河村尚子さんの素晴らしいリサイタルを聴きました。彼女の想像力、詩的な歌心、暖かみに溢れた音楽の世界大好きです。
河村尚子 ショパン・プロジェクト
「バラードとノクターンを中心に」
「諸君、帽子を取りたまえ!天才だ。」
1831年、シューマンはこう評して、彗星の如く楽壇にあらわれたショパンの才能を世に知らしめました。その驚きと称賛は、私たちの生きる現代にまで続いています。ショパンを弾かないピアニストはいないと言ってもいいくらいに、ピアニストたちはショパンを深く敬愛してやみませんし、私たち聴衆も、何度もくり返しショパンの音楽と向き合います。その奥深い魅力の源泉はどこにあるのでしょうか。
ショパンの魅力の秘密を解き明かすべく、ご案内役は、日本を代表する若手ピアニスト、河村尚子。その美しいタッチと豊かなリリシズムから“現代最高のショパン弾き”とも評される河村尚子が、これまであまたの名手たちが手がけてきた名曲の数々に、新たな光をあてます。
「バラードとノクターンを中心に」。ショパンが新ジャンル創出の気概をもって取り組んだバラード(全4曲)と、ロマンティックな夢と憧れが綴られるノクターンの名品をお贈りします。リストによる歌曲のピアノ編曲版、幻想的な〈子守歌〉とともに、心ゆくまでご堪能ください。
素晴らしい音の響きのホール「杜のはしもと」で初めて演奏させて頂いたの
は今年の3月末、チェリストの堤剛さんとのデュオ・リサイタルの時でした。
舞台が大変広々として、解放間のある気分で演奏できたことが記憶に新しい
です。
今回のプログラムはオール・ショパン・プログラム。一年半前にCD 収録し
た4つのバラードをそれぞれ夜想曲と絡み合わせ、その合間に子守唄と2つ
の歌曲(リスト編曲)を披露するという形になっています。夜想曲から醸し
出される雰囲気から導入される一味変わったバラードと、意外に余り知られ
ていないショパンの歌曲の編曲をそれぞれ楽しんで頂きたいです。
また、既にバラードのCD を聴いて頂いた方々には、私の解釈がこの1年半
でどのように変わったかを感じ取って頂ければ幸いです!
河村 尚子
2014年11月9日(日)
時間 14:00開演 13:30開場
会場 杜のホールはしもと・ホール
内容
ショパン:
ノクターン ヘ長調 作品15の1
バラード 第2番 ヘ長調 作品38
《6つのポーランドの歌》 S.480 (リスト編曲)より
第5曲「私のいとしい人」、第1曲「乙女の願い」
ノクターン 変イ長調 作品32の2
バラード 第1番 ト短調 作品23
ノクターン 変ホ長調 作品55の2
バラード 第3番 変イ長調 作品47
子守歌 変ニ長調 作品57
ノクターン ヘ短調 作品55の1
バラード 第4番 ヘ短調 作品52
チケット 当日券 12:30~会場受付にて発売
料金 全席指定3,500円 学生(25歳以下)2,000円 ペア席6,000円
私がおっかけをやっている!?河村尚子さんのピアノ・リサイタルへ行ってきました。
大演奏家と比べるのはどうかと思うけど
ポリーニが精密完璧、ツィマーマンが感動衝撃、ランランが自由独創とすれば
河村さんは透明&煌びやかという感じです。
ステージが爆発するような演奏でした。ピアノからこの様なスケールの大きな音が聴けるのは、滅多にありません。私の中ではバレンボイムとツィマーマンぐらいしか思い出せないほどのスケールでした。
音が、ピアノから放出されるのが見えるようです。左手の弾く低音が、右上方に拡がり、高音部が左手の方から、ステレオで聞こえてくる経験は初めてです。中央部から左右に音が拡がっていくのです。音の深みや迫力、色合いが、このホールにあっているのでしょうか。昨年のフィリアとはまったく違った、よりスケール感が大きな演奏になっています。彼女自身の進歩がこの差を生んでいるのかも知れませんね。
河村さんの演奏には、シューベルトを聴いても、ショパンを聴いてもどこかにリスト的な響きがバックにあります。時々、そのスケールの大きさが表れます。力強く重なり合う響きがそう感じさせるのかもしれません。
私もショパンの中では、良く聴く曲です。古くはフランソワ、ルービンシュタイン、ホロビッツ、ミケランジェリ、ポリー二、そして、いつも聴いているツィマーマンです。出だしから、やられました。素晴らしい響きです。ツィマーマンの出だしにも負けません。驚きました。この音を聴いて納得しました。皆さんが追いかけるわけを。協奏曲では解らないリサイタルの世界も、会場とピアノに恵まれたときのピアニストの喜びも。
あっ!という間に演奏会が終わってしまって、まだまだ聴いていたい!!と思ったのはいつぶりでしょうか。。。
特に日本人相手だと超恥ずかしがりなこの私を、ご本人に感激さを伝える!というところまで動かしてしまった河村さんの演奏。
いろんな意味でパワーを感じました
そして、優雅さ、情熱、あたたかさ、明快さ、哀愁、妖艶...
