BSプレミアム クラシック倶楽部 2014年7月2日
ピエール・アモイヤル バイオリン・リサイタル
バイオリン・ソナタ 第3番 ハ短調から第1楽章、第3楽章 グリーグ作曲
タイスのめい想曲 マスネ作曲
バイオリン・ソナタ イ長調 フランク作曲
バイオリン:ピエール・アモイヤル
ピアノ: 菅野 潤
[収録:2012年1月13日/東京浜離宮朝日ホール]
グリーグ:バイオリンソナタ第3番は、1886年から1887年にかけての作品。3曲あるグリーグのヴァイオリンソナタの中でも、最も人気の高い曲でしばしばコンサートで取り上げられる。ここでのピエール・アモイヤルのヴァイオリン演奏は、実に力強く、圧倒的な迫力で聴衆に訴えかける。この曲が、これほど輪郭をはっきりとして弾いて演じられた例は、あまり多くないのではないか。グリークの曲というと、直ぐに北欧の幽玄さが強調されるあまり、線がか弱く感じられる演奏が多いように思われる。アモイヤルの演奏の狙いは、北欧を強調する前に、一つのヴァイオリンソナタとしてのこの曲の強固な構成力と豊饒さとの魅力を、聴衆の前に披瀝することにあったのではないだろうか。菅野 潤のピアノ伴奏は、この上なく美しく、時に力強く、アモイヤルのヴァイオリンを巧みに引き立てる。クライスラー:愛の悲しみ/ウィーン奇想曲については、アモイヤルの魅力爆発といった感じの演奏で、実に滑らかで優雅なクライスラーの世界が、そこには繰り広げられる。アモイヤルは、よくフランコ・ベルギー楽派のヴァイオリニストとして紹介されるが、この演奏は、正にそのことを裏書きしたような美麗な演奏だ。マスネ:タイスのめい想曲についても同じことが言える。何とも言えない美しいヴァイオリンの音色に酔いしれる。
フランク:ヴァイオリンソナタは、フランクが1886年に作曲した曲で、フランス系のヴァイオリンソナタの最高傑作と言われている。全4楽章からなり、フランクが得意とした作曲技法の循環形式で作曲されているほか、ヴァイオリンとピアノが対等な関係にあることでも知られるヴァイオリンソナタである。ここでのアモイヤルの演奏は、如何にも十八番の曲を演奏するかのように、演奏自体に余裕と奥行きとが感じられる。そして何より伸び伸びと優美にしなる弓使いに、聴いていても惚れ惚れしてしまうような演奏ではある。グリーグ:バイオリンソナタ第3番の時とは丁度反対に、幽玄な表現が何とも言えない雰囲気を醸し出す。通常、フランク:ヴァイオリンソナタは、身構えて力が入った演奏が多いように感じられる。この結果ドイツ音楽のような角ばったヴァイオリンソナタが出現しまいがちだ。フランス人のアモイヤルは、フランク:ヴァイオリンソナタはドイツ音楽ではありませんよ、とでも言いたげに優美に滑らかに弾き進む。ただ、その優美さも単に表面的なものでなく、ずっしりとした内容があるものであり、時には妖艶さとも感じられるほどである。間の取り方も絶妙なものがある。この辺は師のハイフェッツ譲りなのかもしれない。今夜の演奏を聴き終わって感じられたのは、紛れもなくピエール・アモイヤルは、現代を代表するヴァイオリニストの中でも、その最右翼にいる一人ということであった。特に今夜のフランク:ヴァイオリンソナタの演奏は絶品
ピエール・アモイヤル
ピエール・アモイヤルは1949年パリ生まれのユダヤ系フランス人のバイオリニスト。
フォーレ等のフランス音楽や、ベルクとシェーンベルクの協奏曲の演奏で高い評価を得ている。祖父はパリでも有名なパティシェであり、フランソワ・ミッテランが贔屓にしていたそうである。
1961年、12歳の時にパリ音楽院を一等賞を獲得して当時、史上最年少で卒業している。
その後ロサンゼルスに渡り、5年間ヤッシャ・ハイフェッツの元で学ぶ。すでにパリ音楽院で一等賞を取った程の技量があったにもかかわらず、最初の1年間は音階練習しかさせてもらえなかったというほど、ハイフェッツのもとで徹底的に基礎技術から磨きをかけた。ハイフェッツが、弟子の中でその才能と技量に全幅の信頼をおいた唯一の弟子であり、室内楽のコンサートやレコーディングで共演も行った。アモイヤルが一人立ちしてハイフェッツの元を離れるとき、ハイフェッツはギュスターヴ・ヴィヨームの銘器を自ら購入してアモイヤルに贈ったという事である。
