あの日米60年の年表を元に、現状を理解するのに最低限必要なことがらを追加してみた。こうしてみると、一貫して日本が食い物にされてきたことがわかる。 まだ不完全で修正が必要だけど、誰か生かしてほしい。 基本的な年数は合っているはず。 なお同じ年に起こった出来事は、寄せ集めただけで発生順ではない。 また、そのため首相在任期間の部分とできごとがずれているかもしれない。
・アメリカ、ハワイ原住民を大虐殺。リリウオカラニ女王廃位。ハワイ王国滅亡(1895年)
・アメリカ、ハワイを準州として併合(1898年)
・米比戦争(1899~1913年)アメリカ軍、フィリピン人を60万人虐殺。フィリピンを植民地化。
・日露戦争。日本がロシア帝国に勝利し、有色人種が白色人種に勝てることを証明し、アジアやアフリカやインドなど、植民地にされた国々と人々に独立の希望を与える(1904年)
・鮫島純也、生まれる。出身は鹿児島県加世田市(1904年)
・日本、関税自主権を回復(1911年)
・連邦準備制度成立(FRS)(1913年)
・第一次世界大戦(1914~1918年)
・山口組設立(1915年)
・ロシア革命(1917年)
・住吉一家二代目(後の住吉会)設立(1917年)
・コミンテルン(正式名称、共産主義インターナショナル、別名、第三インターナショナル)結成(1919年)
・王立国際問題研究所(チャタムハウス)設立(1920年)
・外交問題評議会(CFR)設立(1921年)
・日本共産党(第一次共産党)設立準備委員会発足(1921年4月)
・ソビエト社会主義共和国連邦成立(1922年)
・日本共産党(第一次共産党)(1922年7月15日創立~1924年3月解党)
・太平洋問題調査会(IPR) 設立(1925~1961年)
・日本共産党(第二次共産党)(1926年12月再建~1935年3月壊滅)
・鮫島純也、日本大学法学部政治学科を卒業(1930年)
・グラス・スティーガル法 制定(1933年)
・ヒューイ・ロング暗殺(1935年)
・鮫島純也、衆院戦に立候補し初当選(1937年)
・鮫島純也、小泉又次郎の娘芳江と結婚。入り婿として小泉姓へ。(1937年?)
・ナチスドイツ、ポーランドへ侵攻。第二次世界大戦開始(1939年)
・日本、1940年体制確立(1940年)
・大日本帝国、日本の自存自衛とアジアの解放を掲げ、大東亜戦争開戦(1941年12月8日)
・日本銀行法制定(1942年)
・ブレトン・ウッズ協定締結(1944年)発効(1945年)
・マリアナ・パラオ戦。日本軍人6万3千人がアメリカ軍に殺される(1944年6~9月)
・フィリピン戦。日本軍人約34万人がアメリカ軍に殺される(1944年10月~1945年8月)
・マニラ大虐殺。アメリカ軍の砲爆撃により、マニラ市民10万人が虐殺される(1945年2~3月)
・硫黄島戦。日本軍人1万8千人がアメリカ軍に殺される(1945年2月~3月末)
・東京大焼殺。東京市民10万人以上がアメリカ軍に生きたまま焼き殺される(1945年3月10日)
・沖縄戦。日本軍人・沖縄市民合わせて約20万人がアメリカ軍に殺される(1945年3~6月)
・ナチスドイツ滅亡(1945年5月)
・広島にガンバレル型ウラン原爆リトルボーイ投下。広島市民16万6千人がアメリカ軍に虐殺される(1945年8月6日)
・長崎にインプロージョン型プルトニウム原爆ファットマン投下。長崎市民14万9千人がアメリカ軍に虐殺される(1945年8月9日)
・ソ連軍満州侵攻。日本側8万人以上殺される(1945年8月9日)
・日本人70万人以上がソ連に連行され、シベリアなどに抑留される。内6万人が死亡(1945年~1956年)
・大東亜戦争終結(1945年9月2日)
・欧米支配者層、第二次世界大戦の境の頃より、植民地支配の形式を、領土を丸ごと直接支配するハード路線から、形式的独立を与え、金融・経済の実質を間接統治で支配するソフト路線に切り替える(新植民地主義・非公式帝国)
・ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(1945~1952年)
・財閥解体(1945~1952年)
・漢字廃止論。連合国軍最高司令官総司令部に招かれた第一次アメリカ教育使節団が学校教育の漢字の弊害とローマ字の利便性を指摘した(1946年3月31日)
・公職追放(1946~1952年)
・極東国際軍事裁判(1946~1948年)
・国際復興開発銀行(後の世界銀行)設立(1946年)
・国際通貨基金(IMF)創設(1946年)
・中央情報局(CIA)改組設立(1947年)
