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Channel: 丹沢最高峰 蛭ケ岳1673回超えを目指して 
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甘利を逮捕しろ!

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自民党が暴力団の下請けになっている。問題の土地は1970年代から揉めていて、50年間出なかったカネが、甘利が動いた瞬間に出た。出すべきでないカネ、2億2千万円。恐喝だよね。盗られたのは国民の収めた税金です。

一色と称する人物の正体なんだが、マスコミが動くようになってハッキリして来た。札付きの「事件屋」です。問題の土地は1970年代から揉めていて、地主が右翼団体に解決を依頼、5億円を政府筋からかっぱぐ事を目標に動いたんだが、うまく行かず、それを引き継いだのが、この人物らしい。話は50年前に遡るわけですw

「一色氏は数年前まで東京・八王子に本拠地がある右翼団体に所属していたが、いわゆる「大物右翼」などではない。活動は神奈川県内が中心で、「会社を経営しているという触れ込みで、業者と役所とのもめ事に介入する事件屋のようなことをやっていた。陳情のために地元選出の代議士や地方議員の事務所にもよく出入りしていたが、しっかりした秘書がいる事務所からは警戒され、相手にしてもらえなかった」(地元紙記者)
 警戒される理由は、議員にトラブル処理の陳情を持ちかけるが、陳情がうまくいかないと豹変してマスコミや警察に告発し、議員側に揺さぶりをかけるという、いわば「告発常習者」の前歴があったからだ。

国会って数日前の代表質問だけ?
代議士って毎日なにやってるの
さっさと安倍は国会開いて、甘利をよんで
国民に釈明させろ、有権者はバカにしすぎ
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こう言った官民の癒着構造を無くすために政党交付金が
ある、自民党なんざ170億も頂きながら、未だに閣僚が
旧態依然な事をやっとるわな

というか税金から2億つままれてる訳でな
URから建設会社への補償って形で
どっちも国民への加害者
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甘利を逮捕しろ!
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資本金1000万社員5名の会社がずいぶん気前いいな
どこから資金が出てきてるんだ

甘利はアメリカ側の人間で売国奴だよ
証拠は東京地検特捜部の甘利に対する対応、激甘やかしぶり
GHQが作った特殊機関である東京地検特捜部は、アメリカに不利益と判断された政治家しか捕まえない
嘘だと思うなら東京地検特捜部の歴史と、これまでに潰して来た政治家の一覧を調べてみると良い
明らさますぎて不気味なくらい、対米独立を掲げる政治家しか捕まえていない
ゆえに甘利はTPPで日本をアメリカに売り渡す事を目的とした売国奴である事がわかる
甘利の存在がアメリカに多大な富をもたらす。日本人の金がアメリカに流出する
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国会での証人喚問が必要だな

政治家の「口利き」ひとつで、2億の税金がヤクザに渡った。自民党が暴力団の下請けになっている。それが実態w

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その政治家が売国奴であるかどうか知りたいなら
東京地検特捜部の動きを観察することだ
東京地検特捜部が動いたなら、その政治家は真に日本の国益を考えて行動している
東京地検特捜部が動かないのであれば、その政治家はアメリカの飼っているトロイの木馬
「東京地検特捜部 GHQ」で調べよう
東京地検特捜部はその成立上、アメリカの出先機関であり日本の検察とは無関係なんだね
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いい訳後に追い詰めるためにネタを隠してたのかw
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額よりも公職につくものが個人(一企業)に利益供与を行ったかどうかが
最大の問題でしかもその個人が反社会勢力というのであれば大臣のクビなんてもんでは方がつかない。
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東京地検特捜部の動きを見て断言できる事がある
甘利の存在は日本に不利益をもたらす
甘利の存在はアメリカに利益をもたらす
甘利は日本人にとってはあまりよろしくない存在
徹底的に追求して芋づる式に売国奴を炙り出すべき
甘利なんてのは米国式トロイの木馬の氷山の一角でしかないのだから
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しょっちゅう名字を替える一色の身元を洗えよ
胡散臭いだろうが
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甘利逮捕でマスコミ、ネトサポがどんなウルトラ擁護を見せてくれるのか
香ばしく楽しませてもらうよ
アベの支持率は冤罪キャンペーンで80%超えることだろう
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民主党は野党第一党の責任で証人喚問をやらせろよ。
甘利大臣、清島秘書ともう一人の秘書、一色と社長。
NHKの中継を入れて。
これは民主党の責任で実施しろよ! 野党第一党だろ。
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一色なんてトカゲの尻尾みたいなもんで、実際はその上の某団体との軋轢があったんだろな
内閣の要の1人である甘利を辞任に追い込むぐらいの大きな金の動き・・・メッチャ気になる
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甘利は自分が潔白なら、一色と文春を名誉棄損で訴えれば良い。
そうすれば証拠の録音も出してくるだろうし、白黒が法廷ではっきりする。
訴えもしないのに、罠だとかお金を受け取ったが全て秘書がやったことで自分は悪くない、美学だとか印象操作をしているだけでは国民は納得しないぞ。
国会運営にも支障が出かねないんだから、一刻も早く名誉棄損で訴えて闘争の場を法廷に移せ。
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稲川会は2億2千万ももらってんだから
1割は甘利にいってるだろう

