青学大が11時間4分10秒で総合優勝を決め、大会3連覇と年度3冠の偉業を達成した。3冠と3連覇の同時達成は、箱根駅伝史上初めて。
レース後行われた記者会見で原晋監督は、初めて胃がキリキリする12月を迎えたと明かして、「初優勝や連覇の時は、箱根というお祭りに参加するというワクワクした気持ちで臨みましたが、(今回は)『これが伝統だ』というプレッシャーを感じた」と告白。選手がプレッシャーを感じないように、お祭りに見えるよう演出して紛らわせたと語った。
3連覇&3冠の強さの理由を問われると、3連覇は毎年学生が変わり、3冠に関しては、距離も区間も違う「別の種目」で至難だったと話し、「私が居なくても強くなる組織作りを13年前から4段階に分けてやっていました。あとは私の著書を見てもらいたいですが、それが今日(こんにち)花が開いた。自立がチーム青学として成長したのかな」と笑いを交え解説した。
7区の田村和希が後半失速するアクシデントがあり「楽勝と思ったら、まさかが存在した。冷やっとした」と語ったものの、救急車で運ばれた病院で点滴を受けて回復。大事をとって寮に戻っていると報告。「楽に大手町を迎えられました。選手たちは、日頃から箱根を目標に、一般の学生では想像できない厳しい生活を自らの意志で頑張っている。部員全員に、ありがとうと言いたい」とたたえた。
青学大が11時間4分10秒で総合優勝を決め、大会3連覇と年度3冠の偉業を達成した。3冠と3連覇の同時達成は箱根駅伝史上初めてで、戦後初の完全優勝(往路、復路ともにV)での大会3連覇となった。33秒差で往路を制した青学大は6区の小野田勇次(2年)が“山下り”で2位・早大との差を広げると、7区の田村和希(3年)は区間11位で差を再び詰められたが、8区の下田裕太(3年)が区間賞の好走で2位以下に5分以上の差をつけた。最後は2位の東洋大に7分21秒の大差で逃げ切った。
青学大は箱根駅伝で15年、16年に続く総合優勝で3年連続Vを飾り、今年度は出雲駅伝、全日本大学駅伝と合わせて3冠を達成した。箱根駅伝の総合優勝3回は10位タイ(1位は中大の14回)。
ゴール地点で3回胴上げされた青学大の原晋監督(49)は15年大会で「ワクワク大作戦」を掲げ、10時間49分27秒の史上最速タイムで初優勝。前回大会は「ハッピー大作戦」で1977年の日体大以来、39年ぶりに1区から10区までトップを走り続ける完全Vで連覇を果たした。今回は前哨戦の出雲駅伝(10月10日)、全日本大学駅伝(11月6日)を制し、学生駅伝3冠と箱根3連覇を視野に入れていた。原監督体制となって9度目の箱根路。「3と9、感謝の意味を込めてサンキュー大作戦です」と指揮官が名付けた大作戦シリーズは、3年連続で成功した。
3大駅伝の優勝校(14年度箱根以降)
14年度 箱根 青学大
15年度 出雲 青学大
15年度 全日本 東洋大(青学大は2位)
15年度 箱根 青学大
16年度 出雲 青学大
16年度 全日本 青学大
16年度 箱根 青学大
【箱根駅伝】青学大3連覇!今年度3冠達成で「サンキュー大作戦」完結
胴上げされる青学大アンカーの安藤悠哉
箱根駅伝の3連覇以上達成校
6連覇=中大(1959~64年)
5連覇=日体大(1969~73年)
4連覇=日大(1935~38年)
4連覇=順大(1986~89年)
4連覇=駒大(2002~05年)
3連覇=青学大(2015~17年)
学生3大駅伝3冠達成校
1990年度 大東大
2000年度 順大
2010年度 早大
2016年度 青学大
3連覇を狙う青学大にまさかの異変が起きた。復路の準エース区間の7区(小田原~平塚=21・3キロ)で、田村和希(3年=西京)が突然の体調不良に見舞われた。
【写真】箱根駅伝/区間エントリー一覧
