【「日航123便は自衛隊に撃墜された」と言ううわさがある。この「あり得ない」ようなうわさ、すでに後部圧力隔壁の破損と原因を結論付けられているが、果たして真相はそうなのか? 事故後25年を経過したにもかかわらず、なお因果関係を説明できない事象が絶えないのはなぜか。本稿はその手がかりの一端を提起したものである。】
事故ではなく事件です。
それも日本政府が裁きたくても裁けない事件。
広島原爆では、前もって広島市に人が集められてたということですよね・・・・後のABCC人体実験に協力ってことでしょうか・・・・そういったのと同じ支配勢力が、123便撃墜遂行でしょうか、乗客にどんな人入れるのか、(或いは入れないのか、当然)プランはあったんでは・・・・
連中の仕業と思えばカンタン
生存者の大量虐殺は、火炎放射器、コンバットナイフから、実行したのが陸自ではないといえる。そもそも、日本人が日本人に、これほどヒドイ真似をやることはない。
安保闘争の時は機動隊、123便の時は自衛隊員
=実体は(政府が雇って制服を支給した)暴力団員
暴力団など、なりすまし日本人(半島系)くらいしかならない
墜落の原因は、海自がミサイルを撃ったから
ミサイルを撃つことなら日本人でも(ロクでなしだが)やるだろう。
指示は、中曽根と一部の政府関係者
中曽根は元海軍軍人であるから、海自にミサイルを撃たせることは可能だろう。
山梨の農民が迷走している123便のあとを追尾していくヘリコプターを見ています。
これは米軍のものです。生き残ったアシスタント・パーサーは墜落後、このヘリコプターを
目撃しています。
プラザ合意に反対だった内閣の人間を、中曽根達が墜落事故で脅し、しぶしぶ同意に持って行った、というのが私の見立てである。
経済的に今メイソンの狙うところは、
「アジア諸国内で戦争が起きて中国か日本が疲弊してくれれば」
というところでしょう。
時には莫大な費用でアメリカ製兵器を買ってもらうために
北朝鮮の威嚇を利用するわけですね。
中国朝鮮と対立するので米軍にすがるというのは米国ネオコンの
狙い通りであって、米中韓結託での日本叩きで弱小日本は
ひたすら搾取され日本史上第三回目の核攻撃=東日本大震災まで
実行する宗主国アメ〆リ力に媚へつらわねばならないのである。
敗戦国の台頭は絶対許さない・・・という英米のスタンス。
恐ろしい。
戦後、今もなお日本という国は米国の占領下にあるのです。
敗戦国だからです。
政治も経済もすべてにわたり自由などないのです。
英米に逆らえば、国民の命など保証はしないということです。
2010-08-14
自殺した航空自衛隊員が所持していた2枚の写真
日本航空123便墜落事故が発生して、2日前に25年が経過した。
日本航空123便墜落事故は、1985年8月12日18時56分に、群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根に墜落した事故。
自衛隊員の自殺数は1986年には年間90人以上と81年から73パーセントも増加している。
(一省庁のなかで1年間で90人これだけの自殺者が出るのは、不自然であり不審であるが報道すらされなかった。)
最初に不審な自殺者が出たのが1986年7月、二人の航空自衛隊パイロットだった。
2010年8月15日 23:18:03: l1NDyNLn5M
例えば、その当時ガメリカと凌ぎを削っていたtronの開発者が123便に17名も登場していたとしたら、どういった政治介入が働いたのだろうか?
また、墜落現場の近くに住む2人の若者が、墜落した機体を追って山中に入ったときは、すでに自衛隊が入っており、そのとき多くの生存者がいて、自衛隊員が任せてくれと言うので安心して帰ったと言う情報もある。しかし生存者は、一桁だった。
NT氏は誤射と推察されているが、小生は狙ったものだと考える。
54. 2013年1月06日 23:54:10 : XOf4mzfXzs
自衛隊にそんな度胸というか大胆さはないでしょう。
これは米軍機がロックオンしてミサイル暴発という蓋然性の方が高い。
やつらは常時JAL機やANA機を高空から追撃していたという。
沖縄での米兵の狼藉ぶりを見れば日本人を猿か何かのように思っているのは明らか。
俺らが守ってやっているんだからおとなしくしてろよと。
北朝鮮のミサイルを韓国は回収したし、日本だって不審船をサルベージしたじゃないか。
やろうと思えば123便の尾翼だって回収できるが宗主国様がストップかけたから出来なかった。
日本政府はすべて知っていたが三猿でやり過ごすしかないのだ。
そうそう1985年の首相は中曽根康弘。
中曽根と読売渡辺かぁ
当時の報道は123便の所在を巡って二転三転した。
その報道関係者はそろそろ口を開いても良いんじゃないでしょうか?
