子宮頸がんワクチンという名の毒ワクチンを製造するグラクソ・スミスクラインと癒着していた公明党の松あきら。そして、子宮頸がんワクチンを推進してきた自民党の三原じゅん子。こんな奴らが今もなお、国会でのさばり続けています。絶対に許せない!
学生でいるうちは自分の教師がどんなに愚かで俗物であるか分からないものだ。離れることで正体を知ることができる。宗教も、学問も、芸術も、世俗で生きるグループを作って腐ってゆく。
米国の一流大学卒業生の卒業後3年目の平均サラリーは約1900万円なのです。これは優秀な人だけの数字ではなく平均です。日本企業は、優秀な人材をとても安く雇用しているという認識が必要。
多数の日本国民は、仕組まれた事件が起きても、騙されていることに気づかない白痴ばかりです。テレビや新聞、大手ネットサービスから与えられた情報を信用している、ただの情報弱者です。
日本人の敵は、言うまでもなく、まずは日本国にいます。政府、外郭団体、経団連等、本来、要となる連中が敵です。その敵が長期に渡り、更に多くの雑魚を生み肥やしてきたのです。ところで、日米原子力協定の期限は2018年です。延長云々以前に、既定路線上です。
思い上がりにすら気が付かない狂人の育成所が東大であり、有名大学であるということであり、狂気の阿呆が支配しているのが、植民地日本なのである。
米国支配階級は、戦後の日本を完全に米国の植民地にするために、昭和天皇をはじめとする主要な戦争犯罪者のほとんどを免責・免罪にして、名前を変えた天皇制を支える主要な人材として温存した。
あなた(曽野綾子)のように社会に毒を流すより、社会のお荷物になるほうがいいに決まっているのです。そのお荷物が、優しさや助け合いという、人間にとって決して忘れてはいけないかけがえのない感情を呼び覚ましてくれるからです。
原子力発電と、墜落事故が相次ぐ米海兵隊の垂直離着陸機オスプレイ。悪夢のような組み合わせが、現実になる危険があります。24年前には、伊方原発上空を飛行していた米海兵隊ヘリが、同原発から800メートル先に墜落するという事故も起こっていました。
1988年6月25日午前10時10分。視界20メートルの濃霧に包まれた佐田岬半島の北側斜面に、普天間基地(沖縄県宜野湾市)所属のCH53Dヘリが激突しました。そこは伊方原発(愛媛県伊方町)のほぼ真上でした。現場を歩くと、その「近さ」に慄然(りつぜん)としました。
機体は強い衝撃で跳ね返り、山頂を越えて南側斜面を200メートルほどずりおちて大破。乗組員7人は全員死亡しました。
「機体が跳ね返らなかったら、原発敷地内に落ちて大惨事になっていた」。現場に急行した日本共産党の中川悦良県議(当時)は、こう証言します。
この事故は過去の問題ではありません。佐田岬半島上空は沖縄と岩国基地(山口県岩国市)を結ぶ「ルート」になっており、88年の事故後も、普天間基地に所属する海兵隊ヘリの不時着や目撃情報が相次いでいます。(表、愛媛民報社まとめ)
米海兵隊はオスプレイを普天間に配備した後、岩国基地に2~3機からなる分遣隊を置き、10月以降にも毎月訓練を行う計画です。そうなれば、沖縄~岩国間の往復や訓練などで伊方原発近辺を飛行するのは確実です。
原発の増設も続きました。88年当時、伊方原発の原子炉は1、2号機だけでしたが、現在は3号機が立地。しかも同機はウランとプルトニウムを混ぜたMOX燃料を使用するプルサーマル運転を行ってきました
伊方原発周辺の米軍機事故
79年12月 保内町(現・伊方町) 保内中学校庭にAH1Jヘリ(普天間)2機不時着
81年3月 保内町 保内中学校庭にAH1J(同)不時着。3日間駐機
84年4月 三崎町(現・伊方町) AH1J(同)が建設会社敷地に不時着
88年6月 CH53Dヘリ(同)が伊方原発至近に墜落。7人死亡
89年6月 野村町(現・西予市) FA18戦闘攻撃機(岩国)が野村ダムに墜落
00年4月 三崎町ムーンビーチ AH1Wヘリ(普天間)が不時着。僚機2機も着陸
