皇太子徳仁の誕生日:2016年2月23日歳(『朝日新聞』2016年2月23日朝刊38面「社会」)
1) 記事本文「皇太子さま,56歳に『被災地の復興に心寄せていく』
皇太子さまは〔2016年2月〕23日に56歳の誕生日を迎え,これに先立ち,東京・元赤坂の東宮御所で記者会見した。間もなく発生5年を迎える東日本大震災について「多くの方々が依然として厳しい環境のなかで暮らしておられることに心が痛みます」と述べ,雅子さまとともに「被災地の復興に永(なが)く心を寄せていきたい」と語った。
補注)皇太子一家が,どのくらいの人数の宮内庁職員にかしずかれて日常の生活をしているか,国民たちはよくしらない。宮内庁で皇太子一家の面倒をみる職員は,60数名いる。活字が拾えないので,つぎの紙面を画像で紹介しておく。(画面 クリックで 拡大・可)
皇太子用宮内庁職員人数
出所)http://kabanehosi.seesaa.net/article/225279924.html
昨年の戦後70年の節目に関連し,戦争に関する展示や話を見聞きするなか,「歴史の教訓に学び,このような痛ましい戦争が二度と起こらないようにしなければならない」との思いを強くしたと言及。国内外で慰霊を続ける天皇,皇后両陛下の姿に「平和を思うお気持をしっかりと受けついでまいりたい」と述べた。
また,ご一家そろって両陛下から疎開した話など戦時中のことを聞く機会があり,「とてもありがたいこと」だったと振り返った。
補注)戦争体験でいえば,庶民と皇族のそれではまったく異なった様相があった。前者には死者がたくさん出ていたが(日本人関係だけで310万人),後者からはそうではなかった(ゼロといっていい)。同じに比較し,話題にとりあげられるような内容(話題)であるとは,とうてい思えない。
雅子さまの療養については,依然として体調に波はあるが,活動にみあうかたちで回復してきているように感じている,と紹介。「焦らず慎重に,少しずつ活動の幅を広げていってほしい」と述べた。
補注)綾小路きみまろではないが「あれから40年」とまではいかないものの,雅子の場合「あれから十何年」とはいえる。このままの状況がさらに十何年が重ねて続きそうな《勢い》である。
2015年11月12日園遊会に参加した雅子画像
出所)http://www.huffingtonpost.jp/2015/11/12/princess-masako-appears_n_8550490.html この写真でみるかぎり,兄弟夫婦の顔つきに多少相違があるように感じられる……。
学習院女子中等科2年の愛子さまの学校生活については「交友関係もさらに広がり,日々充実した学校生活を楽しんでおります」と明かした。愛子さまの今後には「さまざまな経験を積み,自分の望む道をしっかり歩んでいってほしいと思います」と述べ,その過程で「皇族の務めについても理解を深めてくれれば」と願った。
補注)正式には「皇族の務め」は天皇以外,そして例外的にその補佐をすることもある皇太子以外には「ない」,皆無である。この点を「あるもの」のように語るのは,本当は筋違いであり,完全に間違いである。しかし,現実にはこのような発言が許されているし,宮内庁側が創造してきた関連する諸事情も多々ある。この論点をくわしく議論することになれば,1冊の本が必要なくらい本格的に考察する必要があるので,以上の言及で済ませておく。
2) 記者会見「全文」(ここではこの全文を引用しえない。ネット上から拾えるので,読みたい人はそちらを参照されたい)
「皇太子さまは23日,56歳の誕生日を迎え,これに先立ち記者会見に臨んだ。全文は,つぎのとおり」ということで,つづいて【宮内記者会代表質問】が,ここまで記述した分量に近い字数で紹介されている。はじめは引用しておきたいと思ったが,やめることにした。
皇族たちはとくに,自分の誕生日にさいして「国民たち」に向かい,各種各様の意見・感想など述べてきている。天皇はけっして日本国の独裁者などではなく,国家・国民の統合のための「象徴」として存在させられている人間である。
もっとも,彼らはそのように〈摩訶不思議な存在者たち〉だとも形容できる。皇太子の親族たちもまた,誕生日などを迎えたときはそのつど,前段のごとき「なにかが分かったようで,どうもよく分かりえない」のだが,特定の意味をこめているつもりである「おことば」を,つぎつぎと披瀝することが慣習のようになっている。