甘利辞任で支持率上昇というウソのようなウソ。「重大事案直後の世論調査数値の改竄」が、新しい情報操作、情報工作の、最重要手法のひとつに浮上していると考えるべきである。

ジカウィルス? 熱帯にありふれたシマ蚊がジカウィルスを媒介する? やっぱりあのビルゲイツの名前が取りざたされる。ブラジルでは3種混合ワクチンを強制化、それから爆発的に小頭症の赤ん坊が産まれだす。


【いまも消せない昭和天皇の戦争責任問題】

【各国の支配体制層同士における手打ちのためにも,フィリピンを訪問した天皇明仁】


 ① 2016年1月下旬,フィリピンを訪問した平成天皇夫婦

 天皇明仁(1933年12月生まれ)は,いま〔2016年1月〕の時点で82歳になっていた。2016年1月30日夕刊の新聞記事はベタ記事で「両陛下,フィリピンから帰国へ」と伝えていたが,この平成天皇夫婦がフィリピンを訪問した2016年1月26日から30日,その日程と行動は,マスコミが特大的な扱いで詳細に報道していた。

 第2次大戦時のフィリピン戦線は,51万人8千人もの日本兵戦没者を出した。また,戦場と化したフィリピン側の犠牲者は,市民約10万人も含めて111万人にも達した。しかも,日本兵死者の多くは餓死・病死である。

 日本軍部(旧陸軍参謀本部)は,無責任な作戦準備しかないまま,粗雑な命令を戦場に下命していた。現地にはいまだに日本兵の約38万柱がとり残されているという。また生還できた人びとも,異常な戦争体験による後遺症を背負わされた。

 1909〔明治42〕年生まれの作家大岡昇平は,1944〔昭和19〕年3月教育召集を受け,7月フィリピンのマニラに暗号手として送りこまれた。1945〔昭和20〕年1月米軍の捕虜となり俘虜病院に収容され,同年12月復員できた。大岡昇平は小説家であったが,実録的な体験記を綴った『俘虜記』1949年,『レイテ戦記』1972年が有名な作品である。

 天皇明仁はフィリピンを訪問するなかで,こう述べていた。

 ★-1「出発にさいして」(2016年1月26日) 「フィリピンでは先の戦争において,フィリピン人・米国人・日本人の多くの命が失われました。なかでもマニラの市街戦においては,膨大な数に及ぶ無辜のフィリピン市民が犠牲になりました。

 私どもはこのことをつねに心に置き,このたびの訪問を果たしていきたいと思っています。旅の終わりには,ルソン島東部のカリラヤの地で,フィリピン各地で戦没した私どもの同胞の霊を弔う碑に詣でます。このたびの訪問が,両国の相互理解と友好関係のさらなる増進に資するよう深く願っております」。

★-2「大統領主催晩餐会」(2016年1月27日) 「この戦争においては,貴国の国内において日米両国間の熾烈な戦闘がおこなわれ,このことにより貴国の多くの人が命を失い,傷つきました。このことは,私ども日本人がけっして忘れてはいけないことであり,このたびの訪問においても,私どもはこのことを深く心に置き,旅の日々を過ごすつもりでいます。