・世耕弘一(世耕弘成の祖父)、GHQ傘下の経済科学局(ESS)と共に旧陸海軍の隠匿物資の捜索を行った、隠退蔵物資摘発委員会の委員長を務める。
・GHQの命令により、旧日本軍の隠退蔵物資(金やダイヤなど現在価値で数十兆円分)を接収するために、東京地検に「隠匿退蔵物資事件捜査部」(通称「隠退蔵事件捜査部」)創設(1947年)
・東京地検特別捜査部(実質CIAの下部組織)に改組。歴代トップはCIAとの関わりが深い。任務はCIAの指令(情報リーク)によりアメリカの意に沿わない日本の政治家や実業家などを排除すること(1947年)
・農地改革(1947年)
・孫(当時は安本姓、孫姓は正義が結婚後に創った)一族、南朝鮮より日本に密入国(1947年)
・「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律」(独占禁止法)制定(1947年)
・関税および貿易に関する一般協定(GATT)発効(1948年)
・政治資金規正法 制定(1948年)
・アメリカ政府、日本を逆コース(経済復興)へ方針変更。ハリー・カーン暗躍(1947~1948年)
・東条英機ら7名処刑(1948年12月23日)
・岸信介、アメリカの走狗になることを誓い釈放(1948年12月24日)
・稲川組(後の稲川会)設立(1949年)
・麻生太郎、CIA日本支局長ポール・ブルームに預けられ、スパイとして養育される(1950年代~1960年代)。
・小泉(旧姓・鮫島)純也、在日朝鮮人の北朝鮮送還事業に中心的な役割を果たす(1950年代)
・朝鮮戦争(1950~53年)
・トルーマン、マッカーサーを更迭(1951年)
・日本国との平和条約発効(1952年)
・日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約発効(1952年)
・日米行政協定発効(1952年)
・日米航空協定(1952年)
・ビルダーバーグ会議(1954年~)
・アメリカ、余剰農作物処理法成立。日本、小麦・トウモロコシの輸入拡大(1954年)
・世界基督教統一神霊協会創設(1954年)
・自由民主党結成(1955年)
・CIAから自民党に数百万ドルの資金援助が行われる(1950年代半ば~1970年代初めまで)
・由美子ちゃん事件。沖縄で6歳の少女が米兵に嘉手納基地に連れ込まれ、トイレでレイプされたうえ殺害されゴミ捨て場に捨てられて発見される(1955年9月3日)
・日米綿製品協定締結。対米綿製品の輸出を自主規制(1957年)
・ベトナム戦争(1960~1975年)
・日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約発効(1960年)
・日米地位協定発効(1960年)
・池田大作、創価学会の会長に就任。総体革命(創価学会員の、日本の政界、官界、言論界、教育界、法曹界、医療界などへの浸透戦略)を推進(1960年)
・小泉純一郎、県立横須賀高校卒業(1960年)
・小泉純一郎、1浪し慶応大学経済学部に裏口入学(1961年)
・大韓民国中央情報部(KCIA)設立(1961年)
・戦略国際問題研究所(CSIS)設立(1962年)
※CSIS(米国・戦略国際問題研究所)について
1962年にアーレイ・バークおよびデイビッド・マンカー・アブシャイアによって、ジョージタウン大学の付属研究機関として設立された。1987年、同大学から独立した研究機関となった。現在、CSISは、アメリカ陸軍・海軍直系の軍事戦略研究所でもある。
理事長には、1999年より、元アメリカ合衆国上院議員でアメリカ合衆国上院軍事委員会の民主党の重鎮、サム・ナンが、同研究所所長最高経営責任者には、2000年4月より、元アメリカ合衆国国防副長官のジョン・J・ヘイムリ (John Hamre) が務めている。また、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官やカーラ・ヒルズ元通商代表、リチャード・アーミテージ元国務副長官、ズビグニュー・ブレジンスキーが理事を務め、顧問には、同ヘンリー・キッシンジャー、その弟子のブレント・スコウクロフトがいる。現在では日本から多くの将来有望な若手官僚や政治家(候補含む)がCSISに出向して学んでくる慣習が確立している。現在ではCSIS留学組が日本の官僚機構の中枢を占める。
※デイビッド・マンカー・アブシャイア(David Manker Abshire) 1926年テネシー州生まれ。大統領学研究センター(CSP)代表。戦略国際問題研究所(CSIS)共同創設者で副理事長。1951年ウエスト・ポイント陸軍士官学校卒業。1959年ジョージタウン大学にて歴史学博士号取得。同大学にて長年助教授を務める。1980年の政権移行期にロナルド・レーガン大統領により国務省、国防総省、米軍情報庁およびCIAを含む国家安全保障グループの統括役に任命。