アモイヤルの技巧の特徴は、ハイフェッツ譲りのコシの強い美音と、速いパッセージを端正に演奏する正確さに加え、フランコ・ベルギー派の流れを受け継ぐ幅広いヴィブラートが擧げられる。独特の音の伸びや音色の多彩さを利用したテンポ・ルバートも個性的なものである。
ハイフェッツの元を離れる時に、カラヤンとは絶対に共演しないという約束をしていたが、カラヤン指揮するベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との共演は、本人も予想しなかったほどの成功をおさめ、ハイフェッツに知れてしまう。それ以後、ハイフェッツが死ぬまで二度と口をきいて貰えなかったということである。
菅野 潤
1956年生まれ。4歳よりピアノを始める。桐朋学園音楽学部ピアノ科卒業。この間、三浦浩、御木本澄子、高良芳枝、安川加壽子等に師事。
1978年、フランス政府給費留学生として、パリ国立高等音楽院に留学、ピアノをイヴォンヌ・ロリオ、室内楽をモーリス・クリュット、ブルーノ・パスキエ等に師事し、1981年にピアノ科、1982年に室内楽科をそれぞれ一等賞を得て卒業。
1982年には、パリ・エコール・ノルマル音楽院に在籍し、審査員全員一致で演奏家資格を得る。さらに、ジェルメーヌ・ムニエ、ヴラド・ベルルミュテール、ゲオルギー・シェベック、ウラディミール・ホルボフスキー等について研鑽を積む。
1982年から1984年にかけて、ヴィオッティ、カタンツァーロ、パリ国際室内楽他の国際コンクールに上位入賞、また1989年にはローマ、アヴェンティーノ音楽祭にて最優秀賞を受ける。
1984年より、パリを拠点年、内外で演奏活動を行っている。これまでに、パリ・シャンゼリゼ劇場、およびサル・カヴォー、東京・紀尾井ホール、ロンドン・セントジョンズ、ローマ・テアトロギオーネなど世界各地の主要ホールでのリサイタルの他、NHK交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、ポーランド国立クラクフ交響楽団、ザルツブルク室内管弦楽団、ベルリン室内合奏団などと共演している。
また近年、ロンドン、ポルト、メシアン、セニガリア、イブラ等の国際コンクールの審査員として招聘され、仙台国際音楽コンクールの運営委員を、2001年の同コンクールの創立以来つとめている。
ピエール・アモイヤル バイオリン・リサイタル
バイオリン・ソナタ 第3番 ハ短調から第1楽章、第3楽章 グリーグ作曲
タイスのめい想曲 マスネ作曲
バイオリン・ソナタ イ長調 フランク作曲
バイオリン:ピエール・アモイヤル
ピアノ: 菅野 潤
[収録:2012年1月13日/東京浜離宮朝日ホール]
グリーグ:バイオリンソナタ第3番は、1886年から1887年にかけての作品。3曲あるグリーグのヴァイオリンソナタの中でも、最も人気の高い曲でしばしばコンサートで取り上げられる。ここでのピエール・アモイヤルのヴァイオリン演奏は、実に力強く、圧倒的な迫力で聴衆に訴えかける。この曲が、これほど輪郭をはっきりとして弾いて演じられた例は、あまり多くないのではないか。グリークの曲というと、直ぐに北欧の幽玄さが強調されるあまり、線がか弱く感じられる演奏が多いように思われる。アモイヤルの演奏の狙いは、北欧を強調する前に、一つのヴァイオリンソナタとしてのこの曲の強固な構成力と豊饒さとの魅力を、聴衆の前に披瀝することにあったのではないだろうか。菅野 潤のピアノ伴奏は、この上なく美しく、時に力強く、アモイヤルのヴァイオリンを巧みに引き立てる。クライスラー:愛の悲しみ/ウィーン奇想曲については、アモイヤルの魅力爆発といった感じの演奏で、実に滑らかで優雅なクライスラーの世界が、そこには繰り広げられる。アモイヤルは、よくフランコ・ベルギー楽派のヴァイオリニストとして紹介されるが、この演奏は、正にそのことを裏書きしたような美麗な演奏だ。マスネ:タイスのめい想曲についても同じことが言える。何とも言えない美しいヴァイオリンの音色に酔いしれる。