 天皇のフィリピン訪問時に発声された天皇明仁のこれら「おことば」に向けては即座に〔訪問中の1月29日のうちに〕,「真の日比友好は『傲慢と欺瞞』の自省から始まる」といった,非常にきびしい批判 註記)も対置されている。
 註記)ブログ『つれづれなるままに心痛むあれこれ 知る事は幸福度を高める』(2016年1月29日 23:33:03)の「天皇のフィリピン訪問『おことば』;真の日比友好は『傲慢と欺瞞』の自省から始まる」。http://blog.goo.ne.jp/1niti1po3kade3po/e/8310f732b7dce43ab64faf85f83c43b4

 本ブログ・本日の記述は,そのブログ『つれづれなるままに心痛むあれこれ 知る事は幸福度を高める』を,② に転載しておく。長めの記述であるが,一読の価値がある。

 ここではくわえてとくに,加藤典洋『戦後入門』からつぎのように引照する。「東京の裁判における」「昭和天皇の免訴」は「その不公正さを際立たせた」ので,換言するならば,「1931年から45年にわたる『共同謀議』に一貫して関わり続けた唯一の人物が免訴されたので,この裁判全体が巨大な冗談めいたものな」っていた。
 註記)加藤典洋『戦後入門』筑摩書房,2015年,183頁。

 天皇家にとって有するこの「敗戦後史的な皮肉ではない大まじめであるべき〈難題:アポリア〉」は,昭和天皇自身から息子の平成天皇の御代になっても,そしてまた当然のこと,徳仁が天皇の地位に就いてからも依然,継続的に彼らの重荷でありつづけるほかない。

 東京裁判(極東国際軍事裁判)において意図的にかけ間違えられたボタンは,いつまでも直されることもないままにある。いまでは高齢の平成天皇がいまさらのように,「父親の犯したけれども決済されていない戦責問題」を,わずかづつにでも清浄化していくための「ある意味では空しい旅程」を,今回はフィリピンに定めて実施していた。

 ②「天皇のフィリピン訪問『おことば』;真の日比友好は『傲慢と欺瞞』の自省から始まる」(『つれづれなるままに心痛むあれこれ 知る事は幸福度を高める』(2016年1月29日 23:33:03)

 --以下,引用に当たっては,表現上の読みやすさを確保するうえで,若干の補正もくわえてある。

 a) 天皇は,1月27日のフィリピンでの晩餐会にあたり,「お言葉」を述べた。これに触れて,思い浮かぶことを書いてみたい。

 天皇は,「この度の私どもの訪問が,両国民の相互理解と友好の絆をいっそう強めることに資することを深く願い……」と最後を結んでいる。ここには,国民各自がそれぞれの意思でフィリピン人と友好関係を築いていることに対して,天皇は自分の行動や言葉が影響を与えるものだと考えているようだ。けれども,この発想は「上から目線」で,敗戦前の大日本帝国時代のように,国民を低くみていることを表わしているものである。
 補注)そのとおりである。日本国憲法そのものがまだ,天皇家・皇室関係者を「高貴な地位・身分(門地)にある社会集団」に位置づけているし,国民の多くもこの事実に対して,根本からの疑問を抱いているようには思えない。「押しつけられた憲法」にしては,実にうまく運営・維持されているのが,この憲法だといえるかもしれない。

 実際に友好関係を築く場合,天皇の行動や言葉はまったく関係がないといってよい。友好関係はそのような事を主たる要素として築けているわけではなく,個人と個人の人格が主たる要素となっていることは明らかである。

 時代錯誤も甚だしいし物事をよく理解していないし,恩着せがましい発想であるといってよいものである。

 また,天皇の行動や言葉を主たる要素とすれば,友好関係が築けない場合が出てくるし壊れる場合もあるのである。つまり,あなたに手前勝手な無味乾燥で薄っぺらで内容のない「言葉」は「大きなお世話」であるということなのである。

