音楽家にとって、本当に室内楽というのは必要不可欠なものではないかと思います」
──うんうん。紗矢香さんの演奏を聴いていて、そこいら辺り納得できるところがあります。ちょっと僕流に言い換えてみたいのですが、ピアニストのゴーランがわりと自分一人で突っ走っちゃうところがあるのに対し、紗矢香さんが共演者を実によく聴いているなあと感じた箇所が沢山ありました。さきほどのザハール・ブロン門下の二人にちょっと話を戻すと、ヴェンゲーロフというのはとことんソリスト型のヴィルトゥオーゾで、僕なんか最初ナマを聴いた時、舌を巻いちゃったものなんですが、一度モーツァルトのコンチェルトを弾いた時に、独りであまりにバリバリ突っ走っちゃうもんで、伴奏してた指揮者のマレク・ヤノフスキが、それこそ一生懸命モーツァルトの様式というのはこういうものなんだと伴奏で彼にレッスンしている具合なの…。それでその後、彼のインタビューをやった時、その点について訊ねてみたんですよ。そしたら、あの時はなるたけヴェンゲーロフのやりたいこととモーツァルトの様式との間に上手いこと橋渡しをしたいと思ったんだけれど、ああも様式を外されちゃうと共演が難しくなると言ってました(笑)。ところが、レーピンの場合は正反対で、レーピンはヴェンゲーロフほど強烈な個性というものはないかも知れないんですが、コンチェルトなんかでオケと共演している時なんかも、実によくオケを聴いているんだね。オケの独奏者なんかのソロに敏感に反応したりして、この人は随分室内楽を弾き込んできた人じゃないかと思った。共演者を実によく聴いてるんだね。紗矢香さんの演奏にもそういうことを強く感ずる箇所が結構あったな。カフカとシマノフスキとの話からは遠ざかりますが、僕流に言い換えると、この人は随分開かれた感性を持った人らしい、となるんですが…。
紗矢香──やっぱり、ヴァイオリンという楽器自体、ピアノとはちょっと違って、他の楽器と合わせることがほとんどですよね。だから、コンチェルトの場合でも、ヴァイオリンを弾いているというんじゃなくて、音楽をしているということを第一に考えるから、他のパートも私のパートも、同じ音楽を構成する一つの要素であるということをまづ考えるわけですよね。つまり、他のパートなくして、私だけで弾くことは不可能だから、絶対にお互いに向かってアンサンブルを作っていかないことには始まらないわけですよね。
──そうですね。でもそれが身に着いている人って珍しくない?…。わりとピアノならピアノ、ヴァイオリンならヴァイオリンに閉じこもっちゃう人って多いでしょ。だから、さっきもクリスティアンに言ったのですが、紗矢香さんは絶対に室内楽がでいいはづだから、ベートーヴェンなら、ソナタだけじゃなくて、例えば弦楽トリオとか…、
紗矢香──(笑)それはもう…
──…絶対にいいぞ、と言ったんです。絶対に室内楽がいいぞ…と。
紗矢香──実は、今年スイスのヴェルビエでベートーヴェンの《トリプル・コンチェルト》を弾いたんですが、その翌日、それこそさっきのレーピンと、プレトニョフ、イサーリス、ジェラール・コーセと私でタネイエフのクインテットというのを演ったんです。それは、本当に素晴らしい体験でした。
──ほら、やっぱりねえ(笑)
紗矢香──いえ(笑)、実はそれが私にとっての初めての本格的な室内楽へのデビューだったんです。もちろん、室内楽は好きでよくやってるんですが、本格的な公開演奏をするのは初めてだったんです。演奏家にとって、そして音楽家にとって、本当に室内楽というのは必要不可欠なものではないかと思います。つまり、アンサンブル無しで音楽というものはできないですよね。
──それに、何よりもまづ楽しいでしょう。
紗矢香──それはもう、すごく楽しい。
──昔バレンボイムが15年ばかりパリ管の音楽監督をしていたんですが、その頃彼は、もうしょっちゅう楽員たちと室内楽をしていたんです。それが、いつも指揮をしたり、ソロをやってる時に較べて嬉しそうなわけ。皆で和気藹々と楽しそうにやってるわけよ。楽員たちにしたって、いつもはあの台の上に乗っかってエバってる奴が…、