08年7月 MC130特殊作戦機(嘉手納)が八幡浜市などで超低空飛行
12年3月 松山空港にCH53Eヘリ(普天間)4機が緊急着陸
学生でいるうちは自分の教師がどんなに愚かで俗物であるか分からないものだ。離れることで正体を知ることができる。宗教も、学問も、芸術も、世俗で生きるグループを作って腐ってゆく。
米国の一流大学卒業生の卒業後3年目の平均サラリーは約1900万円なのです。これは優秀な人だけの数字ではなく平均です。日本企業は、優秀な人材をとても安く雇用しているという認識が必要。
多数の日本国民は、仕組まれた事件が起きても、騙されていることに気づかない白痴ばかりです。テレビや新聞、大手ネットサービスから与えられた情報を信用している、ただの情報弱者です。
日本人の敵は、言うまでもなく、まずは日本国にいます。政府、外郭団体、経団連等、本来、要となる連中が敵です。その敵が長期に渡り、更に多くの雑魚を生み肥やしてきたのです。ところで、日米原子力協定の期限は2018年です。延長云々以前に、既定路線上です。
思い上がりにすら気が付かない狂人の育成所が東大であり、有名大学であるということであり、狂気の阿呆が支配しているのが、植民地日本なのである。
米国支配階級は、戦後の日本を完全に米国の植民地にするために、昭和天皇をはじめとする主要な戦争犯罪者のほとんどを免責・免罪にして、名前を変えた天皇制を支える主要な人材として温存した。
あなた(曽野綾子)のように社会に毒を流すより、社会のお荷物になるほうがいいに決まっているのです。そのお荷物が、優しさや助け合いという、人間にとって決して忘れてはいけないかけがえのない感情を呼び覚ましてくれるからです。
原子力発電と、墜落事故が相次ぐ米海兵隊の垂直離着陸機オスプレイ。悪夢のような組み合わせが、現実になる危険があります。24年前には、伊方原発上空を飛行していた米海兵隊ヘリが、同原発から800メートル先に墜落するという事故も起こっていました。
1988年6月25日午前10時10分。視界20メートルの濃霧に包まれた佐田岬半島の北側斜面に、普天間基地(沖縄県宜野湾市)所属のCH53Dヘリが激突しました。そこは伊方原発(愛媛県伊方町)のほぼ真上でした。現場を歩くと、その「近さ」に慄然(りつぜん)としました。
機体は強い衝撃で跳ね返り、山頂を越えて南側斜面を200メートルほどずりおちて大破。乗組員7人は全員死亡しました。
「機体が跳ね返らなかったら、原発敷地内に落ちて大惨事になっていた」。現場に急行した日本共産党の中川悦良県議(当時)は、こう証言します。
この事故は過去の問題ではありません。佐田岬半島上空は沖縄と岩国基地(山口県岩国市)を結ぶ「ルート」になっており、88年の事故後も、普天間基地に所属する海兵隊ヘリの不時着や目撃情報が相次いでいます。(表、愛媛民報社まとめ)
米海兵隊はオスプレイを普天間に配備した後、岩国基地に2~3機からなる分遣隊を置き、10月以降にも毎月訓練を行う計画です。そうなれば、沖縄~岩国間の往復や訓練などで伊方原発近辺を飛行するのは確実です。
原発の増設も続きました。88年当時、伊方原発の原子炉は1、2号機だけでしたが、現在は3号機が立地。しかも同機はウランとプルトニウムを混ぜたMOX燃料を使用するプルサーマル運転を行ってきました
伊方原発周辺の米軍機事故
79年12月 保内町(現・伊方町) 保内中学校庭にAH1Jヘリ(普天間)2機不時着
81年3月 保内町 保内中学校庭にAH1J(同)不時着。3日間駐機
84年4月 三崎町(現・伊方町) AH1J(同)が建設会社敷地に不時着
88年6月 CH53Dヘリ(同)が伊方原発至近に墜落。7人死亡
89年6月 野村町(現・西予市) FA18戦闘攻撃機(岩国)が野村ダムに墜落
00年4月 三崎町ムーンビーチ AH1Wヘリ(普天間)が不時着。僚機2機も着陸
08年7月 MC130特殊作戦機(嘉手納)が八幡浜市などで超低空飛行
12年3月 松山空港にCH53Eヘリ(普天間)4機が緊急着陸