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Channel: 丹沢最高峰 蛭ケ岳1673回超えを目指して 
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私の敬愛するヒマラヤニスト その1 山田昇氏

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山田さんは登山センスの他にも、ヒマラヤ登山に不可欠な高所順応力がずば抜けていた。これは8000m峰にチャレンジする上で大きな力になる。
その後、多くのヒマラヤ登山隊に参加した山田さんはヒマラヤで活躍した。

1978年秋 ダウラギリⅠ峰南東稜より初登攀(群馬県山岳連盟)・・・世界初
1981年春 カンチェンジュンガ主峰登頂(日本ヒマラヤ協会)
1982年秋 ダウラギリⅠ峰北面ペアルート初登攀(カモシカ同人)・・・世界初
1983年秋 ローツェ(8511m)西壁より登頂(カモシカ同人)
1983年冬 厳冬期エベレスト(8848m)南東稜より第3登(カモシカ同人)
1985年夏 K2(8611m)南東稜より無酸素登頂(日本ヒマラヤ協会)
1985年秋 エベレスト無酸素登頂(映画「植村直巳物語」撮影隊)
1985年冬 厳冬期マナスル無酸素登頂(斎藤安平氏と2人でのアルパイン・スタイル)
1987年冬 厳冬期アンナプルナ南壁無酸素初登攀(群馬県山岳連盟)・・・世界初
1988年春 エベレスト南北の初縦走(日本・中国・ネパール3国友好登山)・・・世界初
1988年秋 シシャアンマ主峰・チョーオユーをアルパイン・スタイルで継続登頂(日本ヒマラヤ協会)

1985年と1988年にはハットトリック(1年で8000m峰を3回登る事)を記録している。
その他にも7000m峰で2座を初登頂した。
ヒマラヤ登山22回、8000m峰14座中、9座に登頂

この中で特筆すべき記録をまとめると
エベレスト三冠王(春・秋・冬) 無酸素登頂 南北縦走
K2無酸素登頂 厳冬期マナスル無酸素登頂
バリエーション・ルートでは ダウラギリⅠ峰南東稜・ペアルート、アンナプルナ南壁の無酸素登攀

現在でも日本人の登山家でこれほどの記録を持っている人はいない。日本最強の登山家と言われる由縁だ。
1980年代当時、世界の登山界では世界初の8000m峰14座全山登頂を成し遂げたオーストリアの超人ラインホルト・メスナー、それにつづくポーランドのイエジ・ククチカが人並み外れた登山記録を持っていたが
山田さんはこれに匹敵する様な登山を実践した。

私が尊敬するヒマラヤ登山家に山田昇という人がいる。未だにあこがれている。故人となってしまったが。
1989年2月に他の2名の日本人登山家とアラスカのマッキンリーに登山中に遭難、3名とも遺体で収容された。
登頂後の下山中に5200mのデナリ・パス付近で強風で飛ばされて滑落したものと思われる。
その6年前の1983年2月に冒険家・植村直巳さんもここで消息を絶ち、未だに不明のままだ。
北米大陸の最高峰マッキンリーは6000m少しの標高だが、厳冬期になると風速60m/秒を超える強風が吹き、北極に近い高緯度にある事が重なり、
その厳しさが厳冬期エベレストと同等か、それ以上と云われる。日本が世界に誇る冒険家・植村さんと、日本最強の登山家と云われた山田さんが奇しくも
同じ山で帰らぬ人となった。

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