紗矢香──(笑)…
──自分たちと対等の器楽奏者に戻って一緒にやってるわけよ。だから、そっちも楽しそうで、そういうのって、聴衆にモロに伝わってくるでしょう。それから、チョン・ミュンフンね。あの人も室内楽でピアノを弾いてる時が一番好きだな。お互いに、ここをちょっとこう変えてみたら、相手はどう反応すかかな?…とか、聴いていてすごく面白いんだね。
紗矢香──そうそう。それから、室内楽をすることがまた、ベートーヴェンの場合なんか、コンチェルトを弾く時に非常にためになる。オーケストラと弾いているというか、オーケストラの中に入って弾いているという感じだから…。
──…うん、《トリプル・コンチェルト》は特にそうでしょう。
紗矢香──そう、でも《ヴァイオリン・コンチェルト》もそうですよ。
──それからブラームスの《ドッペル・コンチェルト》なんかも、やりようによってはかなり室内楽的にできますよね。一度、サヴァリッシュがパリ管で、パリ管の首席ヴァイオリンとチェロを独奏者にして振ったことがあったんですが、これはもう完全に室内楽でしたよ。そういえば、彼も室内楽をよくやってますね。
紗矢香──だから、そういう風に色々な音を聴きながら、それと一緒になって弾いている時ですよね、音楽をしていて本当に幸せだなあとという気持ちになれるのは…。だから、コンチェルトだからといって、独りだけで弾いているわけではない。特にベートーヴェンや、ブラームスもそうですけれど、特に古典のものは、オーケストラと一体になって弾けるという魅力があるんですね。
▼「音楽という耳だけのものでなく、聴覚的なものだけでなく、視覚的なものとか…、さらに一般的に芸術の色々なジャンルを併せてイメージを作りたい…」
──今回は、こうして、紗矢香さんのファンの皆様と一緒に質問を作ったこともありますので、最後にファンの皆様に対するメッセージかなんかがありましたら…、こういうところを聴いて欲しい、とかこういう風に聴いて欲しいとか…ですね。
紗矢香──…最近よく考えることなんですが、なんかこう、音楽聴いていると、あまりに細かいところが気になりすぎて、音楽そのもののメッセージを聴き取れなくなっちゃう時ってあるようなんですけど…、
──そう、それから聴く方にしても、やれ、ちょっと外したとか、自分の耳の良さを誇示したいのか、そういう細かい点ばっかりあげつらっている人っているじゃない(笑)。一体この人はコンサートに音楽を聴きに来ているのか、それとも演奏家のあら探しに来ているのか?…でな具合に。
紗矢香──うーん(笑)。そういうことって、もちろん気を付けなくてはならないことなんですけれども、それ以上に、私の頭の中だけでイメージが膨らんでいるものが、本当に果たして、皆に感じてもらってるんだろうか?…ということが、いつもはっきりしないんですけれど…。私の頭の中で膨らんでいる一つ一つのフレーズから成り立っている、音楽の全体の…、
──イメージ…
紗矢香──「映像」みたいなものが、聴き手の皆様の頭の中に浮かび上がってきたらいいな…と考えるんです。いつか、これはまた、夢の夢みたいなものなんですが、コンサートで、私がイメージしている絵を後ろで流しながらできたらいいな…とか。さらに、私の、何かもっと直接的に、視覚的にも…、音楽という耳だけのものでなく、聴覚的なものだけでなく、視覚的なものとか…、さらに一般的に芸術の色々なジャンルを併せてイメージを作りたいというか…。
──うーん、それはよくわかるところがあるなあ。どなたか協力者がいるといいですよね。
紗矢香──エヘヘ…。もっとずっとずっと先の話になるでしょうが…。
──でも、それって、かなり可能性あるんじゃない。でも、そんなこと言っちゃうと、オレにやらせろってのがわんさか出て来るぜ(笑)。
紗矢香──エヘヘ…(笑)。
──僕の友人のギタリストに宮川菊佳さんという人がいるんですが、彼がそういうことをやってるみたいよ。朗読と演奏を組み合わせたり…。彼に、パリじゃ、無声映画の上映とピアノの独奏と語りを組み合わせたのがあったぞ、とか報告したことがありますが…。
