BSプレミアム クラシック倶楽部 2014年6月5日
ユリアンナ・アヴデーエワ ピアノ・リサイタル
ソナチネ ラヴェル作曲
ピアノ・ソナタ 第2番 ニ短調 作品14 プロコフィエフ作曲
歌劇”タンホイザー”序曲 ワーグナー作曲、リスト編曲
18の小品 作品72より”めい想曲” チャイコフスキー作曲
ピアノ:ユリアンナ・アヴデーエワ
[収録:2011年11月5日/東京オペラシティーコンサートホール]
ユリアンナ・アヴデーエワ
2010年、ワルシャワで開催された第16回ショパン国際コンクールにおけるセンセーショナルな優勝により、ユリアンナ・アヴデーエワは世界の舞台で一躍注目を浴びる事になった。ワルシャワおよびニューヨークでのアラン・ギルバート指揮ニューヨーク・フィルハーモニックとの共演、東京でのシャルル・デュトワ指揮NHK交響楽団との共演には大きな期待が寄せられ、ロンドンのサウス・バンク・センター主催による「インターナショナル・ピアノ・シリーズ」の一環でクイーン・エリザベス・ホールにて行われる彼女のリサイタルへの関心も高まっている。これら全ての公演に登場すりのが、世界屈指のコンクールの覇者ユリアンナ・エヴデーエワなのである。
ユリアンナ・アヴデーエワはショパン国際コンクールで女性として45年ぶりに第1位に輝くのみならず、高名な審査員たちより、クリスティアン・ツィメルマン最優秀ソナタ演奏特別賞も授与された。これまで既に、ブレーメン・ピアノ・コンクール(2003年)やジュネーヴ国際コンクール(2006年)を初めとする多くの著名な国際コンクールで優秀な成績を収めており、それ以前にも、20歳という若さでカール・ツェルニー若手ピアニストのためのコンクール(プラハ)で優勝するなど頭角を現していた。そのほか、アルトゥール・ルービンシュタイン記念若手ピアニストのためのコンクール、A.M.A.カラブリア国際ピアノ・コンクールでも第1位を獲得している。
1985年、モスクワ生まれ。幼い頃よりその芸術の才を育み、弱冠5歳より、突出した才能のある若手音楽家のためのグネーシン特別音楽学校にて、エレナ・イヴァノワのもとでピアノを学ぶ。2003年、スイスに留学しチューリッヒ芸術大学にてコンスタンティン・シチェルバコフに師事し、2006年から2009年まで、シチェルバコフの助手を務めた。並行して、愛着ある故郷モスクワでも勉強続け、グネーシン音楽院のウラディーミル・トロップのもとで学んだ。2008年、チューリッヒおよびモスクワの学校をトップレヴェルの成績で卒業。同年、W.G.ナポレが主催する名高いコモ湖国際ピアノ・アカデミーに入学し、著名なピアニストたちの貴重な薫陶を受けている。
BSプレミアム クラシック倶楽部 2014年6月2日
マキシム・ヴェンゲーロフ バイオリン・リサイタル
バイオリン・ソナタ第4番二長調作品1第13 ヘンデル作曲
バイオリン・ソナタイ長調 フランク作曲
夢のあとに フォーレ作曲
ハンガリー舞曲 第5番 ブラームス作曲
バイオリン:マキシム・ヴェンゲーロフ
ピアノ:ヴァグ・パピアン
[収録:2013年6月12日/サントリーホール]
マキシム・ヴェンゲーロフ
マクシム・アレクサンドロヴィチ・ヴェンゲーロフ(ロシア語:Максим Александрович Венгеров、Maxim Aleksandrovich Vengerov、1974年8月20日 - )はシベリアのノヴォシビルスク出身のロシアのヴァイオリニスト、指揮者。ユダヤ系で、イスラエル在住。
5歳からガリーナ・トゥルチャニノーヴァに師事した。その後伝説的なヴァイオリン教師ザハール・ブロンに師事し、わずか10歳でポーランドのリピンスキ・ヴィエニヤフスキ国際コンクールジュニア部門で優勝。その後、モスクワやレニングラード(現サンクトペテルブルク)で凱旋コンサートを行い、間もなくロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団や、BBCフィルハーモニック、ソビエト国立交響楽団と共演した。
