和留沢地区水源地跡の傍らの岩には水神と彫られている。題字は鈴木十郎元小田原市長が書いたもので、昭和41年と彫られていた。
水源地跡の片隅に取水口と思われる構造物がある。苔むしたコンクリートの塊だが、かつては和留沢地区で暮らす50世帯ほどに、ここから水道水を供給していた。
小田原市内でもっとも標高の高い(約500m)、明星ヶ岳中腹にある、和留沢集落。戦後に開拓された集落で、最盛期は40戸近くの世帯がありましたが、今は13戸。もっとも近い舟原地区のバス停まで3kmと離れている不便さはありますが、豊かな自然の恵みと、何よりも住民の皆さんの強い絆によって、地域コミュニティとしての営みがしっかりと築かれ、保たれています。
その象徴のひとつが、この美化推進委員会。集落の中心、かつての分校跡の前の広場「たいようの丘公園」への見事な花壇づくりなどを毎月行っているのをはじめ、毎月1回の周辺地域への不法投棄回収、年4回の夜間パトロール、また沿道へのサザンカやアジサイの植栽など、たいへんに熱心な活動を行っておられます。この活動が高く評価され、今年5月には、国土交通大臣より表彰を受けられています。
S足柄駅07:2207:41ギャツビイゴルフクラブ08:08林道金時線出合08:42新柴分岐08:57金時山09:0309:12公時神社分岐9:20矢倉沢峠 9:47苅川峠10:05火打石岳10:27明神ヶ岳10:30明神ヶ岳展望地 10:36摂政宮殿下大雄山行啓御通路記念碑10:51宮城野分岐 - 11:06分岐-11:17林道 -11:34熊ノ木沢橋 -11:44水源地11:56-12:11奥和留沢みはらしコース登山口12:2712:41和留沢入口13:17足柄駅G
昨日に続いて同じコースのトレースだが 目的は水源地である 奥和留沢みはらしコース上にある熊ノ木沢橋から熊ノ木沢沿いに上流へ上がって行く 植林地帯を最初は右岸沿いで進路に無理が出てきたら左岸に渡り 渓谷沿いではなく左岸の植林地帯を歩き 川床が近づいたところで沢伝いに流れを遡り ざっと熊ノ木沢橋から10分くらいか 往復20分 人気がないので 足場に気を付けて 水神と刻印のある場所の川床はコンクリートで滑になっていて ボッチ様は赤木沢だったが 私は熊ノ木沢で満喫しました 台風8号が上陸してから3日目なので水量多く楽しめました 今日の目的を達成して 太陽の丘公園で水に濡れたものを乾かしてから 足柄駅まで55分でした 一本道なので走りやすいです
これは登山口駐車場に近い最後の渡渉地点です
2010/12/13
小田原にも和留沢開拓の集落がある。戦後開拓の村だ。それは素晴らしい地域の誇りだと思っている。現在13戸が残って頑張っている。私も開拓を30代にしたから、開拓民の末席にいうようなつもりである。入れてはもらえていないだろうが、そんなつもりだけはある。人生で開拓暮しを体験できることほど素晴らしい生き方は無い。和留沢の人たちにそんなことを言えば、アマちゃんが何を言うかときっと怒られるだろう。開拓はそれほど厳しいものだからだ。私の場合は、楽しい開拓入門というような具合に見られてしまうだろう。自分の根底の開拓民意識は、生きて行く支えになっている。山北にも開拓の集落があった。独特の底の抜けた明るい雰囲気があった。和留沢の方々も同様の開けたものを感じる。舟原のように、400年も前から暮らして来たという集落の重さとは違う。よそ者の私には、和留沢の人の方が、近しい様な気分がある。分かっちゃないなと、きっと怒られるだろうが。
昨日は、和留沢で荒れ地の整備をした。40名ぐらいの大きな作業になった。7反という広さである。草刈り機を持って集合というから、草刈り機2台を持参で出かけたのだが、草刈り機の仕事というより、チェーンソ―の仕事であった。慌てて戻って再度チェーンソウ持参ででなおしした。出直しても現地まで往復15分位のところだ。ミズキなどは30センチぐらいの太さになっていた。そんな木だけで、20本はある。その他檜などは40センチくらいのものが、60本はあった。一番大きな木は80センチくらいのヒノキで、まさにシンボルツリーである。奥には沢がある。沢から水が引いてきてあった。水のあるとは何と贅沢な場所か。傾斜地ではあるが、畑が出来るくらいの南傾斜地で最高の土地だ。標高が400メートル近くあるから、小田原とはいくらか気候が違うようだ。お茶だと、2週遅れになると言われていた。お茶畑にするのも良いだろう。良いお茶がとれると思う。もちろん畑なら何でもできそうだ。夏場の高原野菜が出来そうだ。
あの大きな檜には、ツリ―ハウスを作りたい。海まで遠望できる素晴らしいツリ―ハウスになりそうだ。何しろウッドビルダーが参加している。ツリ―ハウス作ったこともあるそうだ。そうしたら岩越さんも作ったことがあるそうだ。これなら、百人力である。なにしろまず面白くしいことが第一である。大勢の人が集まるようになれば、この素晴らしい場所をどのように生かすか。自ずと道は見えてくるはずだ。と言っても和留沢地域の人たちの思いが一番大切である。突然大勢の人が押し寄せたのでは、落ち着かないことだろう。ゆっくりと暮らしている人たちのペースで、進んでゆく必要がある。舟原で私の家の下で住宅販売が行われた。1軒の大きなお宅が、6軒になった。舟原の誰もが売れる訳がないと言っていた。あっという間に5軒が売れて、すでに建てられている。地域の人の見ている目と、外部の見る目とは違うということを痛感した。
和留沢は小田原の宝である。開拓が行われた時には想像だにしなかったように、周辺の状況が変わった。東京や横浜まで含めての宝である。東京から一時間の場所で、これだけの自然環境の地域は他にはない。実はこういうことを書くのをためらっていた。この地の特別な良さを知った誰かが、押しかけるのではないかという不安である。今回は小田原市の主導する事業として進んでいる。これこそ市民との協働ということだと思っている。行政には新しい事業に取り組むお金は無い。しかし、行政には公共性とか、一個人の利益誘導しないとか、客観性を保つとか。そういう歯止めがある。ここで誰かが一儲けしようなどということで、金権主義におかされる畏れが減った。純粋な思いが反映される場が担保されれば、心ある人が集まってくる。何より重要な原点である。私は環境集落を提唱したい。エネルギーから食糧まで自給自足で暮らす場所である。循環する暮らしのモデル地域である。和留沢集落は、標高約400m、明星ケ岳に至る箱根外輪山の中腹にあり、かつて集団で開拓が行われた地区。その集落の中心部、かつての小学校分校であった公民館の前に、「たいようの丘」と名付けている公園スペースがあります。周囲を森に囲まれている集落の中で、ここに立つと市街地から相模湾方面への眺望が開け、鳥たちのさえずりが響き、爽やかな風が吹き抜ける場所。
和留沢とは小田原市内にある集落でして、西湘地区最小の集落だと思われます。Googleマップを眺めていたら久野の奥地に集落があったので、気になっていました。
先日バイクのバッテリーを交換したものですから、試運転がてら訪れてみたのですが、まぁ地図通り何もありません。民家が数件ある程度です。店どころか自販機だってありません。
一般の方がこの地に用があるとすれば、明星ヶ岳へのハイキング時ぐらいでしょうか。
山北町の深沢や高松、南足柄市の矢佐芝、この辺もその奥深さに驚かされますが、和留沢と比較すれば町レベルです。