通勤の音楽は、このところ、ベートーヴェンのピアノソナタ第21番「ワルトシュタイン」を聴いています。この曲は、メランコリーなど吹っ飛ばすほどの勢いと力のある音楽で、いかにも「ベートーヴェン!」という感じの作品で、わりに好んで聴いています。若い頃には、アルフレート・ブレンデルの最初のヴォックス録音から、というよりは例のコロムビアの廉価盤、ダイヤモンド1000シリーズ中の一枚(MS-1053-VX)で聴き、近年は DENON のクレスト1000シリーズから、ブルーノ・ゲルバーのCD(COCO-70751)で聴いています。
この曲は、1804年に作曲され、同年の交響曲第3番「英雄」とともに、豊かな創造の時期の代表的作品の一つだそうです。ダイム伯爵未亡人(ヨゼフィーネ・ブルンズウィック)との恋の時期でもあり、創作の自覚によって昂揚し、意気軒昂であった時期の作品ということにななるのだそうな。ベートーヴェンの曲では、ハ長調という調性は祝典的な傾向があるということですが、本作品もたしかにエネルギッシュで意気高い作品と言ってよいのかも。それまで使っていたワルター製のピアノに不満を持っていたベートーヴェンは、パリのエラール社から新しいピアノを贈られ、これがたいそう気に入って作曲をしたのだそうです。完成した曲はワルトシュタイン伯爵に献呈されたためにこの副題が付いたのだそうですが、ところで「ワルトシュタイン」って、誰?
ベートーヴェンを取り巻く人々に関するこの種の疑問に対しては、青木やよひ著『ベートーヴェンの生涯』が役立ちます。これによれば、ボヘミア出身の由緒ある貴族ワルトシュタイン伯爵家のフェルディナントは、1788年にボンを訪れ、おそらくブロイニング家でベートーヴェンと知り合ったとされています。
もともとモーツァルトの崇拝者で自分もピアノ演奏や作曲を手がける音楽通だったこの若い伯爵は、たちまちルードヴィヒの才能に惚れ込み、親しい友となると共に熱心な支援者となった。お互いの住居を行き来して合奏を楽しむこともあれば、ルートヴィヒに新しいピアノを贈って喜ばせたのも彼であった。一方、ヴァルトシュタインが選帝侯の劇場で古代ゲルマン風のバレエを上演した折には、ルートヴィヒがそれに音楽をつけている。(p.53)
またワルトシュタイン伯は読書クラブなどボンの文化活動に積極的に参加し、後に会長となるほどの中心的メンバーであったそうで、オーストリア皇帝ヨーゼフII世が没したときに、追悼集会を企画し、その音楽をベートーヴェンに委嘱したとのことです。青木やよひさんは、続けてこう書きます。
二十歳を目前にしたルートヴィヒにとって、これは大役だった。読書クラブには、人類愛と革新の気風を備えた錚々たる芸術家や知識人がいて、彼を見守っていた。その期待に応えるはじめてのチャンスだったからだ。しかも彼としてもその作品には、単に皇帝の死を悼むというだけでなく、身をもって変革を実践した一人の「英雄」を悼むという意味をこめたいと、心に期していた。(p.54)
こうして生まれたのが、ベートーヴェン初の管弦楽付き声楽作品『皇帝ヨーゼフII世葬送カンタータ』であり、後にハイドンがこれを高く評価し、世に出るきっかけとなった、ということです。いわば、若い頃のヒーローで大恩人だった人、ということでしょう。
第1楽章:アレグロ・コン・ブリオ、ハ長調、4/4拍子。独特のハ長調の主和音の低い連打と高音の対比で始まり、次第に明るさを増していきます。ブレンデル盤の解説(栗山和さん)によれば、フランスではこの曲を「あけぼの L'aurore」と呼んでいるのだとか。なるほど、雰囲気は理解できます。第2主題は、連打の第1主題とはずいぶん違い、穏やかなものです。展開部は、転調によって雰囲気を変えながら高まりを見せ、華やかです。
第2楽章:導入、アダージョ・モルト、ヘ長調、6/8拍子。瞑想的な始まりです。静かで、しかも深い。アタッカで次の楽章に移ります。次の楽章の予告編と言うにはあまりにも見事な、実に魅力的な音楽です。
第3楽章:ロンド、アレグレット・モデラート、ヘ長調、2/4拍子。第2楽章から切れ目なく続く、華麗で長大なロンドです。最後の、疾駆する prestissimo は、pp から ff まで、新しいピアノを使って、力いっぱいに表現しているようです。
ゲルバー盤は、1989年12月4〜5日、オランダ、ライデンのスタッツヘホールザールでのデジタル録音、制作は馬場敬、録音はピーター・ヴィルモースとなっています。録音は鮮明で、DENON らしい、ホールの響きを生かしたものです。
ブレンデル盤は、収録の日付や場所など、データの記載がありませんが、たしか1960年代初頭ではなかったかと思います。録音はステレオですが、時代の制約でしょうか、鮮明とはいえないけれど聴くのに支障はない、といったところでしょうか。
■ゲルバー(Pf)盤
I=10'51" II=3'59" III=10'06" total=24'56"
■ブレンデル(Pf)盤 - VOX原盤
I=11'03" II+III=13'24" total=24'27"
この曲は、1804年に作曲され、同年の交響曲第3番「英雄」とともに、豊かな創造の時期の代表的作品の一つだそうです。ダイム伯爵未亡人(ヨゼフィーネ・ブルンズウィック)との恋の時期でもあり、創作の自覚によって昂揚し、意気軒昂であった時期の作品ということにななるのだそうな。ベートーヴェンの曲では、ハ長調という調性は祝典的な傾向があるということですが、本作品もたしかにエネルギッシュで意気高い作品と言ってよいのかも。それまで使っていたワルター製のピアノに不満を持っていたベートーヴェンは、パリのエラール社から新しいピアノを贈られ、これがたいそう気に入って作曲をしたのだそうです。完成した曲はワルトシュタイン伯爵に献呈されたためにこの副題が付いたのだそうですが、ところで「ワルトシュタイン」って、誰?