紗矢香──うーん、いいですねえ。音楽によっても違うと思うんですが…、
──色々なことが考えられるでしょう…。さっきのシマノフスキとカフカのお話の続きになりますね。
(2001年9月13日、庄司紗矢香のパリ滞在先レ・アール・ノヴォテル・ホテルのロビーにて)
取材協力:Junko WATANABE (DGG)
16歳にして一躍スターダムを駆け上がった、ヴァイオリニストの庄司紗矢香。
あれから17年、巨匠への階段を着実に上る彼女が、
名匠テミルカーノフ率いるサンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団の
愛知公演にソリストとして登場し、チャイコフスキーの名協奏曲を奏でます。
音楽への深い愛情が滲むしなやかな表情と言葉は、
彼女が紡ぐ音色と同様、艶やかな輝きを放っています。
--------------------------------------------------------------------------------
テミルカーノフさんとは、数多くのステージで共演を重ねてこられましたが、ご自身にとって、どのような存在でしょうか。17歳の時に初めてお会いして以来、本当に数え切れないほど共演してきました。私にとっては、人間的にも、そして文化的な意味でも、師のような存在ですね。終演ごとに楽屋を訪ねて、「ここは、どう弾くべきか」なんて、質問攻めにしたこともありますよ(笑)。余り口数の多い方ではありませんが、言葉と表情の両方で、丁寧に答えて下さいます。彼のサジェッション(提案)で読んだ本から、イマジネーションが膨らんだ、なんてことも良くあります。何よりも、彼と一緒に演奏していると、音楽に神経を集中させ、不思議なパワーを得ることができる。オーケストラのメンバーも多分、同じ気持ちだと思いますよ。皆で共に音楽を創造してゆく気持ちになりますし、共演するのが毎回、本当に楽しみでなりません。
--------------------------------------------------------------------------------
マエストロは以前、あるインタビューで「庄司さんを通じて、日本人の美徳を強く感じ取っている」とおっしゃっていました。逆に、庄司さんが、マエストロを通じて、ロシア的な美学を感じ取ることはありますか。
--------------------------------------------------------------------------------
実は、テミルカーノフさんはロシア語も決して流暢という訳ではなくて(註:独自の言語体系を持つ、コーカサス地方ナリチク出身)、とても感覚的なんですが…私は彼のことをロシア人というより、いろいろなアイデンティティがミックスされた、“最後のソビエト人”のように感じているんです。
かたや、世界中の一流オーケストラと共演をしている庄司さんから見た、サンクトペテルブルク・フィルとは。言ってみれば、テミルカーノフさんの音楽の内実を、完全に吸収し切ったオーケストラ。彼自身は不思議なことに、世界中のどこのオーケストラに客演しても…例えば、ロンドンのフィルハーモニア管弦楽団でも、ローマのサンタ・チェチーリア管弦楽団でも、指揮した途端、たちどころに彼の音にしてしまうんです(笑)。でも、サンクトペテルブルク交響楽団は特別。まるで彼の音楽が、オーケストラに“沁み込んでいる”ような感覚ですね。そして、私にとっても、ファミリーのような存在です。細かなことを考えずに、自然な流れの中で音楽に入れます。そして、単に拍だけにとどまらず、音楽的な言語を合わせてゆく感覚です。いわば、“掛け合い”をしているような気分ですね。
