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Channel: 丹沢最高峰 蛭ケ岳1673回超えを目指して 
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1985年8月12日の日本航空ジャンボ機墜落事故。

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この事故は、アメリカが仕組んだもので将来永遠に「アメリカに対してノーと言えない日本」にするための作略であった。
第一の目的はドル防衛の責任転嫁(プラザ合意=アメリカの膨大な財政赤字を是正するために、アメリカのために主要先進国が通貨を介して犠牲になる合意であったが、一人日本だけに犠牲を押し付けられた)であった。

第二の真の目的は、これを材料にして日本と自衛隊を脅すことによって将来永遠に日本をアメリカに隷属させる布石を敷いた。

つまり、当時自衛隊と米軍は共同で日本が開発した追尾型ミサイル「SSM-1」(後にトマホークになった)の実験演習を実施していた。そのミサイルを制御する装置を積んだ護衛艦「まつゆき」から誘導レーダーの発射実験演習が行われていた。当然「SSM-1」の標的機は自衛隊機であったはずだが、共同演習中の米軍がこっそりと「まつゆき」の制御装置を操作して標的機を JAL123便に変更した。その結果、自衛隊は何も知らぬ間に「SSM-1」が日航機の垂直尾翼を直撃して JAL123 便は墜落した。

自衛隊はとんでもないミスを犯したと認め、震え上がっていたはずである。取り敢えず墜落現場に、一早く駆けつけて証拠隠滅を図った。アメリカは基から仕組んだ罠だったので、自衛隊の重大ミスを救済するがごとく JAL123 便の事故原因をボーイング社の圧力隔壁修理ミスにして、日本(当時は中曽根内閣)と自衛隊に偽恩義を売りつけた。

そして、これを材料にしてアメリカは以後何時でも「バラすぞ」と日本を脅して隷属ひれふさせているのである。

以上は私の推測ですが間違いないでしょう。当時のニュースで「迷走を続ける JAL123 便の上空を自衛隊機2機が飛んでいます」と言っていたのを今でもはっきりと覚えています。不思議に思ったが自衛隊には特殊技術があってジャンボ機を救う手段を持ち合わせているのかなとバカなことを考えていた位です(まだ若かったから)。また、自分の非は絶対認めないアメリカ人、然も世界に冠たるボーイング社が何でこんなにいとも簡単に修理ミスを認めるのだろう。それにしても素人が考えても不可解な修理方法だなぁと漠然と思っていました。この事実だけでも推測を裏付ける十分な証拠でしょう。

政府と自衛隊はもう時既に遅しですが、国民の前に真実を明かして、その上に誤って、アメリカのくびきから脱するべきでしょう。


軍事産業=死の商人の基本戦略は、

敵対の創出



軍拡競争の促進

である。

敵対の構図を構築し、敵対する勢力同士による軍拡競争を促す。

そして、両者に資金を貸し出す。

これが巨大金融資本の基本戦略である。


明治維新を裏から操ったのも欧州の金融資本である。

欧州資本は維新軍と幕軍の双方に武器を販売し、戦争を誘導した。

その延長上にいまの日本がある。

江戸から明治への転換に際して、何があったのか。

すべての日本人は通説を根本から疑う必要がある。

1985年8月12日の日本航空ジャンボ機墜落事故。

機体が群馬県と長野県の県境の御巣鷹の尾根に墜落したのは午後6時56分だった。

その約20分後の午後7時30分前に、

沖縄嘉手納基地から横田基地に帰投中の米軍C-130輸送機が横田基地から

JAL123便の探索命令を受けて一帯を捜索した結果、JAL123便の墜落現場を確認した。

米軍C-130機はJAL123便墜落現場の上空600メートルで旋回飛行をし、

横田基地からの位置を測定して正確な墜落地点を横田基地に知らせている。

午後8時30分、米軍横田基地はC-130機に救難チームを乗せたヘリを現場に向かわせることを通告。

午後8時50分、C-130機が米軍救援ヘリの到着を確認。

午後9時05分、米軍救援ヘリがC-130機に、煙があり着陸できないため乗員2人を降下させると通告。

C-130機は横田基地に状況を報告した。

午後9時06分、横田基地はC-130機と米軍ヘリに帰還命令。

米軍ヘリは救助活動続行を申し出たが、「日本の救助隊が向かっている」との理由で帰還を命じられた。

午後9時20分、日本機(F4)が事故現場上空に到着。

午後9時22分、C-130機は航空機が日本の救助隊であることを横田基地に確認した後に現場を離脱した。


しかし、実際に救難活動が始まったのは、

墜落からからおよそ14時間が経過した8月13日午前8時半であった。

長野県警のレスキュー隊および上野村消防団により、4名の女性の生存者が救出された。

救出された日航CAの落合由美氏の証言では、

「墜落の直後に、「はあはあ」という荒い息遣いが聞こえました。

ひとりではなく、何人もの息遣いです。そこらじゅうから聞こえてきました。まわりの全体からです。

「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。」

という状況であった。

つまり、多数の乗員、乗客が生存していたのである。

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