1995年に、プロコフィエフとショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲のCDにより、グラモフォン賞の年間最優秀賞と、協奏曲部門最優秀賞に輝き、グラミー賞にもノミネートされた。1997年にはアメリカ合衆国各地で華々しい演奏活動に取り組む。現在はロンドンで王立音楽アカデミーの客員教授を務めている。 使用楽器は1727年製のストラディヴァリウス「クロイツェル」。クリスティーズに競売にかけらたところをen:Yoko_Nagae_Ceschina(ゲルギエフの支援者としても知られる)の援助を受け、購入する。[1]
弓はハイフェッツが使用していた弓を使用している。[2]
華麗な技巧と豊かな表現性のヴァイオリン演奏は人気を博したが、2007年には右肩の故障のために、プロムスでの演奏をキャンセルしたほか、公演のキャンセルが相次いだ。2008年から演奏活動の休止を宣言し[3]、以降は指導者、指揮者としての活動に専念していた。2011年から再びヴァイオリンの演奏活動を再開し、2012年2月にはロンドンの王立音楽アカデミーの教授に就任した[4][5]。
BSプレミアム クラシック倶楽部 2014年3月31日
リーズ・ドゥ・ラ・ラサール ピアノ・リサイタル
バラード 第2番 ロ短調 リスト作曲
”詩的で宗教的な調べ”から”葬送曲” リスト作曲
涙の日よ モーツアルト作曲
リスト編曲
セレナード シューベルト作曲
リスト編曲
イゾルデの愛の死 ワーグナー作曲
リスト編曲
ピアノ:リーズ・ドゥ・ラ・サール
[2011年5月17日, 東京・紀尾井ホールで収録]
リーズ・ドゥ・ラ・サール
1988年、フランスのシェルブール生まれ。4歳でパリのセルゲイ・ラフマニノフ音楽院に学び、8歳でパリ音楽院に入学。12歳でプルミエ・プリで卒業。9歳で行われた初リサイタルはラジオ・フランスで放送された。2001年の第7回エトリンゲン国際ピアノ・コンクールに出場して第1位となり、併せてベーレンライター賞を受賞。1998年から2006年までパリ音楽院の大学院課程でパスカル・ネミロフスキやブルーノ・リグットに学んだほか、ジュヌヴィエーヴ・ジョワから助言を受けている。
2001年から国際的な演奏活動を開始し、ベルリンのフィルハーモニーザール、ハリウッド・ボウル、東京芸術劇場、ウィグモア・ホール、メトロポリタン美術館、アムステルダム・コンセルトヘボウ、シャンゼリゼ劇場などで演奏を行っている。ほかに、シュレスヴィッヒ=ホルシュタイン音楽祭などに参加している。
ジェームズ・コンロン、ファビオ・ルイジ、フィリップ・ヘレヴェッへといった指揮者と継続的に共演を行っているほか、チャールズ・マッケラス、マレク・ヤノフスキ、セミヨン・ビシュコフ、ローレンス・フォスターなどと共演している。
これまでに、WRDケルン放送響、ワイマール・シュターツカペレ、パリ室内管、グルベンキアン管、バルギー国立管、リヨン国立管、サンクトペテルブルク響など数多くのオーケストラと共演を行っている。
日本では5月のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンに続いて7月にルイジ指揮PMFオーケストラのソリストとして札幌、大阪、東京でショパンの2番を演奏、各地で絶賛を博した。
BSプレミアム クラシック倶楽部 2014年6月18日
インゴルフ・ヴィンダー ピアノ・リサイタル
超絶技巧練習曲から 夕べの調べ リスト作曲
ピアノ・ソナタ 第3番 ロ短調作品58 ショパン作曲
アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズ ショパン作曲
[収録:2012年4月17日/紀尾井ホール]
インゴルフ・ヴィンダー
1985年、オーストリア生まれ。4歳でバイオリンを始め、その後、ピアノにおける類いまれな才能が見出されたことにより、14歳でピアノに転向。クラーゲンフルトおよびリンツの音楽院を経てウィーン国立音楽大学を卒業。アダム・ハラシェヴィチに師事する。