1回のプログラムでこんなにたくさんの表情を感じさせる表現力。
凄すぎます!!!
彼女はコンサートでは聴衆の反応を感じ取りながら演奏するそうで、こうした録音セッションではいわばその聴衆役がネーデルで、感想や意見を聞きながらテイクを重ねていく。譜面はあらかじめ読み込まれていて録音でも暗譜だそうです。そういう事前の譜読で読み逃しているような箇所や、解釈の見直しなどが話し合われる。
ひとつの例として上げてくれたのは「ルバート」のかけ方。「3番」のあの軽やかなテーマがハ長調から変ホ長調へと転調するところ。ネーデルからは「あまりルバートをかけ過ぎないほうがよい」とのアドバイス。彼女がそのふたつのバージョンを目の前で弾いてくれました。ルバートを使いすぎると「マンネリ」になるという。最初に彼女が弾いたというバージョンとの差はほんとうにわずかで微妙ですが、控えめのルバートでは転調の《瞬間》がとても新鮮ではっとするようなときめきがあります。
もうひとつは「音楽と文学」というお話。
「バラード」は『物語』。いわば「平家物語」のような語りの音楽であって、ポピュラーやジャズで使われている感傷的な歌謡といったようなジャンルとはニュアンスが違います。ショパンにとってより歌謡的なのは「ノクターン」。この「バラード」は、ポーランド同郷の詩人ミツキェヴィッチの詩から触発されたものと言われています。けれども具体的な詩作品との結びつきには諸説あって、本来は純音楽的なショパンの音楽と文学との結びつきは弱いとも言われています。
河村さんはとても素直な思いを述べていました。
異国に居て、望郷の念にかられないはずがない。当時のパリではポーランドのコミュニティは存在しないに等しく、ましてや芸術的な交流で知り合った同郷のミツキェヴィッチとは故国について熱く語り合ったに違いない…と。
ご自身は「2番」に馴染めなかったとか。というより「嫌い」で、どこかショパンらしくない乱暴な音楽だと思い続けてきた。それではいけないと今回の録音にあたり、ミツキェヴィッチの原詩を読み、グーグルの翻訳をかけて綿密に読み解いてみた。そこで「伝説物語」の内容を理解して、この曲の文学的な意味合いを理解したそうです。
牧歌的で平凡な生活に降りかかる突然で理不尽な「暴力」。そういう譚詩が語る物語の世界。その突然の暴力の部分(“Presto con fuoco”)を、目の前で弾きながら解説してくれました。冒頭からいきなり変拍子で2小節でがくがくとしたリズムの交代があって、しかも右手と左手は、それぞれが2や4の偶数と3の奇数の拍節がぶつかり合うポリリズムの激しい音楽。右手が、2拍子→6拍子、左手が6拍子→4拍子とクロスさせて掛け違うような変拍子となっている。私のような「聴くだけ」の音楽ファンには、右だけ、左だけ、両手と弾きわけて示してくれるのは、とても新鮮。
こういう「文学と音楽」の密接で意識的な関係とか、リズムの複雑さ、曲想が劇的に変化、交錯するという音楽は、シューマンのピアノ音楽を想起させるもので、実際にこの「2番」はシューマンに献呈されています。献呈されたシューマンはそれが不満だったそうで、このショパンの敬愛の念が通じなくてどこかぎこちないボタンの掛け違いのようなことになったそうですが、ふたりの作曲家の本来の気質の違いを現しているようなエピソードです。
演奏家の率直な考えを、実際に弾いて見せてくれながら聴けることはとても貴重な体験で、私自身、ちょっと苦手だった2番にとたんに親しみがわいてきてこの後くり返し河村さんのCDをかけて聴きました。
河村さんはいつも明るい笑顔でとても率直なはっきりとした物言いが印象的。ショパンとミツキェヴィッチとを結びつけた「望郷」(=「ホームシック」)については、「当時のパリには日本食レストランも日本の食材も売っている店はなかったでしょうし、ショパンは男だから自分で『おふくろの味』のような手料理もできなかったでしょうし…」と話がどんどんと脱線していき、ついには「ヨーロッパにはサツマイモがないんですよ」と夢見るような笑顔で「キントキ」などの銘柄までもが口から飛び出して、教室内は大爆笑でした。
最後は、目の前で大好きな「バラード第4番」。サインもいただいてシアワセでした。
レス一覧
素晴らしい時間でしたね。一時間半と比較的短い時間なのに、盛りだくさんの内容に驚かされます。また、それをベルウッドさんが良く憶えているのに感心しました。ピアノはシュタインウェイでしたか?
