ベートーヴェンのピアノソナタ第28番
は、ベートーヴェンが「ドロテア・チェチーリア」と呼んでいた男爵夫人に捧げられたようですね。
子供を失って悲しみにくれていたドロテアさんに、この曲を聴かせたというエピソードもあります。
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淳
第2楽章はどういう音楽なんでしょうね?
分類方法が分からない。
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けいちゃん
ベートーヴェンの女性的な面、というか女性的なイメージを念頭に置いて作曲した典型的な例ですね。最初にコンサートでこの曲を聴いた時も女性のピアニストでした。しかし、女性ピアニストが好んで採り上げる曲と言っても、女性だから必ずしもいい演奏になるとは限らないような気がします。あの第3楽章は女性には荷が重い?かといってバックハウスなども聴きましたが、今まで聴いた演奏で満足できるものはなかったように思います。
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丸吾郎
はじめまして、ピアノソナタ28番について知っていることを書き込ませていただきます。
この曲はベートーヴェンの愛弟子ドロテア エルトマン男爵夫人(結婚後の名)に贈呈されています。貴族の令嬢だった彼女は大変なピアノの名手で、ツェルニーなどと並んでベートーベンの代理演奏をするほどの腕前だったそうです。
彼女は後にエルトマン男爵と結婚しますが、夫婦仲が悪く、愛児にも死なれ心身ともに疲れ果て実家に戻ってしまったそうです。
ピアノソナタ28番後期の精神性の表れと共に、傷ついた彼女を慰めるための曲なのです。
私としては第一楽章の癒しから始まって、第4楽章の希望に向かっていく昂揚感が好きです。
肉親に縁のないベートーヴェンにとってエルトマン男爵夫人は実の妹のような可愛い愛しい存在だったのでしょう。
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よこちん
♪“月光”“田園”“テンペスト”“ワルトシュタイン”“熱情”の、古典的ピアノソナタの流れから、この28番ソナタは明らかに一線を画していると思われます。前の27番も、なかなかロマンチックな香りがしますが、やはり、後期ピアノソナタは、僅か一年違いでも、この28番から始まるのかな、と、ピアノソナタを1番から最後の32番まで通して聴くと、そう思います。♪この、後期への脱皮は、ベートーヴェンの耳が全く何も聴こえなくなり、精神的な部分で作曲を始めた結果、と、言われております。(ということは、それまでは少しは聞こえていた、ってことなんでしょうかね???)♪また、甥っ子のカールをめぐる事件や、“不滅の恋人”ではないか、と言われている女性との関係も、彼の精神世界に何らかの影響を与えたようです。ここらへんは、いろんな要素が入り混じっていて、一口では説明できません。すみません。
今日のテーマは、ベートーヴェンの「28番」イ長調ソナタ(作品101)です。この曲、とてもハマりますね。実は、かなりファンが多くて、私が知らなかっただけかなとも思いますが。
ヨハン)ちょっと聞いてみたのですが、第1楽章がすごく不思議な感じがします。なんか何度聞いても構成がよく分からない、つかみどころのない音楽です。第2楽章はわりと分かりやすい音楽だと思いますが。
アンナ)同感です。もう完全にロマン派の音楽ですね。ただ、これこそベートーヴェンという部分も多いですが。
トマス)この曲の第2楽章を聴いていて私がハッと脳裏によぎったのが、シューマンの「幻想曲ハ長調」です。
ヨハン)??・・・えらく遠いところに話が及びますね。
トマス)いえ、そうでもなくて、下記のインタビュー付CDの中で、この2曲の親近性について内田光子さんが語っていたのを思い出したのです。両者の第2楽章(第2曲)は、ものすごく似ていますね。
アンナ)言われてみればそうですね・・・。なんか似ています。シューマンの「幻想曲」はピアノ好きにはポピュラーな曲なので、もちろん知っていましたが、この類似性って意図的なんですかね?