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そんな気心の知れた仲間たちと今回披露するのが、チャイコフスキーの協奏曲。この曲での共演経験も、実に数多いと思いますが…。はい。弾く度に初心に帰って、常に新鮮な気持ちで弾くように心掛けています。何よりも私にとって、この協奏曲はテミルカーノフとサンクトペテルブルク・フィルとの、切っても切れない関係性を持っています。最初の共演となった、’01年の日本ツアーで11回弾いて、やっぱり何度も何度も、テミルカーノフさんに質問をぶつけて、その都度、私の演奏は変化を遂げました。そして、その後もずっと変化し続けていますが、あの時の経験が、今もこの曲を弾く時の基盤となっているのは、間違いありません。それは、たとえ他の指揮者と共演する場合でも、彼の音楽が私自身の中に沁み込んでいるんだと、自分でも気付いてしまうほどに…。それに、テミルカーノフさんご自身、チャイコフスキーの音楽をとても愛していらっしゃるんです。彼は折あるごとに「チャイコフスキーの音楽は、あなた個人に語りかける」と語っていますが、そこには、特有の心の機微やメランコリーに溢れています。さらには、日本人に近い、情の感じ方もしていると思います。また、ドイツのどっしりとした拍の感覚と違って、ロシアの音楽は、足が地面に着く前に、次の拍に向かっている感じ。これは決してテンポが速い、という意味ではありませんが…。
ところで、幼い頃、最初はピアノを習っていたのに、あるコンサートでヴァイオリンの演奏を聴いて衝撃を受け、すぐに転向されたそうですね。ええ。「自分でやってみたい」と、まず思いました。それまでピアノしか知らなかったので、鍵盤を叩いてから減衰してゆく一方ではなく、ヴィブラートなどで「音が伸びる」のが、とても人間的に思えて、すごく親近感を覚えました。で、すぐに「こっちの方がいい!!」と思ってしまって…(笑)。そして、「ヴァイオリニストになろう」と思ったのは、最初にコンクールに挑戦した時だと思います。中学になるかならないかの頃ですから、11歳くらいでしょうか。でも、私自身は「将来、何になる?」という問いに対しては漠然と、でも、余りにもごく自然に、「私はヴァイオリニストになる」と思っていたので、「なろう」と決断したことは、実は一度もないんです(笑)。
庄司さんにとって、「音楽」とは。私の精神を守ってくれる存在。そんな感じがしています。今の私から考えると、幼い頃からきっとそういうことだったんだと…。
ヴァイオリンが現実的な問題に直面して大変に思えてしまったりすると、そこからちょっと顧みて、「音楽って何?」「何のために音楽をするの?」って考えると、すごく気持ちが楽になったりもしましたから。
一昨年、少し珍しいレーガーの作品に、大バッハを組み合わせた無伴奏アルバムを発表されました。それぞれの様式感をきっちり踏まえつつも、両者の作品が共鳴し合う、興味深い仕上がりになっていましたね。そう言っていただけると、すごくうれしいですね。最初にレーガーの無伴奏作品を見つけた時、「これは、完全にバッハとシンクロナイズしているな」と感じたので、バッハを録音する際には、必ずレーガーも収録しようと、自分で決めていたんです。今後、新しく取り組みたいレパートリーについても、いま思いつくだけでもヤナーチェクやレスピーギの協奏曲など、とにかくいっぱい山のようにありますよ(笑)。
’09年には、音楽からインスパイアされた絵画や映像作品による個展「Synesthesia」に取り組まれるなど、ビジュアル表現にも高い関心がおありですね。いま振り返ってみても、本当に幼い頃から、絵を見たり、本を読んだりしても、音楽とつなぎ合わせたりすることに、一番の興味が向いていました。純粋音楽も素晴らしいとは思うのですが、私の中で音楽は、常に想像力とは切り離せないものでしたから。言葉や絵によって、音楽を想像力と結びつけたいな、という夢をずっと抱いていました。実は、この間亡くなった私の祖母は、歌人だったんです。そして、母が画家と言うことで、ぜひとも私の代で、この夢を実現させてみたいと思っています。