14歳でウィーン・コンツェルトハウスのシューベルト・ザールにデビュー、2年後には、パリのシャンゼリゼ劇場で、クリヴィン指揮フランス国立管弦楽団と共演。また、セムコフの指揮で、ポーランド放送アマデウス室内管弦楽団やモンペリエ国立管弦楽団とも共演。 2010年、ショパン国際ピアノコンクールで卓越した演奏を披露し2位に入賞、併せてコンチェルト賞、幻想ポロネーズ賞などの特別賞も受賞し、ショパンの名手として世界にその名を知らしめた。2011年にはショパン国際コンクールの受賞者たちと共に日本へのツアーを行い、大成功を収めた。これまでに、ヨーロッパ各地や、アメリカ、ロシア、アルゼンチン、中国など、世界各地で公演を行っている。今シーズンは、ポーランド、ウィーン、ベルリン、チューリッヒなどでの公演を予定している。
2011年1月より、ドイツ・グラモフォン社と専属契約を結び、6月にデビュー・アルバム「ショパン・リサイタル」をリリースしている。
BSプレミアム クラシック倶楽部 2014年5月27日
三浦文彰 バイオリン・リサイタル
ディヴェルティメント ストラヴィンスキー作曲
バイオリン・ソナタ 第2番 二長調 作品94a
プロコフィエフ作曲
バイオリン:三浦文彰
ピアノ:イタマール・ゴラン
[2011年7月8日, 東京オペラシティホールにて収録]
三浦文彰
東京都出身。両親ともにバイオリニストの音楽一家に生まれ、3歳よりバイオリンを始め安田廣務に師事。6歳から徳永二男に師事。2003年、04年と全日本学生音楽コンクール東京大会小学校の部第2位。2006年4月、ユーディ・メニューイン国際バイオリンコンクール・ジュニア部門第2位。11歳で初のリサイタルを行う。
これまでに東京交響楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団、札幌交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団などと共演。ザハール・ブロン、ジャン=ジャック・カントロフ、チョーリャン・リン、パヴェル・ヴェルニコフに師事。第1、2回ミュージック・アカデミーinみやざきにて最優秀賞を受賞。2009年4月、桐朋学園高等学校音楽科入学。9月より(財)明治安田生命クオリティブライフ文化財団より奨学金を得て、ウィーンコンセルヴァトリウム私立音楽大学に入学、P.ヴェルニコフのもとで研鑽を積んでいる。
ユリアンナ・アヴデーエワ ピアノ・リサイタル
ソナチネ ラヴェル作曲
ピアノ・ソナタ 第2番 ニ短調 作品14 プロコフィエフ作曲
歌劇”タンホイザー”序曲 ワーグナー作曲、リスト編曲
18の小品 作品72より”めい想曲” チャイコフスキー作曲
ピアノ:ユリアンナ・アヴデーエワ
[収録:2011年11月5日/東京オペラシティーコンサートホール]
ユリアンナ・アヴデーエワ
2010年、ワルシャワで開催された第16回ショパン国際コンクールにおけるセンセーショナルな優勝により、ユリアンナ・アヴデーエワは世界の舞台で一躍注目を浴びる事になった。ワルシャワおよびニューヨークでのアラン・ギルバート指揮ニューヨーク・フィルハーモニックとの共演、東京でのシャルル・デュトワ指揮NHK交響楽団との共演には大きな期待が寄せられ、ロンドンのサウス・バンク・センター主催による「インターナショナル・ピアノ・シリーズ」の一環でクイーン・エリザベス・ホールにて行われる彼女のリサイタルへの関心も高まっている。これら全ての公演に登場すりのが、世界屈指のコンクールの覇者ユリアンナ・エヴデーエワなのである。
ユリアンナ・アヴデーエワはショパン国際コンクールで女性として45年ぶりに第1位に輝くのみならず、高名な審査員たちより、クリスティアン・ツィメルマン最優秀ソナタ演奏特別賞も授与された。これまで既に、ブレーメン・ピアノ・コンクール(2003年)やジュネーヴ国際コンクール(2006年)を初めとする多くの著名な国際コンクールで優秀な成績を収めており、それ以前にも、20歳という若さでカール・ツェルニー若手ピアニストのためのコンクール(プラハ)で優勝するなど頭角を現していた。そのほか、アルトゥール・ルービンシュタイン記念若手ピアニストのためのコンクール、A.M.A.カラブリア国際ピアノ・コンクールでも第1位を獲得している。