10. 2010年8月16日 12:02:46: SvIFUGaGmg
古歩道がなんか言ってるね。プラザ合意を受け入れさせるための脅しだったとか。
つまりアメリカの犯行?
26. 到達 2013年1月05日 01:53:30 : 6ZKdttLSPlJAY : yVSOCfK9oI
中年の自分も、この事件を思い出します。何故ならば、偉大な歌い手であった坂本九さんの最後の日だったから…
B・フルフォードさんの著作物の中でも、123便は撃墜されたと書いている。
原因は、当時の米国の財政赤字の問題化であり、最大の貿易赤字付与国である日本に強引に為替レートの変更を求めるものであったと…
具体的にはこの事件の後に「プラザ合意」が為され、世界各国の協調介入により、大幅の「円高」が形成されたという事だそうです。
13. 2010年8月16日 18:41:41: CBYn1J5FM6
いや、だからステルス技術を含んだハイテク兵器の試験運用などをしていたところに
JAL機が運悪く巻き込まれたんですよ。
当然やったのは米軍で、自衛隊に後始末させたってことでしょ。
自衛隊が標的機で・・・というのも嘘だと思う。
自衛隊の任務は証拠隠滅が第1なので、人命救助が翌日になってしまった
ということなのだろう。
当時はまだソ連が健在で冷戦状態なわけで、
ハイテク技術が漏れることと日本国民が反米になってしまう
ことをおそれての政治的判断といえる。
17. 2012年1月21日 02:19:59 : tJ34NPSI6k
2012年、世界中の歴史、いままで私達が学校で習ったこと、メディアで聞いていたことはうそだったと暴露されている。昔から金融ユダヤが世界を仕切り悪事を働いてきたという話しから、私はこの123便事件もその一つだと感じる。そうだと断定しているジャーナリストもいっぱいいる。金融ユダヤ=悪魔
22. 2013年1月04日 19:45:15 : Njk77Vm7RA
日航旅客機123便墜落事件
・・・自衛隊機による撃墜(誤射か故意かを問わずとにかく自衛隊機による撃墜)
イージス艦あたご漁船衝突事件
・・・撃沈または激突で、さらに漁船の漁師2人は、衝突で漁船の上に乗り上げ真空状態になった船底に吸い込まれ、そのままスクリューの水流でスクリューへ吸い込まれ、おぼれながらも生きたままスクリューの高速回転する刃でズタズタに切り刻まれて殺害された。
遺体というより肉片や遺品の回収は、さぞや熱心に乗組員総出で必死に行ったことだろう。
海上保安庁、マスコミ、漁協などの市民団体による詳しい査察、乗組員全員からの聞き取り調査、リアルタイムで詳細な報道さえ、満足にさせず事件当初から隠蔽に励み、イージス艦事件の直後から1ヶ月もの間ずっと、横須賀港に停泊させた船内に乗組員である自衛官を全員カンヅメ状態にし厳重な監視下に置き、隠蔽、証拠隠滅、口裏あわせ、口封じ、揉み消しに、徹底して取り組んでたわけだ。
この記事本文でも取り上げられてる、自衛官の自殺というのは、100%自衛隊自身による殺害以外の何物でもない。自殺、病死、事故死をよそおった殺害・・・
日本航空123便墜落事故を検証する
http://www.link-21.com/JAL123/
日航123便航空機事故は国際刑事裁判の案件である
1 123便の事故は、誘導ミサイルの実証実験で飛んでいた無人標的機とそれを追尾していた模擬ミサイルが衝突したことで、航空機の制御が不能になったのが原因。
2 123便は、自衛隊の誘導と指示で山腹への胴体着陸を敢行した。従って墜落ではなく不時着である。これは、スコーク77を、そのシステムから意味までを正確に理解することで証明される。
3 機体は大破したが、520名の乗員・乗客の中で、多数の生存者がいたが、救出されたのは4人だけで、あきらかに他殺とわかる死体もあり、殺人事件であることが明白。
4 救出が遅れたのは政府の意図的な指示によるもので、救出までの空白は、事故の証拠隠滅であるのは明白。生存者の殺害も証拠隠滅の一環。
5 123便事故の犯罪は、生存者の証言と、元米軍パイロットの証言、そして、2000年に公開されたボイスレコーダーで十分に証明できる。
6 証拠隠滅を指示したのは、第2次中曽根第1次改造内閣の首相である中曽根康弘、指示を実行したのは、防衛庁長官加藤紘一、米国との証拠隠滅の口裏わせをしたのは、外務大臣の安倍晋太郎。彼らがこの国際刑事裁判の被告だ。
