6人に1人が貧困、と言う我が国で、
この国に生きる人々の60%以上が生活が苦しい(平成26年厚生労働省「国民生活基礎調査」
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa14/dl/16.pdf#page=16)
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と感じている事を放置して、一億総活躍など、何の意味も無い言葉。
まともに年越しが出来ない国民が多数いるなか、安倍はゴルフ三昧、その上、番記者を集めて国費で豪華な忘年会を開いていました。
安倍政権は絶対に許せません。
ODAやらで68兆円以上も捨てる悪代官の棄民党はキャッシュバックでウハウハ・・・
国民の税金を、非国民が他国民に使う国・・・
野党結束し、是が非でも安倍政権を倒してください。
国が地方自治体に出す交付金をてこにした原発立地自治体への圧力が強まっています。安倍晋三政権は2016年度予算案の作成にあわせて電源立地地域対策交付金の算定方法を変更しました。再稼働しなければ交付金が大幅に減額される仕組みです。なかでも知事が再稼働に慎重姿勢をとっている新潟県の下落幅が最も大きくなることが、本紙の調べで分かりました。
【原発事故】泉田知事がいなければ 今ごろ東京に人は住めていなかった
原発の交付金見直しは、経産省の官僚がいくつものパターンをシミュレーションしてつくったものでしょう。来年の知事選も念頭に、再稼働に慎重な新潟県を狙い撃ちしたものだと思います。
柏崎刈羽原発のメルトダウン事故は新潟県のみならず関東圏+をも全滅させる危険を有することは誰でもわかるであろう。
再稼働に前向きな自治体には補助金で優遇するが、後ろ向きな自治体は他の予算を含め徹底的に冷遇するという脅しです。
それにしても交付金の元は税金だ。
好き勝手に使う自民党のやつらへの高額生活保護費こそ取り上げるべきだ。
新潟を狙い撃ちするアベ兵糧攻め姑息政権。弱虫毛虫の自民政権。正々堂々とやることやって対抗しろ!→→
原発再稼働しなければ交付金を減額/国が自治体へ圧力
これは電力会社が大手スポンサーであるマスメディアは絶対に報道しないニュースですね。
腐ったような県知事ばかりの中、泉田知事の戦う姿勢は眩いばかりに光り輝いています。どうか新潟の方は泉田知事を応援して欲しいものです。
日本の官僚機構には事業を評価し,責任をとるシステムがないからです。だから見直す理由がない。時代状況に合わなくなっても事故を起こしても,採算がとれなくなっても。
国会議員が 何人いても 結局 アメリカの指令で動くのなら 半分はいらない
官僚も 半分 外務省は まったく不要
日本「国の防衛」問題に関連させて「日本海側にずらりと並んだ原発」をどうするのだと指摘した〈軍事的な危険性〉への配慮は,当然でありうる関連事項であり,その重要問題である。この点に関する憂慮は,原発が存在するかぎり永久的に覚悟すべき軍事的な要衝の話題を提供している。
さらに,その危険性をもたらすだろう仮想敵国は,多分「北朝鮮」が想定されている。だが,純粋に軍事的な攻略要因として理解を徹底させたいのであれば,その仮想敵国にはアメリカも入れておかねばならない。この点は,軍事問題を専門として研究する者であれば,けっして否定しない論点である。
政治が見直しを促すべきですが,その意志も能力もないまま,まったく実現する見通しのない巨大プロジェクトが意味もなく続いてきました。この国の20年,30年先のことをまともに考えていないということです。
東京電力福島第1原発でも,事故から4年以上経つのに汚染水の処理すらできていない。そんな現実が私たちに突きつけているのは,原子力という技術は人間の手に余るということです。
原発事故は,福島から将来の希望を奪っているようにみえる。福島第1原発で起きた複合的なメルトダウンは,人類にとっていわば,初めての体験である。ことばはいささか過激になるが,ある種の「戦争」にぶち当たったと考えないといけない。
「敵」は生きている。まだ,やりこめていないのだから,こちらが油断すると,再び暴れ回る可能性がある。われわれは,破壊された原子炉のなかでいま,起きている事態をコントロールできているわけではない。
原発は巨大になり過ぎた。人間のスケールをはるかに超えた。人との距離は広がる一方だった。私のようなことをしている若い原発技術者は,もういない。そもそも日本人に原発をもつ資質があったのか。最近,そんなことを考えたりする。
