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次の大災害の時にはどうなっていることだろう。

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 2/24に著者白井聡氏による著書「永続敗戦論の解題に相当する「永続敗戦論からの展望」を掲載したところです。

 かつて、経済学の野口悠紀雄氏がこの国の経済と政治を制御する社会体制が大戦の敗北によっては殆ど変わらず、その前の1940年米英開戦に向けた国家総動員体制によって変革したものがそのまま現在継続していることを論証展開しました。
 「1940年体制」
 このことは多くの声が各方面から指摘していたのですが、野口氏が初めて総括的に論証したものでした。

 白井氏の「永続敗戦論」は我々の中から生み出される、いまだアジアとの敗戦を認めない風潮が、その源泉が戦争責任の不問による敗戦の誤魔化しにあること。
 その潮流が絶えることなく戦前からのアジア蔑視、敗戦を認めない意識、戦争犯罪否定などを生み出していることを論証したものです。

 根っこはA級戦犯で手打ちした戦争責任の不問にあるわけだが、そのことによって、いまだ続くこの戦時総動員体制思想が国民大衆の人権軽視、マスコミ統制、原発事故などの事実を認めない態度、対話にならない官僚制度など。そこから世界からは奇想天外と受け止められる外交態度が続々と生みだされる。

 敗戦と終戦としての誤魔化しは多くの声が指摘していたのだが、はっきりと戦争責任の隠蔽、敗戦の誤魔化しを根拠にする社会思想であると、総括的に論証展開した成果は大きい。
 生き延び復活した亡霊たちの、彼らの社会認識の外堀を埋める成果である。

 戦争責任が談合で手打ちされたがゆえに、いつまでも靖国が生き残ったこと「A級戦犯の代わりに罪を問われなかった最高責任者」。
 
 白井氏についてのインタビュー記事が3つほど見つかりましたので紹介します。
 長くなるので2つに分けることにします。
  ーーーーーーーーーーーーー
    「敗けた」ということ 「永続敗戦」を提起している、白井聡さん  2013/7/3  朝日

 「新しい国へ」「グレートリセット」と語気を強める政治家が拍手を浴びる、戦後68年目の夏。
 私たちは「何か」を、なかったことにしたがっているようだ――
 いったい、何を? そして、なぜ? 戦後日本が大切に紡いできた「平和と繁栄」の物語の読み直しに挑んでいる、社会思想史家の白井聡さんに聞いた。

 ――歴史認識をめぐって、みんなが言いたいことを言うようになっています。「タガが外れた」感がありますが、これまで何が、日本社会のタガとなっていたのでしょう。

 「それは、戦後日本を象徴する物語たる『平和と繁栄』です。
 『中国や韓国にいつまで謝り続けなきゃならないのか』という不満に対して、『これは遺産相続なんだ』という説明がされてきました。
 遺産には資産と負債がある。
 戦争に直接責任がない世代も戦後の平和と繁栄を享受しているんだから、負の遺産も引き受けなさいと」

 「しかしいま、繁栄は刻一刻と失われ、早晩、遺産は借金だけになるだろう。
 だったら相続放棄だ、という声が高まっています」

 「そもそも多くの日本人の主観において、日本は戦争に『敗(ま)けた』のではない。戦争は『終わった』のです。
 1945年8月15日は『終戦の日』であって、天皇の終戦詔書にも降伏や敗戦という言葉は見当たりません。
 このすり替えから日本の戦後は始まっています。
 戦後とは、戦前の権力構造をかなりの程度温存したまま、自らを容認し支えてくれるアメリカに対しては臣従し、侵略した近隣諸国との友好関係はカネで買うことによって、平和と繁栄を享受してきた時代です。
 敗戦を『なかったこと』にしていることが、今もなお日本政治や社会のありようを規定している。私はこれを、『永続敗戦』と呼んでいます」

 ――永続敗戦……。言葉は新しいですが、要は日本は戦争責任を果たしていないという、いつものあの議論ですね。

 「そう、古い話です。しかし、この話がずっと新しいままであり続けたことこそが、戦後の本質です。
 敗戦国であることは端的な事実であり、日本人の主観的次元では動かせません。
 動かすには、もう一度戦争して勝つしかない。
 しかし自称愛国者の政治家は、そのような筋の通った蛮勇を持ってはいません」