快調にトップを走っていた田村が、16キロすぎから急にベースダウン。苦悶の表情を浮かべ、足取りはフラフラ。そこからの1キロのペースは3分25秒前後まで落ちた。
気温も上昇し、脱水症状の陥ったかのような状況。後方から一気に差を詰める早大。2年前から監督車から下りて給水することはできないため、原晋監督は心配そうに「がんばれ、がんばれ!」と呼びかけるしかなかった。
田村は泣きそうな表情ながらも、必死に歯を食いしばり、8区の下田裕太(3年=加藤学園)へトップを守ってタスキをつないだ。我慢に我慢の1時間5分40秒だった。
追走する早大と6区までに2分8秒あった差は、1分21秒まで縮まった。
青学大が3連覇&大学駅伝3冠に王手をかけた。湘南の海岸線を走る3区で、秋山雄飛(4年)が1時間3分3秒と2年連続の区間賞でトップに立つと勢いに乗る。「山の神」不在の5区での貯金を確保し、5時間33分45秒と、2位早大に33秒差をつけ、3年連続の往路優勝を飾った。
作戦名は3連覇と大学駅伝3冠の「3」と、原監督自身の箱根出場回数の「9」に、周囲の人々への感謝の意も込め「サンキュー大作戦」。同監督は「サンキュー指数は39%から93%に上がった。(復路のゴールの)大手町で139%になる」と、快挙に確信を持った。
唯一の不安材料だった秋山が3区で、昨年まで「山の神」だった神野大地(現コニカミノルタ)から「湘南の神」と認められる好走で区間賞。2位早大には33秒差をつけた。1年の鈴木のケガ、直前まで不調だった秋山、山の神不在…。往路優勝を逃すことも覚悟していただけに、原監督は「1位と4分以上開くと自力はない。2分以内なら、よし頑張るぞ。1分以内ならやれるなと。それが33秒の差をつけた。落ち着いてレースができる」と続けた。
復路スタートの山下りの6区。昨年も好走した小野田(2年)が控える。「6区で1分以上の差をつけたい」と原監督。V3&3冠、そして往路、復路を制しての3連覇は70年ぶりの快挙になる。「サンキュー! まだ早いですか。フライングですね」と自信をあふれさせた。
東京箱根間往復大学駅伝競走は3日、復路が行われ、青学大が11時間4分10秒で総合優勝。
2005年まで4連覇した駒大に続き、史上6校目の3連覇を果たした。1度も首位を譲らず、2位東洋大と7分21秒差の圧勝だった。今季の大学駅伝3連覇も達成した。3位は早大で、優勝した11年以来、6年ぶりに3強入りした。
往路を3年連続で制し、2位早大に33秒差でスタートした青学大は、6区・小野田(2年)が2位早大との差を2分8秒に広げたが、7区・田村(3年)が区間11位と不調で1分21秒差に縮められた。しかし8区・下田(3年)が区間賞の快走で独走体勢を築くと、9区池田(4年)、10区・安藤(4年)も快調に走り抜けた。復路優勝も2位東洋大に5分近い差をつけた青学大だった。
昨年に続く2位の東洋大は、9年連続の3位以内を確保した。神奈川大が12年ぶりのシード権獲得となる5位に入った。
優勝争いの一角とされた駒大は9位、東海大は10位とシード権をなんとか確保。山梨学院大は往路から波に乗れず、17位に沈んだ。
11位帝京大以下は、次回は予選会からの出場となる。
青学大が11時間4分10秒で総合優勝を決め、大会3連覇と年度3冠の偉業を達成した。3冠と3連覇の同時達成は、箱根駅伝史上初めて。
主将で大手町のゴールにトップで駆け込んだ安藤悠哉(4年)は、強さの理由を「もちろん、良い選手、トレーニング、監督というのはあるが、思いが強いこと。そういう選手が高め合ったことが一番の強み」。3冠と3連覇のプレッシャーで眠れないことが続いたが、「チームメートに支えられトップでフィニッシュできた。主将らしいことを何も出来なかった中、全員でつかんだ優勝と思う。感謝したい」と語った。各選手のコメントは以下の通り。