・小泉純一郎、単位が足りず3年に上がれず留年(1963年)
・ジョン・F・ケネディ大統領 テキサス州ダラスにて暗殺(1963年)主理由はその後のベトナム戦争で利益を上げる計画だった軍産複合体(国際金融資本が株主)に逆らい、南ベトナムからのアメリカ軍事顧問団の早期完全撤収を計画したため。ケネディ暗殺後、ジョンソン大統領の下でアメリカはベトナム戦争に本格介入(1965~1975年)し、10年の長期にわたる泥沼の戦いを続ける。副理由に大統領令11110にて政府紙幣を発行したため。
・小泉純一郎、2回目の留年(1964年か1965年のどちらか)
・日本対米貿易収支黒字化(1965年)
・行政官長期在外研究員制度開始。入省8年未満の若手官僚を2年間海外の大学院などに留学させる制度(1966年~)
・日米鉄鋼摩擦。対米鉄鋼輸出を自主規制(1966年)
・小泉純一郎、4年に進級(1966年)
・小泉純一郎、慶応大4年(1967年3月に卒業できず、1967年4月時点で3回目の留年)の時、婦女暴行事件で逮捕。父、小泉純也に揉み消して貰う(1967年4月)
・小泉純一郎、都立松沢病院に精神分裂病で強制入院(1967年4~6月)
・小泉純一郎、慶応大学を政治力で5月卒業(実質退学放校)扱い(1967年)このため卒業後に留学したという説と、卒業前に留学し帰国後に卒業したという説(しかし帰国後に再び大学に通って単位を取得し卒業した形跡無し)と卒業前に留学したが帰国後に卒業していない(未卒業のまま)という諸説に分かれる混乱の原因となる。政治力で5月卒業扱いにしたという事情を知らない人間には卒業前に留学したように見える。またこれが5月留学説の根拠と思われる。
・小泉純一郎、ロンドン大学へ聴講生として逃亡留学。単位取れず(1967年7月)
・アメリカ電子機械工業会が日本製テレビをダンピングとして提訴(1968年)
・海底調査の結果、東シナ海の大陸棚に石油資源が埋蔵されている可能性があることが指摘される(1968年)
・小泉純一郎、一時帰国?琉球政府行政主席の初の公選で、CIAの代理人としてCIA資金2000万円の授受を担当(1968年)
・第2次佐藤第2次改造内閣(1968年(昭和44年)11月30日 - 1970年(昭和46年)1月14日)
・国連が行った海洋調査で、推定1,095億バレルという、イラクの埋蔵量に匹敵する大量の石油埋蔵量の可能性が報告される(1969年および1970年)
・日本経常収支黒字化(1969年)
・高橋信次、新興宗教団体 GLA 創設(1969年)
・小泉純一郎、父の急死により帰国(8月)、衆院選に立候補するも落選(12月)(1969年)
・沖縄密約(1969年)
※ニクソン政権は沖縄返還了承にあたって、「米政府に財政負担をかけない」ことを要求。日米間で秘密裏に沖縄返還に伴う財政取り決めの協議が行われた。米側は「米国が沖縄に投資した資産を回収したい」と表明。結局、インフラなどの資産買取1億7500万ドルを含む3億2000万ドルを日本側が支払うことで合意した。その後、非公表の日本側財政負担がさらに1億9000万ドルあったことが判明した。さらに2点の密約が交わされた。
・「岩国・三沢基地などの施設改善費として、非公表で6500万ドルを支払うこと」(日本側の負担拡大の前例作り)
・「日米地位協定第24条について、リベラルな解釈を行うこと」(日米地位協定では米側にも在日米軍駐留経費の負担義務(4割ほど)があるが、これを日本側が「善意」で支払うことを要求したもの。後のおもいやり予算の根拠となる)
・第3次佐藤内閣(1970年(昭和45年)1月14日から1971年(昭和46年)7月5日)
・日米繊維交渉(1970年)
・日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約 延長(1970年)
・日米密約(1971年)
・「日本側が米軍用地の原状回復費400万ドルを肩代わりすること」
・「日本側が米政府の宣伝放送施設「ボイス・オブ・アメリカ」の移転費1600万ドルを肩代わりすること」
・世界経済フォーラム(ダボス会議)設立(1971年~)
・中国、台湾が尖閣諸島の領有権を主張し始める(1971年)
・繊維製品の輸出自主規制(1971年)
・ニクソンショック。ドル・金兌換停止、金本位制終了、ブレトン・ウッズ体制終了(1971年)