7 日本政府は、2015年、米国の公文書が公開されるのに合わせて、この事故の真相が明らかにならないように、被告本人や遺族ら関係者は、秘密特定保護法を制定した。この、法案施行前に事件の解明と国際刑事裁判の訴追手続きをしなければならない。
2013年12月18日 改稿
___________________________
事故ではなく犯罪の隠蔽である
http://www.link-21.com/JAL123/021.html
日航123便航空機事故は国際刑事裁判の案件である。
日本航空123便は、墜落したのではなく、山腹への胴体着陸という不時着である。
過去の航空機事故で、離陸直後や着陸時の事故では生存者がいるが、飛行中からの墜落では生存者は一人もいない。生存者がいたということは123便は不時着したのだ。
日本航空123便は4名の生存者が出て、生存者の証言では、事故直後には他にも多数の生存者がいたという。
8月12日の18時56分26秒に123便は群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根に不時着。救護隊が遭難現場を発見したのは、翌13日の4時で救出が始ったが8時すぎ。
1995年8月、当時123便を捜索したロッキードC-130輸送機に搭乗していた元在日アメリカ軍中尉が、同機が、事故現場を特定していたこと、米軍座間基地から飛び立った救難ヘリが現場に到着していたこと、そして、日本政府が、この救難作業を断ったことを証言する。
この元在日アメリカ軍中尉の証言は、生存者の一人の落合由美さんの手記とも符合する。
日本航空123便の航空機事故は事故原因の矛盾点に目が行きがちだが、生存者がいたという事実からこの事故を分析するべきであろう。
政府は、意図的に生存者を救護しなかった。そして、それを隠蔽するために、後部圧力隔壁の損壊を事故原因とするストーリーを考え、そのストーリーに合うように嘘や詭弁を並べ、物証を改竄するなど、犯人は権力は使って事件を隠蔽している。
政府の指示で生存者を見殺しにしたという事実は、国際人道法に対する重大な違反であり国際犯罪だ。しかし、官僚国家の日本で、政府が犯した犯罪を政府が明らかにするはずがない。この事件は、国際刑事裁判所に訴追する案件である。
●被告は、遭難場所を救助隊へ連絡せずに救助を放棄した、当時の日本政府の首相である★中曽根康弘。現場に入り生存者の救助放棄と殺害、そして証拠物件を持ち帰るなど組織的犯罪を自衛隊に指示をし防衛庁長官の★加藤紘一。そして、米軍の救助活動を拒否し、ねつ造した事故原因を、米国側と口裏合わせとして証拠隠滅を図った外務大臣の★安倍晋太郎の三人だ。
生存者の手記、1995年の元在日アメリカ軍中尉の証言、2000年に漏洩のかたちで公開された123便のボイスレコーダー。そして、ボイスレコーダーの改竄の事実と、ノイズ除去で明らかになった改竄した会話内容。そして、亡くなられた乗客が映した機内から見えた飛行体の写真。
これら公開された物証だけで事故原因を特定し、123便が不時着するまでの経緯を明らかにするこてとは可能だ。
公開された物証を一本の糸で結ぶときに、この事件の真相が見える。いや、結ぶことができたときに、この事件は、国際人道法上、重大違反を犯している政治犯罪であることがわかるであろう。
●日本政府は、2015年、この事件に関する外交文書が一般公開されるのに合わせて、この事故の真相が明らかにならないように、被告本人や遺族ら関係者(田布施村閨閥)は秘密特定保護法を制定した。この法案の施行前に、事件の解明と国際刑事裁判の訴追手続きをしなければならない。
______________________________
123便墜落事件と特別秘密保護法案
http://www.link-21.com/JAL123/008.html
●特定秘密保護法の目的は、政治犯罪を隠匿することで政治家の無責任を合法化する法案である。この法案の原案は前政権の民主党内で策定された。
●2009年9月政権交代を果たした民主党は、非核三原則を謳ってノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作が、米国に対して、日本国内に核の持ち込みを許可していた密約の案件を引き継いだ。