私も、第二番は苦手でした。というより、どうしてこんなに理不尽な音楽なのだろうと訝しく思っていたからです。河村さん自身もそう思っていたのですね。私の愛聴盤は、ツィメルマンですが、その突然の暴力的な転調が凄いのです。5月に川口で聴いたときもその圧倒的な迫力に圧倒されました。
先日の、銀座の演奏会でも、このレコードは山の様に積んでありました。天の邪鬼の私は、次回以降の演奏会で、購入して、また、サインして貰おうと思っています。
by和室のユニコーン at2013-11-15 04:27
和室のユニコーンさん
これはけっこうまじめにノートをとりました。細かいニュアンスや脱線話などは到底書ききれません。特に奥田センセの無駄話は全部カットです(爆)。
ピアノは、ヤマハの中型のグランド。ピアノというより調律の限界を感じます。こういう会場ではそこまでは手がまわりませんね。
それにしても「二番だけは嫌いだった」という率直な発言は新鮮でした。原詩に直接当たってみて理解できたという話しにはぐいぐいと引き込まれました。私の愛聴盤はルイサダです。ツィメルマンのショパンにはすごい思い入れが入ってきて、愛郷とか愛国の念を強烈に感じるときがありますね。
この二番なんかは、ほかのピアニストが及ばないような《ポーランドの歴史》への思いが色濃いのではないでしょうか。ショパンの時代のロシア、プロイセン、ハプスブルグによる蹂躙ということばかりではなく、スターリンとヒトラーによる侵攻と分割占領、ソ連による属国化など、つい最近までの歴史をなまなましく投影しているのかもしれません。
私の愛聴盤はルイサダです。ツィメルマンに較べるとずっとニュートラルで、音楽としての純度が高いですね。その分、安心できるとも、迫力が不足するとも、どちらにも言えるような気がします。
私にとって特別な曲であるショパンのバラード1番は、また違った解釈の演奏を聴くことができました
河村さんの演奏なら私の理想のバラード1番に限りなく近いんではないか?!と妙な期待をし過ぎたので、解釈の違いにちょっぴり驚いたけど、
それでももちろん素晴らしい演奏に変わりはないのです
ショパンの歌曲は、まるでお腹の中の赤ちゃんに語りかけているようなあたたかさや優しさなどの愛情溢れる演奏に心が洗われる思いでした
本当に本当に素晴らしい演奏会だった
私が買ったCDはデビューアルバム?ですが、9月にリリースされるCDは、中身がまたもやド・タイプなので超気になります
河村さんはレパートリーの焦点を絞ることなくバッハからプロコフィエフまで幅広く取り組んでいます。また活動の範囲もリサイタル、コンチェルト、室内楽から伴奏にまで及んでいます。これは演奏家として成長する過程で大事なことと思います。
河村さんの特徴は多様な音質を駆使した洗練された表現力にあると思います。フレーズを強弱、リズム、テンポの変化に加うるに音の種類を多く使い分けて微妙なニュアンスを出しています。例えが悪いかもしれませんが、平手と拳骨で叩く時の感触、風船が膨らむのと萎む時の軟らかさ、油絵と水彩の色、ダイヤとシルクの輝き等々を音の違いとして表現することができます。こういう人はそんなにいないと思います。勿論これはテクニック上の問題で、その前に天賦の感性があって実現できることです。
束の間の幻影(抜粋)は2年前にも聴きましたが得意な曲なんでしょう。全部聴くと似た曲があって退屈するのでタイプの違う曲を選んでくれた方が聴き易いです。力強さや軽妙さも入った幻想的で美しい演奏でした。ラフマニノフの前奏曲は優しい10番を挟んだ華やかな演奏でひとつのソナタを聴くようでした。コレッリ変奏曲は静かに始まり大きな起伏があってまた静かに終わる曲です。ここでもいろんな音を聴くことができましたが、初めてだったこともあり前2曲の延長みたいに感じてしまいました。(すみません)