 「だからアメリカに臣従する一方で、A級戦犯をまつった靖国神社に参拝したり、侵略戦争の定義がどうこうと理屈をこねたりすることによって自らの信念を慰め、敗戦を観念的に否定してきました。
 必敗の戦争に突っ込んだことについての、国民に対する責任はウヤムヤにされたままです。
 戦争責任問題は第一義的には対外問題ではありません。
 対内的な戦争責任があいまい化されたからこそ、対外的な処理もおかしなことになったのです」

 「昨今の領土問題では、『我が国の主権に対する侵害』という観念が日本社会に異常な興奮を呼び起こしています。
 中国や韓国に対する挑発的なポーズは、対米従属状態にあることによって生じている『主権の欲求不満』状態を埋め合わせるための代償行為です。
 それがひいては在特会(在日特権を許さない市民の会)に代表される、排外主義として表れています。
 『朝鮮人を殺せ』と叫ぶ極端な人たちには違いないけれども、戦後日本社会の本音をある方向に煮詰めた結果としてあります。
 彼らの姿に私たちは衝撃を受けます。
 しかしそれは、いわば私が自分が排泄(はいせつ)した物の臭いに驚き、『俺は何を食ったんだ?』と首をひねっているのと同じです」
    ■     ■
 ――左派リベラルは、なぜタガになり得なかったのでしょうか。

 「左派の最大のスローガンは『平和憲法を守れ』でした。
 復古主義的な権力者たちに憲法をいじらせてはならないという時代の要請に応えたものではあったのですが、結果的には『平和がいいよね』というものすごく単純な心情にのみ訴えかけて大衆動員をはかろうという、政治的には稚拙なキャンペーンになってしまいました」

 「繁栄が昔日のものとなる中で急激に平和も脅かされつつあるという事実は、戦後社会に根付いたと言われてきた平和の理念が、実は戦後日本の経済的勝利に裏付けられていたに過ぎなかったことを露呈させています。
 左派はこのことに薄々気づいていながら、真正面から向き合おうとはしてこなかったと思います」

 ――右も左もだめなら、タガは外れっぱなしですか。

 「海の向こうからタガがはめられていることが、安倍政権下で顕在化してきました。
 鳩山政権時代、日米同盟の危機がしきりと叫ばれましたが、それは想定内の事態でした。
 米軍基地をめぐりアメリカにたてついたのですから。
 ところが安倍政権は対米従属の性格が強いにもかかわらず、オバマ政権から極めて冷淡な対応を受けています。
 非常に新しい事態です。これはなんと言っても歴史認識問題が大きい。
 当然です。アメリカにしてみれば、俺たちが主導した対日戦後処理にケチをつけるのか、お前らは敗戦国だろうと。『価値を共有する対等な同盟関係』は、日本側の勝手な思い込みに過ぎなかった。
 対米従属が危うくなっているということは、端的に『戦後の終わり』を意味します」
    ■     ■
 ――そんな中、被害者意識を核にした物言いが目立ちます。

 「被害者意識が前面に出てくるようになったきっかけは、拉致被害問題でしょうね。
 ずっと加害者呼ばわりされてきた日本社会は、文句なしの被害者になれる瞬間を待っていたと思います。
 ただこの被害者意識は、日本の近代化は何だったのかという問題にまでさかのぼる根深いものです」

 「江戸時代はみんな平和にやっていたのに、無理やり開国させられ、富国強兵して大戦争をやったけど最後はコテンパンにたたきのめされ、侵略戦争をやったロクでもないやつらだと言われ続ける。
 なんでこんな目に遭わなきゃいけないのか、近代化なんかしたくてしたわけじゃないと、欧米列強というか近代世界そのものに対する被害者意識がどこかにあるのではないでしょうか。
 橋下徹大阪市長の先の発言にも、そういう思いを見て取れます」

 ――しかし、被害者意識を足場に思考しても、何か新しいものが生まれるとは思えません。

 「その通りです。結局いま問われているのは、私たちが『独立して在る』とはどういうことなのかということです。
 いま国民国家の解体が全世界的に進行し、大学では日本語での授業が減るだろうし、社内公用語を英語にする企業も増えている。
 この国のエリートたちはこれを悲しむ様子もなく推奨し、みんなもどこかウキウキと英語を勉強しています。
 このウキウキと日本人の英語下手は一見背反する現象ですが、実はつながっているのではないでしょうか」

