まず、日本という国に、この時代、オギャーと生まれることは宿命である。(霊的に言えば、それ自体も自分が選択して生まれてきたのだが)
とにかく、オギャーと外界に飛び出したその瞬間に運命が紡がれる。
<フラグ>桜島の噴火警戒レベル引き上げについて九州電力がコメント!「噴火しても原発には影響ない」
破壊> 原発が止まって690日、川内原発の近海では環境が回復しつつあった。サメやカメの死体も稼働しているときよりも上がらなくなっていたし、岩には消滅していた海藻が着き始めている。30年ぶりにじゃこが大漁だったりもしていた。しかし、再稼働によって温排水が再び海を破壊していく。
硫黄島が、ここにきて、とうとう小規模噴火をするようになった。
この政権に対する2万人以上の英霊の怒りが噴出しているのである。
そして、それは、数日以内に、首都圏を揺るがすだろう。
桜島にも大噴火の前触れが。
川内原発が電源喪失しても、この様子では、立地住民である薩摩川内市の住民は避難さえできないだろう。
まっとうな目から見れば、川内原発の新たな事故は、すでに予知されている。それは、必ず起こるだろう。
日本は敗戦国だが、主張することは主張しなければならない。 原爆投下および各地への空襲は、「民間人殺戮」であり「国際法違反」であると。
自然現象なのか、それとも原発事故による影響からなのか、連日フクイチで発生している霧について、未だに行政府やマスコミから何の情報もありません。ネットでは大騒ぎになっているのに、徹底的にこれを無視しています。
8月12日に中国の天津で大規模な爆発。これ、タイミングが、中国が中国元の切り下げした直後ですよね。日航機123便事故を思い出しました。あれも、プラザ合意のタイミングでしたよね。
【要拡散】天皇教をマスコミに刷り込まれた国民にはショックだろうな!「戦争狂米国、戦中・戦後米国と密約していた天皇ヒロヒト、戦争法案成立による日中戦争が米国戦争屋のシナリオ
昭和天皇は自分よりはるかに若い者達が、毎日特攻に出撃しているにもかかわらず、近衛文麿に終戦を提言された際に「モウ一度 戦果ヲ挙ゲテカラデナイト 中々話ハ難シイト思フ」と言った。敷島隊突入から終戦まで10ヶ月間も特攻を容認し続けたのだ。
戦争だけじゃない、原発事故もそして最近じゃ東芝の粉飾決算も誰も刑事責任を追及されない。国策に関することは無責任なのが日本
集団的自衛権が認められた場合、日本はアメリカの命令に従って戦争に参加し、行動することになる。戦争に参加するかどうかはアメリカ支配層の都合次第ということで、安倍晋三首相の「約束」など何の意味もない。
そのアメリカは1992年に世界規模で侵略戦争を始めたが、思惑通りに進まず、もがいている。日本が参加することになる戦争はこれから始まるのではなく、その侵略戦争にほかならない。集団的自衛権を議論するなら、そうした戦争、例えばユーゴスラビア、アフガニスタン、イラクへの先制攻撃、リビアやシリアでの傭兵を使った体制転覆プロジェクト、ウクライナのクーデターなどを直視することから始めねばならないということだ。集団的自衛権に反対だと言いながら、アメリカの侵略から目を背けている人が少なくない。
他人を幸福にするのは、香水をふりかけるようなもの
人の心に灯をともすさんのサイトより
http://ameblo.jp/hiroo117/entry-12061649098.html
<転載開始>
中井俊巳氏の心に響く言葉より…
先日、久しぶりに、バスに乗っていたときのお話です。
夏の夜の祭りの後、バスは乗客で満員でした。
あるバス停に止まったとき、数人の乗客から遅れて、80歳くらいのおばあちゃんが2人、付き添いの男性に伴われて乗車するところでした。
その姿をチラリと見るや、私の隣に座っていたアイルランド人と近くに座っていたスペイン人の友人が席を譲るために即座に立ち上がりました。
むむ、ここで立ち上がらなくては日本の恥だ、と思ったわけではありませんが、私もつられて席を立つ形になりました。
が、われわれ3人より一瞬早く行動した人たちがいました。
入口に一番近かった若い日本人カップルです。
若い男性が横目でチラリとおばあちゃんの姿を見るや、横に腰掛けていた女性に何か一言ささやきました。
その瞬きするような間に、2人は誰よりも早く席を立っていたのです。
そして、そのまま無言で出口の方に向かいました。
腰を曲げ、おぼつかない足取りで乗り込んできたおばあちゃんたちは、それまで2人が座っていた場所に空席を見つけ、難なく腰をおろすことができました。
若いカップルは、バスを降りようとしたのではありません。
おばあちゃんたちに席を譲るために、席を空け、出口の方に居場所を変えたのです。
2人はおばあちゃんたちが席に腰を下ろしているのを横目で確認すると、ほんの少し笑みを見せ、その後はつり革を握り、ずっと立ったままでした。
おばあちゃんたちも付き添いの男性も、その若い2人が席を譲ってくれたことに気づいていませんでした。
下車するときも、このカップルに一言も謝辞を述べることはありませんでしたから。
この2人の行動は、誰からも感謝されず、誰からもほめられませんでした。
しかし、それでよかったのではないかと思います。
「他人を幸福にするのは、香水をふりかけるようなものだ。
ふりかけるとき、自分にも数滴はかかる」(ユダヤの格言)
2人が降りた後のバスに、まだ少し上質の香りが残っているように思えました。
『読むだけで「人生がうまくいく」48の物語 (成美文庫)』成美堂出版