何よりも素晴らしかったのは「展覧会の絵」でした。ピアノでもオケでも何度となく聴いてる曲なのに全く新鮮で彼女の面目躍如たる演奏でした。外向的な堂々とした迫力でなく(といっても小ホールなので十分の迫力でしたが)、内向的で落ち着いた演奏でした。絵画を描写してるのでなくそれを観ている人の心象を表現してるようでした。アンコールの熊蜂は飛ぶもありきたりの曲なのに彼女が弾くと違って聴こえます。羽音のうなるような低音が見事でした。
これで6回聴いたことになりますが飽きがきません。大抵はつまらなくなるトランスクリプションも(前に聴いたリストのトリイゾなど)彼女が弾くと生き返るような感じがします。今後も聴き続けたいのですが、この後暫く休暇の予定になっています。ステージで拝見した様子ではおめでたのようです。ご無事を祈るとともに人間として一層成長された復帰を期待したいと思います。
シューマンの「フモレスケ」については,私は彼女が新宿の朝日文化センターで,この曲の内容を解説して,全曲を演奏したのを聴いたことがあり,たいへん懐かしく聴いていました.
およそ30分を要する大曲で,フモレスケとは、喜び、悲しみ、笑い、涙など、様々な感情が交差したような状態をいい,シューマン自身は「ドイツ人に特有な〈情緒的と知的とのたくみな融合〉」といっているそうです.
大きく変化に富んだ5部に分かれますが,切れ目なく演奏されます.なかでは第3部の叙情的な部分が印象的です.すっかり河村尚子の十八番になったようで,うっとりと聴き惚れていました.
河村尚子のシューマンは、もう本当に、とんでもない領域までいっているとおもう、すごい。全世界を見渡しても、この前後の年代でこれだけのシューマンを演奏できるひとは、いるのだろうか。
河村尚子 ショパン・プロジェクト
「バラードとノクターンを中心に」
「諸君、帽子を取りたまえ!天才だ。」
1831年、シューマンはこう評して、彗星の如く楽壇にあらわれたショパンの才能を世に知らしめました。その驚きと称賛は、私たちの生きる現代にまで続いています。ショパンを弾かないピアニストはいないと言ってもいいくらいに、ピアニストたちはショパンを深く敬愛してやみませんし、私たち聴衆も、何度もくり返しショパンの音楽と向き合います。その奥深い魅力の源泉はどこにあるのでしょうか。
ショパンの魅力の秘密を解き明かすべく、ご案内役は、日本を代表する若手ピアニスト、河村尚子。その美しいタッチと豊かなリリシズムから“現代最高のショパン弾き”とも評される河村尚子が、これまであまたの名手たちが手がけてきた名曲の数々に、新たな光をあてます。
「バラードとノクターンを中心に」。ショパンが新ジャンル創出の気概をもって取り組んだバラード(全4曲)と、ロマンティックな夢と憧れが綴られるノクターンの名品をお贈りします。リストによる歌曲のピアノ編曲版、幻想的な〈子守歌〉とともに、心ゆくまでご堪能ください。
素晴らしい音の響きのホール「杜のはしもと」で初めて演奏させて頂いたの
は今年の3月末、チェリストの堤剛さんとのデュオ・リサイタルの時でした。
舞台が大変広々として、解放間のある気分で演奏できたことが記憶に新しい
です。
今回のプログラムはオール・ショパン・プログラム。一年半前にCD 収録し
た4つのバラードをそれぞれ夜想曲と絡み合わせ、その合間に子守唄と2つ
の歌曲(リスト編曲)を披露するという形になっています。夜想曲から醸し
出される雰囲気から導入される一味変わったバラードと、意外に余り知られ
ていないショパンの歌曲の編曲をそれぞれ楽しんで頂きたいです。
また、既にバラードのCD を聴いて頂いた方々には、私の解釈がこの1年半
でどのように変わったかを感じ取って頂ければ幸いです!
