2016.12.15 Thursday
カルロ・マリア・ジュリーニ
そのアーティストの音楽性にも人間性にも強く惹かれ、ぜひ実際に会って話を聞きたいと願ったが、どうしてもインタビューの機会がもてなかったという人が何人かいる。
機会あるごとにインタビューの希望を出していたのだがかなわず、残念ながら亡くなってしまったという人である。
イタリアの名指揮者、カルロ・マリア・ジュリーニはその筆頭だ。
ジュリーニの音楽に命を捧げているような真摯、純粋、高貴、謙虚、高潔な音楽作りは、聴くたびに心打たれ、ぜひ一度会いたいと思った。
しかし、ジュリーニはある時期から病気の夫人のそばを離れたくないという気持ちから、あまり海外での演奏を行わなくなった。
日本でも聴く機会がなくなり、私はあるイタリア在住の知人に、マエストロの自宅にいって話を聞くというチャンスをもらえるかもしれないといわれたが、結局それもかなわなかった。
ジュリーニは1998年に引退を表明し、2005年に91歳で亡くなっている。
本当に、かえすがえすも残念である。一度も会うことができなかったからである。
いまとなっては、残された録音を繰り返し聴くしかない。
そんなジュリーニの壮年期、1971年にシカゴ交響楽団と録音したベートーヴェンの交響曲第7番がリマスター音源、SACDハイブリットとして蘇った(ワーナー 12月21日発売)。
ジュリーニは1969年から73年にかけてシカゴ交響楽団の首席客演指揮者を務めている。当時、56歳。躍動感と生き生きとした新鮮な空気をただよわせ、シカゴ響を自由にうたわせ、ベートーヴェンの魂に寄り添うような演奏を聴かせている。
私はベートーヴェンのピアノ・ソナタやピアノ協奏曲における緩徐楽章(第2楽章)の、えもいわれぬロマンあふれる抒情的な曲想に心が奪われているのだが、この緩徐楽章もみずみずしい演奏で、こよなく美しい。
これは初演時に拍手が鳴りやまず、アンコールで演奏されたといわれる楽章。ワーグナーが「不滅のアレグレット」「舞踏の聖化」と評したように、ベートーヴェンのロマンティシズムがあふれた傑作である。
ジュリーニの音楽は、いまなお私の胸に熱き感動を呼び起こしてくれる。こういう指揮者はなかなかいない。
今日の写真は、CDのジャケット。若きジュリーニの雄姿である。
2016.11.23 Wednesday
アントン・ブルックナー
1994年3月、JTBが企画した「旅のシラブル 伊熊よし子と行く音楽家ゆかりの地」と題するツアーで、アントン・ブルックナーゆかりのオーストリア・リンツにあるサンクト・フローリアン修道院を訪れた。
ものすごく寒い季節で、リンツの深い森のなかをバスで進むうちに、参加者はみな凍えそうな寒さにブルブル。修道院に着いてからも、極寒のなかでの見学となった。
ただし、ブルックナーが弾いていたオルガンや、広大な図書館などを見て、とても深い感動が心に押し寄せてきたことを覚えている。
参加者にいろんなことを説明するなかで、私自身もブルックナーの交響曲がこうした深い森に根差していることを実感した。
今秋、ウィーンを訪れた際、ブルックナーの最晩年の住居、ベルヴェデーレ宮殿の一角にある家を訪れた。
ここは、1895年に皇帝フランツ・ヨーゼフ2世が無償貸与した家で、足が弱ってきたブルックナーのために1階の部屋が用意されたという。
何度も訪れているが、またゆっくり訪れてみると、あの深い森の深遠さと静謐さが蘇り、交響曲を聴きたくなった。ブルックナーはこの家で1896年10月11日に息を引き取っている。
ブルックナーの遺体は、生前の希望により、サンクト・フローリアン修道院の教会地下納骨所、パイプオルガンの真下に安置されている。
今日の写真は、ベルヴェデーレ宮殿の家の外観と記念の碑板、ウィーン市立公園の記念像。
2016.11.16 Wednesday
庄司紗矢香
毎年、この時期になると、「東芝グランドコンサート」のソリストのインタビューが続く。プログラムに記事を書くためである。
2017年のコンサートは、いまもっとも熱い視線を浴びている若手指揮者のひとり、クシシュトフ・ウルバンスキが指揮するNDRエルプフィルハーモニー管弦楽団(ハンブルク北ドイツ放送交響楽団)。
ソリストは先日インタビューしたアリス=紗良・オットと庄司紗矢香である。
昨日は庄司紗矢香のインテビューがあり、六本木のホテルまで出かけた。