「内閣記者会の懇談会は安倍首相になってから格段に豪華になりました。去〔2015〕年は有名寿司店のケータリングがあり,腕利きの板前が握りたてのトロやイクラを振るまってくれました。公邸お抱えのシェフが切り下ろしてくれたローストビーフは,とろけるような食感でしたね。政治家の政治資金パーティーで出されるホテルの料理より何倍も美味でした」(前出の記者)。
補注)ケータリング(英:catering)とは,顧客の指定するもとに出向いて食事を配膳・提供するサービス業のこと。 ケータリング専門業者が存在するほか,ホテル付帯のレストランの一 事業としても提供されている。日本語でいえば「出前料理」に相当する。日本語を使えばいいのに,なぜカタカナを使うのか? 寿司を cater させたのであって,sushi を出前料理させたわけではない,というのにである。
安倍首相の正面にはスマホで写メを撮ろうとする記者が喜々として列をなし,実際,ある大新聞の記者と安倍首相のツーショットをみせてもらうと,家族みたいに仲むつまじい様子だった。
さらに驚くのは,これらはすべてタダ飯,タダ酒ということだ。首相官邸に問い合わせると,「懇談会にかかる経費はすべて国費で賄っております」とあっさり認めた。つまり,番記者たちは国民の税金で飲み食いしているということになる。
政治評論家の伊藤達美氏がいう。
「権力者である首相と取材する側の記者には,適切な距離感と緊張感が必要です。懇談会はいいとして,かかった飲食費を官邸と記者で折半するとか,会費制にするとか,いくらでも方法があるはずです。 “すべてご馳走さま” ではなれ合いの関係に陥り,政権に不都合な話が書けなくなってしまうと誤解されても仕方ないと思います」。
補注)この指摘(批判)は的確・適切である。会費制で参加するのが当然である。第4の権力だといわれる言論界に属する大手新聞社の小物記者たちまでが,内閣府の予算で飲み食いすることをなんとも思わないようであれば,われわれの側としては新聞など購読(契約)したくなくなる。「第4の権力」が「第1」の「それ」のなかに併呑されてしまっているのだから,実に自覚を欠いた,それもたわいもない無責任な人たちである。
権力と闘っているフリをして世論誘導しようとするごっつぁん記者のタレ流し報道を信用していると,この国はトンデモないことになる。
「東電福島第1原子力発電所事故現場の始末にさえ,あと何十年以上かかるか誰にも分かりえない時分に,この人たちは原発(とくに高速増殖炉「もんじゅ」)を再稼働させろと声高に叫んでいる。恐ろしいほどの時代錯誤である」
東電は原発を推進するために「原発は安全」という嘘を強調しつづけなくてはならず,その結果,なんでもかんでも隠すことが普通の体質になってしまったという。
「どうしてこうなったのか。根底にあるのは……リスクをとることを躊躇する姿勢だ。監督官庁も同じだ。原発の安全神話を守ろうという意識。失敗は許されない 「減点主義」 がはびこる日本の会社や官僚の風潮。なにより,現場を知らないリアル感覚のなさ……」。
1979年3月28日,スリーマイル島のPWR炉の炉心溶融事故が発生した。1986年4月26日,チェルノブイリ型黒鉛減速チャンネル型炉の暴走による蒸気爆発事故で,半径300km以内の住民は移住を余儀なくされた。
原子炉事故は,原爆のような多量の中性子を放射するような核爆発は生じないため,事故時の死者は多くはない。しかし,チェルノブイリ事故が明らかにしれたように,原子炉のなかに蓄積しているトン単位に達する放射性物質の数%が放出されただけで10の 5~7乗キューリーの放射能が撒き散らされ,1平方キロ当たり15キューリ以上の汚染地帯には長期間住めなくなった。
原発に事故が発生し放射能が拡散すると,広大な面積が居住不可となり恐ろしい事態を迎える。そのように認識した米国では,原発の建設がストップした。 ヨーロッパ,とくにドイツでは原発を段階的に廃棄することに決めた。
「原発はブラック・スワンが潜んでいる」という本質的な問題を抱えている。ブラック・スワンとは,マーケット(市場)において事前にほとんど予想できず,起きたときの衝撃が大きい事象のことをいう。これを原発に当てはめていえば,「事前にはほとんど予測できず,起きたときの被害が大きい事故」を指すことになる。