・スミソニアン体制。金1オンス=35ドルから42.22ドルへ。円、1ドル=360円から308円に切り上げ(1971~73年)
・ローマクラブ、「成長の限界」を発表(1972年)以後世界人口増加抑制策推進(少子化(女性の労働力化)および移民導入の推進(移民は総人口を増やさず労働力を確保可能。および移民の増加は愛国心や国家意識を破壊し世界統一政府の樹立に役立つ)。
・沖縄返還(1972年)
・ニクソン中国訪問(1972年)
・田中角栄「日本列島改造論」を出版(1972年)
・第1次田中角栄内閣(1972年(昭和47年)7月7日から同年12月22日)
・小泉純一郎、当時神奈川県会議員竹内清(横須賀一家5代目総長石井進(後の稲川会二代目会長)の兄弟分)の支援で衆院選初当選。飯島勲が秘書となる(1972年12月)
・日本の田中角栄、アメリカを出し抜いて、日中国交正常化(1972年)
・ウォーターゲート事件(1972年)
・日米欧委員会発足。第1回総会東京で開催(1973年~)
・変動相場制へ移行(1973年)
・GATT、東京ラウンドで農業交渉開始(1973年)
・第一次オイルショック(1973~1974年)
・ニクソン辞任(1974年)
・アメリカ合衆国通商法制定。301条(1974年)
・小泉純一郎、代議士2年目の時、女子高生相手の婦女暴行事件で逮捕。福田赳夫に揉み消して貰う(1974年)
・ロッキード事件。日本のアメリカからの独立路線を進めた田中角栄 政界追放(1976年)
・コリアゲート事件発覚(1976年)韓国系米国人、朴東宣は1970年代、韓国中央情報部(KCIA)や統一協会などと連携し、米国の下院議員への買収工作を行なった。安倍晋太郎は下関の韓国ビジネスと密接な繋がりを持ち、朴東宣は安倍親子二代と親しかった。
・小泉純一郎、青山学院大学4年だった宮本佳代子と見合い(1977年)その後結婚(1978年)。3人の子をもうけるも4年後に純一郎による家庭内暴力が原因で離婚(1982年)
・「環境改変技術の軍事的使用その他の敵対的使用の禁止に関する条約」(1977年5月18日署名1978年10月5日発効)日本は1982年6月4日に批准。
・牛肉・オレンジ自由化交渉(1978年)
・米国、鉄鋼に「トリガー価格」を設定し、それ以下の値段のものはすべてダンピング扱い(1978年)
・佐々木リポート
・中国、改革開放政策開始(1978年)
・思いやり予算開始(1978年)
※日本政府、日本人基地従業員の賃金一部負担を了承。金額は62億円。日本政府はあくまで「特例的、暫定的、一時的」措置と弁明。翌年、渡米した自民党の金丸信は、翌年以降の負担額大幅拡大を約束させられる。その後、年々急速に金額が拡大。1987年度には2820億円にまで達した。
・バチカン銀行の不正を改革しようとした、ローマ教皇ヨハネ・パウロ1世暗殺。死因は急性心筋梗塞(1978年9月28日)
・中国、一人っ子政策開始。アメリカによる、日本を用いた対中経済支援(資本投下と技術移転)との引き換えを条件とした、人口削減策(1979年)
・米中国交樹立(1979年)
・松下幸之助、中国訪問(1979年)
・松下政経塾設立(1979年)2013年現在松下政経塾は、中国共産党とCSISの影響下にある。
・この頃よりアメリカは自立傾向を強める日本経済を潰して完全植民地化することを進め、一方で(日本の金で)共産中国を育てることに決める。そのために以後、日本政府にはODAを中国に供与させ、日本企業にもCSISの下部組織である「日本経済新聞」を用いて対中投資を促す(1980年代~2010年代)。
・ローマクラブの提唱によりアメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁(FEMA)を創設(1979年)
・女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約(女性差別撤廃条約。1979年採択。1981年発効。日本は1985年締結)
・第二次オイルショック(1979~1980年)
・ワシントン・コンセンサス体制(1980年~)
・電話交換機などNTT調達品の外国製品枠を策定(1980年)
・日米自動車摩擦。対米自動車輸出を自主規制(1981年)
・KCIA、国家安全企画部(ANSP)に改組(1981年)
・孫正義、日本ソフトバンク設立(1981年)
・イタリア、P2事件発覚(1981年)
・中川隆(後の大川隆法)、東大在学中に統合失調症を発症。幻聴を聞くようになる(1981年)
・教科書誤報事件。宮澤喜一官房長官談話。近隣諸国条項(1982年)
・IBMスパイ事件。おとり捜査によって日立・三菱電機の社員ら逮捕(1982年)