今回、彼女が演奏するのはプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番。以前、このコンサートでは第2番の方を演奏したため、その作品についていろいろ聞いたが、今回は第1番についてさまざまな質問を投げかけた。
庄司紗矢香は、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲を非常に得意としている。その作品との出合い、共演した指揮者から得たこと、第1番と第2番のコンチェルトの違い、第1番との思い出やエピソード、プロコフィエフについて、ロシアでの演奏についてなど、幅広いことを聞いた。
「東芝グランドコンサート2017」は、3月7日から15日まで、東京、仙台、名古屋、川崎、福岡、大阪の6公演が予定されている。
庄司紗矢香はプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番、アリス=紗良・オットはベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番を演奏する予定である。
オーケストラのプログラムは、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」、R.シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」などが組まれている。
庄司紗矢香と話すと、いつも絵が好きな彼女と、いろんな美術館のことや、パリで開催された美術展の話などに花が咲く。
このインタビューは、来日公演のプログラム原稿が主たる媒体となるが、他にも情報誌やWEBなどにも書くことになっている。
今日の写真は、いつもスリムな庄司紗矢香。実は、私は彼女のパンツ姿を初めて見たような気がしたため、それを話すと、「えーっ、私いつもパンツばかりですよ。スカートは年に2、3回 それも特別なときしかはきません」という。
「じゃ、私のインタビューのときは、特別なときなの? スカートやワンピース姿しか見たことないわよ」
「そうでしたっけ。じゃ、特別なときだわ(笑)」
まあ、そうですか。光栄ですわ、スカートはいていただいて(笑)。
ふだんはジーンズが多いと聞いて、びっくり。彼女にはコンクール優勝時の若いころから取材を続けているが、ジーンズのイメージはまったくない。
この話題のときばかりは、ハスキーでささやくように話すいつもの声の調子が変わり、一気にテンションが上がった。
庄司紗矢香のプロコフィエフ、非常に楽しみである。ウルバンスキとは、一度共演したことがあり、とても息が合うそうだ。
2016.11.12 Saturday
ゾルタン・コチシュ
ハンガリーの指揮者・ピアニスト・作曲家のゾルタン・コチシュが11月6日、亡くなった。享年64。
コチシュは2012年に心臓手術を受け、最近は体調を崩して、10月に予定されていたハンガリー国立フィル日本公演に同行することができず、心配されていた矢先の訃報である。
コチシュは1952年5月30日、ブダペスト生まれ。バルトーク音楽院とリスト音楽院で学び、18歳のときにハンガリー国営放送が主催するベートーヴェン・ピアノ・コンクールで優勝して注目され、国際的な活動をスタートさせる。
1975年に初来日。やがて指揮者としての活動も開始し、1983年、指揮者のイヴァン・フィッシャーとともにブダペスト祝祭管弦楽団を設立した。
1997年、小林研一郎の後任としてハンガリー国立交響楽団の音楽監督に就任、名称をハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団に変更し、楽員の大幅な入れ替えを実施してレヴェル・アップを図り、国際的な活動を展開するようになる。
コチシュには、以前インタビューを行ったが、そのときの様子はブログの2014年3月26日の「インタビュー・アーカイヴ」で紹介している。
ぜひ、読んでほしいと思う。
なお、ヤマハの「音楽ジャーナリスト&ライターの眼」で、2014年の来日時のプログラムに寄せた文章を転載して追悼文に代えたいと思っている。
2016.10.31 Monday
マレイ・ペライア
今日は午後、TOKYO FMで番組の収録があり、2時間半ほどマイクに向かった。
この内容は、アーティストの情報が解禁になってから、ゆっくり綴りたいと思う。
それが終了してから、夜はサントリーホールでマレイ・ペライアのリサイタルを聴いた。