●岡田克也を中心とした調査メンバーは、密約文書が、佐藤栄作の自宅から発見されたという事実にも関わらず、明文化した日米密約文書はないとしながら、日米合意のもとで核が持ち込まれていたことを認めた。
●この日本人だけに通用する玉虫色の決着に米国側は理解できない。民主党政権の外交は失墜。民主党政権は、外交の信頼を担保する法案の策定を始めた。これが秘密保全法である。
●2010年8月、日航機123便墜落事故の再調査を前原誠司を中心に行われる。これは2009年12月に、前原誠司を後援する京セラの稲森が日航の再建の責任者となったことと関係する。
●稲森は、日航機123便墜落事故に政治犯罪が隠されいることに気が付き、前原誠司がこの事件に関心を持ち、遺族側の要求を受けたというのが真相である。
●結果、前原誠司は、2011年7月に123便事故解説書を公開して、事故原因は後部圧力壁の損傷という結果を再主張する。
●後部圧力隔壁の損傷は、生存者の証言で有り得ない話であるにも、前原誠司らは、従来の主張を繰り返した。
●これは、密約文書が発見されたにも関わらず、明文化された密約文書は存在しないという、岡田克也の調査報告と同じで、論理の破綻は、誰の目にもあきらかである。
●にも関わらず、嘘というかデタラメを押し通した。何を守ろうとしたのか、いや、誰を守ろうとしたのか、それとも、脅されたのか。2011年12月には、野田佳彦が秘密保全法を策定。つまり、この時点で、民主党政権が覗いた戦後の政治犯罪の蓋を閉じる法案の基本が策定されたのである。
●佐藤栄作の密約は事実確認がされていて、この問題を政治犯罪とするかしないかは日本国民次第であるが、日航機123便の事故は、その凄惨さと冷酷な犯罪が世に出れば、国内外で自民党と政府の信用は失墜するのは必定と考えたのだろうか。
●とにかく、野田佳彦の民主党は、戦後の2つの政治犯罪というパンドラの箱を一旦は開けときながら、自分たちの手で再度封印した。
●野田佳彦らの見返りはなんだったのだろうか。とにもかくにも、政権交代が起きても、前政権の政治犯罪を追求させないルールをシステム化する秘密保全法を策定。そして、政権に返り咲いた★安倍普三の政府は、秘密保全法を特定秘密保法として法案を提出し成立させた。
●政権交代がおきても、過去の政治犯罪への調査をさせない。知り得た情報の漏洩をさせない。そして、秘密文書として非公開期限を60年とすること。
●このように特定秘密保護法案が策定された経緯を知れば、この法案の弱点がわかる。そう、日本航空123便墜落事故の事故原因である。事故原因が後部圧力壁ではないことは、世界の航空関係者が知っている。事故の生存者の証言でも機内の圧力は下がっていないのだ。
●しかし、重要なポイントは、★中曽根政権がこの事故を死人に口無しとばかりに、人命救助をしないばかりか生存者を殺害したことである。これを問題とさせないために、事故原因の究明に遺族や関係者の目を向けさていることに気がつかなかればならない。
●日航機123便墜落事故は、航空機事故というよりも、証拠隠滅のための殺戮という事件であり、国際刑事裁判が審査する事案であるのだ。
●日本側が主張する後部圧力壁の損壊を事故原因とするために、当時の中曽根政権は、外交ルートを通して、ボーイング社と後部圧力隔壁を事故原因とする口裏合わせを要請しているはずだ。この外交文書が、米国の公文書の公開で明らかになれば、国際刑事裁判所も動かざるをえなくなるだろう。
●日航123便墜落事故の政治犯罪の首謀者である中曽根康弘は存命中である。かれは、この事件の真相を墓場まで持っていくと公言している。この法案を成立をほくそ笑んでいるのは中曽根康弘なのだ。
●このように考えていくと、日航123便墜落事故の事故原因の嘘の証拠となる外交文書が見つければ、この法案の経緯も知られるであろうし、廃案にする道も開かれるはずだ。
●しかし、法案成立した現在、日航123便墜落事故を調査をした者は逮捕されてしまう。この政治犯罪を証明するのは、特定秘密保護法が適用されない日本国外の日本国籍以外の人たちに託すしかない。
________________
その他にも重要な情報があります。
生存者は多数いたのに救助しなかった?