河村 尚子
2014年11月9日(日)
時間 14:00開演 13:30開場
会場 杜のホールはしもと・ホール
内容
ショパン:
ノクターン ヘ長調 作品15の1
バラード 第2番 ヘ長調 作品38
《6つのポーランドの歌》 S.480 (リスト編曲)より
第5曲「私のいとしい人」、第1曲「乙女の願い」
ノクターン 変イ長調 作品32の2
バラード 第1番 ト短調 作品23
ノクターン 変ホ長調 作品55の2
バラード 第3番 変イ長調 作品47
子守歌 変ニ長調 作品57
ノクターン ヘ短調 作品55の1
バラード 第4番 ヘ短調 作品52
チケット 当日券 12:30~会場受付にて発売
料金 全席指定3,500円 学生(25歳以下)2,000円 ペア席6,000円
私がおっかけをやっている!?河村尚子さんのピアノ・リサイタルへ行ってきました。
大演奏家と比べるのはどうかと思うけど
ポリーニが精密完璧、ツィマーマンが感動衝撃、ランランが自由独創とすれば
河村さんは透明&煌びやかという感じです。
ステージが爆発するような演奏でした。ピアノからこの様なスケールの大きな音が聴けるのは、滅多にありません。私の中ではバレンボイムとツィマーマンぐらいしか思い出せないほどのスケールでした。
音が、ピアノから放出されるのが見えるようです。左手の弾く低音が、右上方に拡がり、高音部が左手の方から、ステレオで聞こえてくる経験は初めてです。中央部から左右に音が拡がっていくのです。音の深みや迫力、色合いが、このホールにあっているのでしょうか。昨年のフィリアとはまったく違った、よりスケール感が大きな演奏になっています。彼女自身の進歩がこの差を生んでいるのかも知れませんね。
河村さんの演奏には、シューベルトを聴いても、ショパンを聴いてもどこかにリスト的な響きがバックにあります。時々、そのスケールの大きさが表れます。力強く重なり合う響きがそう感じさせるのかもしれません。
私もショパンの中では、良く聴く曲です。古くはフランソワ、ルービンシュタイン、ホロビッツ、ミケランジェリ、ポリー二、そして、いつも聴いているツィマーマンです。出だしから、やられました。素晴らしい響きです。ツィマーマンの出だしにも負けません。驚きました。この音を聴いて納得しました。皆さんが追いかけるわけを。協奏曲では解らないリサイタルの世界も、会場とピアノに恵まれたときのピアニストの喜びも。
あっ!という間に演奏会が終わってしまって、まだまだ聴いていたい!!と思ったのはいつぶりでしょうか。。。
特に日本人相手だと超恥ずかしがりなこの私を、ご本人に感激さを伝える!というところまで動かしてしまった河村さんの演奏。
いろんな意味でパワーを感じました
そして、優雅さ、情熱、あたたかさ、明快さ、哀愁、妖艶...
1回のプログラムでこんなにたくさんの表情を感じさせる表現力。
凄すぎます!!!
彼女はコンサートでは聴衆の反応を感じ取りながら演奏するそうで、こうした録音セッションではいわばその聴衆役がネーデルで、感想や意見を聞きながらテイクを重ねていく。譜面はあらかじめ読み込まれていて録音でも暗譜だそうです。そういう事前の譜読で読み逃しているような箇所や、解釈の見直しなどが話し合われる。
ひとつの例として上げてくれたのは「ルバート」のかけ方。「3番」のあの軽やかなテーマがハ長調から変ホ長調へと転調するところ。ネーデルからは「あまりルバートをかけ過ぎないほうがよい」とのアドバイス。彼女がそのふたつのバージョンを目の前で弾いてくれました。ルバートを使いすぎると「マンネリ」になるという。最初に彼女が弾いたというバージョンとの差はほんとうにわずかで微妙ですが、控えめのルバートでは転調の《瞬間》がとても新鮮ではっとするようなときめきがあります。
もうひとつは「音楽と文学」というお話。
「バラード」は『物語』。いわば「平家物語」のような語りの音楽であって、ポピュラーやジャズで使われている感傷的な歌謡といったようなジャンルとはニュアンスが違います。ショパンにとってより歌謡的なのは「ノクターン」。この「バラード」は、ポーランド同郷の詩人ミツキェヴィッチの詩から触発されたものと言われています。けれども具体的な詩作品との結びつきには諸説あって、本来は純音楽的なショパンの音楽と文学との結びつきは弱いとも言われています。
