田辺 治は、日本の登山家。元日本ヒマラヤ協会理事。元日本山岳会東海支部長。 ウィキペディア
生年月日: 1961年1月4日
生まれ: 愛知県 名古屋市
死没: 2010年9月28日
JAC東海支部でローツェ南壁を初登攀した田辺治さんがダウラギリで雪崩に遭った、との報道に驚く。これまで困難な登攀を危なげなくパスしてきたアルピニストだけになぜ?と思う。
雪崩に遭ってもしばらくは生きているものらしい。しかし高度が高いだけにわずかな呼吸困難でも窒息するかもしれない。場所が場所だけに救助活動も思うに任せないだろう。
奇跡を信じたい。いやーご心配をおかけしました、と帰ってきて欲しい。関係者のみなさんがそう思っている。何も協力できないが祈るしかない。
東京新聞からコピー
ヒマラヤ遭難、現地と捜索協議 登山家3人の家族や協会
2010年9月30日 12時55分
ネパール・ヒマラヤの高峰ダウラギリ(8167メートル)で雪崩に巻き込まれた日本人登山家3人が行方不明になった山岳遭難で、パーティーの隊長を務める名古屋市中区の田辺治さん(49)が所属する日本プロガイド協会(愛知県刈谷市)や家族は29日夜から30日にかけ、今後の捜索活動について現地と連絡を取り合うなど対応に追われた。
同協会によると、自力で脱出し無事だった兵庫県芦屋市の島田和昭さん(37)がベースキャンプに滞在。同協会は島田さんと協議し、捜索活動などについてネパール当局と検討する。
協会事務所がある登山用品店「穂高」には、行方不明になっている長野県白馬村の本田大輔さん(32)の両親らが集まり、現地からの情報を待った。島田さんから29日夜、衛星電話で「自分は無事。田辺さんたちの捜索に加わる」と連絡があったという。
厳冬期、困難なルートを選びながらも「人を死なさない隊長」として知られていたが、ダウラギリのノーマルルートの下部キャンプ移動中に雪崩の直撃を受けて遭難。 遺体は未だに発見されていない。
全14座制覇の竹内洋岳氏が薫陶を受けた先輩。
竹内さんが初めて登頂した8000m峰は1995年、マカルー北東稜西稜初登攀でしたが、当時中堅登山家だった田辺治さんもその登山隊の隊員でした。竹内さんにとって田辺さんはヒマラヤの先輩に当たる人です。