http://www.link-21.com/JAL123/005.html
●着陸時の状況は、落合由美さんの証言でわかります。あえて着陸というのは多数の生存者がいたからです。
●衝撃がありました。衝撃は一度感じただけです。(中略)墜落の直後に、「はあはあ」という荒い息遣いが聞こえました。ひとりではなく、何人もの息遣いです。そこらじゅうから聞こえてきました。まわりの全体からです。 「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。
●そう、あの絶望的な状況の中で、結果論ですが、本来ならば山腹に激突して乗員の全員が死亡する状況で生存者がいたのです。
●生存者の一人の落合由美さんの証言は、墜落後の現場の様子が時系列にとてもよくまとめらています。彼女の証言で私が注目するのは、墜落後のあたりが暗くなったときに、若い女の人の「早くきて」という声のところです。
どこからか、若い女の人の声で、「早くきて」と言っているのがはっきり聞こえました。あたりには荒い息遣いで「はあはあ」といっているのがわかりました。まだ何人もの息遣いです。
「早くきて」というのは、誰かがそこにいたことを示しています。つまり、墜落後に現場に入った人間がいるということです。それは自衛官だと思います。
事故ではなく事件です。
それも日本政府が裁きたくても裁けない事件。
広島原爆では、前もって広島市に人が集められてたということですよね・・・・後のABCC人体実験に協力ってことでしょうか・・・・そういったのと同じ支配勢力が、123便撃墜遂行でしょうか、乗客にどんな人入れるのか、(或いは入れないのか、当然)プランはあったんでは・・・・
連中の仕業と思えばカンタン
生存者の大量虐殺は、火炎放射器、コンバットナイフから、実行したのが陸自ではないといえる。そもそも、日本人が日本人に、これほどヒドイ真似をやることはない。
安保闘争の時は機動隊、123便の時は自衛隊員
=実体は(政府が雇って制服を支給した)暴力団員
暴力団など、なりすまし日本人(半島系)くらいしかならない
墜落の原因は、海自がミサイルを撃ったから
ミサイルを撃つことなら日本人でも(ロクでなしだが)やるだろう。
指示は、中曽根と一部の政府関係者
中曽根は元海軍軍人であるから、海自にミサイルを撃たせることは可能だろう。
山梨の農民が迷走している123便のあとを追尾していくヘリコプターを見ています。
これは米軍のものです。生き残ったアシスタント・パーサーは墜落後、このヘリコプターを
目撃しています。
プラザ合意に反対だった内閣の人間を、中曽根達が墜落事故で脅し、しぶしぶ同意に持って行った、というのが私の見立てである。
経済的に今メイソンの狙うところは、
「アジア諸国内で戦争が起きて中国か日本が疲弊してくれれば」
というところでしょう。
時には莫大な費用でアメリカ製兵器を買ってもらうために
北朝鮮の威嚇を利用するわけですね。
中国朝鮮と対立するので米軍にすがるというのは米国ネオコンの
狙い通りであって、米中韓結託での日本叩きで弱小日本は
ひたすら搾取され日本史上第三回目の核攻撃=東日本大震災まで
実行する宗主国アメ〆リ力に媚へつらわねばならないのである。
敗戦国の台頭は絶対許さない・・・という英米のスタンス。
恐ろしい。
戦後、今もなお日本という国は米国の占領下にあるのです。
敗戦国だからです。
政治も経済もすべてにわたり自由などないのです。
英米に逆らえば、国民の命など保証はしないということです。
2010-08-14
自殺した航空自衛隊員が所持していた2枚の写真
日本航空123便墜落事故が発生して、2日前に25年が経過した。
日本航空123便墜落事故は、1985年8月12日18時56分に、群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根に墜落した事故。
自衛隊員の自殺数は1986年には年間90人以上と81年から73パーセントも増加している。
(一省庁のなかで1年間で90人これだけの自殺者が出るのは、不自然であり不審であるが報道すらされなかった。)
最初に不審な自殺者が出たのが1986年7月、二人の航空自衛隊パイロットだった。
2010年8月15日 23:18:03: l1NDyNLn5M
例えば、その当時ガメリカと凌ぎを削っていたtronの開発者が123便に17名も登場していたとしたら、どういった政治介入が働いたのだろうか?
また、墜落現場の近くに住む2人の若者が、墜落した機体を追って山中に入ったときは、すでに自衛隊が入っており、そのとき多くの生存者がいて、自衛隊員が任せてくれと言うので安心して帰ったと言う情報もある。しかし生存者は、一桁だった。
NT氏は誤射と推察されているが、小生は狙ったものだと考える。
54. 2013年1月06日 23:54:10 : XOf4mzfXzs
自衛隊にそんな度胸というか大胆さはないでしょう。
これは米軍機がロックオンしてミサイル暴発という蓋然性の方が高い。
やつらは常時JAL機やANA機を高空から追撃していたという。
沖縄での米兵の狼藉ぶりを見れば日本人を猿か何かのように思っているのは明らか。
俺らが守ってやっているんだからおとなしくしてろよと。
北朝鮮のミサイルを韓国は回収したし、日本だって不審船をサルベージしたじゃないか。
やろうと思えば123便の尾翼だって回収できるが宗主国様がストップかけたから出来なかった。
日本政府はすべて知っていたが三猿でやり過ごすしかないのだ。
そうそう1985年の首相は中曽根康弘。
中曽根と読売渡辺かぁ
当時の報道は123便の所在を巡って二転三転した。
その報道関係者はそろそろ口を開いても良いんじゃないでしょうか?