1) 記事本文「皇太子さま,56歳に『被災地の復興に心寄せていく』
皇太子さまは〔2016年2月〕23日に56歳の誕生日を迎え,これに先立ち,東京・元赤坂の東宮御所で記者会見した。間もなく発生5年を迎える東日本大震災について「多くの方々が依然として厳しい環境のなかで暮らしておられることに心が痛みます」と述べ,雅子さまとともに「被災地の復興に永(なが)く心を寄せていきたい」と語った。
補注)皇太子一家が,どのくらいの人数の宮内庁職員にかしずかれて日常の生活をしているか,国民たちはよくしらない。宮内庁で皇太子一家の面倒をみる職員は,60数名いる。活字が拾えないので,つぎの紙面を画像で紹介しておく。(画面 クリックで 拡大・可)
皇太子用宮内庁職員人数
出所)http://kabanehosi.seesaa.net/article/225279924.html
昨年の戦後70年の節目に関連し,戦争に関する展示や話を見聞きするなか,「歴史の教訓に学び,このような痛ましい戦争が二度と起こらないようにしなければならない」との思いを強くしたと言及。国内外で慰霊を続ける天皇,皇后両陛下の姿に「平和を思うお気持をしっかりと受けついでまいりたい」と述べた。
また,ご一家そろって両陛下から疎開した話など戦時中のことを聞く機会があり,「とてもありがたいこと」だったと振り返った。
補注)戦争体験でいえば,庶民と皇族のそれではまったく異なった様相があった。前者には死者がたくさん出ていたが(日本人関係だけで310万人),後者からはそうではなかった(ゼロといっていい)。同じに比較し,話題にとりあげられるような内容(話題)であるとは,とうてい思えない。
雅子さまの療養については,依然として体調に波はあるが,活動にみあうかたちで回復してきているように感じている,と紹介。「焦らず慎重に,少しずつ活動の幅を広げていってほしい」と述べた。
補注)綾小路きみまろではないが「あれから40年」とまではいかないものの,雅子の場合「あれから十何年」とはいえる。このままの状況がさらに十何年が重ねて続きそうな《勢い》である。
2015年11月12日園遊会に参加した雅子画像
出所)http://www.huffingtonpost.jp/2015/11/12/princess-masako-appears_n_8550490.html この写真でみるかぎり,兄弟夫婦の顔つきに多少相違があるように感じられる……。
学習院女子中等科2年の愛子さまの学校生活については「交友関係もさらに広がり,日々充実した学校生活を楽しんでおります」と明かした。愛子さまの今後には「さまざまな経験を積み,自分の望む道をしっかり歩んでいってほしいと思います」と述べ,その過程で「皇族の務めについても理解を深めてくれれば」と願った。
補注)正式には「皇族の務め」は天皇以外,そして例外的にその補佐をすることもある皇太子以外には「ない」,皆無である。この点を「あるもの」のように語るのは,本当は筋違いであり,完全に間違いである。しかし,現実にはこのような発言が許されているし,宮内庁側が創造してきた関連する諸事情も多々ある。この論点をくわしく議論することになれば,1冊の本が必要なくらい本格的に考察する必要があるので,以上の言及で済ませておく。
2) 記者会見「全文」(ここではこの全文を引用しえない。ネット上から拾えるので,読みたい人はそちらを参照されたい)
「皇太子さまは23日,56歳の誕生日を迎え,これに先立ち記者会見に臨んだ。全文は,つぎのとおり」ということで,つづいて【宮内記者会代表質問】が,ここまで記述した分量に近い字数で紹介されている。はじめは引用しておきたいと思ったが,やめることにした。
皇族たちはとくに,自分の誕生日にさいして「国民たち」に向かい,各種各様の意見・感想など述べてきている。天皇はけっして日本国の独裁者などではなく,国家・国民の統合のための「象徴」として存在させられている人間である。
もっとも,彼らはそのように〈摩訶不思議な存在者たち〉だとも形容できる。皇太子の親族たちもまた,誕生日などを迎えたときはそのつど,前段のごとき「なにかが分かったようで,どうもよく分かりえない」のだが,特定の意味をこめているつもりである「おことば」を,つぎつぎと披瀝することが慣習のようになっている。