初めてクラシック音楽を聴き始めた頃、モーツアルト・ピアノコンチェルト27の音色が真綿で敷き詰められたような純白の美しい響きに魅了された
鎌倉芸術館のライブは、シューベルトピアノソナタ19の響きに圧倒
あれから25年は経ち、ベライア先生も66歳になられた
私も同じだけ、あの頃から齢を取り、多くのピアニストの音色を楽しんだ
ペライア先生の音色のマジックは、あの頃の切れ味はなくなったけれど、とっても好い演奏に変わりはないです
あの頃に戻りたいです
1月24日(金) 午前6時00分〜6時55分
クラシック倶楽部 ペライア ピアノ・リサイタル バッハ ベートーベン
「フランス組曲 第4番 ホ長調 BWV815」
(作曲)バッハ、(ピアノ)マレー・ペライア
「ピアノ・ソナタ 第23番 ヘ短調 作品57“熱情”」
(作曲)ベートーベン、(ピアノ)マレー・ペライア
「即興曲 第2番 変ホ長調 作品90 第2」
(作曲)シューベルト、(ピアノ)マレー・ペライア
2013-10-25 00:49:46
テーマ:コンサート評
マレイ・ペライアのピアノ・リサイタルを、サントリーホールにて。
J.S.バッハ: フランス組曲第4番 変ホ長調 BWV815
ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第23番 ヘ短調 op.57 「熱情」
シューマン: ウィーンの謝肉祭の道化 op.26
ショパン: 即興曲第2番 嬰ヘ長調 op.36
: スケルツォ第2番 変ロ短調 op.31
(アンコール)
シューベルト:即興曲 op.90-2
ショパン:練習曲 op.10-4
ショパン:練習曲 op.25-1 「エオリアン・ハープ」
ショパン:ノクターン op.15-1
現代最高のピアニストの一人であるマレイ・ペライア。
私は子供の頃からCBSのアーティストとして彼の名前は知っていながら、実演に接したのは遅くて2002年の来日公演である。そのときは協奏曲1曲だけであまり記憶にないのだが、2011年の来日公演のリサイタルで圧倒されてしまった。
http://ameblo.jp/takemitsu189/entry-11070052951.html
実は彼、右手親指の故障で大変に苦しんだ時期があって、それまで演奏会が中止になったり、不調な演奏があったと伝えられている。
2011年来日の続く今日の演奏、実に見事であった!アンコールを4曲も弾いたし、おそらく本人も満足している出来ではなかろうか。
前半はバッハとベートーヴェン。
冒頭のバッハ、一切の飾りはないが、温かさを感じるまろやかな音で、格調高く気品があるのである。この人らしい、まっすぐで正直な性格を思わせる演奏である。
次のベートーヴェンがすごかった。熱情、この曲は演奏効果抜群で、バリバリ弾けばそれだけで盛り上がる曲であるが、ペライアの弾く熱情ソナタは外面的な派手さとかきらびやかさとかとは無縁の、一つ一つかみしめるような、謹厳実直に作品と向き合った演奏で、心の底から深い感動を覚える。この熱情だけでもうお腹いっぱいになりそう。
前半の三大Bのうちの二人、バッハ、ベートーヴェンの演奏が、三大Bのドイツ的な音とはちょっと違って、丸くて温かいぬくもりを感じさせる音楽であったのに対し、後半は音色が一変して驚き。休憩中に赤ワインを飲んで私の聴覚が変化してしまったのだろうか?シューマンの冒頭の和音から、力強く明快で抜けるような音に変化していたのである。実に快活で、鮮やかなシューマンの後はショパン。詩情と歌心にあふれ、静かな祈りのようであるが、スケルツォ第2番の最後などはとても熱さをも兼ね備えている。
前半も後半も、演奏を終えたペライアは極度の集中力から開放された疲れた表情を見せつつ、大変満足そうに見えたし、大変行儀のよかった今日の聴衆にも感謝しているように見えた。
アンコールで弾かれたシューベルトの美しいこと…ショパンのエチュードもどの曲も滋味にあふれた名演だったが、最後に演奏された夜想曲作品15-1の深く柔らかく、コクがあるタッチは絶品で、この演奏はもう一生忘れられないのではないかと思うほど!
10/24は、マレイ・ペライアのピアノ・リサイタルを聴きにサントリーホールへ。
本日の公演、心から感動しました。
■曲目
・J.S.バッハ フランス組曲第4番 変ホ長調 BWV815
・ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第23番 ヘ短調 op.57 「熱情」
(休憩)
・シューマン ウィーンの謝肉祭の道化 op.26
・ショパン 即興曲第2番 嬰ヘ長調 op.36
・ショパン スケルツォ第2番 変ロ短調 op.31
※アンコール
シューベルト 即興曲 op.90-2
ショパン 練習曲 op.10-4
ショパン 練習曲 op.25-1 「エオリアン・ハープ」
ショパン ノクターン op.15-1
まず圧倒されたのが、(私のようなものが申し上げるのも失礼ではありますが)ペライアのその真摯な姿勢とそれによって創られる完璧な音楽。今回の曲目はアンコールも含め、私自身がピアノを習っていた時にほとんど弾いていたこともあり(つまり、全て楽譜に目を通していたこともあり)、例えばオケの馴染みのない曲を聴いたときに比べれば、いかにペライアが緩まず表現に取り組んでいるのかがより実感できました。フレーズの歌い方、テンポの設定、音の出し方等々、一つ一つに意図を感じ、どの箇所をとっても退屈さを感じることのない説得力がありました。
また今回、遠目ながらペライアの指が見える場所で聴くことができたのですが、タッチが結構強い。それでいて出てくる音がとても柔らかい!全体的に、創られる音楽はソフトで温かみがあり、そして時には重厚。テクニックが表現に存分に生かされていることを実感しました。
例えばバッハのフランス組曲。この曲は、全体的に和音を多用するのではなく、右手・左手の旋律の多くがほぼ単音で成り立っています。ペライアはその柔らかな音色と、旋律一つ一つの丁寧な歌い方により、音の少なさや空白感を感じさせず、キラキラと豊かに表現していました。またベートーヴェンの「熱情」第3楽章も、テンポが速くアグレッシブな曲調ななか、転調などにおいて突如柔らかなピアニッシモで弾いたりする。なんて美しいんでしょう(涙)。
後半のシューマン「ウィーンの謝肉祭の道化」も、とても惹かれる演奏でした。賑やかさ・愉快さを前面に出し過ぎず、むしろ喜び、悲しみが静寂のなかから浮かび上がるようで、軽やかに、時には物憂げに、より深い音色で歌い上げていました。特に第4楽章は、色っぽさや鬱っぽさがやや含まれているようで、とても大人っぽいロマンティックさを感じました。
ショパンのスケルツォ第2番は、超有名なうえに主題部も中間部も素敵な旋律ばかり。そのため期待が大きすぎて色んな実演でがっかりすることが多いのですが、ペライアの演奏はそれらの箇所すべてが素敵。中間部のあの嬰ハ短調は哀愁をのぞかせながらさらっと悲しく歌い、直後のホ長調は軽やかにふんわり高音に流れていく。美しすぎる(涙)!!