1985年、モスクワ生まれ。幼い頃よりその芸術の才を育み、弱冠5歳より、突出した才能のある若手音楽家のためのグネーシン特別音楽学校にて、エレナ・イヴァノワのもとでピアノを学ぶ。2003年、スイスに留学しチューリッヒ芸術大学にてコンスタンティン・シチェルバコフに師事し、2006年から2009年まで、シチェルバコフの助手を務めた。並行して、愛着ある故郷モスクワでも勉強続け、グネーシン音楽院のウラディーミル・トロップのもとで学んだ。2008年、チューリッヒおよびモスクワの学校をトップレヴェルの成績で卒業。同年、W.G.ナポレが主催する名高いコモ湖国際ピアノ・アカデミーに入学し、著名なピアニストたちの貴重な薫陶を受けている。
BSプレミアム クラシック倶楽部 2014年6月2日
マキシム・ヴェンゲーロフ バイオリン・リサイタル
バイオリン・ソナタ第4番二長調作品1第13 ヘンデル作曲
バイオリン・ソナタイ長調 フランク作曲
夢のあとに フォーレ作曲
ハンガリー舞曲 第5番 ブラームス作曲
バイオリン:マキシム・ヴェンゲーロフ
ピアノ:ヴァグ・パピアン
[収録:2013年6月12日/サントリーホール]
マキシム・ヴェンゲーロフ
マクシム・アレクサンドロヴィチ・ヴェンゲーロフ(ロシア語:Максим Александрович Венгеров、Maxim Aleksandrovich Vengerov、1974年8月20日 - )はシベリアのノヴォシビルスク出身のロシアのヴァイオリニスト、指揮者。ユダヤ系で、イスラエル在住。
5歳からガリーナ・トゥルチャニノーヴァに師事した。その後伝説的なヴァイオリン教師ザハール・ブロンに師事し、わずか10歳でポーランドのリピンスキ・ヴィエニヤフスキ国際コンクールジュニア部門で優勝。その後、モスクワやレニングラード(現サンクトペテルブルク)で凱旋コンサートを行い、間もなくロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団や、BBCフィルハーモニック、ソビエト国立交響楽団と共演した。
1995年に、プロコフィエフとショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲のCDにより、グラモフォン賞の年間最優秀賞と、協奏曲部門最優秀賞に輝き、グラミー賞にもノミネートされた。1997年にはアメリカ合衆国各地で華々しい演奏活動に取り組む。現在はロンドンで王立音楽アカデミーの客員教授を務めている。 使用楽器は1727年製のストラディヴァリウス「クロイツェル」。クリスティーズに競売にかけらたところをen:Yoko_Nagae_Ceschina(ゲルギエフの支援者としても知られる)の援助を受け、購入する。[1]
弓はハイフェッツが使用していた弓を使用している。[2]
華麗な技巧と豊かな表現性のヴァイオリン演奏は人気を博したが、2007年には右肩の故障のために、プロムスでの演奏をキャンセルしたほか、公演のキャンセルが相次いだ。2008年から演奏活動の休止を宣言し[3]、以降は指導者、指揮者としての活動に専念していた。2011年から再びヴァイオリンの演奏活動を再開し、2012年2月にはロンドンの王立音楽アカデミーの教授に就任した[4][5]。
BSプレミアム クラシック倶楽部 2014年3月31日
リーズ・ドゥ・ラ・ラサール ピアノ・リサイタル
バラード 第2番 ロ短調 リスト作曲
”詩的で宗教的な調べ”から”葬送曲” リスト作曲
涙の日よ モーツアルト作曲
リスト編曲
セレナード シューベルト作曲
リスト編曲
イゾルデの愛の死 ワーグナー作曲
リスト編曲
ピアノ:リーズ・ドゥ・ラ・サール
[2011年5月17日, 東京・紀尾井ホールで収録]
リーズ・ドゥ・ラ・サール
1988年、フランスのシェルブール生まれ。4歳でパリのセルゲイ・ラフマニノフ音楽院に学び、8歳でパリ音楽院に入学。12歳でプルミエ・プリで卒業。9歳で行われた初リサイタルはラジオ・フランスで放送された。2001年の第7回エトリンゲン国際ピアノ・コンクールに出場して第1位となり、併せてベーレンライター賞を受賞。1998年から2006年までパリ音楽院の大学院課程でパスカル・ネミロフスキやブルーノ・リグットに学んだほか、ジュヌヴィエーヴ・ジョワから助言を受けている。