 国民のための訪問という体裁をとらず,現在天皇としてある自身が今回あらためて友好関係を築きたいという体裁をとって,日比両国間の歴史に対する認識や立場を表明することを通して伝えればよいのである。その内容がどのような評価を受けるかは別にして。その評価から学ぶべきは学んでいくことが大切なのである。

 b) フィリピンでは「独立運動の父」とされている「ホセ・リサール」の記念碑を訪れ,「武力でなく,文筆により独立への機運を盛りあげた人であった。若き日に彼は日本に1カ月半滞在し,日本への理解を培い,来る将来,両国がさまざまな交流や関係をもつであろうと書き残している。リサールは国民的英雄であるとともに,日比両国の友好関係の先駆けとなった人物でもあった」と述べている。
ホセ・リサール画像
出所)http://bicol.exblog.jp/4938473

 独立運動は大雑把にいえば,「ホセ・リサール」がスペインによって1896年12月30日に「処刑」されたのちも,アジア・太平洋戦争で日本が敗戦するまで続き,1946年7月4日に「フィリピン第3共和国」として米国から独立したのであるが,この人物だけしか触れず,他の人物や独立までの経過にはいっさい触れていない。これは意図的になされた情報操作であり,国民に対する世論操作を狙ったものである。

 ここには,天皇(安倍晋三日本政府)の考え方が表わされているといってよい。また,米国の要請もあったと考えられる。なぜなら,その後,フィリピン独立運動を裏切った「米国」と侵略してきた「日本」が前後して植民地支配をし,フィリピンの独立運動に介入したからである。

 日本国民の前にあらめてその事実がさらされることにより,戦前の米国や日本,そして天皇についての真実の姿をしらせない・しられたくない思惑があったのである。しらないことを,あえて国民にしらせることことは,彼らにとって都合が悪いという考えである。国民に対して非常に欺瞞的な態度であり,姑息な考え方であり,国民を馬鹿にしているのである。

 c) 1898年4月に米西戦争が勃発した。米国は戦争を有利にするために独立に全面協力する事を条件に「エミリオ・アギナルド」に米西戦争に協力することを求めた。アギナルドは,1898年6月12日に初代大統領として「独立宣言」を発した。1899年1月23日,憲法を公布し,「フィリピン第1共和国」を樹立した。

 ところが,1898年12月10日に米西戦争の「パリ講和条約」が締結され,米国がフィリピンの領有権を2000万ドルで獲得すると,マッキンリー大統領は「独立を拒否」し,約束を反故にした。そのため「米比戦争」(1899年2月~1902年7月)となったが,米国は鎮圧し,米国の植民地とした。その間に殺害されたルソン島民は,61万人以上で6分の1に当たる。
 補注)なお,太平洋〔大東亜〕戦争のフィリピン戦線で,日本軍の犠牲になったフィリピン人は,約111万人である。

 1901年7月,米軍政から民政移管。1907年の「フィリピン組織法」により,陸軍長官「タフト」はフィリピンの植民地化を進めた。その間,「桂太郎」日本政府は,米英両国とかかわりをもち,1905年7月,「桂・タフト協定」を締結した。その内容は,こうなっていた。

 ◆-1 日本は,米国の植民地となっていたフィリピンに対して野心のないことを表明。

 ◆-2 極東の平和は,日本,米国,英国3国による事実上の同盟により守られる。

 ◆-3 米国は,日本の朝鮮における指導的地位を認める。

 --関連させては,つぎの出来事も指摘・列記しておくのが便宜である。

 ※ 1916年「ジョーンズ法(フィリピン自治法)」を可決し,将来の独立が宣言された。

 ※ 1934年,フランクリン・ルーズベルト大統領のもとで,「タイディングス・マクダフィー法(フィリピン独立法)」可決により,10年後(1944年)の独立を承認した。