しかし,「3・11」の東日本大震災のために惹起された東電福島第1原発の大事故が「ほとんど予測できなかった」とはいえない。その「やる気さあれば」逆になりえていたのであって,大事故は起こさずに済んでいたかもしれない。
さらに,原発技術についての特異性と現在の原発が抱える問題点についても述べる。「そもそも日本人に原発をもつ資質があったのか。……一方向だけをみて,都合の悪いことは切り捨てる,排除する,みないようにする。原発についても,自由に意見交換をしたり討論をしたりできない,独特の雰囲気をつくってしまった。これが大きな間違いだった」。
しかしまた,最近における原発再稼働への動向は,原子力という核燃料=悪魔のエネルギーを飼い慣らしえていない原子力ムラの勢力(政・官・財・学・マスコミ)が,今世紀に記録されるべき原発の大事故に遭遇させられても,まだ『懲りない面々』の利害集団として生きのびている実情を教えている。
信頼性工学(Reliability Engineering)は,「故障」という品質を扱う学問である。扱っているのは,機械や道具の品質である。この学問は,機械や道具を作っているメーカーには大きく関係する学問といえる。また,たとえば材料を作っているメーカーでは,材料を作るための設備の品質を考えるための学問として, 信頼性工学が関係している。
信頼性工学は,故障の話から始まるが, 故障すれば人の生命にかかわってくることもある(原発ではその可能性が非常に大である)。経営に打撃を与えることにもなるゆえ(東電はどうであったか?),リスクの分野にも関連が生じる(「安全神話」の倒錯性)。 また,当初は機械や道具の学問だったようであるが,現在はコンピュータ・システムの信頼性も扱っている。
要するに「信頼性」とは,「故障しない性質」と「故障しても修理が容易な性質(保全性)」を合わせて信頼性だといっていい。
一般的なプラントの寿命は20年だと指摘されていた。原発の場合,原子力をあつかう特殊な機械・装置である原子炉の寿命が問題となる。その寿命は,何十と何年に決めておけば,適切な期間に設定されているといえるのか?
原発の耐用年数は20年だとも聞く。これは一般的なプラントの期間に同じである。実例としては,30年の使用期間で廃炉にされた原発もある。ところが,日本では40年間も稼働させ,さらに20年間も延長させるもくろみが声高に主張されている。
原発を廃炉処理していくための作業工程では,放射性物質の汚染の問題が特殊要因として,その作業に負荷される。ほかのプラントとは,定性的な基本要因からして,大きく相違する問題に対面させられる。
ましてや,原子炉の爆発事故を起こした原発は,この核燃料の問題じたいがかかわってくる事態を伴うものゆえ,とてつもない手間と暇をかけて,後始末をしなければばならなくなる。この事実はまさに,チェルノブイリ原発事故(1986年4月26日)とともに東電福島第1原発事故(2011年3月11日)が,いまもなお継続的に嫌というほどに実証させられている点である。
一般的な化学プラントが爆発事故を起こし,物理・化学的な有害物質をまき散らした現場とも,まったく異相,雲泥の差がある深刻・重大な結果を,原発の事故は招来させている。
戦争になぞらえれば,福島第1原発は,まさにフロントオペレーション,前線基地だ。前線基地でもっとも大切なのは,いうまでもなく士気。モチベーションだ。まだ,戦争が終わる前から,そこから逃げ出したいという弱気が顔を出したら,勝てる戦いも勝てなくなってしまう
そもそも,事故そのものが最終的に幕を下ろすまで,具体的にいえば,現在の1~4号機の不安定な状態を解消し,破壊された原子炉を廃炉にするまで,どれくらいの年月がかかるかも定かではない。
それほどまでに困難な仕事。長期にわたる営み。さきのみえない手かがりの挑戦を,東京電力だけに任せておいていいはずがない。国も関与を強めつつあるが,まだまだ足りない。日本のゆくすえをきめる一大事と腹を決め,覚悟を固め,国がもっと前面に出て,最善を手を打つべきではないか
けれども,日本の原発の利用状況においてはひたすら,「経済性を最優先する稼働」が意図され実行されてきた。さらに,諸外国の原発稼働の問題を,とりわけ地震多発国であるこの日本と同じに議論する方途じたいが,見当違いの主張である。東日本大震災:「3・11」時の東電福島第1原発大事故の記憶など,すでに完全に喪失したに等しい詭弁が高揚されている。
福島ではこれから,原発事故の収束,廃炉に向けての作業が延々と続く