アンコール。シューベルトの即興曲は、また違った音色。冒頭の下降・上昇するレガートの旋律が滑らか、かつコロコロと可愛らしい。ペダルの使い方を変えたのかもしれませんが、指をやや高めにあげて弾いていたのでは?とにかく美しい(としか言えず悔しい)。ショパンのエチュードの「エオリアン・ハープ」は長調だけどふんわり哀愁漂い、もう泣きそう。終盤のピアニッシモ、ピアニッシシモの両手アルペジオはこの上なく繊細で驚愕・・・。最後のノクターンは珠玉といっても過言ではないと思いました。荒々しすぎることなく落ち着いた重厚なへ短調の中間部を挟んで、なんとも切ない、光り輝くようなヘ長調、静寂。感動しすぎて固まってしまいました・・・。
ペライア、もはや拍手の時の優しい笑顔にも尊敬してしまう。リサイタルに行けて本当に良かった・・・(涙)。おそらく、自分にとって記憶に残る演奏会になると思います。
10・24(木)マレイ・ペライア・ピアノ・リサイタル
サントリーホール 7時
バッハの「フランス組曲第4番」、ベートーヴェンの「熱情ソナタ」、シューマンの「ウィーンの謝肉祭の道化」、ショパンの「即興曲第2番」および「スケルツォ第2番」というプログラム。これは、今回の日本での3回のリサイタルに共通したプログラムだった。
これに先立つ2回のリサイタルを聴いた人(複数)の話によると、最初のトリフォニーホール(15日)での演奏は、およそ「ペライアらしからぬ粗い」もので、次の彩の国さいたま芸術劇場(19日)のそれは「情熱的で密度の濃い最高の出来」だったという。では今日の演奏は如何に?と、終演後にその人たちに尋ねたら、最も「落ち着いた演奏」に聞こえたとのことであった。
これについては、マネージャー筋に近い人の話も興味深い。
曰く、トリフォニーホールでは、ペライアがホールとピアノの響きのバランスに慣れず、神経質になって演奏に集中力を欠いた。だがさいたま芸術劇場は、中ホールの響きが彼自身に取って快く、聴衆も満杯で雰囲気も盛り上がっていたため、思い切って演奏ができた。そして今日は、テレビ中継が入っていたため、演奏も若干慎重になり、音楽づくりにもバランスを考慮したものになっていたようだ――と。
私の印象でも、今夜の演奏は、思いのほか端整なものに感じられた。それは、透徹した白色の光の中に息づくバッハやベートーヴェン、シューマンやショパン・・・・とでも言ったらいいか。豊かな均衡を保った、神経の行き届いた演奏だった。だがそれでもやはり、さいたま芸術劇場での演奏を聴いてみたかったな、という思いは消えない。
バッハ:フランス組曲第4番
ベートーヴェン:ソナタ第23番「熱情」
シューマン:ウィーンの謝肉祭の道化
ショパン:即興曲第2番、スケルツォ第2番
〜アンコール〜
シューベルト:即興曲Op.90-2、
ショパン:練習曲Op.10-4,Op.25-1、ノクターンOp.15-1
「なぜコンサートチケットを買うの?」と問われれば「美の空間を買いに行く」と私は答えるかもしれません。「美」の定義は多岐に渡ります。毒も美になりうるし、醜さえ蜜の味がすることもある。音で表現されるその世界に浸り、自分の内側が大きく動いていく感覚・・・それはとても能動的な時間。コンサートは私に多くのドラマを与えてくれる空間です。
ペライアはそういう意味で、ペライアでしか聴けない音があって、今回もつくづく「これを聴くためにここに来た!」と思わせてくれる瞬間が何度も訪れました。私はペライアの弱音、そして生まれたてのようなフレッシュな音たちに、たまらなく心が溶かされてしまいます。2年前に聴きに行った時(その時のレポ→こちら)感じたのと同様に、ギリギリの耳と筋肉のコントロールで創られるであろう、細かいレース仕立てのスカーフのような繊細で美しい音で紡がれるバッハやショパンの緩叙部分は、ペライアでしか聴けない世界。しかもたぶんペライア自身、その世界を創るのに身らの集中を絞り込み、究極のところで創っているのではないか。その「ツボ」のような所にピタっとはまるかどうか、その日の調子や環境も影響するように思われ・・・そこまで研ぎ澄まされた上で生まれてくる音のように感じるのです。純粋で無垢で、それでいてほんのりと温かみがあり・・・ノクターンの余韻は、コンサートからの覚醒が難しいほどでした。
ここからは余談。ペライアのショパンには、今回も驚くことがありました。スケルツォ2番の冒頭のBの延ばしが無かった。確かに曲を通じてこのモチーフでBの延ばしがあるのはここだけであとは休符。こういう版があるのでしょうか。初めて聴くバージョン。アンコールのOp.25-1も2ページ目を2回弾いていて、これも初めてでした。
ペライアは、プログラム的にもぜひ若いピアノを学ぶ人に行ってほしいと思うピアニストの1人。またの来日を心待ちにしたいです。
先日聴きに行ったマライ・ペライアのリサイタルの感想を。
座席は1階席真ん中のブロック前から10列目のほぼど真ん中!
真正面、鍵盤の高さで見ているような席でした。
もう少し後ろの席のほうが左手まで見えて良かったかな。
それと、前回ユジャ・ワンのリサイタルの時も
ここの左側のブロック(背中が見える側)のほぼ同じ列で聴いたのですが、
なぜか中音域がこもって聞こえる気が・・・。
ピアノの問題?ピアニストの問題?と思っていましたが
今回も同じ印象だったので、ホールの問題のようです。
(後ろの席に座っていた青年二人組みも休憩時間に同じことを話していました)
昨年2階席で聴いた時にはそんなことはなかったので
次は2階の正面席にしようかな。。。
【プログラム】
・J.S.バッハ:フランス組曲4番
・ベートーヴェン:ソナタ23番「熱情」
*******************
・シューマン:ウィーンの謝肉祭の道化
・ショパン:即興曲2番
・ショパン:スケルツォ2番
________________
アンコール
・ショパン:ノクターンop.15-1
・シューベルト:即興曲op.90-2
・ショパン:エチュードop.10-4
やっぱりペライアのバッハ好きだわ〜
何も裏切られない良い意味で予想通りなバッハでした!