1区・梶谷瑠哉(2年)「先頭集団に離されず、秒差で一色さんにつなげた。優勝できてうれしく思う」
2区・一色恭志(4年)「3年連続2区で、66分台のを目標にしたが68分。僕の凡走を戻してくれた秋山ら4年生に感謝」
3区・秋山雄飛(4年)「10日くらい前まで調子が上がらなかった。力んでバテると思ったので自分のペースで走ったら気分が乗ってきた。くじけたことが多かったが、チームメートが無しではこの場に立てなかった」
4区・森田歩希(2年)「初の箱根で区間賞は取れなかったが、総合優勝できうれしい」
5区・貞永隆佑(3年)「思ったより動かなくなって33秒差までつめられて復路の選手に負担をかけてしまったが、復路の選手が走って(=好走)くれてうれしい」
6区・小野田勇次(2年)「7キロの下りからリズムに乗れずタイムが出なかったが、残り3キロから休んだ分うまくいった」
7区・田村和希(3年)大事を取って会見欠席
8区・下田裕太(3年)「3冠を目標に、主軸としてやろうと思ったが、出雲、全日本と迷惑を掛けてしまった。区間賞を狙いに行くつもりで速いペースで行った。(7区の)田村は暑さに弱く状態が悪いと知っていたが、あの状態でも粘って走ってくれて感謝」
9区・池田生成(4年)「貯金があったが、初舞台にアガりアップアップ。沿道や監督の声に励まされた。卒業しても強い青学でいてもらいたい」
10区を走った関東学生連合・照井明人(東京国際大4年)が、1時間10分58秒で走り、区間賞を獲得した順大・作田直也(4年)の1時間11分00秒を上回る快走を見せた。
関東学生連合は、オープン参加で参考記録となるため、“幻の区間賞”となった。
2004年に日本学連選抜のメンバーとして出場した鐘ケ江幸治(筑波大4年)が5区で区間賞を記録。この年から新設されたMVPに当たる金栗四三杯を受賞している。
参考記録では2013年に、8区の中大・永井秀篤(2年)が出走20人中トップの1時間6分10秒で走破したが、チームが往路で途中棄権し、参考記録となっている。
レース後行われた記者会見で原晋監督は、初めて胃がキリキリする12月を迎えたと明かして、「初優勝や連覇の時は、箱根というお祭りに参加するというワクワクした気持ちで臨みましたが、(今回は)『これが伝統だ』というプレッシャーを感じた」と告白。選手がプレッシャーを感じないように、お祭りに見えるよう演出して紛らわせたと語った。
3連覇&3冠の強さの理由を問われると、3連覇は毎年学生が変わり、3冠に関しては、距離も区間も違う「別の種目」で至難だったと話し、「私が居なくても強くなる組織作りを13年前から4段階に分けてやっていました。あとは私の著書を見てもらいたいですが、それが今日(こんにち)花が開いた。自立がチーム青学として成長したのかな」と笑いを交え解説した。
7区の田村和希が後半失速するアクシデントがあり「楽勝と思ったら、まさかが存在した。冷やっとした」と語ったものの、救急車で運ばれた病院で点滴を受けて回復。大事をとって寮に戻っていると報告。「楽に大手町を迎えられました。選手たちは、日頃から箱根を目標に、一般の学生では想像できない厳しい生活を自らの意志で頑張っている。部員全員に、ありがとうと言いたい」とたたえた。
青学大が11時間4分10秒で総合優勝を決め、大会3連覇と年度3冠の偉業を達成した。3冠と3連覇の同時達成は箱根駅伝史上初めてで、戦後初の完全優勝(往路、復路ともにV)での大会3連覇となった。33秒差で往路を制した青学大は6区の小野田勇次(2年)が“山下り”で2位・早大との差を広げると、7区の田村和希(3年)は区間11位で差を再び詰められたが、8区の下田裕太(3年)が区間賞の好走で2位以下に5分以上の差をつけた。最後は2位の東洋大に7分21秒の大差で逃げ切った。