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──うんうん。紗矢香さんの演奏を聴いていて、そこいら辺り納得できるところがあります。ちょっと僕流に言い換えてみたいのですが、ピアニストのゴーランがわりと自分一人で突っ走っちゃうところがあるのに対し、紗矢香さんが共演者を実によく聴いているなあと感じた箇所が沢山ありました。さきほどのザハール・ブロン門下の二人にちょっと話を戻すと、ヴェンゲーロフというのはとことんソリスト型のヴィルトゥオーゾで、僕なんか最初ナマを聴いた時、舌を巻いちゃったものなんですが、一度モーツァルトのコンチェルトを弾いた時に、独りであまりにバリバリ突っ走っちゃうもんで、伴奏してた指揮者のマレク・ヤノフスキが、それこそ一生懸命モーツァルトの様式というのはこういうものなんだと伴奏で彼にレッスンしている具合なの…。それでその後、彼のインタビューをやった時、その点について訊ねてみたんですよ。そしたら、あの時はなるたけヴェンゲーロフのやりたいこととモーツァルトの様式との間に上手いこと橋渡しをしたいと思ったんだけれど、ああも様式を外されちゃうと共演が難しくなると言ってました(笑)。ところが、レーピンの場合は正反対で、レーピンはヴェンゲーロフほど強烈な個性というものはないかも知れないんですが、コンチェルトなんかでオケと共演している時なんかも、実によくオケを聴いているんだね。オケの独奏者なんかのソロに敏感に反応したりして、この人は随分室内楽を弾き込んできた人じゃないかと思った。共演者を実によく聴いてるんだね。紗矢香さんの演奏にもそういうことを強く感ずる箇所が結構あったな。カフカとシマノフスキとの話からは遠ざかりますが、僕流に言い換えると、この人は随分開かれた感性を持った人らしい、となるんですが…。
紗矢香──やっぱり、ヴァイオリンという楽器自体、ピアノとはちょっと違って、他の楽器と合わせることがほとんどですよね。だから、コンチェルトの場合でも、ヴァイオリンを弾いているというんじゃなくて、音楽をしているということを第一に考えるから、他のパートも私のパートも、同じ音楽を構成する一つの要素であるということをまづ考えるわけですよね。つまり、他のパートなくして、私だけで弾くことは不可能だから、絶対にお互いに向かってアンサンブルを作っていかないことには始まらないわけですよね。
──そうですね。でもそれが身に着いている人って珍しくない?…。わりとピアノならピアノ、ヴァイオリンならヴァイオリンに閉じこもっちゃう人って多いでしょ。だから、さっきもクリスティアンに言ったのですが、紗矢香さんは絶対に室内楽がでいいはづだから、ベートーヴェンなら、ソナタだけじゃなくて、例えば弦楽トリオとか…、
紗矢香──(笑)それはもう…
──…絶対にいいぞ、と言ったんです。絶対に室内楽がいいぞ…と。
紗矢香──実は、今年スイスのヴェルビエでベートーヴェンの《トリプル・コンチェルト》を弾いたんですが、その翌日、それこそさっきのレーピンと、プレトニョフ、イサーリス、ジェラール・コーセと私でタネイエフのクインテットというのを演ったんです。それは、本当に素晴らしい体験でした。
──ほら、やっぱりねえ(笑)
紗矢香──いえ(笑)、実はそれが私にとっての初めての本格的な室内楽へのデビューだったんです。もちろん、室内楽は好きでよくやってるんですが、本格的な公開演奏をするのは初めてだったんです。演奏家にとって、そして音楽家にとって、本当に室内楽というのは必要不可欠なものではないかと思います。つまり、アンサンブル無しで音楽というものはできないですよね。
──それに、何よりもまづ楽しいでしょう。
紗矢香──それはもう、すごく楽しい。
──昔バレンボイムが15年ばかりパリ管の音楽監督をしていたんですが、その頃彼は、もうしょっちゅう楽員たちと室内楽をしていたんです。それが、いつも指揮をしたり、ソロをやってる時に較べて嬉しそうなわけ。皆で和気藹々と楽しそうにやってるわけよ。楽員たちにしたって、いつもはあの台の上に乗っかってエバってる奴が…、