ペライアは、私が長年こよなく愛しているピアニスト。いつも聴くたびに深い感動を覚える。
プログラムは、前半がハイドンの「アンダンテと変奏曲 ヘ短調Hob.XVⅡ:6」からスタート。次いでモーツァルトのピアノ・ソナタ第8番イ短調K.310へと進み、ブラームスの「6つの小品」より第3番バラードや「幻想曲集」より第1番幻想曲など5曲が演奏された。
とりわけハイドンが印象深く、ペライアの現在の心身の充実が見てとれる内容。作品が内包する素朴さ、堅実さ、緻密さ、構造の豊かさが前面に押し出され、聴きごたえ十分なハイドンとなった。
モーツァルトのこの有名なソナタも、実に味わい深く、特に第1楽章の全編を支配する主題の表現が印象に残った。
私は今夜、ペライアのブラームスに期待していた。彼のしみじみとした滋味あふれるブラームスを聴きたかったからである。
しかし、ペライアのブラームスは、枯淡の域を脱し、ほの暗さや北国特有の冷涼な空気を漂わせるブラームスではなく、抒情的でありながら情熱とロマンと明快さを感じさせる演奏だった。
彼は指のケガが癒えたころから、タッチが強く鋭く重くなった。だからこそ、ブラームスは力強さを増したのかもしれない。このブラームスは、ペライアの新たな側面を表しているように思えて、新鮮な驚きを覚えた。
もっとも今夜の白眉は、後半に演奏されたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」Op.106である。
このソナタを論じ始めると、時間がいくらあっても足りない。今日の公演評は次号の「モーストリー・クラシック」に書く予定にしている。そこでじっくり綴りたいと思っている。
ペライアは、DGに移籍し、バッハの「フランス組曲」をリリースした。この録音は、もうレコードでいえば「擦り切れる」ほど聴いている。
ニュアンス豊かな、歌心あふれる、ごく自然なバッハ。これぞ、ペライアという新録音である。
実は、今日サントリーホールで友人のKさんにばったり出会い、ひさしぶりだったため、コンサート終了後に食事をご一緒し、しばらくおしゃべりに興じた。
近況報告と情報交換を行い、家の近くまで一緒に帰り、すぐまた会おうということを約束して別れた。
いろんな人に会い、いろんなことを行った日で、本当に長い一日となった。
カルロ・マリア・ジュリーニ
そのアーティストの音楽性にも人間性にも強く惹かれ、ぜひ実際に会って話を聞きたいと願ったが、どうしてもインタビューの機会がもてなかったという人が何人かいる。
機会あるごとにインタビューの希望を出していたのだがかなわず、残念ながら亡くなってしまったという人である。
イタリアの名指揮者、カルロ・マリア・ジュリーニはその筆頭だ。
ジュリーニの音楽に命を捧げているような真摯、純粋、高貴、謙虚、高潔な音楽作りは、聴くたびに心打たれ、ぜひ一度会いたいと思った。
しかし、ジュリーニはある時期から病気の夫人のそばを離れたくないという気持ちから、あまり海外での演奏を行わなくなった。
日本でも聴く機会がなくなり、私はあるイタリア在住の知人に、マエストロの自宅にいって話を聞くというチャンスをもらえるかもしれないといわれたが、結局それもかなわなかった。
ジュリーニは1998年に引退を表明し、2005年に91歳で亡くなっている。
本当に、かえすがえすも残念である。一度も会うことができなかったからである。
いまとなっては、残された録音を繰り返し聴くしかない。
そんなジュリーニの壮年期、1971年にシカゴ交響楽団と録音したベートーヴェンの交響曲第7番がリマスター音源、SACDハイブリットとして蘇った(ワーナー 12月21日発売)。
ジュリーニは1969年から73年にかけてシカゴ交響楽団の首席客演指揮者を務めている。当時、56歳。躍動感と生き生きとした新鮮な空気をただよわせ、シカゴ響を自由にうたわせ、ベートーヴェンの魂に寄り添うような演奏を聴かせている。
私はベートーヴェンのピアノ・ソナタやピアノ協奏曲における緩徐楽章(第2楽章)の、えもいわれぬロマンあふれる抒情的な曲想に心が奪われているのだが、この緩徐楽章もみずみずしい演奏で、こよなく美しい。
これは初演時に拍手が鳴りやまず、アンコールで演奏されたといわれる楽章。ワーグナーが「不滅のアレグレット」「舞踏の聖化」と評したように、ベートーヴェンのロマンティシズムがあふれた傑作である。
ジュリーニの音楽は、いまなお私の胸に熱き感動を呼び起こしてくれる。こういう指揮者はなかなかいない。