2001年から国際的な演奏活動を開始し、ベルリンのフィルハーモニーザール、ハリウッド・ボウル、東京芸術劇場、ウィグモア・ホール、メトロポリタン美術館、アムステルダム・コンセルトヘボウ、シャンゼリゼ劇場などで演奏を行っている。ほかに、シュレスヴィッヒ=ホルシュタイン音楽祭などに参加している。
ジェームズ・コンロン、ファビオ・ルイジ、フィリップ・ヘレヴェッへといった指揮者と継続的に共演を行っているほか、チャールズ・マッケラス、マレク・ヤノフスキ、セミヨン・ビシュコフ、ローレンス・フォスターなどと共演している。
これまでに、WRDケルン放送響、ワイマール・シュターツカペレ、パリ室内管、グルベンキアン管、バルギー国立管、リヨン国立管、サンクトペテルブルク響など数多くのオーケストラと共演を行っている。
日本では5月のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンに続いて7月にルイジ指揮PMFオーケストラのソリストとして札幌、大阪、東京でショパンの2番を演奏、各地で絶賛を博した。
BSプレミアム クラシック倶楽部 2014年6月18日
インゴルフ・ヴィンダー ピアノ・リサイタル
超絶技巧練習曲から 夕べの調べ リスト作曲
ピアノ・ソナタ 第3番 ロ短調作品58 ショパン作曲
アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズ ショパン作曲
[収録:2012年4月17日/紀尾井ホール]
インゴルフ・ヴィンダー
1985年、オーストリア生まれ。4歳でバイオリンを始め、その後、ピアノにおける類いまれな才能が見出されたことにより、14歳でピアノに転向。クラーゲンフルトおよびリンツの音楽院を経てウィーン国立音楽大学を卒業。アダム・ハラシェヴィチに師事する。
14歳でウィーン・コンツェルトハウスのシューベルト・ザールにデビュー、2年後には、パリのシャンゼリゼ劇場で、クリヴィン指揮フランス国立管弦楽団と共演。また、セムコフの指揮で、ポーランド放送アマデウス室内管弦楽団やモンペリエ国立管弦楽団とも共演。 2010年、ショパン国際ピアノコンクールで卓越した演奏を披露し2位に入賞、併せてコンチェルト賞、幻想ポロネーズ賞などの特別賞も受賞し、ショパンの名手として世界にその名を知らしめた。2011年にはショパン国際コンクールの受賞者たちと共に日本へのツアーを行い、大成功を収めた。これまでに、ヨーロッパ各地や、アメリカ、ロシア、アルゼンチン、中国など、世界各地で公演を行っている。今シーズンは、ポーランド、ウィーン、ベルリン、チューリッヒなどでの公演を予定している。
2011年1月より、ドイツ・グラモフォン社と専属契約を結び、6月にデビュー・アルバム「ショパン・リサイタル」をリリースしている。
BSプレミアム クラシック倶楽部 2014年5月27日
三浦文彰 バイオリン・リサイタル
ディヴェルティメント ストラヴィンスキー作曲
バイオリン・ソナタ 第2番 二長調 作品94a
プロコフィエフ作曲
バイオリン:三浦文彰
ピアノ:イタマール・ゴラン
[2011年7月8日, 東京オペラシティホールにて収録]
三浦文彰
東京都出身。両親ともにバイオリニストの音楽一家に生まれ、3歳よりバイオリンを始め安田廣務に師事。6歳から徳永二男に師事。2003年、04年と全日本学生音楽コンクール東京大会小学校の部第2位。2006年4月、ユーディ・メニューイン国際バイオリンコンクール・ジュニア部門第2位。11歳で初のリサイタルを行う。
これまでに東京交響楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団、札幌交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団などと共演。ザハール・ブロン、ジャン=ジャック・カントロフ、チョーリャン・リン、パヴェル・ヴェルニコフに師事。第1、2回ミュージック・アカデミーinみやざきにて最優秀賞を受賞。2009年4月、桐朋学園高等学校音楽科入学。9月より(財)明治安田生命クオリティブライフ文化財団より奨学金を得て、ウィーンコンセルヴァトリウム私立音楽大学に入学、P.ヴェルニコフのもとで研鑽を積んでいる。