 ※ 1935年9月,ケソン大統領の米自治領政府(独立準備政府)フィリピン・コモンウェルスが成立した。

 ※ 1938年2月,ケソン大統領は日本に対して「フィリピンの中立化」を布告した。

 フィリピンはこうして,米国から「独立」の確約を手に入れたのである。

 ところが,ここでハプニングが起こった。1941年12月8日に日本が米英に「宣戦布告」をし,太平洋〔大東亜〕戦争を引き起こしたのである。1942年1月2日には日本軍はフィリピン・マニラを占領した。米軍は撤退し,ケソン大統領のコモンウェルスも米国へ亡命した。

 d) 日本軍政の実態について。
 
 その1 1942年1月13日,日本軍は「死刑及び重刑」にあたる17の行為を発表した。

  イ) 日本軍に対して反抗する者, ロ) 日本軍の重要秘密を流すもの,
  ハ) スパイ行為をする者, ニ) 日本軍が使用している家・自動車等を破壊する者,
  ホ) 橋・道路・電信電話の装置を壊す者, ヘ) 日本軍の命令に従わない者,
  ト) 飲み水を毒又はその他の方法で汚す者,などである。

 その2 日本軍の残忍性。強姦された女性が逆立ちにさせられ,性器を銃剣で突き刺されて殺されたり,家族のいる前で犯されることもあった。日本軍にお辞儀をしなかったという理由で殺された。
 補注)この蛮行は,日本軍が中国戦線で繰り返しおこなってきた〈実績〉と,まったく同じものであった。

 その3 1942年8月「隣組」を設立。スパイ防止,抗日ゲリラ防止が本来の目的であったが,表向きは「平和と秩序を保ち,人びとの生活を安定させる」ことが目的とされた。

 その4 「ロロ」(スパイ・反日ゲリラに対するみせしめ)行為。それは「日本軍が村人を広場に集め(理由はしらせない),顔や姿がわからないように(眼の部分だけを開けた)大きな袋をかぶせられた1人の男を連れてくる。その男は何人かの村人を指さす。指さされた村人は何日かあとにいなくなった。殺されたのである。証拠もなく。

 その5 1942年2月17日,陸軍司令官が「教育に関する6項目」を発布。

 イ) 大東亜共栄圏の一員としてのフィリピンの立場,「新秩序」建設の真の意味を理解させ日比友好関係を発展させること。

 ロ) 米国,英国へ依存するという古い考えを一掃し,「新フィリピン文化」を育成すること。

 ハ) 民衆の道義を高め,物質主義を止めること。

 ニ) 日本語の普及につとめ,英語使用をやめること。

 ホ) 初等教育を重視し,職業教育を発展させること。

 ヘ) 労働を愛する精神を起こさせること。そして,「君が代」を教えた。

 その6 1942年2月26日「教科書検定委員会」が作られ,「教育に関する6項目」に当てはまると思われる部分は「削除」した。たとえば,「フィリピン,アメリカの旗」「フィリピンのコモンウェルス政府」「ワシントンの誕生日」「アメリカの通貨,度量衡」など。公立小学校では「正しい英語ⅢⅣ」「必須英語5年,6年」「フィリピンの歴史」などの教科書の使用禁止。

 その7 1942年9月1日,15週間の「先生訓練コース」を作ったが,その内容は「6項目に関する教育について」「体育」「フィリピンと日本の歌」「日本語」「日本歴史」などであった。

 その8 1942年11月「日本語専門学校」を開設。このような日本軍の開校した「学校カリキュラム」には必らず「ラジオ体操」を入れた。その意図は,参加する事により「責任と協同の精神を養う」ことであった。

 それ以外には,「食糧不足」に見舞われ,「失業者が増大」した。このような状況が「反日抗日ゲリラ」を生んだ。

 e) 1943年10月14日には,日本は,「大東亜共栄圏」への参加と対米戦争への参戦を条件に,「ラウレル」を大統領として日本の傀儡である「フィリピン第2共和国」を成立させた。しかし,日本の思うような支配ができないだけでなく,「抗日ゲリラ」活動がますます盛んとになった。

 1944年10月20日には米軍が「コモンウェルス」とともにレイテ島に上陸し,1945年2月から1か月間の「マニラ市街戦」を経て,米軍は日本軍を制圧した。1945年8月,日本の敗戦により,翌年の「米比マニラ条約」で,「フィリピン・コモンウェルス」の組織を引き継ぎ,1934年の独立の約束により「フィリピン第3共和国」(1946年7月4日)が成立し,独立を達成した。
マニラ市街戦跡
出所)http://manila.keizai.biz/photoflash/68/
 