今日の写真は、CDのジャケット。若きジュリーニの雄姿である。
2016.11.23 Wednesday
アントン・ブルックナー
1994年3月、JTBが企画した「旅のシラブル 伊熊よし子と行く音楽家ゆかりの地」と題するツアーで、アントン・ブルックナーゆかりのオーストリア・リンツにあるサンクト・フローリアン修道院を訪れた。
ものすごく寒い季節で、リンツの深い森のなかをバスで進むうちに、参加者はみな凍えそうな寒さにブルブル。修道院に着いてからも、極寒のなかでの見学となった。
ただし、ブルックナーが弾いていたオルガンや、広大な図書館などを見て、とても深い感動が心に押し寄せてきたことを覚えている。
参加者にいろんなことを説明するなかで、私自身もブルックナーの交響曲がこうした深い森に根差していることを実感した。
今秋、ウィーンを訪れた際、ブルックナーの最晩年の住居、ベルヴェデーレ宮殿の一角にある家を訪れた。
ここは、1895年に皇帝フランツ・ヨーゼフ2世が無償貸与した家で、足が弱ってきたブルックナーのために1階の部屋が用意されたという。
何度も訪れているが、またゆっくり訪れてみると、あの深い森の深遠さと静謐さが蘇り、交響曲を聴きたくなった。ブルックナーはこの家で1896年10月11日に息を引き取っている。
ブルックナーの遺体は、生前の希望により、サンクト・フローリアン修道院の教会地下納骨所、パイプオルガンの真下に安置されている。
今日の写真は、ベルヴェデーレ宮殿の家の外観と記念の碑板、ウィーン市立公園の記念像。
2016.11.16 Wednesday
庄司紗矢香
毎年、この時期になると、「東芝グランドコンサート」のソリストのインタビューが続く。プログラムに記事を書くためである。
2017年のコンサートは、いまもっとも熱い視線を浴びている若手指揮者のひとり、クシシュトフ・ウルバンスキが指揮するNDRエルプフィルハーモニー管弦楽団(ハンブルク北ドイツ放送交響楽団)。
ソリストは先日インタビューしたアリス=紗良・オットと庄司紗矢香である。
昨日は庄司紗矢香のインテビューがあり、六本木のホテルまで出かけた。
今回、彼女が演奏するのはプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番。以前、このコンサートでは第2番の方を演奏したため、その作品についていろいろ聞いたが、今回は第1番についてさまざまな質問を投げかけた。
庄司紗矢香は、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲を非常に得意としている。その作品との出合い、共演した指揮者から得たこと、第1番と第2番のコンチェルトの違い、第1番との思い出やエピソード、プロコフィエフについて、ロシアでの演奏についてなど、幅広いことを聞いた。
「東芝グランドコンサート2017」は、3月7日から15日まで、東京、仙台、名古屋、川崎、福岡、大阪の6公演が予定されている。
庄司紗矢香はプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番、アリス=紗良・オットはベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番を演奏する予定である。
オーケストラのプログラムは、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」、R.シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」などが組まれている。
庄司紗矢香と話すと、いつも絵が好きな彼女と、いろんな美術館のことや、パリで開催された美術展の話などに花が咲く。
このインタビューは、来日公演のプログラム原稿が主たる媒体となるが、他にも情報誌やWEBなどにも書くことになっている。
今日の写真は、いつもスリムな庄司紗矢香。実は、私は彼女のパンツ姿を初めて見たような気がしたため、それを話すと、「えーっ、私いつもパンツばかりですよ。スカートは年に2、3回 それも特別なときしかはきません」という。
「じゃ、私のインタビューのときは、特別なときなの? スカートやワンピース姿しか見たことないわよ」
「そうでしたっけ。じゃ、特別なときだわ(笑)」
まあ、そうですか。光栄ですわ、スカートはいていただいて(笑)。
ふだんはジーンズが多いと聞いて、びっくり。彼女にはコンクール優勝時の若いころから取材を続けているが、ジーンズのイメージはまったくない。