河村さんはとても素直な思いを述べていました。
異国に居て、望郷の念にかられないはずがない。当時のパリではポーランドのコミュニティは存在しないに等しく、ましてや芸術的な交流で知り合った同郷のミツキェヴィッチとは故国について熱く語り合ったに違いない…と。
ご自身は「2番」に馴染めなかったとか。というより「嫌い」で、どこかショパンらしくない乱暴な音楽だと思い続けてきた。それではいけないと今回の録音にあたり、ミツキェヴィッチの原詩を読み、グーグルの翻訳をかけて綿密に読み解いてみた。そこで「伝説物語」の内容を理解して、この曲の文学的な意味合いを理解したそうです。
牧歌的で平凡な生活に降りかかる突然で理不尽な「暴力」。そういう譚詩が語る物語の世界。その突然の暴力の部分(“Presto con fuoco”)を、目の前で弾きながら解説してくれました。冒頭からいきなり変拍子で2小節でがくがくとしたリズムの交代があって、しかも右手と左手は、それぞれが2や4の偶数と3の奇数の拍節がぶつかり合うポリリズムの激しい音楽。右手が、2拍子→6拍子、左手が6拍子→4拍子とクロスさせて掛け違うような変拍子となっている。私のような「聴くだけ」の音楽ファンには、右だけ、左だけ、両手と弾きわけて示してくれるのは、とても新鮮。
こういう「文学と音楽」の密接で意識的な関係とか、リズムの複雑さ、曲想が劇的に変化、交錯するという音楽は、シューマンのピアノ音楽を想起させるもので、実際にこの「2番」はシューマンに献呈されています。献呈されたシューマンはそれが不満だったそうで、このショパンの敬愛の念が通じなくてどこかぎこちないボタンの掛け違いのようなことになったそうですが、ふたりの作曲家の本来の気質の違いを現しているようなエピソードです。
演奏家の率直な考えを、実際に弾いて見せてくれながら聴けることはとても貴重な体験で、私自身、ちょっと苦手だった2番にとたんに親しみがわいてきてこの後くり返し河村さんのCDをかけて聴きました。
河村さんはいつも明るい笑顔でとても率直なはっきりとした物言いが印象的。ショパンとミツキェヴィッチとを結びつけた「望郷」(=「ホームシック」)については、「当時のパリには日本食レストランも日本の食材も売っている店はなかったでしょうし、ショパンは男だから自分で『おふくろの味』のような手料理もできなかったでしょうし…」と話がどんどんと脱線していき、ついには「ヨーロッパにはサツマイモがないんですよ」と夢見るような笑顔で「キントキ」などの銘柄までもが口から飛び出して、教室内は大爆笑でした。
最後は、目の前で大好きな「バラード第4番」。サインもいただいてシアワセでした。
レス一覧
素晴らしい時間でしたね。一時間半と比較的短い時間なのに、盛りだくさんの内容に驚かされます。また、それをベルウッドさんが良く憶えているのに感心しました。ピアノはシュタインウェイでしたか?
私も、第二番は苦手でした。というより、どうしてこんなに理不尽な音楽なのだろうと訝しく思っていたからです。河村さん自身もそう思っていたのですね。私の愛聴盤は、ツィメルマンですが、その突然の暴力的な転調が凄いのです。5月に川口で聴いたときもその圧倒的な迫力に圧倒されました。
先日の、銀座の演奏会でも、このレコードは山の様に積んでありました。天の邪鬼の私は、次回以降の演奏会で、購入して、また、サインして貰おうと思っています。
by和室のユニコーン at2013-11-15 04:27
和室のユニコーンさん
これはけっこうまじめにノートをとりました。細かいニュアンスや脱線話などは到底書ききれません。特に奥田センセの無駄話は全部カットです(爆)。
ピアノは、ヤマハの中型のグランド。ピアノというより調律の限界を感じます。こういう会場ではそこまでは手がまわりませんね。
それにしても「二番だけは嫌いだった」という率直な発言は新鮮でした。原詩に直接当たってみて理解できたという話しにはぐいぐいと引き込まれました。私の愛聴盤はルイサダです。ツィメルマンのショパンにはすごい思い入れが入ってきて、愛郷とか愛国の念を強烈に感じるときがありますね。