紗矢香──(笑)…
──自分たちと対等の器楽奏者に戻って一緒にやってるわけよ。だから、そっちも楽しそうで、そういうのって、聴衆にモロに伝わってくるでしょう。それから、チョン・ミュンフンね。あの人も室内楽でピアノを弾いてる時が一番好きだな。お互いに、ここをちょっとこう変えてみたら、相手はどう反応すかかな?…とか、聴いていてすごく面白いんだね。
紗矢香──そうそう。それから、室内楽をすることがまた、ベートーヴェンの場合なんか、コンチェルトを弾く時に非常にためになる。オーケストラと弾いているというか、オーケストラの中に入って弾いているという感じだから…。
──…うん、《トリプル・コンチェルト》は特にそうでしょう。
紗矢香──そう、でも《ヴァイオリン・コンチェルト》もそうですよ。
──それからブラームスの《ドッペル・コンチェルト》なんかも、やりようによってはかなり室内楽的にできますよね。一度、サヴァリッシュがパリ管で、パリ管の首席ヴァイオリンとチェロを独奏者にして振ったことがあったんですが、これはもう完全に室内楽でしたよ。そういえば、彼も室内楽をよくやってますね。
紗矢香──だから、そういう風に色々な音を聴きながら、それと一緒になって弾いている時ですよね、音楽をしていて本当に幸せだなあとという気持ちになれるのは…。だから、コンチェルトだからといって、独りだけで弾いているわけではない。特にベートーヴェンや、ブラームスもそうですけれど、特に古典のものは、オーケストラと一体になって弾けるという魅力があるんですね。
▼「音楽という耳だけのものでなく、聴覚的なものだけでなく、視覚的なものとか…、さらに一般的に芸術の色々なジャンルを併せてイメージを作りたい…」
──今回は、こうして、紗矢香さんのファンの皆様と一緒に質問を作ったこともありますので、最後にファンの皆様に対するメッセージかなんかがありましたら…、こういうところを聴いて欲しい、とかこういう風に聴いて欲しいとか…ですね。
紗矢香──…最近よく考えることなんですが、なんかこう、音楽聴いていると、あまりに細かいところが気になりすぎて、音楽そのもののメッセージを聴き取れなくなっちゃう時ってあるようなんですけど…、
──そう、それから聴く方にしても、やれ、ちょっと外したとか、自分の耳の良さを誇示したいのか、そういう細かい点ばっかりあげつらっている人っているじゃない(笑)。一体この人はコンサートに音楽を聴きに来ているのか、それとも演奏家のあら探しに来ているのか?…でな具合に。
紗矢香──うーん(笑)。そういうことって、もちろん気を付けなくてはならないことなんですけれども、それ以上に、私の頭の中だけでイメージが膨らんでいるものが、本当に果たして、皆に感じてもらってるんだろうか?…ということが、いつもはっきりしないんですけれど…。私の頭の中で膨らんでいる一つ一つのフレーズから成り立っている、音楽の全体の…、
──イメージ…
紗矢香──「映像」みたいなものが、聴き手の皆様の頭の中に浮かび上がってきたらいいな…と考えるんです。いつか、これはまた、夢の夢みたいなものなんですが、コンサートで、私がイメージしている絵を後ろで流しながらできたらいいな…とか。さらに、私の、何かもっと直接的に、視覚的にも…、音楽という耳だけのものでなく、聴覚的なものだけでなく、視覚的なものとか…、さらに一般的に芸術の色々なジャンルを併せてイメージを作りたいというか…。
──うーん、それはよくわかるところがあるなあ。どなたか協力者がいるといいですよね。
紗矢香──エヘヘ…。もっとずっとずっと先の話になるでしょうが…。
──でも、それって、かなり可能性あるんじゃない。でも、そんなこと言っちゃうと、オレにやらせろってのがわんさか出て来るぜ(笑)。
紗矢香──エヘヘ…(笑)。