・第1次中曽根内閣(1982年(昭和57年)11月27日 - 1983年(昭和58年)12月27日)
・日本電信電話株式会社法により日本電信電話公社を民営化。日本電信電話株式会社(NTT)設立(1982年)
・日本専売公社解散。日本たばこ産業株式会社(JT)設立(1982年)
・中曽根康弘、留学生10万人計画開始。10万人とは国内の外国人留学生の年間在籍者数のこと(1983年)
・第2次中曽根内閣(1983年(昭和58年)12月27日 - 1984年(昭和59年)11月1日)
・麻原彰晃(本名・松本智津夫)、ヨーガ道場「オウムの会」(後に「オウム神仙の会」と改称)を始める(1984年)
・グリコ・森永事件(1984~1985年)
・第2次中曽根第1次改造内閣(1984年(昭和59年)11月1日 - 1985年(昭和60年)12月28日)
・第2次中曽根第2次改造内閣(1985年(昭和60年)12月28日 - 1986年(昭和61年)7月22日)
・アメリカ、対外純債務国に転落(1985年)
・プラザ合意。円高ドル安へ。アメリカ、円買いドル売りで儲ける(1985年)
・MOSS協議。エレクトロニクス、電気通信、医薬品など各分野別での協議開始(1985年)
・米半導体業界、日本市場の閉鎖性を理由に通商法301条で提訴(1985年)
・「労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の就業条件の整備等に関する法律」(労働者派遣法)制定。1986年施行。派遣可能業務は13の専門業務に限定(1985年)
・第3次中曽根内閣(1986年(昭和61年)7月22日 - 1987年(昭和62年)11月6日)
・大川隆法(本名、中川隆)、「幸福の科学」立宗(1986年)
・前川リポート。当時、現状の経済体制(1940年体制)によって日本経済が絶好調であるにもかかわらず、構造改革(アメリカ型社会への改造)の必要性を訴える(1986年)
・日米半導体協定。1992年末までに外国系半導体のシェアを20%以上に(1986年)
・ウルグアイ・ラウンド(1986~1995年)
・国鉄分割民営化(1987年)
・「オウム神仙の会」を改称、宗教団体「オウム真理教」設立(1987年)
・安倍晋三、森永製菓令嬢の松崎昭恵と結婚(1987年)
・皇民党事件(1987年)
・竹下内閣(1987年(昭和62年)11月6日から1988年(昭和63年)12月27日)
・アメリカは貿易黒字のドルを金へ兌換することを日本に許さず。やむなくこの頃より米財務省証券の購入が始まる。
・アメリカ、エクソン・フロリオ条項導入(1988年)
※アメリカ合衆国の包括通商法に盛り込まれている条項。アメリカ国家の安全保障を脅かす外国企業によるアメリカ企業支配を制限する条項である。対米外国投資委員会(CFIUS)が条項に触れると判断した企業買収や土地取得などの活動に対して、大統領が阻止する権限を持つ。アメリカ議会が1988年に日本資本によるアメリカ企業の敵対的買収を阻むために導入した。
・包括通商・競争力強化法施行。スーパー301条、スペシャル301条(1988年)
・大型プロジェクトに限って日本の建設市場に外資の参入を認める(1988年)
・消費税法成立(1988年)
・牛肉とオレンジ輸入自由化(1988年)
・リクルート事件(1988年)
・オウム真理教、統一協会系企業と交流を深める(1988年~)
・竹下改造内閣(1988年(昭和63年)12月27日から1989年(平成元年)6月3日)
・第1次海部内閣(8月10日から1990年(平成2年)2月28日)
・消費税法施行、税率3%(1989年)
・天安門事件(1989年)
・日米構造協議。内政干渉の合法化(1989~1990年)
※最終報告の中でアメリカは、「(日本は)輸出につながる産業分野への投資(輸出競争力を強化する)より、(輸出競争力強化に役立たない無駄な)公共分野に投資(政府の借金を増やすことの意味)するほうが賢明」であるとし、日本に対しGNPの10%を公共事業に配分することを要求した。海部内閣はこれに応え、10年間で総額430兆円という「公共投資基本計画」を策定した。しかしその後、アメリカ側から「日本の対外黒字の増加を考えれば、公共投資の目標の上積みが必要」との要望があったため、1994年に村山内閣で計画が見直され、社会資本整備費としてさらに200兆円を積み増しし、総投資額は630兆円を計上している。この投資行動が現在の日本の財政難の根本原因となった。
・人工衛星、スパコン、木材・建材にスーパー301条を発動(1989年)