青学大は箱根駅伝で15年、16年に続く総合優勝で3年連続Vを飾り、今年度は出雲駅伝、全日本大学駅伝と合わせて3冠を達成した。箱根駅伝の総合優勝3回は10位タイ(1位は中大の14回)。
ゴール地点で3回胴上げされた青学大の原晋監督(49)は15年大会で「ワクワク大作戦」を掲げ、10時間49分27秒の史上最速タイムで初優勝。前回大会は「ハッピー大作戦」で1977年の日体大以来、39年ぶりに1区から10区までトップを走り続ける完全Vで連覇を果たした。今回は前哨戦の出雲駅伝(10月10日)、全日本大学駅伝(11月6日)を制し、学生駅伝3冠と箱根3連覇を視野に入れていた。原監督体制となって9度目の箱根路。「3と9、感謝の意味を込めてサンキュー大作戦です」と指揮官が名付けた大作戦シリーズは、3年連続で成功した。
3大駅伝の優勝校(14年度箱根以降)
14年度 箱根 青学大
15年度 出雲 青学大
15年度 全日本 東洋大(青学大は2位)
15年度 箱根 青学大
16年度 出雲 青学大
16年度 全日本 青学大
16年度 箱根 青学大
【箱根駅伝】青学大3連覇!今年度3冠達成で「サンキュー大作戦」完結
胴上げされる青学大アンカーの安藤悠哉
箱根駅伝の3連覇以上達成校
6連覇=中大(1959~64年)
5連覇=日体大(1969~73年)
4連覇=日大(1935~38年)
4連覇=順大(1986~89年)
4連覇=駒大(2002~05年)
3連覇=青学大(2015~17年)
学生3大駅伝3冠達成校
1990年度 大東大
2000年度 順大
2010年度 早大
2016年度 青学大
3連覇を狙う青学大にまさかの異変が起きた。復路の準エース区間の7区(小田原~平塚=21・3キロ)で、田村和希(3年=西京)が突然の体調不良に見舞われた。
【写真】箱根駅伝/区間エントリー一覧
快調にトップを走っていた田村が、16キロすぎから急にベースダウン。苦悶の表情を浮かべ、足取りはフラフラ。そこからの1キロのペースは3分25秒前後まで落ちた。
気温も上昇し、脱水症状の陥ったかのような状況。後方から一気に差を詰める早大。2年前から監督車から下りて給水することはできないため、原晋監督は心配そうに「がんばれ、がんばれ!」と呼びかけるしかなかった。
田村は泣きそうな表情ながらも、必死に歯を食いしばり、8区の下田裕太(3年=加藤学園)へトップを守ってタスキをつないだ。我慢に我慢の1時間5分40秒だった。
追走する早大と6区までに2分8秒あった差は、1分21秒まで縮まった。
青学大が3連覇&大学駅伝3冠に王手をかけた。湘南の海岸線を走る3区で、秋山雄飛(4年)が1時間3分3秒と2年連続の区間賞でトップに立つと勢いに乗る。「山の神」不在の5区での貯金を確保し、5時間33分45秒と、2位早大に33秒差をつけ、3年連続の往路優勝を飾った。
作戦名は3連覇と大学駅伝3冠の「3」と、原監督自身の箱根出場回数の「9」に、周囲の人々への感謝の意も込め「サンキュー大作戦」。同監督は「サンキュー指数は39%から93%に上がった。(復路のゴールの)大手町で139%になる」と、快挙に確信を持った。
唯一の不安材料だった秋山が3区で、昨年まで「山の神」だった神野大地(現コニカミノルタ)から「湘南の神」と認められる好走で区間賞。2位早大には33秒差をつけた。1年の鈴木のケガ、直前まで不調だった秋山、山の神不在…。往路優勝を逃すことも覚悟していただけに、原監督は「1位と4分以上開くと自力はない。2分以内なら、よし頑張るぞ。1分以内ならやれるなと。それが33秒の差をつけた。落ち着いてレースができる」と続けた。
復路スタートの山下りの6区。昨年も好走した小野田(2年)が控える。「6区で1分以上の差をつけたい」と原監督。V3&3冠、そして往路、復路を制しての3連覇は70年ぶりの快挙になる。「サンキュー! まだ早いですか。フライングですね」と自信をあふれさせた。