フランク:ヴァイオリンソナタは、フランクが1886年に作曲した曲で、フランス系のヴァイオリンソナタの最高傑作と言われている。全4楽章からなり、フランクが得意とした作曲技法の循環形式で作曲されているほか、ヴァイオリンとピアノが対等な関係にあることでも知られるヴァイオリンソナタである。ここでのアモイヤルの演奏は、如何にも十八番の曲を演奏するかのように、演奏自体に余裕と奥行きとが感じられる。そして何より伸び伸びと優美にしなる弓使いに、聴いていても惚れ惚れしてしまうような演奏ではある。グリーグ:バイオリンソナタ第3番の時とは丁度反対に、幽玄な表現が何とも言えない雰囲気を醸し出す。通常、フランク:ヴァイオリンソナタは、身構えて力が入った演奏が多いように感じられる。この結果ドイツ音楽のような角ばったヴァイオリンソナタが出現しまいがちだ。フランス人のアモイヤルは、フランク:ヴァイオリンソナタはドイツ音楽ではありませんよ、とでも言いたげに優美に滑らかに弾き進む。ただ、その優美さも単に表面的なものでなく、ずっしりとした内容があるものであり、時には妖艶さとも感じられるほどである。間の取り方も絶妙なものがある。この辺は師のハイフェッツ譲りなのかもしれない。今夜の演奏を聴き終わって感じられたのは、紛れもなくピエール・アモイヤルは、現代を代表するヴァイオリニストの中でも、その最右翼にいる一人ということであった。特に今夜のフランク:ヴァイオリンソナタの演奏は絶品
ピエール・アモイヤル
ピエール・アモイヤルは1949年パリ生まれのユダヤ系フランス人のバイオリニスト。
フォーレ等のフランス音楽や、ベルクとシェーンベルクの協奏曲の演奏で高い評価を得ている。祖父はパリでも有名なパティシェであり、フランソワ・ミッテランが贔屓にしていたそうである。
1961年、12歳の時にパリ音楽院を一等賞を獲得して当時、史上最年少で卒業している。
その後ロサンゼルスに渡り、5年間ヤッシャ・ハイフェッツの元で学ぶ。すでにパリ音楽院で一等賞を取った程の技量があったにもかかわらず、最初の1年間は音階練習しかさせてもらえなかったというほど、ハイフェッツのもとで徹底的に基礎技術から磨きをかけた。ハイフェッツが、弟子の中でその才能と技量に全幅の信頼をおいた唯一の弟子であり、室内楽のコンサートやレコーディングで共演も行った。アモイヤルが一人立ちしてハイフェッツの元を離れるとき、ハイフェッツはギュスターヴ・ヴィヨームの銘器を自ら購入してアモイヤルに贈ったという事である。
アモイヤルの技巧の特徴は、ハイフェッツ譲りのコシの強い美音と、速いパッセージを端正に演奏する正確さに加え、フランコ・ベルギー派の流れを受け継ぐ幅広いヴィブラートが擧げられる。独特の音の伸びや音色の多彩さを利用したテンポ・ルバートも個性的なものである。
ハイフェッツの元を離れる時に、カラヤンとは絶対に共演しないという約束をしていたが、カラヤン指揮するベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との共演は、本人も予想しなかったほどの成功をおさめ、ハイフェッツに知れてしまう。それ以後、ハイフェッツが死ぬまで二度と口をきいて貰えなかったということである。
菅野 潤
1956年生まれ。4歳よりピアノを始める。桐朋学園音楽学部ピアノ科卒業。この間、三浦浩、御木本澄子、高良芳枝、安川加壽子等に師事。
1978年、フランス政府給費留学生として、パリ国立高等音楽院に留学、ピアノをイヴォンヌ・ロリオ、室内楽をモーリス・クリュット、ブルーノ・パスキエ等に師事し、1981年にピアノ科、1982年に室内楽科をそれぞれ一等賞を得て卒業。
1982年には、パリ・エコール・ノルマル音楽院に在籍し、審査員全員一致で演奏家資格を得る。さらに、ジェルメーヌ・ムニエ、ヴラド・ベルルミュテール、ゲオルギー・シェベック、ウラディミール・ホルボフスキー等について研鑽を積む。
1982年から1984年にかけて、ヴィオッティ、カタンツァーロ、パリ国際室内楽他の国際コンクールに上位入賞、また1989年にはローマ、アヴェンティーノ音楽祭にて最優秀賞を受ける。
1984年より、パリを拠点年、内外で演奏活動を行っている。これまでに、パリ・シャンゼリゼ劇場、およびサル・カヴォー、東京・紀尾井ホール、ロンドン・セントジョンズ、ローマ・テアトロギオーネなど世界各地の主要ホールでのリサイタルの他、NHK交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、ポーランド国立クラクフ交響楽団、ザルツブルク室内管弦楽団、ベルリン室内合奏団などと共演している。
また近年、ロンドン、ポルト、メシアン、セニガリア、イブラ等の国際コンクールの審査員として招聘され、仙台国際音楽コンクールの運営委員を、2001年の同コンクールの創立以来つとめている。