声部ごとの弾き分けが絶妙で
時たまチェンバロの音が聞こえるんです♪
ペライアが怪我で(ナイフで誤って切ってしまったんでしたっけ?)
演奏活動を中断した時に、
バッハに癒されバッハを追求していたそうで
その時にチェンバロをレンタルして音色のための研究もしたそう。
主声部を支えるかすかに聞こえる声部がなんとも美しい!
ベートーヴェンは良い意味で裏切られました!
もっと冷静沈着な演奏をするのかな〜と思っていたら
そりゃ「熱情」だものね・・・笑
1楽章はがっちりと建築物のような構成力で
柱や梁の一本一本が分かるような演奏、
2〜3楽章は一転して物語の世界。
弾き終わった後、椅子から立ち上がったペライアは
フラフラ〜〜〜険しい顔でトボトボと舞台袖に引っ込んだので
具合が悪いのかと心配してしまいましたよ!
ここまででもうお腹いっぱい状態だった私〜笑
20分の休憩を挟んで始まった後半。
正直に言います!
シューマン・・・私には理解不能!
一番苦手でいつも逃げていて〜〜〜〜
(師匠に怒られるのですが〜爆)
練習するどころか聴くのも大大大嫌いぃ〜〜なのです〜〜〜
ペライアのシューマンのCDも持っていますが
若い頃の演奏で好きになれず・・・。
そんなんで、全く期待していなかったどころか
『後半開始20分間は寝ていようかな』と思っていたほど!爆
なのに、この日はちゃんと聴けたのよ!
しか〜も、
シューマンって分析したら面白い???
って思ったんですから〜!爆
奇跡でしょ!
私が今まで聞いてきたシューマンは(数少ないですけど!笑)
感情の垂れ流し、自己陶酔している姿を見せ付けられるだけで
ごちゃごちゃで支離滅裂なイメージだったのですが・・・
ペライアのこの日の演奏は、
ベートーヴェンのソナタのように構造がはっきり分かって
聴きやすかったのです!
いつもなら聞こえてくるだけでストレスになるシューマン。
人生○○年、何があるか分からないもんですね〜
私が次にシューマンを弾くことになったら
(絶対無いけど〜〜)
とことん分析してみようと思ったのでした・・・。
シューマンの次のショパン。
とにかく個人的にシューマンでビックリしてしまったので〜笑
即興曲は気もそぞろ〜で余り記憶にありません。
続くスケルツォ2番なんですが
冒頭のシ♭〜〜ラシレファ ラシレファ♪・・・の
シ♭〜〜
弾かなかったんですけど!
私の席からははっきり見えたのでミスタッチではなく
腕を持ち上げておろした先にあったのが
ラシレファだったので、びっくり!
そんな版があるのでしょうか?
で、ビックリしている間にどんどん先に進んでしまいまして
気がついたら後半に入ってました〜苦笑
同じロマン派のシューマンをあのように弾いたので
ショパンも同じかなと思ったら
これまた全然違って、オープン・マインドな演奏でした!
弾き終わって立ち上がった後、熱情の後とは違って
フラフラだけど笑顔だったので
曲に入り込んでそうなったのだな〜と。
この日の演奏は、知的なバッハとシューマンに
情的なベートーヴェンとショパン
といったところでしょうか。
__________________
アンコールも素敵でしたが、特にシューベルトのop.90-2!
これ、子供が弾く曲ですよね。
発表会なんかでも聞くし、コンペの課題になっていたりもします。
でも大人が弾くと、プロが弾くとこうも違うのね〜
瑞々しい音色にうっとり〜でした♪
___________________
アンコールの後に舞台に椅子を並べて
インタビュー形式のトーク・セッションがありました。
これがまた面白かった!
弾き終わった後で興奮しているのが良く分かって
喋りたくてしょうがない!って感じで〜笑
話の内容はいつも師匠から聞いているのと同じ事がいくつもありました。
今日聴きに来ているピアノの勉強をしている若い人へ向けてのメッセージで
『難しい曲をただ一生懸命練習するだけでなく
音楽を沢山聴く事、そして音に対するイメージを持つ事。
それと和声や対位法の勉強をして曲を理解することが大切』
というような事をおっしゃっていて、
終了後、2階席から降りてきた長女(学生席だったので一人で2階でした)・・・
『(和声に対位法)師匠と同じこと言ってた〜〜〜耳が痛い〜〜〜』
このリサイタルで今年は最後・・・の予定だったのですが、
翌日になって、一緒に聴きに行った母が
『やっぱりツィメルマンも行こうかな〜(=一緒に行って!)』と言い出し
結局、来月のツィメルマンも聴きに行くことになりました!