 ――どういうことでしょう。

 「英語が下手なのは、言うべき事柄がないからですよ。
 独立して在るとは『言うべき言葉』を持つことにほかならない。
 しかし敗戦をなかったことにし、アメリカの言うなりに動いていればいいというレジームで生きている限り、自分の言葉など必要ありません。
 グローバル化の時代だと言われれば、国家にとって言語とは何かについて深く考察するでもなく、英語だ、グローバル人材だと飛びつく。
 敗戦の事実すらなかったことにしているこの国には、思考の基盤がありません」

 「ただし、仮に言うべきことを見つけても、それを発するには資格が必要です。
 ドイツだって『俺たちだけが悪いのか』とそりゃあ内心言いたいでしょう。
 でもそれをぐっとこらえてきたからこそ、彼らは発言できるし、聞いてもらえるのです」
    ■     ■
 「言うべきことがないことと、『仕方ない』で何事もやり過ごす日本人の精神風土は関係しているのでしょう。
 焦土から奇跡の復興を遂げて経済大国になったという国民的物語においては、戦争が天災のようなものとして捉えられています。
 福島第一原発事故についても、いっときは社会が脱原発の方向へと動いたように見えましたが、2年が経ち、またぞろ『仕方ない』という気分が広がっている。
 自民党政権はなし崩し的に原子力推進に戻ろうとしているのに、参院選での主要争点にはなりそうにありません」

 ――「仕方ない」の集積が、いまの日本社会を形作っていると。

 「その代表が原爆投下でしょう。日本の自称愛国者たちは、広島と長崎に原爆を落とされたことを『恥ずかしい』と感じている節はない。
 被爆の経験は、そのような最悪の事態を招来するような『恥ずかしい』政府しか我々が持ち得なかったことを端的に示しているはずなのに、です。
 原発事故も、政官財学が一体となって築き上げた安全神話が崩壊したのですから、まさに恥辱の経験です。
 『仕方ない』で万事をやり過ごそうとする、私たちの知的・倫理的怠惰が、こういう恥ずかしい状況を生んでいる。
 恥の中に生き続けることを拒否すべきです。
 それが、自分の言葉をもつということでもあります」

 (聞き手・高橋純子)

 私が子供のころに、また職場の先輩から直接聞いた話。

 「満州に行って先に入っていた友人と同行して人力車に乗った。到着して人力車を降りた。車夫はお金をもらうために手を出した。友人は車夫の顔に往復ビンタを張って、近くの警察に引き渡した(日本の警察は街中にいっぱいいた)。車夫がどうなったかはわからない。」

 「どん底の貧しさになった満州の村にチブス、ペストが発見される。石井部隊の指令で村は焼き払われる。住民は寒さのなかで死んでいったと思う(伝染病菌を石井部隊が散布し、その始末として軍警に村を焼き払わせていた)。」

 「自分の父が戦争で中国に行った時の話だ。小屋の穴に隠れていた娘さんを、皆で剣付き鉄砲で突いてひきづり出した、そして中尉殿に献上した。と聞いた。」 
 ーーーーーーーーーーーーーーーーー
   中国で見た日本の軍人   2/15  小澤俊夫  リベラル21

 ぼくは小学校入学の一年前、1936年(昭和11年)、父の仕事の都合で瀋陽(当時の奉天)から北京に移住し、翌年、北京の日本人小学校に入学した。
 その頃、北京在住の日本人は約700人といわれていた。
 ところが1937年(昭和12年)7月に、いわゆる盧溝橋事件が起き、日中戦争が勃発して、日本軍が北京周辺を制圧すると、日本の軍人、民間人が瞬く間に増えていった。ぼくが一年生の時には1クラスだったが、二年生の時には2クラスになっていた。
 