10. 2010年8月16日 12:02:46: SvIFUGaGmg
古歩道がなんか言ってるね。プラザ合意を受け入れさせるための脅しだったとか。
つまりアメリカの犯行?
26. 到達 2013年1月05日 01:53:30 : 6ZKdttLSPlJAY : yVSOCfK9oI
中年の自分も、この事件を思い出します。何故ならば、偉大な歌い手であった坂本九さんの最後の日だったから…
B・フルフォードさんの著作物の中でも、123便は撃墜されたと書いている。
原因は、当時の米国の財政赤字の問題化であり、最大の貿易赤字付与国である日本に強引に為替レートの変更を求めるものであったと…
具体的にはこの事件の後に「プラザ合意」が為され、世界各国の協調介入により、大幅の「円高」が形成されたという事だそうです。
13. 2010年8月16日 18:41:41: CBYn1J5FM6
いや、だからステルス技術を含んだハイテク兵器の試験運用などをしていたところに
JAL機が運悪く巻き込まれたんですよ。
当然やったのは米軍で、自衛隊に後始末させたってことでしょ。
自衛隊が標的機で・・・というのも嘘だと思う。
自衛隊の任務は証拠隠滅が第1なので、人命救助が翌日になってしまった
ということなのだろう。
当時はまだソ連が健在で冷戦状態なわけで、
ハイテク技術が漏れることと日本国民が反米になってしまう
ことをおそれての政治的判断といえる。
17. 2012年1月21日 02:19:59 : tJ34NPSI6k
2012年、世界中の歴史、いままで私達が学校で習ったこと、メディアで聞いていたことはうそだったと暴露されている。昔から金融ユダヤが世界を仕切り悪事を働いてきたという話しから、私はこの123便事件もその一つだと感じる。そうだと断定しているジャーナリストもいっぱいいる。金融ユダヤ=悪魔
22. 2013年1月04日 19:45:15 : Njk77Vm7RA
日航旅客機123便墜落事件
・・・自衛隊機による撃墜(誤射か故意かを問わずとにかく自衛隊機による撃墜)
イージス艦あたご漁船衝突事件
・・・撃沈または激突で、さらに漁船の漁師2人は、衝突で漁船の上に乗り上げ真空状態になった船底に吸い込まれ、そのままスクリューの水流でスクリューへ吸い込まれ、おぼれながらも生きたままスクリューの高速回転する刃でズタズタに切り刻まれて殺害された。
遺体というより肉片や遺品の回収は、さぞや熱心に乗組員総出で必死に行ったことだろう。
海上保安庁、マスコミ、漁協などの市民団体による詳しい査察、乗組員全員からの聞き取り調査、リアルタイムで詳細な報道さえ、満足にさせず事件当初から隠蔽に励み、イージス艦事件の直後から1ヶ月もの間ずっと、横須賀港に停泊させた船内に乗組員である自衛官を全員カンヅメ状態にし厳重な監視下に置き、隠蔽、証拠隠滅、口裏あわせ、口封じ、揉み消しに、徹底して取り組んでたわけだ。
この記事本文でも取り上げられてる、自衛官の自殺というのは、100%自衛隊自身による殺害以外の何物でもない。自殺、病死、事故死をよそおった殺害・・・
日本航空123便墜落事故を検証する
http://www.link-21.com/JAL123/
日航123便航空機事故は国際刑事裁判の案件である
1 123便の事故は、誘導ミサイルの実証実験で飛んでいた無人標的機とそれを追尾していた模擬ミサイルが衝突したことで、航空機の制御が不能になったのが原因。
2 123便は、自衛隊の誘導と指示で山腹への胴体着陸を敢行した。従って墜落ではなく不時着である。これは、スコーク77を、そのシステムから意味までを正確に理解することで証明される。
3 機体は大破したが、520名の乗員・乗客の中で、多数の生存者がいたが、救出されたのは4人だけで、あきらかに他殺とわかる死体もあり、殺人事件であることが明白。
4 救出が遅れたのは政府の意図的な指示によるもので、救出までの空白は、事故の証拠隠滅であるのは明白。生存者の殺害も証拠隠滅の一環。
5 123便事故の犯罪は、生存者の証言と、元米軍パイロットの証言、そして、2000年に公開されたボイスレコーダーで十分に証明できる。
6 証拠隠滅を指示したのは、第2次中曽根第1次改造内閣の首相である中曽根康弘、指示を実行したのは、防衛庁長官加藤紘一、米国との証拠隠滅の口裏わせをしたのは、外務大臣の安倍晋太郎。彼らがこの国際刑事裁判の被告だ。
7 日本政府は、2015年、米国の公文書が公開されるのに合わせて、この事故の真相が明らかにならないように、被告本人や遺族ら関係者は、秘密特定保護法を制定した。この、法案施行前に事件の解明と国際刑事裁判の訴追手続きをしなければならない。
2013年12月18日 改稿
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事故ではなく犯罪の隠蔽である