東京箱根間往復大学駅伝競走は3日、復路が行われ、青学大が11時間4分10秒で総合優勝。
2005年まで4連覇した駒大に続き、史上6校目の3連覇を果たした。1度も首位を譲らず、2位東洋大と7分21秒差の圧勝だった。今季の大学駅伝3連覇も達成した。3位は早大で、優勝した11年以来、6年ぶりに3強入りした。
往路を3年連続で制し、2位早大に33秒差でスタートした青学大は、6区・小野田(2年)が2位早大との差を2分8秒に広げたが、7区・田村(3年)が区間11位と不調で1分21秒差に縮められた。しかし8区・下田(3年)が区間賞の快走で独走体勢を築くと、9区池田(4年)、10区・安藤(4年)も快調に走り抜けた。復路優勝も2位東洋大に5分近い差をつけた青学大だった。
昨年に続く2位の東洋大は、9年連続の3位以内を確保した。神奈川大が12年ぶりのシード権獲得となる5位に入った。
優勝争いの一角とされた駒大は9位、東海大は10位とシード権をなんとか確保。山梨学院大は往路から波に乗れず、17位に沈んだ。
11位帝京大以下は、次回は予選会からの出場となる。
青学大が11時間4分10秒で総合優勝を決め、大会3連覇と年度3冠の偉業を達成した。3冠と3連覇の同時達成は、箱根駅伝史上初めて。
主将で大手町のゴールにトップで駆け込んだ安藤悠哉(4年)は、強さの理由を「もちろん、良い選手、トレーニング、監督というのはあるが、思いが強いこと。そういう選手が高め合ったことが一番の強み」。3冠と3連覇のプレッシャーで眠れないことが続いたが、「チームメートに支えられトップでフィニッシュできた。主将らしいことを何も出来なかった中、全員でつかんだ優勝と思う。感謝したい」と語った。各選手のコメントは以下の通り。
1区・梶谷瑠哉(2年)「先頭集団に離されず、秒差で一色さんにつなげた。優勝できてうれしく思う」
2区・一色恭志(4年)「3年連続2区で、66分台のを目標にしたが68分。僕の凡走を戻してくれた秋山ら4年生に感謝」
3区・秋山雄飛(4年)「10日くらい前まで調子が上がらなかった。力んでバテると思ったので自分のペースで走ったら気分が乗ってきた。くじけたことが多かったが、チームメートが無しではこの場に立てなかった」
4区・森田歩希(2年)「初の箱根で区間賞は取れなかったが、総合優勝できうれしい」
5区・貞永隆佑(3年)「思ったより動かなくなって33秒差までつめられて復路の選手に負担をかけてしまったが、復路の選手が走って(=好走)くれてうれしい」
6区・小野田勇次(2年)「7キロの下りからリズムに乗れずタイムが出なかったが、残り3キロから休んだ分うまくいった」
7区・田村和希(3年)大事を取って会見欠席
8区・下田裕太(3年)「3冠を目標に、主軸としてやろうと思ったが、出雲、全日本と迷惑を掛けてしまった。区間賞を狙いに行くつもりで速いペースで行った。(7区の)田村は暑さに弱く状態が悪いと知っていたが、あの状態でも粘って走ってくれて感謝」
9区・池田生成(4年)「貯金があったが、初舞台にアガりアップアップ。沿道や監督の声に励まされた。卒業しても強い青学でいてもらいたい」
10区を走った関東学生連合・照井明人(東京国際大4年)が、1時間10分58秒で走り、区間賞を獲得した順大・作田直也(4年)の1時間11分00秒を上回る快走を見せた。
関東学生連合は、オープン参加で参考記録となるため、“幻の区間賞”となった。
2004年に日本学連選抜のメンバーとして出場した鐘ケ江幸治(筑波大4年)が5区で区間賞を記録。この年から新設されたMVPに当たる金栗四三杯を受賞している。
参考記録では2013年に、8区の中大・永井秀篤(2年)が出走20人中トップの1時間6分10秒で走破したが、チームが往路で途中棄権し、参考記録となっている。