この二番なんかは、ほかのピアニストが及ばないような《ポーランドの歴史》への思いが色濃いのではないでしょうか。ショパンの時代のロシア、プロイセン、ハプスブルグによる蹂躙ということばかりではなく、スターリンとヒトラーによる侵攻と分割占領、ソ連による属国化など、つい最近までの歴史をなまなましく投影しているのかもしれません。
私の愛聴盤はルイサダです。ツィメルマンに較べるとずっとニュートラルで、音楽としての純度が高いですね。その分、安心できるとも、迫力が不足するとも、どちらにも言えるような気がします。
私にとって特別な曲であるショパンのバラード1番は、また違った解釈の演奏を聴くことができました
河村さんの演奏なら私の理想のバラード1番に限りなく近いんではないか?!と妙な期待をし過ぎたので、解釈の違いにちょっぴり驚いたけど、
それでももちろん素晴らしい演奏に変わりはないのです
ショパンの歌曲は、まるでお腹の中の赤ちゃんに語りかけているようなあたたかさや優しさなどの愛情溢れる演奏に心が洗われる思いでした
本当に本当に素晴らしい演奏会だった
私が買ったCDはデビューアルバム?ですが、9月にリリースされるCDは、中身がまたもやド・タイプなので超気になります
河村さんはレパートリーの焦点を絞ることなくバッハからプロコフィエフまで幅広く取り組んでいます。また活動の範囲もリサイタル、コンチェルト、室内楽から伴奏にまで及んでいます。これは演奏家として成長する過程で大事なことと思います。
河村さんの特徴は多様な音質を駆使した洗練された表現力にあると思います。フレーズを強弱、リズム、テンポの変化に加うるに音の種類を多く使い分けて微妙なニュアンスを出しています。例えが悪いかもしれませんが、平手と拳骨で叩く時の感触、風船が膨らむのと萎む時の軟らかさ、油絵と水彩の色、ダイヤとシルクの輝き等々を音の違いとして表現することができます。こういう人はそんなにいないと思います。勿論これはテクニック上の問題で、その前に天賦の感性があって実現できることです。
束の間の幻影(抜粋)は2年前にも聴きましたが得意な曲なんでしょう。全部聴くと似た曲があって退屈するのでタイプの違う曲を選んでくれた方が聴き易いです。力強さや軽妙さも入った幻想的で美しい演奏でした。ラフマニノフの前奏曲は優しい10番を挟んだ華やかな演奏でひとつのソナタを聴くようでした。コレッリ変奏曲は静かに始まり大きな起伏があってまた静かに終わる曲です。ここでもいろんな音を聴くことができましたが、初めてだったこともあり前2曲の延長みたいに感じてしまいました。(すみません)
何よりも素晴らしかったのは「展覧会の絵」でした。ピアノでもオケでも何度となく聴いてる曲なのに全く新鮮で彼女の面目躍如たる演奏でした。外向的な堂々とした迫力でなく(といっても小ホールなので十分の迫力でしたが)、内向的で落ち着いた演奏でした。絵画を描写してるのでなくそれを観ている人の心象を表現してるようでした。アンコールの熊蜂は飛ぶもありきたりの曲なのに彼女が弾くと違って聴こえます。羽音のうなるような低音が見事でした。
これで6回聴いたことになりますが飽きがきません。大抵はつまらなくなるトランスクリプションも(前に聴いたリストのトリイゾなど)彼女が弾くと生き返るような感じがします。今後も聴き続けたいのですが、この後暫く休暇の予定になっています。ステージで拝見した様子ではおめでたのようです。ご無事を祈るとともに人間として一層成長された復帰を期待したいと思います。
シューマンの「フモレスケ」については,私は彼女が新宿の朝日文化センターで,この曲の内容を解説して,全曲を演奏したのを聴いたことがあり,たいへん懐かしく聴いていました.
およそ30分を要する大曲で,フモレスケとは、喜び、悲しみ、笑い、涙など、様々な感情が交差したような状態をいい,シューマン自身は「ドイツ人に特有な〈情緒的と知的とのたくみな融合〉」といっているそうです.
大きく変化に富んだ5部に分かれますが,切れ目なく演奏されます.なかでは第3部の叙情的な部分が印象的です.すっかり河村尚子の十八番になったようで,うっとりと聴き惚れていました.
河村尚子のシューマンは、もう本当に、とんでもない領域までいっているとおもう、すごい。全世界を見渡しても、この前後の年代でこれだけのシューマンを演奏できるひとは、いるのだろうか。