・坂本堤弁護士一家殺害事件。当時は失踪扱い。事件発覚は1995年。真犯人は山口組構成員の3人(1989年11月4日)
・教育用パソコンに採用予定だった日本独自のOS「TRON」に圧力(1989年)
・第2次海部内閣(1990年(平成2年)2月28日から同年12月29日)
・ウェブスターCIA長官「日本やヨーロッパ諸国の経済上の競争相手に対する情報戦略を扱う企画調整室を設けた」と発言(1990年)
・世耕弘成、ボストン大学コミュニケーション学部大学院へ留学。企業広報論修士号取得(1990~1992年)
・湾岸戦争(1990年)
・総量規制(1990年)
・バブル崩壊(1990年)
・ドイツ再統一(1990年)
・法人税率37.5%に引き下げ(1990年)
・ソフトバンク株式会社に社名変更(1990年)
・オウム真理教、衆院選に立候補するも全員落選。衆院選では統一協会関係から選挙活動のコンサルティングを受けていた。選挙後に統一協会からオウム真理教に大量に信者が移った。その後、教団の武装化が進められる(1990年2月)
・第2次海部改造内閣(1990年(平成2年)12月29日から1991年(平成3年)11月5日)
・海部内閣、湾岸戦争の戦費90億ドルの追加支援と輸送機の派遣を決定。日本の支援額は計130億ドルに。(1991年1月24日)
・ソ連崩壊。冷戦終了(1991年)
・日米携帯電話摩擦。モトローラの圧力で、IDO(現在のKDDI)が旧式のアナログ方式(モトローラ方式、TACS方式)を採用(1991年)
・オウム真理教幹部、ロシアのオレグ・ロゴフの側近と接触(1991年)
・宮澤内閣(1991年(平成3年)11月5日から1992年(平成4年)12月12日)
・ロブフ・麻原会談。麻原彰晃、来日した元ロシア共和国首相代行オレグ・ロゴフと会談(1992年2月)
・麻原彰晃、ロシア初訪問(1992年3月)。モスクワにおいて、当時ロシア副大統領だったアレクサンドル・ウラージミロヴィッチ・ルツコイやヴィクトル・チェルノムイルジン、ユーリ・ルシコフ等ロシア政界の上層部と接触(1992年3月~1994年9月までに8回ロシア訪問)
・オウム真理教ロシア支部開設(1992年6月)
・東京佐川急便事件(1992年)
・金丸訪朝団の石破茂、北朝鮮に女をあてがわれてビデオをとられて北朝鮮の対日工作員になる(1992年~現在)
・小学校での英語教育が実験的に導入され始める(1992年)
・ゲーツCIA長官「業務の約4割、予算の2/3は経済分野に当てる」と演説(1992年)
・ブッシュ大統領が米自動車メーカーのトップを連れて来日(1992年)
・ポンド危機(1992年)
・小泉純一郎、小はん変死事件(1992年)
・国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律(PKO協力法)成立(1992年)
・オウム真理教幹部の早川紀代秀、1992年からの3年余に21回ロシアを訪れ、人材発掘と武器購入に奔走(1992年~)
・オウム真理教、ロシアからタブン混合型サリンを購入。後の地下鉄サリン事件で使用(1992年~1995年の間のいつか)
・宮澤改造内閣(1992年(平成4年)12月12日から1993年(平成5年)8月9日)
・河野談話(1993年)
・日米包括経済協議(1993年~)
・ミニマムアクセス制度受諾(1993年)
・米騒動(1993年)
・安倍晋三、衆院選に立候補し初当選(1993年7月)
・オウム真理教、ロシアで警備会社「オウムプロテクト」(武装可能)を設立。AK-74を50挺入手など、兵器調達や軍事訓練の隠れ蓑とする(1993年)
・小沢一郎「日本改造計画」を出版(1993年)
・ジョセフ・ナイ、90年代前半のアメリカ政府内の外交政策に関する会議の席で発言。
「日本を今後も自主防衛能力を持てない状態に留めておくために、アメリカは日米同盟を維持する必要がある。日本がアメリカに依存し続ける仕組みを作れば、我々はそのことを利用して、日本を脅しつけてアメリカにとって有利な軍事的・経済的要求を呑ませることができる」
※日米同盟に依存させておくには、日本が単独で中国に対応できないように、自衛隊の戦力を強化させない必要がある。手段は財務省など。
・村山富市内閣総理大臣(当時)が「「平和友好交流計画」に関する村山内閣総理大臣の談話」の中で、「いわゆる従軍慰安婦問題」に関して「心からの深い反省とお詫びの気持ち」を表す(1994年8月31日)
・政党助成法制定(1994年)
・板ガラス輸入拡大、知的所有権の強化(1994年)
・NAFTA発効(1994年)
・メキシコ通貨危機(1994年)
・日米保険協議(1994年)
・公共事業の指名競争入札を廃止。談合制度に打撃(1994年)
