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小田原攻めの時に、家康の領国は三河だけではない。駿遠に甲斐も領有する大大名。 今の江戸城の大半は、江戸幕府が外様大名の金と労力で作らせた。
さすが家康公、さすがですね~まさに江戸時代。佐渡金山の世界遺産登録に俄然興味が沸きました。
江戸の町を作った財源がわからなかったのですが、なるほど納得です。
関東入植する家康が、これから、莫大な財源を必要とする、江戸城や江戸の町造り、まさにそのときに、天下一の佐渡金山が発見される、なんというタイミングなんでしょうか、素晴らしすぎますね。家康の天下安寧への 思いの深さ、実現へと人生かけてきた行動の結果でしょうか!。 為政者はこうあるべしですね。
完全に徳川家康公の印象が変わりました。 やはり260年もの間戦のない平和な時代が続くという事にはしっかりとした理由があるのですね。
国を治めるのは武力ではなくて経済力だと言うことが改めてわかりますね。所で徳川幕府は多くの人材を見いだし、育てていると聞いています。
佐渡金山の世界遺産登録問題が世間をにぎわしていますが、今回の話を聞いて江戸時代の貴重な金山の発掘と江戸の繁栄に使われていたことが分かりました。 家康公の思慮深さがただの戦国武将ではないことがよくわかりました。
江戸城近くで見ると、大都市計画家としての家康の偉大さを感じます。佐渡金山開発も凄い。金北山に上がると佐渡全体が見えますね。金からみた大坂一極体制の打破。家康は史上空前の政治家かもしれません。
教育の中で徳川幕府を西洋における封建制度のように捉え、明治維新を日本における民主革命のような表現がありますが、現実はだいぶ違いますよね。議会とまでは言いませんが、必ずしも将軍家の意向だけでは動けない合議制みたいなものがあって、かなり緻密な政治が行われていたようです。明治以降の文明開化の世の中も日本が列強の植民地にならないために徳川幕府が欧州に使節を送り国際法を学ばせたから成し得た事だと思います。徳川慶喜に至るまで国民の安寧を第一とする徳川幕府の精神こそが日本を繁栄せしめたと思っています。
徳川家康公がどうやって江戸城を築いたのか初めて知りました。何にもない湿地帯に今の東京の元になる江戸城や町を自前で作ったってすごいなと思います。そしてそれが300年も続いたのですから家康公の太平の世の理念は本物だったと言うことですね。
ちなみにこの佐渡金山は五代綱吉の頃には枯渇し、そこから江戸幕府は幕末までの170年ほどをひたすら財政難の中で過ごすことになります。 江戸の町の造成、主要な寺社仏閣などの建築がこの時代であらかた終わってしまうのは、要するに金が尽きたんですよね。
あのですね、金やそのほかのコモディティ類は大坂を通さないといけないから家康は秀吉を滅ぼした、ですよね? でもまあ、その後家康はそれ(関が原)以降のコモディティ類は江戸を通してから流通させるようにしたんでしょ?
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