http://www.link-21.com/JAL123/021.html
日航123便航空機事故は国際刑事裁判の案件である。
日本航空123便は、墜落したのではなく、山腹への胴体着陸という不時着である。
過去の航空機事故で、離陸直後や着陸時の事故では生存者がいるが、飛行中からの墜落では生存者は一人もいない。生存者がいたということは123便は不時着したのだ。
日本航空123便は4名の生存者が出て、生存者の証言では、事故直後には他にも多数の生存者がいたという。
8月12日の18時56分26秒に123便は群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根に不時着。救護隊が遭難現場を発見したのは、翌13日の4時で救出が始ったが8時すぎ。
1995年8月、当時123便を捜索したロッキードC-130輸送機に搭乗していた元在日アメリカ軍中尉が、同機が、事故現場を特定していたこと、米軍座間基地から飛び立った救難ヘリが現場に到着していたこと、そして、日本政府が、この救難作業を断ったことを証言する。
この元在日アメリカ軍中尉の証言は、生存者の一人の落合由美さんの手記とも符合する。
日本航空123便の航空機事故は事故原因の矛盾点に目が行きがちだが、生存者がいたという事実からこの事故を分析するべきであろう。
政府は、意図的に生存者を救護しなかった。そして、それを隠蔽するために、後部圧力隔壁の損壊を事故原因とするストーリーを考え、そのストーリーに合うように嘘や詭弁を並べ、物証を改竄するなど、犯人は権力は使って事件を隠蔽している。
政府の指示で生存者を見殺しにしたという事実は、国際人道法に対する重大な違反であり国際犯罪だ。しかし、官僚国家の日本で、政府が犯した犯罪を政府が明らかにするはずがない。この事件は、国際刑事裁判所に訴追する案件である。
●被告は、遭難場所を救助隊へ連絡せずに救助を放棄した、当時の日本政府の首相である★中曽根康弘。現場に入り生存者の救助放棄と殺害、そして証拠物件を持ち帰るなど組織的犯罪を自衛隊に指示をし防衛庁長官の★加藤紘一。そして、米軍の救助活動を拒否し、ねつ造した事故原因を、米国側と口裏合わせとして証拠隠滅を図った外務大臣の★安倍晋太郎の三人だ。
生存者の手記、1995年の元在日アメリカ軍中尉の証言、2000年に漏洩のかたちで公開された123便のボイスレコーダー。そして、ボイスレコーダーの改竄の事実と、ノイズ除去で明らかになった改竄した会話内容。そして、亡くなられた乗客が映した機内から見えた飛行体の写真。
これら公開された物証だけで事故原因を特定し、123便が不時着するまでの経緯を明らかにするこてとは可能だ。
公開された物証を一本の糸で結ぶときに、この事件の真相が見える。いや、結ぶことができたときに、この事件は、国際人道法上、重大違反を犯している政治犯罪であることがわかるであろう。
●日本政府は、2015年、この事件に関する外交文書が一般公開されるのに合わせて、この事故の真相が明らかにならないように、被告本人や遺族ら関係者(田布施村閨閥)は秘密特定保護法を制定した。この法案の施行前に、事件の解明と国際刑事裁判の訴追手続きをしなければならない。
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123便墜落事件と特別秘密保護法案
http://www.link-21.com/JAL123/008.html
●特定秘密保護法の目的は、政治犯罪を隠匿することで政治家の無責任を合法化する法案である。この法案の原案は前政権の民主党内で策定された。
●2009年9月政権交代を果たした民主党は、非核三原則を謳ってノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作が、米国に対して、日本国内に核の持ち込みを許可していた密約の案件を引き継いだ。
●岡田克也を中心とした調査メンバーは、密約文書が、佐藤栄作の自宅から発見されたという事実にも関わらず、明文化した日米密約文書はないとしながら、日米合意のもとで核が持ち込まれていたことを認めた。
●この日本人だけに通用する玉虫色の決着に米国側は理解できない。民主党政権の外交は失墜。民主党政権は、外交の信頼を担保する法案の策定を始めた。これが秘密保全法である。
●2010年8月、日航機123便墜落事故の再調査を前原誠司を中心に行われる。これは2009年12月に、前原誠司を後援する京セラの稲森が日航の再建の責任者となったことと関係する。
●稲森は、日航機123便墜落事故に政治犯罪が隠されいることに気が付き、前原誠司がこの事件に関心を持ち、遺族側の要求を受けたというのが真相である。
