長調のおすすめソナタはとてもタイムリーで嬉しいです。できたら、初期のものから順番に弾いてみたいと思います。本当にありがとうございます!
サキさん
アドバイス、ありがとうございます。こんな本があるんですね!悲愴が上1で、テンペストが上2ですね。だいたいこのあたりを目安にしてみます。編成楽器を思い浮かべる、なるほど…。これまで考えた事なかったですが、すごく面白そうです。これまで、勝手にピアノ曲とオーケストラの曲は別物と思ってきましたが、そんなことないですね。教えていただいて開眼(笑)しました!