 なお,マニラ市街戦(1945年2月3日~3月3日,画像参照)などについて,天皇は「貴国の国内において日米両国間の熾烈な戦闘がおこなわれ,このことにより貴国の多くの人が命を失い,傷ついた。このことは,私ども日本人がけっして忘れてはならないことであり,私どもはこのことを深く心に置き……」と述べているが,

 市街戦となった原因は「日本大本営」がフィリピン日本軍に「市街戦を命令」したことにあり,日本の最高戦争指導者の意識にこそ重大な問題があったのであり,責任を問われるべきものであったこと事を国民はしっておかなければならない。国民の16人に1人が死亡したフィリピンでは,毎年2月14日に追悼式がおこなわれている。
 補注)ちなみに沖縄戦では,県民人口のうち約3割〔10人に3人→約3人に1人〕が犠牲になっていたといわれる。

 そして,天皇は「私ども日本人がけっして忘れてはならないこと」とを,「国民全員」を意味する表現で述べているけれども,これこそ国民は「不快感」を明確に表明すべきであると思う。

 なぜならそれは,加害者であり,許しを請わなければならない戦争加害最高責任者,しかもその子孫であればそれを継承することは当然である「天皇」が,相手国に対して「加害者」(→それは被害者といえる)となることを「強制」したり,くわえてまた「加害行為」を「強制」したりした(→反対した国民は「非国民」として扱い,「治安維持法」によって「刑罰を科し,今日なお名誉回復をも認めていない」)「国民」に対して,いえるはずのない「傲慢さ」を表わす「言葉」であるからである。

 f) このような「言葉」からは,「天皇」には「国民」に対して「罪の意識」「謝罪の意識」がまったく感じられない。「加害」の責任を「国民」に負わせようとする意識さえ感じられる。それは,敗戦直後の東久邇宮内閣が発した「一億総ざんげ」論の考え方につながるものであり,同根のものと考えてよい。

 なんと,現在の日本は間違いなく,敗戦前の「大日本帝国」へ回帰している。なんと恐ろしい時代日本になってきたことであろう。なんと恐ろしい「天皇・安倍政権」であろう。彼らの常識は世界の非常識である。
 補注)もっとも,安倍晋三の唱えていた「戦後レジームの否定」と天皇家側の「戦後レジームの受容」とは「水と油の関係」である。だが,無理に水と油を混ぜ合わせない状態,つまり水と油の平和的共存状態が奇妙にも保たれているのが,この日本国の不可解さである。

 彼らは,民主主義を大切に思う国民と同じ「土俵」には立っていない。彼らにあっては「そのこと」にうろめたさも感じていない。国民が「欺瞞」と判断しても,彼らは自分たちが正しいと信じているのであり,一つの宗教信仰の域に入っている。それは天皇教(国家神道)である。安倍晋三が天皇家と親戚関係にあることからも納得できる。「説得して彼らが翻意する」というようなものではない世界に住んでいるのである。国民はそのような政権の持続を許しておくならば「人権尊重を基にした幸せ」を守ることはできない。

 g) メディアは,故意に以上のことに触れないことも忘れてはならないのである。メディアは企業であり,経営上利益を損なうことはあえてしないということも忘れてはならない。国民はつねに科学的な思考を保ち,絶え間ない努力によって真実をしることが大切である。

加納莞蕾の娘佳世子画像 メディアは,昨〔2015〕年11月,「加納莞蕾美術館」の名誉館長をしている加納莞蕾の娘佳世子氏が,昨年11月にフィリピン元大統領キリノ氏の孫娘ルビー氏と面会したと報じていた。今回,天皇はフィリピン訪問にさいして,ルビー氏と面会したようである。なにかをしる,何かにかかわるということは,そのことに対して自己の責任が生じると考えるのが常識である。
 出所)画像は加納佳世子,http://www.mediaisland.co.jp/author/author251.html