2013年10月15日(火)19:00開演 すみだトリフォニ―ホール
<プログラム>
バッハ:フランス組曲 第4番 変ホ長調 BWV 815
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第23番 へ短調「熱情」 Op.57
シューマン:ウィーンの謝肉祭の道化 Op.26
ショパン:即興曲 第2番 嬰ヘ長調 Op.36
ショパン:スケルツォ 第2番 変ロ短調 Op.31
アンコール
ショパン:ノクターン 作品15-1、エチュード 作品10-4、エチュード 作品25-1
台風が接近する中、マレイ・ペライアのリサイタルへ。
ペライアは、ここ数年聴きたい聴きたいと思いつつもなかなか日程等が合わず断念してきたのですが、今回やっとタイミングが合いました。
いくつか持っているCDのイメージだとリリカルで軽やかな印象でしたが、さて実演はいかに。
この日は結構空席があり、台風のせいで会場に辿り着けない人がいる、というだけではないような空き具合。
都内でTOCとすみだ2公演だと、すみだは集客的に厳しいでしょうかね。
あと、TOCでS席14000円、すみだでS席13000円というのは、ちょっとチケ代が高いかな、という印象です。
この値段では、いわゆる「ファン」じゃないと色々な意味で厳しい。
さて、演奏。
バッハは落ち着きと明るさ、軽快さの中にナチュラルな歌があり、非常に純度の高い音楽世界という印象を受けました。
特にトリルの洗練された美しさは特筆モノで、これはもうセンスなんだろうな、と。
熱情は意外なほどにスケールの大きい熱演で、雄々しいベートーヴェンでした。
シューマンも骨太な演奏で、どこか健康的にも響き、その分陰影に欠けるというか、ファンタジーやある種の危うさといったシューマンらしさ欠けるかなという印象。
楽しそうではあって、明るいお祭りといったところかしら。
おそらくペライアさんは人柄が良くてらして、あまり屈折したところが無いのろうだと思ったりもしました(実際はどうだか存じ上げませんが)。
実は、ここまでは極めてハイクオリティだとは思うものの、こう言ってはなんですが感心はすれど感動はしない、みたいな感じで、うーん、ピクリとも心が動かされないなぁ、、、と、やや頭を抱えてしまったのですが、ショパンは実に良かったです。
私は基本的にはショパンだったらポーランド系の人が良いと思っていて、それはリズム感やルバートの問題等色々あるんですけれど、その辺は我ながらかなり保守的だと思います。
なので、特定の人以外のショパンはわざわざ聴きたいとは思わないんですが、ペライアのショパンは聴いていてとても気持ちが良いものでした。
ペライア、ショパンがとても合っているんじゃないかと思うんですよね。
音の粒立ちとレガートの美しさが際立ち、リズムも節回しもとても自然で恣意的なところが無く、流麗な中に内声がよく聞こえてくる立体的な演奏でした。
スケルツォはちょっと粗いところも散見されましたが、全体的にエレガンスとパッションのバランスがちょうど良いショパンという印象で、雄渾なところもありつつ品を損なわないところがとても好ましかったです。
そういう意味で、アンコールがショパン3曲だったのも嬉しかったです。
ペライアだったらオール・ショパン・プログラムでも大歓迎です。
普段だったら、あまりショパンばかり突っ込まれると客に媚びてる感満載で胡散くさーと思ってしまうんですが(すみませんね、口が悪くて)。
あ、オール・バッハ・プログラムも聴いてみたいかも。
今日は、授業を古林さんに代ってもらい、マレイ・ペライアのピアノ独奏を聴きにサントリーホールに行きました。
いま、帰りましたので、演奏会の感想を書きます。
あれ、なにかおかしい、苛立っているようで音楽がスムースに進まない。
一曲目のバッハ・フランス組曲4番は、愉悦感に乏しく、ペライアとしたことがどうして?
不快な気候(湿度が多いし気圧は低いし)で体調がすぐれないのか?
ピアノの調子がピタッと来ないのか?
15日、19日の公演で疲れがたまっているのか?
NHKのテレビが入っているので、気が削がれるのか?
聴いていていろいろ頭に浮かびます。
二曲目は早くも大曲=名曲、ベートーベンの熱情ソナタ。
これは、さすがにペライア、まるで交響曲。ピアノ曲という枠組みを超えた総合音楽のよう。大きな波のようなユレは、作品の巨大なエネルギーを感じさせる。
最後のコーダは凄まじい迫力だが、どこまでも美音が続くのは、ペライアの真骨頂。
十分に満足。
だが、ほんとうに乗っているのとは違い、どこか頑張っている感じがする。
20分の休憩
シューマンの作品26ウイーンの謝肉祭の道化は、ベートーベンの続きのような豊かで大きな音楽で、とても面白い。だんだんペライアも弾くことに没入。
ショパンの二曲は圧巻。あふれんばかりの豊かな感情と、思索的な探求が一つになり、実に深みのあるショパン。この豊穣はかつて体験したことのない世界で、痺れた。最後のスケルツオ2番は、強烈な演奏で、それが終わるや、大拍手。アンコールは、その続きのようで、もう止まらない。ショパン、ショパン。即興曲 作品90−2 練習曲 作品25−1 練習曲 作品10−4 聴衆はもちろんわたしも含めて興奮。
ノクターン 作品 15−1、みな引き込まれて、誰一人身動さえできない。空気がピーンと張りつめて、静まり返って恐ろしいほど。最後の音の余韻が消えても拍手できない。間をおいて、凄い拍手。涙が出た。しばらくしてスタンディングオベーション。
ピアノ一台が、オーケストラを上回るという演奏会。ふーっ熱が出ました。愛と情熱と思索が美音と一体化したペライア、恐るべし。
マレイ・ペライアの誠心がいま私たちに語りかけること 青澤隆明 (音楽評論)
人生は多くのものを与え、そして、ときには激しく奪ってみせる。しかし、どのような運命であろうと、決して奪い去ることのできないものがある。音楽もそうだ。人の心が深く愛した歌を忘れることはない。 マレイ・ペライアのピアノは、どんなときも誠実に語りかける。心からの純粋な歌と真摯な語りかけは、ハーモニーや対位法と同じく、この謙虚なピアニストが生きるための必須条件なのだろう。右手の故障に悩むようになったのは1990年代の初めだから、もう20年近くも困難と折り合いをつけながら、自らの音楽をひたすら真率に深めてきたことになる。そのペライアが久々に日本を訪れたのは2011年11月、実に8年半ぶりのコンサートとなった。リラックスしたなかに親密さが満ちた名古屋での初日に続き、サントリーホールのリサイタルではさらに雄弁なヴィルトゥオージティが明確に示され、復帰後の強靭さを印象づけるかのようだった。大曲こそ控えられたが、プログラムは近年の"ザ・ベスト・オヴ・マレイ・ペライア"というべき多彩さで、ベートーヴェン、ブラームス、シューマン、ショパンの作品が演奏されていった。とくに親近感を示すドイツ音楽では、活動休止時のバッハ探求からベートーヴェン、ブラームスと辿ってきたペライアの構築力が存分に発揮された。この秋のリサイタル・プログラムも充実した内容だ。バッハのパルティータが聴けるのはうれしいし、ベートーヴェン渾身のヘ短調ソナタ(熱情)とシューマンの「ウィーンの謝肉祭の道化」という1980年代に録音も手がけていた名作に、ショパンへの情熱が加わることになる。生きることのほんとうの意味など、きっと誰にもわからない。それでも、いつも変わらず信ずるに足る心があることを、ペライアのピアノはまっすぐに謳う。その音が慈しみを湛えて流麗に微笑みかけるのは、ペライアが喪失や痛みのほうではなく、祈りのように自らの生をみつめ続けてきたからに違いない。「私たちの実人生ではそうはいかないけれど、音楽は完全な世界を体現してくれる」と、マレイ・ペライアは語っていた。