・年次改革要望書(1994~2008年)
・小泉純一郎「郵政省解体論」を出版(1994年)
・衆議院選挙で小選挙区比例代表並立制(小選挙区300、比例代表200)が導入、1996年の衆院選から実施(1994年)
・オウム真理教、サリン散布用に、ロシアから大型ヘリコプターMi-17を購入(1994年6月)
・松本サリン事件(1994年6月27~28日)
・地下鉄サリン事件(1995年3月20日)
・早川グループ、教団から大量離脱(1995年)
・警察庁長官狙撃事件。犯人は韓国軍人(1995年3月30日)
・村井秀夫刺殺事件。犯人は山口組構成員(1995年4月23日)
・麻原彰晃(松本智津夫)を山梨県上九一色村の教団施設で逮捕(1995年5月16日)
・東京都庁小包爆弾事件(1995年5月16日)
・女性のためのアジア平和国民基金 発足(1995年7月)
・村山談話(1995年8月15日)
・WTO(世界貿易機関)創設。(1995年)
・サービス貿易自由化交渉。金融サービス、長距離電話など自由化へ(1995年)
・日米自動車摩擦。アメリカは数値目標を要求するも、多国間交渉で日本が勝利(1995年)
・日米フィルム摩擦。コダックが富士フイルムを提訴するも多国間交渉で日本が勝利(1995年)
・保険に外資参入認める。これにより、カタカナの保険会社が増加(1995年)
・沖縄米兵少女暴行事件(1995年9月4日)
・阪神・淡路大震災(1995年)
・クリントン円高容認(1995年)
・第1次橋本内閣(1996年(平成8年)1月11日 - 1996年(平成8年)11月7日)
・日本製スパコンにスーパー301条を発動して事実上の輸入拒否(1996年)
・孫正義、Yahoo! JAPAN 設立(1996年)
・金融ビッグバン(1996~2001年)
・労働者派遣法改正。派遣可能業務を13業務から26業務に拡大(1996年)
・(旧)民主党結成(1996年9月)
・第2次橋本内閣(1996年(平成8年)11月7日 - 1997年(平成9年)9月11日)
・CSISの協力組織として東京財団(日本財団の下部組織)創設(1997年)
・日本銀行法全面改正(1997年)
※この改正により、日本銀行は日本政府の干渉を受けることなく、自由に通貨発行量を決定することが可能となる。そして通貨発行量を絞り、日本経済がデフレ不況で破綻し、株が下がり、外資に日本企業が買い叩かれ、日本がTPPを受け入れるまで、デフレ維持政策を継続する。改正に尽力したのが当時日銀副総裁だった福井俊彦。
・アジア通貨危機(1997年)
・韓国IMF管理体制(1997~2001年)
・独占禁止法改正。持ち株会社の解禁。談合制度を弱め、日本企業買収を簡易化(1997年)
・消費税率5%に引き上げ(1997年)
・第2次橋本改造内閣(1997年(平成9年)9月11日 - 1998年(平成10年)7月30日)
・橋本内閣、 朝銀に 計「3102億円」の公的資金投入(1998年)
・小渕内閣(1998年(平成10年)7月30日から1999年(平成11年)1月14日)
・大蔵省接待汚職事件(1998年)
※CIAが下部組織である東京地検特捜部を使役して発覚させたスキャンダル事件。目的は日本経済の強みであった「政」・「官」・「財」のトライアングルの中心である官僚組織、殊に司令塔である大蔵省を解体することにあった。大蔵省はアメリカからの構造改革の要求に抵抗してきたという事情がある。その後CIAから情報をリークされたマスコミによって、大蔵省解体論の世論が盛り上げられる。
・金融監督庁設置、大蔵省から金融監督機能を分離剥奪(1998年)
・金融再生委員会設置(1998年)
・企業買収のさらなる簡易化を要求(1988年)
・確定拠出型年金の導入を要求(1998年)
・労働者派遣の原則自由化を要求(1998年)
・土地の利用規制を緩和し、不動産の証券化を要求(1998年)
・建築基準法緩和。阪神大震災の後にもかかわらず、安全基準を「最低限」にし、アメリカの建材を認可(1998年)
・BIS規制適用開始(1998年)
・ロシア財政危機(1998年~)
・ブラジル通貨危機(1998~1999年)
・(新)民主党結成(1998年4月)
・2ちゃんねる開始(1999年)
・小渕第1次改造内閣(1999年(平成11年)1月14日から同年10月5日)
・ANSP廃止。国家情報院(NIS)新設(1999年)
・グラム・リーチ・ブライリー法(1999年)
・男女共同参画基本法。労働者数が増え、低賃金化、少子化加速→少子化を口実に移民推進派に有利に働く(1999年)