 日本軍が制圧した北京市だから、日本人は威張っていた。
 あるとき、ぼくの目の前で洋車(ヤンチョウ。人力車)がとまり、日本の兵隊が降りてきた、と思ったらそのまま歩いて行ってしまった。料金を払っていないのである。
 あれっ、と思って見ていると、洋車引きが追いかけていって、手を出した。
 すると、兵隊は腰のサーベルを半分くらいさっと抜いて洋車引きをにらみつけた。洋車引きはあとずさりして、何か叫びながら逃げてきた。
 兵隊はサーベルを鞘に収めると、そのまま行ってしまった。
 ぼくは子どもながらに、これはおかしいと思った。
 料金を踏み倒して、サーベルを抜いて脅かすとは何事か、とぼくは腹を立てた。日本の兵隊のいやな面を見てしまった思いで、今でも忘れられないでいる。
 
 北京には日本軍の野戦病院が開かれた。それは中国で最も権威有る大学とされていた清華大学だった。
 清華大学は現在でも中国の中心的な大学である。それを占領して野戦病院にしたのであった。
 日本で言えば、東京大学を占領して野戦病院にしたようなものである。
 中国の文化人たちは、「なんと野蛮なことだ」と思ったことだろう。

 小学三年と四年の頃、ぼくはよく、クラスの友だちと、あるいは母に連れられて、傷病兵の慰問に行った。
 地雷で片脚を失った兵隊、目をつぶされた兵隊、片腕をもぎ取られた兵隊など、胸がふさがるような病室だった。
 兵隊たちはぼくら子どもが慰問にいくと、とても喜んで、ぼくらの周りを取り囲んでいろいろな話をしてくれた。

 ほとんどは戦場での手柄話だった。
 進軍していって、途中の畑で人が働いていると、それが老婆であれ、子どもであれ、必ず射殺したものだ、何故なら、その老婆が、われわれのことを通報する可能性があるからだ、という兵隊もいた。
 敵に自分たちの行動を知られたくないためだという。
 その兵隊は、手柄話として得意になって話したのだが、ぼくは、子どもながらに、おばあさんや子どもまで射殺するとは、ひどいことだと思った。
 でも兵隊にしてみれば、スパイを働く人間としか見えないのだろう。
 
 もっとすごいことを、得意になって話す兵隊がいた。
 抵抗分子が潜んでいるとみて、ある村に進軍した。
 ところが撃ってこない。どこかに潜んでいるに違いないが、村を捜索してもそれらしき男はいない。
 そこで、村人全員に食料を配給するという知らせを回した。
 そして、集まってきた村人を一軒の農家に入れて、農家に火をつけた。農民は大混乱におちいったが、外へ脱出した者は機関銃で皆殺しにした。
 この話は怖かった。
 でも、兵隊は手柄なのだから、得意になって話した。周りの兵隊たちも満足そうに聞いていた。
 ぼくはこどもだったけれど、後で思った。これは人殺しじゃないか。
 戦争でなかったら明らかに犯罪だ、と戦争への疑問が生まれた経験だった。
 
 南京攻略の時のことを話してくれた兵隊がいた。南京城をめぐる攻防は激しく、なかなか埓があかなかった。そこで最後には毒ガス攻撃をしたと、得意げに話した。
 毒ガスは国際的に使用禁止になっていることは知っていたので、ぼくは驚いた。
 だが兵隊たちは、当たり前のように話していた。

 また、しまいには膨大な数の投降兵がでたので、奴らに溝を掘らせ、その前に一列に並ばせておいて、機関銃で1遍に片付けたもんだ、と言った兵隊もいた。
 これは具体的に場面を想像してみると、すさまじい場面である。後に、南京大虐殺として国際的に糾弾された事件だったのだと思う。
 こういう話を、みんな手柄話として、得意満面で話して聞かせるのであった。
 ぼくらはこわごわ聞いた。
 それでも、後から、「これは普通の時ならば犯罪じゃないか。戦争だからいいのかなあ?」という疑問はいつも抱いていた。

 (※ もうすぐ北風:当時日本軍の方面軍指令は、南京突入による混戦虐殺などの事態を考慮して、中国軍が城市を離れるまで軍は近郊にとどまれ。と言う指令であった。
 ところが皇族の「朝香宮」は「お上(総和天皇)の声だ、生きてるものは皆殺せ!」と南京突入を指令し、大虐殺を実行した。
 この「朝香宮」は軍規違反に問われず、国際法違反も問われず、東京裁判にも問われなかった。昭和天皇と同じなことは言うまでもない。)