クン・ウー・パイクも聴きたかったなあ。ペライアはクラシック倶楽部で聴けます。(2014年1月24日 金曜日)
鎌倉芸術館のライブは、シューベルトピアノソナタ19の響きに圧倒
あれから25年は経ち、ベライア先生も66歳になられた
私も同じだけ、あの頃から齢を取り、多くのピアニストの音色を楽しんだ
ペライア先生の音色のマジックは、あの頃の切れ味はなくなったけれど、とっても好い演奏に変わりはないです
あの頃に戻りたいです
1月24日(金) 午前6時00分〜6時55分
クラシック倶楽部 ペライア ピアノ・リサイタル バッハ ベートーベン
「フランス組曲 第4番 ホ長調 BWV815」
(作曲)バッハ、(ピアノ)マレー・ペライア
「ピアノ・ソナタ 第23番 ヘ短調 作品57“熱情”」
(作曲)ベートーベン、(ピアノ)マレー・ペライア
「即興曲 第2番 変ホ長調 作品90 第2」
(作曲)シューベルト、(ピアノ)マレー・ペライア
2013-10-25 00:49:46
テーマ:コンサート評
マレイ・ペライアのピアノ・リサイタルを、サントリーホールにて。
J.S.バッハ: フランス組曲第4番 変ホ長調 BWV815
ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第23番 ヘ短調 op.57 「熱情」
シューマン: ウィーンの謝肉祭の道化 op.26
ショパン: 即興曲第2番 嬰ヘ長調 op.36
: スケルツォ第2番 変ロ短調 op.31
(アンコール)
シューベルト:即興曲 op.90-2
ショパン:練習曲 op.10-4
ショパン:練習曲 op.25-1 「エオリアン・ハープ」
ショパン:ノクターン op.15-1
現代最高のピアニストの一人であるマレイ・ペライア。
私は子供の頃からCBSのアーティストとして彼の名前は知っていながら、実演に接したのは遅くて2002年の来日公演である。そのときは協奏曲1曲だけであまり記憶にないのだが、2011年の来日公演のリサイタルで圧倒されてしまった。
http://ameblo.jp/takemitsu189/entry-11070052951.html
実は彼、右手親指の故障で大変に苦しんだ時期があって、それまで演奏会が中止になったり、不調な演奏があったと伝えられている。
2011年来日の続く今日の演奏、実に見事であった!アンコールを4曲も弾いたし、おそらく本人も満足している出来ではなかろうか。
前半はバッハとベートーヴェン。
冒頭のバッハ、一切の飾りはないが、温かさを感じるまろやかな音で、格調高く気品があるのである。この人らしい、まっすぐで正直な性格を思わせる演奏である。
次のベートーヴェンがすごかった。熱情、この曲は演奏効果抜群で、バリバリ弾けばそれだけで盛り上がる曲であるが、ペライアの弾く熱情ソナタは外面的な派手さとかきらびやかさとかとは無縁の、一つ一つかみしめるような、謹厳実直に作品と向き合った演奏で、心の底から深い感動を覚える。この熱情だけでもうお腹いっぱいになりそう。
前半の三大Bのうちの二人、バッハ、ベートーヴェンの演奏が、三大Bのドイツ的な音とはちょっと違って、丸くて温かいぬくもりを感じさせる音楽であったのに対し、後半は音色が一変して驚き。休憩中に赤ワインを飲んで私の聴覚が変化してしまったのだろうか?シューマンの冒頭の和音から、力強く明快で抜けるような音に変化していたのである。実に快活で、鮮やかなシューマンの後はショパン。詩情と歌心にあふれ、静かな祈りのようであるが、スケルツォ第2番の最後などはとても熱さをも兼ね備えている。
前半も後半も、演奏を終えたペライアは極度の集中力から開放された疲れた表情を見せつつ、大変満足そうに見えたし、大変行儀のよかった今日の聴衆にも感謝しているように見えた。
アンコールで弾かれたシューベルトの美しいこと…ショパンのエチュードもどの曲も滋味にあふれた名演だったが、最後に演奏された夜想曲作品15-1の深く柔らかく、コクがあるタッチは絶品で、この演奏はもう一生忘れられないのではないかと思うほど!
10/24は、マレイ・ペライアのピアノ・リサイタルを聴きにサントリーホールへ。
本日の公演、心から感動しました。
■曲目
・J.S.バッハ フランス組曲第4番 変ホ長調 BWV815
・ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第23番 ヘ短調 op.57 「熱情」
(休憩)
・シューマン ウィーンの謝肉祭の道化 op.26
・ショパン 即興曲第2番 嬰ヘ長調 op.36
・ショパン スケルツォ第2番 変ロ短調 op.31
※アンコール
シューベルト 即興曲 op.90-2
ショパン 練習曲 op.10-4
ショパン 練習曲 op.25-1 「エオリアン・ハープ」
ショパン ノクターン op.15-1
まず圧倒されたのが、(私のようなものが申し上げるのも失礼ではありますが)ペライアのその真摯な姿勢とそれによって創られる完璧な音楽。今回の曲目はアンコールも含め、私自身がピアノを習っていた時にほとんど弾いていたこともあり(つまり、全て楽譜に目を通していたこともあり)、例えばオケの馴染みのない曲を聴いたときに比べれば、いかにペライアが緩まず表現に取り組んでいるのかがより実感できました。フレーズの歌い方、テンポの設定、音の出し方等々、一つ一つに意図を感じ、どの箇所をとっても退屈さを感じることのない説得力がありました。
また今回、遠目ながらペライアの指が見える場所で聴くことができたのですが、タッチが結構強い。それでいて出てくる音がとても柔らかい!全体的に、創られる音楽はソフトで温かみがあり、そして時には重厚。テクニックが表現に存分に生かされていることを実感しました。
例えばバッハのフランス組曲。この曲は、全体的に和音を多用するのではなく、右手・左手の旋律の多くがほぼ単音で成り立っています。ペライアはその柔らかな音色と、旋律一つ一つの丁寧な歌い方により、音の少なさや空白感を感じさせず、キラキラと豊かに表現していました。またベートーヴェンの「熱情」第3楽章も、テンポが速くアグレッシブな曲調ななか、転調などにおいて突如柔らかなピアニッシモで弾いたりする。なんて美しいんでしょう(涙)。
後半のシューマン「ウィーンの謝肉祭の道化」も、とても惹かれる演奏でした。賑やかさ・愉快さを前面に出し過ぎず、むしろ喜び、悲しみが静寂のなかから浮かび上がるようで、軽やかに、時には物憂げに、より深い音色で歌い上げていました。特に第4楽章は、色っぽさや鬱っぽさがやや含まれているようで、とても大人っぽいロマンティックさを感じました。
ショパンのスケルツォ第2番は、超有名なうえに主題部も中間部も素敵な旋律ばかり。そのため期待が大きすぎて色んな実演でがっかりすることが多いのですが、ペライアの演奏はそれらの箇所すべてが素敵。中間部のあの嬰ハ短調は哀愁をのぞかせながらさらっと悲しく歌い、直後のホ長調は軽やかにふんわり高音に流れていく。美しすぎる(涙)!!