●結果、前原誠司は、2011年7月に123便事故解説書を公開して、事故原因は後部圧力壁の損傷という結果を再主張する。
●後部圧力隔壁の損傷は、生存者の証言で有り得ない話であるにも、前原誠司らは、従来の主張を繰り返した。
●これは、密約文書が発見されたにも関わらず、明文化された密約文書は存在しないという、岡田克也の調査報告と同じで、論理の破綻は、誰の目にもあきらかである。
●にも関わらず、嘘というかデタラメを押し通した。何を守ろうとしたのか、いや、誰を守ろうとしたのか、それとも、脅されたのか。2011年12月には、野田佳彦が秘密保全法を策定。つまり、この時点で、民主党政権が覗いた戦後の政治犯罪の蓋を閉じる法案の基本が策定されたのである。
●佐藤栄作の密約は事実確認がされていて、この問題を政治犯罪とするかしないかは日本国民次第であるが、日航機123便の事故は、その凄惨さと冷酷な犯罪が世に出れば、国内外で自民党と政府の信用は失墜するのは必定と考えたのだろうか。
●とにかく、野田佳彦の民主党は、戦後の2つの政治犯罪というパンドラの箱を一旦は開けときながら、自分たちの手で再度封印した。
●野田佳彦らの見返りはなんだったのだろうか。とにもかくにも、政権交代が起きても、前政権の政治犯罪を追求させないルールをシステム化する秘密保全法を策定。そして、政権に返り咲いた★安倍普三の政府は、秘密保全法を特定秘密保法として法案を提出し成立させた。
●政権交代がおきても、過去の政治犯罪への調査をさせない。知り得た情報の漏洩をさせない。そして、秘密文書として非公開期限を60年とすること。
●このように特定秘密保護法案が策定された経緯を知れば、この法案の弱点がわかる。そう、日本航空123便墜落事故の事故原因である。事故原因が後部圧力壁ではないことは、世界の航空関係者が知っている。事故の生存者の証言でも機内の圧力は下がっていないのだ。
●しかし、重要なポイントは、★中曽根政権がこの事故を死人に口無しとばかりに、人命救助をしないばかりか生存者を殺害したことである。これを問題とさせないために、事故原因の究明に遺族や関係者の目を向けさていることに気がつかなかればならない。
●日航機123便墜落事故は、航空機事故というよりも、証拠隠滅のための殺戮という事件であり、国際刑事裁判が審査する事案であるのだ。
●日本側が主張する後部圧力壁の損壊を事故原因とするために、当時の中曽根政権は、外交ルートを通して、ボーイング社と後部圧力隔壁を事故原因とする口裏合わせを要請しているはずだ。この外交文書が、米国の公文書の公開で明らかになれば、国際刑事裁判所も動かざるをえなくなるだろう。
●日航123便墜落事故の政治犯罪の首謀者である中曽根康弘は存命中である。かれは、この事件の真相を墓場まで持っていくと公言している。この法案を成立をほくそ笑んでいるのは中曽根康弘なのだ。
●このように考えていくと、日航123便墜落事故の事故原因の嘘の証拠となる外交文書が見つければ、この法案の経緯も知られるであろうし、廃案にする道も開かれるはずだ。
●しかし、法案成立した現在、日航123便墜落事故を調査をした者は逮捕されてしまう。この政治犯罪を証明するのは、特定秘密保護法が適用されない日本国外の日本国籍以外の人たちに託すしかない。
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その他にも重要な情報があります。
生存者は多数いたのに救助しなかった?
http://www.link-21.com/JAL123/005.html
●着陸時の状況は、落合由美さんの証言でわかります。あえて着陸というのは多数の生存者がいたからです。
●衝撃がありました。衝撃は一度感じただけです。(中略)墜落の直後に、「はあはあ」という荒い息遣いが聞こえました。ひとりではなく、何人もの息遣いです。そこらじゅうから聞こえてきました。まわりの全体からです。 「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。
●そう、あの絶望的な状況の中で、結果論ですが、本来ならば山腹に激突して乗員の全員が死亡する状況で生存者がいたのです。
●生存者の一人の落合由美さんの証言は、墜落後の現場の様子が時系列にとてもよくまとめらています。彼女の証言で私が注目するのは、墜落後のあたりが暗くなったときに、若い女の人の「早くきて」という声のところです。
どこからか、若い女の人の声で、「早くきて」と言っているのがはっきり聞こえました。あたりには荒い息遣いで「はあはあ」といっているのがわかりました。まだ何人もの息遣いです。
「早くきて」というのは、誰かがそこにいたことを示しています。つまり、墜落後に現場に入った人間がいるということです。それは自衛官だと思います。