この話題のときばかりは、ハスキーでささやくように話すいつもの声の調子が変わり、一気にテンションが上がった。
庄司紗矢香のプロコフィエフ、非常に楽しみである。ウルバンスキとは、一度共演したことがあり、とても息が合うそうだ。
2016.11.12 Saturday
ゾルタン・コチシュ
ハンガリーの指揮者・ピアニスト・作曲家のゾルタン・コチシュが11月6日、亡くなった。享年64。
コチシュは2012年に心臓手術を受け、最近は体調を崩して、10月に予定されていたハンガリー国立フィル日本公演に同行することができず、心配されていた矢先の訃報である。
コチシュは1952年5月30日、ブダペスト生まれ。バルトーク音楽院とリスト音楽院で学び、18歳のときにハンガリー国営放送が主催するベートーヴェン・ピアノ・コンクールで優勝して注目され、国際的な活動をスタートさせる。
1975年に初来日。やがて指揮者としての活動も開始し、1983年、指揮者のイヴァン・フィッシャーとともにブダペスト祝祭管弦楽団を設立した。
1997年、小林研一郎の後任としてハンガリー国立交響楽団の音楽監督に就任、名称をハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団に変更し、楽員の大幅な入れ替えを実施してレヴェル・アップを図り、国際的な活動を展開するようになる。
コチシュには、以前インタビューを行ったが、そのときの様子はブログの2014年3月26日の「インタビュー・アーカイヴ」で紹介している。
ぜひ、読んでほしいと思う。
なお、ヤマハの「音楽ジャーナリスト&ライターの眼」で、2014年の来日時のプログラムに寄せた文章を転載して追悼文に代えたいと思っている。
2016.10.31 Monday
マレイ・ペライア
今日は午後、TOKYO FMで番組の収録があり、2時間半ほどマイクに向かった。
この内容は、アーティストの情報が解禁になってから、ゆっくり綴りたいと思う。
それが終了してから、夜はサントリーホールでマレイ・ペライアのリサイタルを聴いた。
ペライアは、私が長年こよなく愛しているピアニスト。いつも聴くたびに深い感動を覚える。
プログラムは、前半がハイドンの「アンダンテと変奏曲 ヘ短調Hob.XVⅡ:6」からスタート。次いでモーツァルトのピアノ・ソナタ第8番イ短調K.310へと進み、ブラームスの「6つの小品」より第3番バラードや「幻想曲集」より第1番幻想曲など5曲が演奏された。
とりわけハイドンが印象深く、ペライアの現在の心身の充実が見てとれる内容。作品が内包する素朴さ、堅実さ、緻密さ、構造の豊かさが前面に押し出され、聴きごたえ十分なハイドンとなった。
モーツァルトのこの有名なソナタも、実に味わい深く、特に第1楽章の全編を支配する主題の表現が印象に残った。
私は今夜、ペライアのブラームスに期待していた。彼のしみじみとした滋味あふれるブラームスを聴きたかったからである。
しかし、ペライアのブラームスは、枯淡の域を脱し、ほの暗さや北国特有の冷涼な空気を漂わせるブラームスではなく、抒情的でありながら情熱とロマンと明快さを感じさせる演奏だった。
彼は指のケガが癒えたころから、タッチが強く鋭く重くなった。だからこそ、ブラームスは力強さを増したのかもしれない。このブラームスは、ペライアの新たな側面を表しているように思えて、新鮮な驚きを覚えた。
もっとも今夜の白眉は、後半に演奏されたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」Op.106である。
このソナタを論じ始めると、時間がいくらあっても足りない。今日の公演評は次号の「モーストリー・クラシック」に書く予定にしている。そこでじっくり綴りたいと思っている。
ペライアは、DGに移籍し、バッハの「フランス組曲」をリリースした。この録音は、もうレコードでいえば「擦り切れる」ほど聴いている。
ニュアンス豊かな、歌心あふれる、ごく自然なバッハ。これぞ、ペライアという新録音である。
実は、今日サントリーホールで友人のKさんにばったり出会い、ひさしぶりだったため、コンサート終了後に食事をご一緒し、しばらくおしゃべりに興じた。
近況報告と情報交換を行い、家の近くまで一緒に帰り、すぐまた会おうということを約束して別れた。
いろんな人に会い、いろんなことを行った日で、本当に長い一日となった。