 加納莞蕾は自分の言葉にもとづいてどのように責任を果たしたのだろうか。佳世子氏は父親の言葉に対して,どのように責任を果たしてきたであろうか。今日の安倍政権下の日本に対して,どのように責任を果たしているのであろうか。その責任が果たせていなければ,莞蕾氏の言葉は「欺瞞」でしかなかったということになり,佳世子氏もメディアに出てきたことは「欺瞞」の上塗りであり,メディアは加納氏やその娘佳世子氏を美談に仕立て上げたという「欺瞞」をおこなったことになる。

 天皇も今後,どのようにその責任を果たすのかということが問われることになったのであり,それから逃れることはできなくなったのである。そうでなければ,キリノ氏やルビー氏やフィリピンの人びとは,日本の政府やメディアなど国家挙げての「詐欺」にひっかかったことになり,あらためて恨みをもつことになるだろう。

  ※1 加納莞蕾の言葉;「許されざる者を許すことが日本人が過去を反省し,懺悔し,軍国主義を拒否することになる」と訴え,BC級戦犯の助命減刑嘆願書をキリノ氏に送った。

  ※2 国民の反対を押し切って助命減刑を決断したキリノ氏の日比両国民への声明「私は日本人戦犯に対し,特赦を与えた。妻と3人の子ども(2歳の娘は銃剣でとどめを刺された),さらに5人の親族を殺された者として,自分の子孫や国民たちに,われわれの友となり,わが国に長く恩恵をもたらすであろう日本人に対し,憎悪の念を残さないために。結局のところ,日本とフィリピンは隣国となる運命なのだ」。

 h) これまでの日本政府,また現在の安倍政府は,被害者の心を察する気持がきわめて薄い。それは自分たちは正しいという「傲慢さ」にある。それを押し通すために「欺瞞的な手法」がとられる。それは対外国に対しても,日本の国民に対しても一貫している。

 そのために政府間の友好関係が築けないし,国民の権利を尊重しないという姿勢をとる。その根底にはアジア・太平洋戦争にかかわるいっさいのことがらについて,「自衛のための戦争」「アジアの解放のための戦争」「仕掛けられた戦争」であったとする認識を,疑わず固執しているからである。彼らは天皇家と一体化しており,天皇家とともにあるから,「天皇制」を守りつづけなければならない宿命なのである。

 i) 最後に,今回の天皇のフィリピン訪問は,安倍政権がすすめる「集団安全保障体制の整備」政策の一環として実施されたのである。

 ③ 若干の感想的まとめ

 以上 ② の引用・紹介のうち,最後の i) に注目しておく必要がある。フィリピン側は,最近までにおける中国の軍事的拡張路線にもとづく攻勢に対しては,「たじたじである現状」を余儀なくされており,現実にその程度でしかない「国家体制の事実=国力・経済力:軍事力」の水準に置かれている。( ↓ 画面 クリックで 拡大・可)
中国南シナ海浸出図解
出所)http://okinawamondai.com/china/3fact/

 アメリカとは過去におけるいきさつもあって,あまり多くを頼るわけにもいかない。そこで,その間隙を少しでも埋めるための助力を日本からえようと努力している最中である。これは,平成天皇によるフィリピン訪問を実現しやすくした一要因でもある。


日本で最大の巡視船をバリアフリーに改造して、一夜の宿になさり、
「A級戦犯」と英霊を蔑まれつつ、お膝元の靖國神社をないがしろになさりつつ、
一体、何の慰霊でしょうか。(海保の船使用は、別のメリットがあることは、
最近、防衛の専門領域にある方への取材で知りましたが。
それならいっそ最初から、手術室も備わり大型ヘリも搭載出来る
護衛艦になさればよろしいでしょう。それを国民にもこっそり、
海保の船を老人用に改造させてご使用は、姑息です)

しかも、GHQ東京裁判という歪んだ史観をベースに、実態は
慰霊という名の「日本軍は最悪だった、国民は反省せよ」との
メッセージをわざわざ海外で発信される。

タイにおける反日プロパガンダは、小和田恒の作文でした。
宮内庁⇒外務省 内閣の意向は無視で、「慰霊」という
その実、反日自虐史観プロパガンダ行脚。
村上春樹の、その立場を利用した日本貶め海外行脚と、
どこが異なるでしょう?