アンコール。シューベルトの即興曲は、また違った音色。冒頭の下降・上昇するレガートの旋律が滑らか、かつコロコロと可愛らしい。ペダルの使い方を変えたのかもしれませんが、指をやや高めにあげて弾いていたのでは?とにかく美しい(としか言えず悔しい)。ショパンのエチュードの「エオリアン・ハープ」は長調だけどふんわり哀愁漂い、もう泣きそう。終盤のピアニッシモ、ピアニッシシモの両手アルペジオはこの上なく繊細で驚愕・・・。最後のノクターンは珠玉といっても過言ではないと思いました。荒々しすぎることなく落ち着いた重厚なへ短調の中間部を挟んで、なんとも切ない、光り輝くようなヘ長調、静寂。感動しすぎて固まってしまいました・・・。
ペライア、もはや拍手の時の優しい笑顔にも尊敬してしまう。リサイタルに行けて本当に良かった・・・(涙)。おそらく、自分にとって記憶に残る演奏会になると思います。
10・24(木)マレイ・ペライア・ピアノ・リサイタル
サントリーホール 7時
バッハの「フランス組曲第4番」、ベートーヴェンの「熱情ソナタ」、シューマンの「ウィーンの謝肉祭の道化」、ショパンの「即興曲第2番」および「スケルツォ第2番」というプログラム。これは、今回の日本での3回のリサイタルに共通したプログラムだった。
これに先立つ2回のリサイタルを聴いた人(複数)の話によると、最初のトリフォニーホール(15日)での演奏は、およそ「ペライアらしからぬ粗い」もので、次の彩の国さいたま芸術劇場(19日)のそれは「情熱的で密度の濃い最高の出来」だったという。では今日の演奏は如何に?と、終演後にその人たちに尋ねたら、最も「落ち着いた演奏」に聞こえたとのことであった。
これについては、マネージャー筋に近い人の話も興味深い。
曰く、トリフォニーホールでは、ペライアがホールとピアノの響きのバランスに慣れず、神経質になって演奏に集中力を欠いた。だがさいたま芸術劇場は、中ホールの響きが彼自身に取って快く、聴衆も満杯で雰囲気も盛り上がっていたため、思い切って演奏ができた。そして今日は、テレビ中継が入っていたため、演奏も若干慎重になり、音楽づくりにもバランスを考慮したものになっていたようだ――と。
私の印象でも、今夜の演奏は、思いのほか端整なものに感じられた。それは、透徹した白色の光の中に息づくバッハやベートーヴェン、シューマンやショパン・・・・とでも言ったらいいか。豊かな均衡を保った、神経の行き届いた演奏だった。だがそれでもやはり、さいたま芸術劇場での演奏を聴いてみたかったな、という思いは消えない。
バッハ:フランス組曲第4番
ベートーヴェン:ソナタ第23番「熱情」
シューマン:ウィーンの謝肉祭の道化
ショパン:即興曲第2番、スケルツォ第2番
〜アンコール〜
シューベルト:即興曲Op.90-2、
ショパン:練習曲Op.10-4,Op.25-1、ノクターンOp.15-1
「なぜコンサートチケットを買うの?」と問われれば「美の空間を買いに行く」と私は答えるかもしれません。「美」の定義は多岐に渡ります。毒も美になりうるし、醜さえ蜜の味がすることもある。音で表現されるその世界に浸り、自分の内側が大きく動いていく感覚・・・それはとても能動的な時間。コンサートは私に多くのドラマを与えてくれる空間です。
ペライアはそういう意味で、ペライアでしか聴けない音があって、今回もつくづく「これを聴くためにここに来た!」と思わせてくれる瞬間が何度も訪れました。私はペライアの弱音、そして生まれたてのようなフレッシュな音たちに、たまらなく心が溶かされてしまいます。2年前に聴きに行った時(その時のレポ→こちら)感じたのと同様に、ギリギリの耳と筋肉のコントロールで創られるであろう、細かいレース仕立てのスカーフのような繊細で美しい音で紡がれるバッハやショパンの緩叙部分は、ペライアでしか聴けない世界。しかもたぶんペライア自身、その世界を創るのに身らの集中を絞り込み、究極のところで創っているのではないか。その「ツボ」のような所にピタっとはまるかどうか、その日の調子や環境も影響するように思われ・・・そこまで研ぎ澄まされた上で生まれてくる音のように感じるのです。純粋で無垢で、それでいてほんのりと温かみがあり・・・ノクターンの余韻は、コンサートからの覚醒が難しいほどでした。
ここからは余談。ペライアのショパンには、今回も驚くことがありました。スケルツォ2番の冒頭のBの延ばしが無かった。確かに曲を通じてこのモチーフでBの延ばしがあるのはここだけであとは休符。こういう版があるのでしょうか。初めて聴くバージョン。アンコールのOp.25-1も2ページ目を2回弾いていて、これも初めてでした。
ペライアは、プログラム的にもぜひ若いピアノを学ぶ人に行ってほしいと思うピアニストの1人。またの来日を心待ちにしたいです。
先日聴きに行ったマライ・ペライアのリサイタルの感想を。
座席は1階席真ん中のブロック前から10列目のほぼど真ん中!
真正面、鍵盤の高さで見ているような席でした。
もう少し後ろの席のほうが左手まで見えて良かったかな。
それと、前回ユジャ・ワンのリサイタルの時も
ここの左側のブロック(背中が見える側)のほぼ同じ列で聴いたのですが、
なぜか中音域がこもって聞こえる気が・・・。
ピアノの問題?ピアニストの問題?と思っていましたが
今回も同じ印象だったので、ホールの問題のようです。
(後ろの席に座っていた青年二人組みも休憩時間に同じことを話していました)
昨年2階席で聴いた時にはそんなことはなかったので
次は2階の正面席にしようかな。。。
【プログラム】
・J.S.バッハ:フランス組曲4番
・ベートーヴェン:ソナタ23番「熱情」
*******************
・シューマン:ウィーンの謝肉祭の道化
・ショパン:即興曲2番
・ショパン:スケルツォ2番
________________
アンコール
・ショパン:ノクターンop.15-1
・シューベルト:即興曲op.90-2
・ショパン:エチュードop.10-4
やっぱりペライアのバッハ好きだわ〜
何も裏切られない良い意味で予想通りなバッハでした!