 1941年(昭和16年)5月、ぼくたち家族は日本へ引き揚げ、東京府の立川市にすむことになった。
 その頃、戦地に対して国内のことを「銃後」と呼んでいた。明らかに軍国主義国家の生んだ呼び方である。
 戦地から銃後に移住してくると、男たちが次々に召集されていく場面をたびたび見ることになった。
 父が、夫が、息子が赤紙で召集されていった。
 家庭では、赤い召集令状が来ると、涙をこらえて別れをし、国防婦人会のたすきを掛けた婦人たちに見送られて入隊していった。
 近所の住民たちは、弾丸除けの千人針を作って召集兵に贈り、武運長久を祈った。立川駅では町会や隣組の人たちが万歳三唱して召集兵を見送った。
 「軍国の母は泣かない」と常日頃いいきかせられているので、母や妻たちは涙を見せず、立派に見送っていた。
 
  残された家庭では、慰問袋を作って、戦地にいる父、夫、息子に送った。
 そこには心を込めた品々が入れられた。皆、戦場の父は、夫は、息子は皇軍兵士として立派に行動しているものと信じていたのである。
  ところがぼくは、戦地での日本兵を知っていたので、そこに大きな差があることに気がついた。
 銃後では愛する父であり、夫であり、息子である者が、戦地では老婆でも子どもでも無差別に射殺する鬼のような日本兵になる事実。
 村人たちを一軒の農家に閉じ込め、火をつけて皆殺しにする日本兵になる事実。
 多数の捕虜を並ばせておいて、機関銃でなぎ倒す日本兵になる事実。
 この大いなる乖離は、銃後にいる人は全く知らない。
 愛する、優しい父、夫、息子が立派な殊勲を立てて帰国する日を、ひたすら待ちわびているのである。

 一人一人の人間の、この大きな分裂を銃後の人は知らない。戦地から来る知らせは、せいぜい父が、夫が、息子が戦死したという悲しい知らせである。
 敗戦後の日本人は忘れてしまっている。
 無事帰還した兵隊は、家族には何も話さなかった。
 そのことは、多くの婦人たちが証言している。
 帰還した元日本兵にしてみれば、平和になった故郷で、家族に話せるような体験ではなかったのだ。

 逆に、外国、特に直接の被害を受けたアジアの人は、、優しい父、夫、息子という日本人は知らない。
 彼らにとって日本人は、残虐行為をした人間そのものなのである。
 その認識に基づいて、日本人の犯罪行為の追及が行われる。
 ところが、日本人にとっての日本兵は、やさしい父、夫、息子なのである。
 われわれ日本人は、あの戦争のことを考えるとき、目線の方向によって日本人像がまったく異なることを忘れてはならない。
 つまり、銃後の、そして戦後の日本国内での日本人像を描きながら戦争を論じたら、世界的には全く通じないのである。

 あの戦争は、動機はいろいろあったにせよ、アジアへの侵略戦争であった。そしてその中で残虐行為があった。
 無関係な女性を引っ張り回して慰安婦とした事実もあった。
 銃後の人は知らなくとも、アジアの人は知っていた。そして、日本は1945年8月にポツダム宣言を受諾して、無条件降伏をしたのである。

 つまり全体主義をやめ、民主主義国家の仲間に入れてもらうことを約束したのである。
 だから、全体主義時代に犯した罪を償うのは当然のことである。
 それをちゃんとしてこないで、なんとなく賠償して、これですんだ、としてしまっても、外国は了承してくれない。
 今日本はそういう状態に陥ってしまっている。

  一言で言えば、政治家たちは歴史から学ばず、銃後の目で見ているだけなのである。
 そして、敗戦は終戦になっているから、全体主義は継続して生きているのである。
 その「日本を取り戻す」ためには官僚機構が強くならなければならない。
 そこで「特定秘密保護法」が必要なのである。
 戦争中の「銃後」の世界と戦地での日本兵の世界の乖離を、遅まきながら、しっかり把握して政治を行わなければ、日本は国際社会から置いてきぼりにされてしまうのである。(2014/01/28)