──僕の友人のギタリストに宮川菊佳さんという人がいるんですが、彼がそういうことをやってるみたいよ。朗読と演奏を組み合わせたり…。彼に、パリじゃ、無声映画の上映とピアノの独奏と語りを組み合わせたのがあったぞ、とか報告したことがありますが…。
紗矢香──うーん、いいですねえ。音楽によっても違うと思うんですが…、
──色々なことが考えられるでしょう…。さっきのシマノフスキとカフカのお話の続きになりますね。
(2001年9月13日、庄司紗矢香のパリ滞在先レ・アール・ノヴォテル・ホテルのロビーにて)
取材協力:Junko WATANABE (DGG)
16歳にして一躍スターダムを駆け上がった、ヴァイオリニストの庄司紗矢香。
あれから17年、巨匠への階段を着実に上る彼女が、
名匠テミルカーノフ率いるサンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団の
愛知公演にソリストとして登場し、チャイコフスキーの名協奏曲を奏でます。
音楽への深い愛情が滲むしなやかな表情と言葉は、
彼女が紡ぐ音色と同様、艶やかな輝きを放っています。
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テミルカーノフさんとは、数多くのステージで共演を重ねてこられましたが、ご自身にとって、どのような存在でしょうか。17歳の時に初めてお会いして以来、本当に数え切れないほど共演してきました。私にとっては、人間的にも、そして文化的な意味でも、師のような存在ですね。終演ごとに楽屋を訪ねて、「ここは、どう弾くべきか」なんて、質問攻めにしたこともありますよ(笑)。余り口数の多い方ではありませんが、言葉と表情の両方で、丁寧に答えて下さいます。彼のサジェッション(提案)で読んだ本から、イマジネーションが膨らんだ、なんてことも良くあります。何よりも、彼と一緒に演奏していると、音楽に神経を集中させ、不思議なパワーを得ることができる。オーケストラのメンバーも多分、同じ気持ちだと思いますよ。皆で共に音楽を創造してゆく気持ちになりますし、共演するのが毎回、本当に楽しみでなりません。
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マエストロは以前、あるインタビューで「庄司さんを通じて、日本人の美徳を強く感じ取っている」とおっしゃっていました。逆に、庄司さんが、マエストロを通じて、ロシア的な美学を感じ取ることはありますか。
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実は、テミルカーノフさんはロシア語も決して流暢という訳ではなくて(註:独自の言語体系を持つ、コーカサス地方ナリチク出身)、とても感覚的なんですが…私は彼のことをロシア人というより、いろいろなアイデンティティがミックスされた、“最後のソビエト人”のように感じているんです。
かたや、世界中の一流オーケストラと共演をしている庄司さんから見た、サンクトペテルブルク・フィルとは。言ってみれば、テミルカーノフさんの音楽の内実を、完全に吸収し切ったオーケストラ。彼自身は不思議なことに、世界中のどこのオーケストラに客演しても…例えば、ロンドンのフィルハーモニア管弦楽団でも、ローマのサンタ・チェチーリア管弦楽団でも、指揮した途端、たちどころに彼の音にしてしまうんです(笑)。でも、サンクトペテルブルク交響楽団は特別。まるで彼の音楽が、オーケストラに“沁み込んでいる”ような感覚ですね。そして、私にとっても、ファミリーのような存在です。細かなことを考えずに、自然な流れの中で音楽に入れます。そして、単に拍だけにとどまらず、音楽的な言語を合わせてゆく感覚です。いわば、“掛け合い”をしているような気分ですね。