トマス)この曲は、ボンにベートーヴェン記念碑を建立する資金集めの一環として書かれた作品なので、まさに「オマージュ」なのかも知れません。とはいえ、ベートーヴェンの数ある作品の中でこれを選んでいるのは、シューマンは、このイ長調ソナタがお気に入りだったからかも知れません。
ヨハン)2楽章のムードがよく似ているのは分かりやすいのですが、第1楽章もそうなんですか。
トマス)実は私もよく分からないのですが、以下、ライナーノーツからの引用です。
内田)そのため、(シューマンの)「幻想曲」の第1楽章の背景には、ベートーヴェンのソナタ作品101の第1楽章が使われています。101の和音構成には、主音が使われていないという驚くべき特徴があるのです。そして彼は主音の周辺をさまよいますが、聞き手は気づかない。まさにベートーヴェンの天才ぶりが発揮されています。しかも決して不安定な印象をあたえない。嘘だと思ったら、101をぜひ聴きなおしてみてください。私も気づかなかったのですが、実際に演奏してみてわかりました。「え、どこに主音が?なぜ主音がないの?」。いったい、どうして!(冒頭第1主題の演奏)イ長調の曲なのに、その音がどこにも見当たらないんです。そう、この部分にはでてきます。でも正確にはちがう。(第1主題後半の演奏)
というわけ。ひたすら周囲をさまよって、再現部になる。主音がいつ忍び込んできたかも、わからない。そして終結部。第2主題・・・イ長調に落ち着くかというと?ちがう。最後の最後まで着地しません。こんなふうに(第1楽章末尾の演奏)弱拍で終ります。このあこがれというか、主音を探し求める構成が「幻想曲」にもあります。(以下略)
ヨハン)なるほど・・・。そう言われてみると、よく分かりますね。「不安定な印象を与えない」のは、そのとおりだと思うのですが、「着地しない」ので、すごく「ロマン派風」な感じがするのだと思います。もはや、「トリスタン」以降のワーグナーすら思わせます。ベートーヴェンの「ジーニアス」の凄さですね。
アンナ)第1楽章を何回か繰り返して聴いてみたのですが、第1主題の再現部って、どこにあるのですかね?4分ぐらいの短い曲なのですが、なぜか、どうしても聞き逃してしまいます。5回目ぐらいで(笑)、やっとコレかな?と思ったのですが、全然強調しないので、展開部の続きでしかないような・・・。
ヨハン)その代わり、第3楽章と第4楽章の間に、はっきりとこの冒頭主題が戻ってきます。「循環形式」みたいな感じですね。
アンナ)こういう辺りも、すごくロマン派風だと思います。ただし、第4楽章は、すごくベートーヴェン風なモチーフを、時にフーガ風に展開します。
トマス)このテーマって、ちょっとさびしげですね。でも、そこがまたいいような気がします。疲れ切った中年男が勇を奮ってダンスを踊っているとでもいうような感じですかね。でも意外とちゃんと踊ってる、みたいな(笑)。この年ベートーヴェン46歳。今だったら、まだ若い感じがしますが・・・。
ヨハン)そうですね(笑)。でも、さりげなくカッコいい感じもします。「なんちゃってフーガ」みたいな感じもありますしね。
トマス)たぶんモチーフそのものが「渋い」のですよね。晩年に足を踏み入れているような感じがあります。
アンナ)楽譜を見ながら聞くと、より面白いですね。終楽章の終結間近では、すごく大時代的なハープシコードのためのような曲になります。これはユーモアなのかアイロニーなのか・・・。それが終わって、エンディングなのですが、左手がすごく低い音域で「ドロドロドロ・・・」とやり始めます。これって、いったい何なんですかね。ちょっと怖い感じ。すごく気になります。実は最初ここが気になって楽譜にあたってみたら、ますます怖くなりました。こわすぎる・・・。見なきゃよかったです
この曲は、寡作期である1816年に作曲され、ドロテア・フォン・エルトマン男爵夫人に献呈された。エルトマン男爵夫人は、1803年以来、ベートーヴェンの弟子でアマチュ アであるにもかかわらず大変優れた演奏技術を持ち、ベートーヴェンのピアノ曲を最もよく理解して演奏したと言われている。ベートーヴェンは、彼女に演奏法を数多く指示して演奏させた。*10) 演奏技術が高く、ベートーヴェンの感性を伝えることのできる人物に曲を献呈することは、後期作品群に表れる1つの特徴である。このことは、晩年に一般大衆から自ら隔絶したベートーヴェンが、音楽性の優れた貴族を自 己の音楽の受容者とみなしていることを意味すると考えられる。寡作期におけるベートーヴェンの社会的地位は、一見最高潮に達し、ベートーヴェンが世界的に音楽家としての名声を手に入れていたことは、前章で述べたが、その外見的な華やかさとは反対に、ベートーヴェンが、大衆に理解されるわかりやすい音楽から離れていくことを、このピアノソナタ作品101から見出すことができる。このことは、以下の楽曲分析と演奏家による技術的な困難さの二つの観点から論ずる。まず、この作品を音楽的内容や作曲技法的な観点から検証する。この楽曲の楽曲分析は次のようである。
ピアノソナタ作品101の全体の特徴は、形式的には中期に作曲されたピアノソナタ作品27−2の「幻想風ソナタ」とよく似ている。 *11) 「幻想風ソナタ」 の 楽曲の構成や内容は、きわめて自由であり、幻想的である。しかし、作品27−2とは異なり、作品101では、各楽章が一貫して楽想が綿密に発展していく方法がとられている。その上、各声部が室内楽風に運行し、そこに和声の色づけと強弱の陰影が綿密に行われている。そのため、全曲にわたって温和で暖かい印象を与える。この楽曲の発想記号は、イタリア語ではなく、ドイツ語で表記している。自国語による発想表記によって、内面性をさらに明確にしようとする表れといえる。