「くず」とは報じていない。
 「ボンクラ」「嘘つき」「極端な低能」「誇大妄想の狂人」「バカ首相」と報じたのだ。
 安倍、麻生は二人一緒に熟読せよ!
 ーーーーーーーーーーーーーーー
   「ある夕刊紙は…」愛読者の安倍首相、日刊ゲンダイを批判? 2/13 日刊ゲンダイ

 安倍首相が12日の衆院予算委員会で、NHK経営委員の百田尚樹氏が都知事選の応援演説で対立候補を「人間のくず」と表現したことを野党議員に追及され、
 「ある夕刊紙は私のことをほぼ毎日のように〈人間のくず〉と報道しております。私は別に気にしませんけどね」
 と笑いながら受け流した。

 どうも日刊ゲンダイを指しているようだが、権力批判や監視が命題のジャーナリズムとは違い、公人である百田氏の「くず」発言を笑いでゴマカすのには疑問が残る。
 もっとも、本紙は首相のことを「ボンクラ」「嘘つき」とは表現したが、一度も「くず」とは報じていない。

 麻生副総理と同様、熱心な本紙読者として知られる安倍首相。
 今後は2人一緒に細心の注意で熟読してもらいたい。
 ーーーーーーーーーーーーー
    安倍首相「『人間のくず』と報道されても気にしない」 日刊ゲンダイが応戦「一度も『くず』とは報じていない」「熟読を」 2/13 JCASTニュース
 
 (抜粋)
もっとも、実際に日刊ゲンダイ紙面に掲載された表現はかなり過激で、「ボンクラ」「嘘つき」といった生やさしいものではない。
 ここ1か月の1~2面の見出しだけでも
「エヘラエヘラいい気になっているそのオメデタサが命取りになった愚の骨頂」(1月22日)
「2月9日安倍自民推薦候補が敗北すれば安倍首相は腹痛を起こして退陣に至ること必至と予測されている」(2月6日)
といった具合だ。
 中でも1月16日発行の紙面では、安倍首相が6月のワールドカップで対戦するコートジボワールのワタラ大統領との共同会見で、安倍首相が
「先ほど大統領に『この対戦する日の6月14日は私の母の誕生日なので、何とか考えていただけないか』と伝えた」
とジョークを飛ばしたことを「八百長まがいを持ち掛けたような下卑た下心の発言」と批判。
 見出しで
「冗談と笑えないバカ首相のアフリカ外交での言動 彼は知性を持っているのか」
「首相であるのが国民として恥ずかしいこの極端な低能さ加減」
「知恵の足らない男ほど大言壮語するのが常だが、『地球儀を俯瞰する戦略外交』なんて、すでに誇大妄想の狂人の領域だ」
と罵倒している。
 ーーーーーーーーーーー
※ 実に小気味良い。一服の清涼というか、真実は清く尊いものだ。
 彼らは「保守」とか「右派」とかではない。
 そもそも論評の対象ではない。
 低能、嘘つき、小ずるさだけ一人前のゴロツキ右翼など、批判のついでに罵倒されるのが当然で自然現象というものだ。
 批判、罵倒しないのは異常な日本のマスコミのみ!
 ゴロツキ政府と闘う日刊ゲンダイに敬意を表します。 

「将軍様」もびっくりの危険人物がメディア統制-ペセック 2/10 ブルームバーグ

自分の叔父を最近処刑した独裁者に危険人物として目を付けられるようになったら、北アジアにおけるあなたの評判はこれ以上落ちようのないところまで落ちたと認識するべきだ。
北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)第1書記によってアドルフ・ヒトラーと比べられた安倍晋三首相は、真剣に考えるべき時だろう。

もちろん、将軍様は世界一まともな政治評論家というわけではない。叔父の張成沢(チャン・ソンテク)氏を狂犬病の犬に食わせたという報道まであったくらいだ。
しかし安倍首相をヒトラーに比べたのは金第1書記だけではない。
第2次世界大戦のA級戦犯14人が祀(まつ)られている靖国神社を昨年12月26日に参拝したことは、アジアの「ナチス」に敬意を表する行為だと中国当局者から激しい抗議を受けた。