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そんな気心の知れた仲間たちと今回披露するのが、チャイコフスキーの協奏曲。この曲での共演経験も、実に数多いと思いますが…。はい。弾く度に初心に帰って、常に新鮮な気持ちで弾くように心掛けています。何よりも私にとって、この協奏曲はテミルカーノフとサンクトペテルブルク・フィルとの、切っても切れない関係性を持っています。最初の共演となった、’01年の日本ツアーで11回弾いて、やっぱり何度も何度も、テミルカーノフさんに質問をぶつけて、その都度、私の演奏は変化を遂げました。そして、その後もずっと変化し続けていますが、あの時の経験が、今もこの曲を弾く時の基盤となっているのは、間違いありません。それは、たとえ他の指揮者と共演する場合でも、彼の音楽が私自身の中に沁み込んでいるんだと、自分でも気付いてしまうほどに…。それに、テミルカーノフさんご自身、チャイコフスキーの音楽をとても愛していらっしゃるんです。彼は折あるごとに「チャイコフスキーの音楽は、あなた個人に語りかける」と語っていますが、そこには、特有の心の機微やメランコリーに溢れています。さらには、日本人に近い、情の感じ方もしていると思います。また、ドイツのどっしりとした拍の感覚と違って、ロシアの音楽は、足が地面に着く前に、次の拍に向かっている感じ。これは決してテンポが速い、という意味ではありませんが…。
ところで、幼い頃、最初はピアノを習っていたのに、あるコンサートでヴァイオリンの演奏を聴いて衝撃を受け、すぐに転向されたそうですね。ええ。「自分でやってみたい」と、まず思いました。それまでピアノしか知らなかったので、鍵盤を叩いてから減衰してゆく一方ではなく、ヴィブラートなどで「音が伸びる」のが、とても人間的に思えて、すごく親近感を覚えました。で、すぐに「こっちの方がいい!!」と思ってしまって…(笑)。そして、「ヴァイオリニストになろう」と思ったのは、最初にコンクールに挑戦した時だと思います。中学になるかならないかの頃ですから、11歳くらいでしょうか。でも、私自身は「将来、何になる?」という問いに対しては漠然と、でも、余りにもごく自然に、「私はヴァイオリニストになる」と思っていたので、「なろう」と決断したことは、実は一度もないんです(笑)。
庄司さんにとって、「音楽」とは。私の精神を守ってくれる存在。そんな感じがしています。今の私から考えると、幼い頃からきっとそういうことだったんだと…。
ヴァイオリンが現実的な問題に直面して大変に思えてしまったりすると、そこからちょっと顧みて、「音楽って何?」「何のために音楽をするの?」って考えると、すごく気持ちが楽になったりもしましたから。
一昨年、少し珍しいレーガーの作品に、大バッハを組み合わせた無伴奏アルバムを発表されました。それぞれの様式感をきっちり踏まえつつも、両者の作品が共鳴し合う、興味深い仕上がりになっていましたね。そう言っていただけると、すごくうれしいですね。最初にレーガーの無伴奏作品を見つけた時、「これは、完全にバッハとシンクロナイズしているな」と感じたので、バッハを録音する際には、必ずレーガーも収録しようと、自分で決めていたんです。今後、新しく取り組みたいレパートリーについても、いま思いつくだけでもヤナーチェクやレスピーギの協奏曲など、とにかくいっぱい山のようにありますよ(笑)。
’09年には、音楽からインスパイアされた絵画や映像作品による個展「Synesthesia」に取り組まれるなど、ビジュアル表現にも高い関心がおありですね。いま振り返ってみても、本当に幼い頃から、絵を見たり、本を読んだりしても、音楽とつなぎ合わせたりすることに、一番の興味が向いていました。純粋音楽も素晴らしいとは思うのですが、私の中で音楽は、常に想像力とは切り離せないものでしたから。言葉や絵によって、音楽を想像力と結びつけたいな、という夢をずっと抱いていました。実は、この間亡くなった私の祖母は、歌人だったんです。そして、母が画家と言うことで、ぜひとも私の代で、この夢を実現させてみたいと思っています。
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