宮内庁発、外務省働きかけの構図がこのままだと定着してしまいそうです。

宮内庁発と言っても、いかに宮内庁が反日外務省と創価で固められているとはいえ、行きたいから「はからえ」、と意志を伝えるのは天皇陛下です。
しかしながら、元々そうですが耳元で囁くのは皇后陛下です。
フィリピン行きで、天皇陛下の認知症が露わになった現在、
言い出すのは常に皇后陛下かバックの反日組織であること、
もはや明らかでしょう。

その結果、マスコミと脳機能停止の保守は、ひたすら賛美、
慰霊旅が実は天皇(皇后)の押しかけ旅行であり、大統領選間近の
フィリピンでは内心、迷惑。歓迎する国民もいますが、多くは
マニラの空の便が乱れに乱れ、足の邪魔をされ「何で来るの」、
中には「え、来てたの」という無関心ぶりで、それよりフィリピンが
初めてミス・ユニバースを出したことがめでたい関心事。
マニラ空港のフライトが乱されていて、それは天皇訪問による、と
いう形で報じられています。

何度も書いていますが、天皇陛下が日本国民に反省を強いたごとき、
悪いことをフィリピンではやっていません。大量殺戮もしていません。
それはアメリカの仕業です。
それをあたかも、日本軍のしわざであるかのような天皇陛下の
ご挨拶、羽田を立つ時から始まり、マラカニアン宮殿での
晩餐会でも、認知症で奇妙な動作は見せながらも読み上げられました。
傍らの、大統領は史実はご存知なので複雑な表情をなさっていて、
そのご挨拶で微妙な返しをなさっています。天皇に責任はないのですよ、
つまり日本軍は悪く無いですよ、と言外に微妙に込めながら。

皇軍はフィリピンで愛されていた、とまで知っている保守が、
天皇陛下のフィリピン慰霊を、褒め称えるのみで、
その言動の反日性を見ない、聞こえない、気づかない。

新興宗教の教祖を仰ぐ信者と、精神の仕組みは変わりません。

心根正しくなくなった者を尊崇するのは、おろかの極みであり
その愚かさが自己完結するなら良し、しかし周辺を
腐らせるので罪です。

天皇の売国スピーチ作文を、タイ向けに書いたのは小和田雅子さんの父親である小和田恒氏ですが、フィリピンでの壊国スピーチは誰の作文でしょうか。
どうせ外務省の
売国役人でしょうが、今回もひょっとしたら小和田恒の作文かもしれません。
こんな売国ゲスの娘を入内させるのが、まずもって売国の極み。

朝鮮式ご挨拶コンスの広めから、天皇陛下のお話中の低頭廃絶も皇后陛下。
お手振りの角度が天皇と同等、歩くのも肩を並べ、時に先頭切って、あたかも
天皇を従者のごとく歩かれる前代未聞の、勘違い女帝ぶりも美智子様から
始まり雅子さまに受け継がれています。皇室にはタブーの、フェミニズムから来る薄っぺらい男女同権を今や超えて、女性上位です。

美智子さま、雅子さまと見事なまでにGHQの皇室弱体化、日本弱体化路線の
延長上で宮中に入り込んだ、エイリアンでです。
美智子さまは、米国の息がより濃くかかった製粉系統の売国組織と、
公職追放にならなかった、非愛国主義者たちとキリスト教徒がバックに、
雅子さまは外務省創価が後ろ盾です。

宮中に実質的天皇はもはやいません。在るのは、GHQ仕込みの庶民成り上がり、欧州王室界からは、「貴賤結婚」の卑しき女としての認識しか得られなかった女帝です。

早く秋篠宮家に日が射し、追い風が吹上げますように。

紀子さまには華子さまの凛とした皇族の矜持の系譜をつつがなく繋がれ、悠仁天皇の国母として日本女性の規範となって頂きたく存じます。
東宮夫妻はモンペとして、学習院の伝統まで破壊してしまいました。
もはや、あそこは日の丸にお辞儀もしない学長、朝鮮人の講師、
韓国語が第二外国語、人民解放軍左翼オペラ上演、と反日学校に
堕してしまいました。

<転載終了>


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