・商法改正、持ち合い株式の解消、コーポレートガバナンスの導入による経営の透明化、株式交換による企業買収を合法化(1999年)
・労働者派遣の原則自由化。港湾運送、警備、製造や建設、医療業務への派遣については禁止、その他は自由。人件費削減で年収200万円時代へ(1999年)
・法人税率34.5%に引き下げ(1999年)
・米輸入自由化(1999年)
・小渕第2次改造内閣(1999年(平成11年)10月5日から2000年(平成12年)4月5日)
・第1次森内閣(2000年(平成12年)4月5日から同年7月4日)
・第2次森内閣(2000年(平成12年)7月4日から同年12月5日)
・「アーミテージレポート」(正式名称:INSS Special Report "The United States and Japan: Advancing Toward a Mature Partnership")発表(2000年)
・日米欧委員会を三極委員会に改称(2000年)
・大蔵省から財務省へ(2000年)
・金融監督庁を金融庁へ改組(2000年)
・土地の利用規制を緩和(2000年)
・不動産の証券化(REIT)創設。不良債権となった日本の一等地をハゲタカが買い占め(2000年)
・大規模小売店舗立地法。郊外に大規模店が増え、地域の商店街がシャッター通りに(2000年)
・法人税率30%に引き下げ(2000年)
・ソフトバンク、経営破綻した日本債券信用銀行(現・あおぞら銀行)に、株式を長期保有することを条件に筆頭株主として出資(2000年)
・日本長期信用銀行を、アメリカの企業再生ファンド・リップルウッドや外国銀行らから成る投資組合「ニューLTCBパートナーズ」に売却。新生銀行と改称(2000年)
・河野洋平外務大臣(当時)、北朝鮮への50万トン(1200億円分)のコメ支援を決定。「自分が全責任を取る」と見得を切ったが、未だに何も責任を取っていない(2000年)
・第2次森改造内閣(2000年(平成12年)12月5日から2001年(平成13年)1月6日)
・中央省庁再編(2001年)
・第2次森改造内閣(2001年(平成13年)1月6日から同年4月26日)
・第1次小泉内閣(2001年(平成13年)4月26日 - 2002年(平成14年)9月30日)
・小泉内閣、朝銀に1兆500億円の公的資金を投入(2001~2002年)
・時価会計制度導入。持ち株が減り株価が暴落。外資が日本企業を買いやすくなった。同時に税収も減少することに(2001年)
・確定拠出型年金の導入。日本型401kが導入され、企業年金制度が弱体化。企業と従業員の関係が弱まり終身雇用制が崩壊へ(2001年)
・アメリカ同時多発テロ(2001年)
・アルゼンチン通貨危機(2001~2002年)
・アフガニスタン紛争(2001年)
・日米包括経済協議を「成長のための日米経済パートナーシップ」にリニューアル。対日投資の名目で日本企業に対するM&Aが本格化(2001年~)
・対中国艦隊の切り札である、開発中のXASM-3超音速空対艦ミサイルの予算が承認されず、開発が遅れる(2002年)
・以後11年間、防衛費が年々減額し続ける。
・アメリカからの対テロ戦争への協力要求により、対テロ諜報組織として「警視庁公安部外事三課」が創設される(2002年)
・第1次小泉内閣 (第1次改造)(2002年(平成14年)9月30日 - 2003年(平成15年)9月22日)
・日韓ワールドカップ開催(2002)
・安倍晋三の尽力により、羽田-金浦空港間一時チャーター便が開設(2002年)
・稲盛財団、CSISと共同で、政界、経済界等の若手リーダーを養成するため、稲盛財団からCSISに寄付した500万ドル(約6.5億円)を基金として 「アブシャイア・イナモリ リーダーシップアカデミー」を、CSIS内に設立(2002年)
・ロス・カボス会議。小泉純一郎も参加。TPP協議開始(2002年)
・健康保険に本人3割負担を導入。混合医療(金持ちのための特別医療)解禁への第一歩(2002年)
・司法改革。外国人弁護士解禁。日本を訴訟社会にして大儲け(2002年)
・商法大改正。「社外取締役」の登用などアメリカ型経営方式に転換(2002年)
・ポンド危機(2002年)
・自民党小泉純一郎内閣、人権擁護法提出(2002年)
・小泉純一郎、訪朝。日朝首脳会談。金正日、小泉純一郎に、北朝鮮によって70年代~80年代に行われた日本人拉致を認める(2002年9月17日)
・小泉純一郎、金正日に「あなたのお父さんは北朝鮮人だよ」と言われる(200?年)
・小泉純一郎、日朝平壌宣言。北朝鮮への経済協力方式での戦後補償を認める。(2002年9月17日)