ベートーヴェンを取り巻く人々に関するこの種の疑問に対しては、青木やよひ著『ベートーヴェンの生涯』が役立ちます。これによれば、ボヘミア出身の由緒ある貴族ワルトシュタイン伯爵家のフェルディナントは、1788年にボンを訪れ、おそらくブロイニング家でベートーヴェンと知り合ったとされています。
もともとモーツァルトの崇拝者で自分もピアノ演奏や作曲を手がける音楽通だったこの若い伯爵は、たちまちルードヴィヒの才能に惚れ込み、親しい友となると共に熱心な支援者となった。お互いの住居を行き来して合奏を楽しむこともあれば、ルートヴィヒに新しいピアノを贈って喜ばせたのも彼であった。一方、ヴァルトシュタインが選帝侯の劇場で古代ゲルマン風のバレエを上演した折には、ルートヴィヒがそれに音楽をつけている。(p.53)
またワルトシュタイン伯は読書クラブなどボンの文化活動に積極的に参加し、後に会長となるほどの中心的メンバーであったそうで、オーストリア皇帝ヨーゼフII世が没したときに、追悼集会を企画し、その音楽をベートーヴェンに委嘱したとのことです。青木やよひさんは、続けてこう書きます。
二十歳を目前にしたルートヴィヒにとって、これは大役だった。読書クラブには、人類愛と革新の気風を備えた錚々たる芸術家や知識人がいて、彼を見守っていた。その期待に応えるはじめてのチャンスだったからだ。しかも彼としてもその作品には、単に皇帝の死を悼むというだけでなく、身をもって変革を実践した一人の「英雄」を悼むという意味をこめたいと、心に期していた。(p.54)
こうして生まれたのが、ベートーヴェン初の管弦楽付き声楽作品『皇帝ヨーゼフII世葬送カンタータ』であり、後にハイドンがこれを高く評価し、世に出るきっかけとなった、ということです。いわば、若い頃のヒーローで大恩人だった人、ということでしょう。
第1楽章:アレグロ・コン・ブリオ、ハ長調、4/4拍子。独特のハ長調の主和音の低い連打と高音の対比で始まり、次第に明るさを増していきます。ブレンデル盤の解説(栗山和さん)によれば、フランスではこの曲を「あけぼの L'aurore」と呼んでいるのだとか。なるほど、雰囲気は理解できます。第2主題は、連打の第1主題とはずいぶん違い、穏やかなものです。展開部は、転調によって雰囲気を変えながら高まりを見せ、華やかです。
第2楽章:導入、アダージョ・モルト、ヘ長調、6/8拍子。瞑想的な始まりです。静かで、しかも深い。アタッカで次の楽章に移ります。次の楽章の予告編と言うにはあまりにも見事な、実に魅力的な音楽です。
第3楽章:ロンド、アレグレット・モデラート、ヘ長調、2/4拍子。第2楽章から切れ目なく続く、華麗で長大なロンドです。最後の、疾駆する prestissimo は、pp から ff まで、新しいピアノを使って、力いっぱいに表現しているようです。
ゲルバー盤は、1989年12月4〜5日、オランダ、ライデンのスタッツヘホールザールでのデジタル録音、制作は馬場敬、録音はピーター・ヴィルモースとなっています。録音は鮮明で、DENON らしい、ホールの響きを生かしたものです。
ブレンデル盤は、収録の日付や場所など、データの記載がありませんが、たしか1960年代初頭ではなかったかと思います。録音はステレオですが、時代の制約でしょうか、鮮明とはいえないけれど聴くのに支障はない、といったところでしょうか。
■ゲルバー(Pf)盤
I=10'51" II=3'59" III=10'06" total=24'56"
■ブレンデル(Pf)盤 - VOX原盤
I=11'03" II+III=13'24" total=24'27"