声部ごとの弾き分けが絶妙で
時たまチェンバロの音が聞こえるんです♪
ペライアが怪我で(ナイフで誤って切ってしまったんでしたっけ?)
演奏活動を中断した時に、
バッハに癒されバッハを追求していたそうで
その時にチェンバロをレンタルして音色のための研究もしたそう。
主声部を支えるかすかに聞こえる声部がなんとも美しい!
ベートーヴェンは良い意味で裏切られました!
もっと冷静沈着な演奏をするのかな〜と思っていたら
そりゃ「熱情」だものね・・・笑
1楽章はがっちりと建築物のような構成力で
柱や梁の一本一本が分かるような演奏、
2〜3楽章は一転して物語の世界。
弾き終わった後、椅子から立ち上がったペライアは
フラフラ〜〜〜険しい顔でトボトボと舞台袖に引っ込んだので
具合が悪いのかと心配してしまいましたよ!
ここまででもうお腹いっぱい状態だった私〜笑
20分の休憩を挟んで始まった後半。
正直に言います!
シューマン・・・私には理解不能!
一番苦手でいつも逃げていて〜〜〜〜
(師匠に怒られるのですが〜爆)
練習するどころか聴くのも大大大嫌いぃ〜〜なのです〜〜〜
ペライアのシューマンのCDも持っていますが
若い頃の演奏で好きになれず・・・。
そんなんで、全く期待していなかったどころか
『後半開始20分間は寝ていようかな』と思っていたほど!爆
なのに、この日はちゃんと聴けたのよ!
しか〜も、
シューマンって分析したら面白い???
って思ったんですから〜!爆
奇跡でしょ!
私が今まで聞いてきたシューマンは(数少ないですけど!笑)
感情の垂れ流し、自己陶酔している姿を見せ付けられるだけで
ごちゃごちゃで支離滅裂なイメージだったのですが・・・
ペライアのこの日の演奏は、
ベートーヴェンのソナタのように構造がはっきり分かって
聴きやすかったのです!
いつもなら聞こえてくるだけでストレスになるシューマン。
人生○○年、何があるか分からないもんですね〜
私が次にシューマンを弾くことになったら
(絶対無いけど〜〜)
とことん分析してみようと思ったのでした・・・。
シューマンの次のショパン。
とにかく個人的にシューマンでビックリしてしまったので〜笑
即興曲は気もそぞろ〜で余り記憶にありません。
続くスケルツォ2番なんですが
冒頭のシ♭〜〜ラシレファ ラシレファ♪・・・の
シ♭〜〜
弾かなかったんですけど!
私の席からははっきり見えたのでミスタッチではなく
腕を持ち上げておろした先にあったのが
ラシレファだったので、びっくり!
そんな版があるのでしょうか?
で、ビックリしている間にどんどん先に進んでしまいまして
気がついたら後半に入ってました〜苦笑
同じロマン派のシューマンをあのように弾いたので
ショパンも同じかなと思ったら
これまた全然違って、オープン・マインドな演奏でした!
弾き終わって立ち上がった後、熱情の後とは違って
フラフラだけど笑顔だったので
曲に入り込んでそうなったのだな〜と。
この日の演奏は、知的なバッハとシューマンに
情的なベートーヴェンとショパン
といったところでしょうか。
__________________
アンコールも素敵でしたが、特にシューベルトのop.90-2!
これ、子供が弾く曲ですよね。
発表会なんかでも聞くし、コンペの課題になっていたりもします。
でも大人が弾くと、プロが弾くとこうも違うのね〜
瑞々しい音色にうっとり〜でした♪
___________________
アンコールの後に舞台に椅子を並べて
インタビュー形式のトーク・セッションがありました。
これがまた面白かった!
弾き終わった後で興奮しているのが良く分かって
喋りたくてしょうがない!って感じで〜笑
話の内容はいつも師匠から聞いているのと同じ事がいくつもありました。
今日聴きに来ているピアノの勉強をしている若い人へ向けてのメッセージで
『難しい曲をただ一生懸命練習するだけでなく
音楽を沢山聴く事、そして音に対するイメージを持つ事。
それと和声や対位法の勉強をして曲を理解することが大切』
というような事をおっしゃっていて、
終了後、2階席から降りてきた長女(学生席だったので一人で2階でした)・・・
『(和声に対位法)師匠と同じこと言ってた〜〜〜耳が痛い〜〜〜』
このリサイタルで今年は最後・・・の予定だったのですが、
翌日になって、一緒に聴きに行った母が
『やっぱりツィメルマンも行こうかな〜(=一緒に行って!)』と言い出し
結局、来月のツィメルマンも聴きに行くことになりました!
2013年10月15日(火)19:00開演 すみだトリフォニ―ホール
<プログラム>
バッハ:フランス組曲 第4番 変ホ長調 BWV 815
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第23番 へ短調「熱情」 Op.57
シューマン:ウィーンの謝肉祭の道化 Op.26
ショパン:即興曲 第2番 嬰ヘ長調 Op.36
ショパン:スケルツォ 第2番 変ロ短調 Op.31
アンコール
ショパン:ノクターン 作品15-1、エチュード 作品10-4、エチュード 作品25-1
台風が接近する中、マレイ・ペライアのリサイタルへ。
ペライアは、ここ数年聴きたい聴きたいと思いつつもなかなか日程等が合わず断念してきたのですが、今回やっとタイミングが合いました。
いくつか持っているCDのイメージだとリリカルで軽やかな印象でしたが、さて実演はいかに。
この日は結構空席があり、台風のせいで会場に辿り着けない人がいる、というだけではないような空き具合。
都内でTOCとすみだ2公演だと、すみだは集客的に厳しいでしょうかね。
あと、TOCでS席14000円、すみだでS席13000円というのは、ちょっとチケ代が高いかな、という印象です。
この値段では、いわゆる「ファン」じゃないと色々な意味で厳しい。
さて、演奏。
バッハは落ち着きと明るさ、軽快さの中にナチュラルな歌があり、非常に純度の高い音楽世界という印象を受けました。
特にトリルの洗練された美しさは特筆モノで、これはもうセンスなんだろうな、と。
熱情は意外なほどにスケールの大きい熱演で、雄々しいベートーヴェンでした。
シューマンも骨太な演奏で、どこか健康的にも響き、その分陰影に欠けるというか、ファンタジーやある種の危うさといったシューマンらしさ欠けるかなという印象。
楽しそうではあって、明るいお祭りといったところかしら。
おそらくペライアさんは人柄が良くてらして、あまり屈折したところが無いのろうだと思ったりもしました(実際はどうだか存じ上げませんが)。
実は、ここまでは極めてハイクオリティだとは思うものの、こう言ってはなんですが感心はすれど感動はしない、みたいな感じで、うーん、ピクリとも心が動かされないなぁ、、、と、やや頭を抱えてしまったのですが、ショパンは実に良かったです。
私は基本的にはショパンだったらポーランド系の人が良いと思っていて、それはリズム感やルバートの問題等色々あるんですけれど、その辺は我ながらかなり保守的だと思います。
なので、特定の人以外のショパンはわざわざ聴きたいとは思わないんですが、ペライアのショパンは聴いていてとても気持ちが良いものでした。
ペライア、ショパンがとても合っているんじゃないかと思うんですよね。
音の粒立ちとレガートの美しさが際立ち、リズムも節回しもとても自然で恣意的なところが無く、流麗な中に内声がよく聞こえてくる立体的な演奏でした。
スケルツォはちょっと粗いところも散見されましたが、全体的にエレガンスとパッションのバランスがちょうど良いショパンという印象で、雄渾なところもありつつ品を損なわないところがとても好ましかったです。
そういう意味で、アンコールがショパン3曲だったのも嬉しかったです。
ペライアだったらオール・ショパン・プログラムでも大歓迎です。
普段だったら、あまりショパンばかり突っ込まれると客に媚びてる感満載で胡散くさーと思ってしまうんですが(すみませんね、口が悪くて)。
あ、オール・バッハ・プログラムも聴いてみたいかも。
今日は、授業を古林さんに代ってもらい、マレイ・ペライアのピアノ独奏を聴きにサントリーホールに行きました。
いま、帰りましたので、演奏会の感想を書きます。
あれ、なにかおかしい、苛立っているようで音楽がスムースに進まない。
一曲目のバッハ・フランス組曲4番は、愉悦感に乏しく、ペライアとしたことがどうして?
不快な気候(湿度が多いし気圧は低いし)で体調がすぐれないのか?
ピアノの調子がピタッと来ないのか?
15日、19日の公演で疲れがたまっているのか?
NHKのテレビが入っているので、気が削がれるのか?
聴いていていろいろ頭に浮かびます。
二曲目は早くも大曲=名曲、ベートーベンの熱情ソナタ。
これは、さすがにペライア、まるで交響曲。ピアノ曲という枠組みを超えた総合音楽のよう。大きな波のようなユレは、作品の巨大なエネルギーを感じさせる。
最後のコーダは凄まじい迫力だが、どこまでも美音が続くのは、ペライアの真骨頂。
十分に満足。
だが、ほんとうに乗っているのとは違い、どこか頑張っている感じがする。
20分の休憩
シューマンの作品26ウイーンの謝肉祭の道化は、ベートーベンの続きのような豊かで大きな音楽で、とても面白い。だんだんペライアも弾くことに没入。
ショパンの二曲は圧巻。あふれんばかりの豊かな感情と、思索的な探求が一つになり、実に深みのあるショパン。この豊穣はかつて体験したことのない世界で、痺れた。最後のスケルツオ2番は、強烈な演奏で、それが終わるや、大拍手。アンコールは、その続きのようで、もう止まらない。ショパン、ショパン。即興曲 作品90−2 練習曲 作品25−1 練習曲 作品10−4 聴衆はもちろんわたしも含めて興奮。
ノクターン 作品 15−1、みな引き込まれて、誰一人身動さえできない。空気がピーンと張りつめて、静まり返って恐ろしいほど。最後の音の余韻が消えても拍手できない。間をおいて、凄い拍手。涙が出た。しばらくしてスタンディングオベーション。
ピアノ一台が、オーケストラを上回るという演奏会。ふーっ熱が出ました。愛と情熱と思索が美音と一体化したペライア、恐るべし。
マレイ・ペライアの誠心がいま私たちに語りかけること 青澤隆明 (音楽評論)
人生は多くのものを与え、そして、ときには激しく奪ってみせる。しかし、どのような運命であろうと、決して奪い去ることのできないものがある。音楽もそうだ。人の心が深く愛した歌を忘れることはない。 マレイ・ペライアのピアノは、どんなときも誠実に語りかける。心からの純粋な歌と真摯な語りかけは、ハーモニーや対位法と同じく、この謙虚なピアニストが生きるための必須条件なのだろう。右手の故障に悩むようになったのは1990年代の初めだから、もう20年近くも困難と折り合いをつけながら、自らの音楽をひたすら真率に深めてきたことになる。そのペライアが久々に日本を訪れたのは2011年11月、実に8年半ぶりのコンサートとなった。リラックスしたなかに親密さが満ちた名古屋での初日に続き、サントリーホールのリサイタルではさらに雄弁なヴィルトゥオージティが明確に示され、復帰後の強靭さを印象づけるかのようだった。大曲こそ控えられたが、プログラムは近年の"ザ・ベスト・オヴ・マレイ・ペライア"というべき多彩さで、ベートーヴェン、ブラームス、シューマン、ショパンの作品が演奏されていった。とくに親近感を示すドイツ音楽では、活動休止時のバッハ探求からベートーヴェン、ブラームスと辿ってきたペライアの構築力が存分に発揮された。この秋のリサイタル・プログラムも充実した内容だ。バッハのパルティータが聴けるのはうれしいし、ベートーヴェン渾身のヘ短調ソナタ(熱情)とシューマンの「ウィーンの謝肉祭の道化」という1980年代に録音も手がけていた名作に、ショパンへの情熱が加わることになる。生きることのほんとうの意味など、きっと誰にもわからない。それでも、いつも変わらず信ずるに足る心があることを、ペライアのピアノはまっすぐに謳う。その音が慈しみを湛えて流麗に微笑みかけるのは、ペライアが喪失や痛みのほうではなく、祈りのように自らの生をみつめ続けてきたからに違いない。「私たちの実人生ではそうはいかないけれど、音楽は完全な世界を体現してくれる」と、マレイ・ペライアは語っていた。
クン・ウー・パイクも聴きたかったなあ。ペライアはクラシック倶楽部で聴けます。(2014年1月24日 金曜日)