韓国も安倍首相の歴史認識に怒りを隠さない。
朴槿恵大統領は昨年9月、日本との関係改善を呼び掛けたヘーゲル米国防長官に、「もしドイツが何事もなかったかのような顔をして隣国国民に痛みを与えるような発言を続けていたら、欧州の統合が可能だったと思いますか」と問い返した。
朴大統領は「私はそうは思いません」と述べ、ヘーゲル長官に安倍首相の「誠意の完全な欠如」について一席ぶったと報じられている。

安倍首相は平和と友好、理解を望んでいるのだとアジアに信じさせようとしている。それが本心からのものであれば、翻訳の途中で何かが抜け落ちたのだろう。
しかしNHKをめぐる最新のごたごたは首相の本心を疑わせる。

  特定秘密保護法とNHK経営委員会

安倍首相は昨年遅くに特定秘密保護法も強引に成立させた。
さらに、NHK経営委員会を自分と意見の合う保守主義者たちで固めてしまった。
12人の経営委員は国会が指名するが、首相の意向が強く反映される。
政府人事案に基づき新任委員となった作家の百田尚樹氏は先週、「南京大虐殺はなかった」との発言で猛烈な非難の嵐を巻き起こした。女性は家庭にとどまり子供を育てるべきだと論じる長谷川三千子氏も、安倍首相が推した経営委員。
そして会長に就任した籾井勝人氏はまるで、米FOXニュースのボス、ロジャー・アイレス氏だ。

米国のPBSも公共放送だが、日本の文化や世論に対するNHKの影響力はPBSの比ではない。
日本国民が敗戦の玉音放送で初めて昭和天皇の声を聴いたのもNHKラジオを通じてだった。
子供たちはNHKの番組を見て育つ。
家族は夕食を囲みながらNHKのドキュメンタリーや時代劇、特番を見る。
ロシアのソチで始まった冬季五輪を観戦するのもNHKでだし、2011年3月の大震災後の日々、福島から放射能の雲が押し寄せてくる中で1億2600万人の国民が情報を求めて頼ったのもNHKだった。

  メディアの役割

戦時中の従軍慰安婦問題について思慮を欠いた発言で国際的緊張をさらに悪化させた籾井氏のような人物を、安倍首相がNHK会長に推挙した上に今もなお支持しているというのは大いに憂慮される。
政府の言いなりになって安倍首相の右寄りの政策の片棒をかつごうとしていると認めた籾井氏の発言も、国民の怒りを買った。

籾井氏は就任記者会見で「日本の立場を主張するのは当然のこと。政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」と発言。
しかし、それは「当然」ではない。
民主国家におけるメディアは政府を監視するためにあるのだ。
公共放送でもそれは同じだ。
なのに今やNHKは、ブッシュ前大統領にとってのFOXニュースのように、安倍首相が自身の見解を国民に押し付けるための宣伝機関になってしまった。
その弊害は既に表れ始めている。

NHKラジオで経済コメンテーターを長年務めていたエコノミストの中北徹・東洋大学教授は、東京都知事選を前に脱原発についてコメントを予定していたが、NHKに内容の変更を求められ出演を拒否した。安倍首相の自民党が電力会社や原発再稼働に賛成する産業界を支持基盤としていることは周知の事実。
安倍首相は原発用の設備や技術の国外輸出にも力を入れている。

  福島原発事故

2011年の原発事故の当時ですら、NHKの報道はお粗末だった。
パニックを引き起こすことを恐れ、リスクを過小に報道した。
東京の住民の多くは福島第一原発での爆発を、日本の最も信頼されている放送局からではなく、CNNやBBCといった外国メディアまたは米軍の記者会見で知った。
次の大災害の時にはどうなっていることだろう。

国民が情報を切に求めている時に、NHKはせっせと政府のちょうちん報道でわれわれの不安を紛らせてくれるのだろう。
それが今や、政府とNHKの公式方針なのだから。(ウィリアム・ペセック)


「戦争はなぜ起きるのか」氏から二題。
 ーーーーーーーーーーーーーーー
   安倍ジジイと 「赤ずきん日本」 1/5 「戦争はなぜ起きるのか」から

安陪晋三によっていよいよ日中戦争が近づいた日本。
まるでこの日本は童話「赤ずきん」の主人公のようだ。

「安倍晋三爺さん。お爺さんはどうして秘密保護法を強行採決したの?」
「それはね、お前たちに戦争の秘密を知られないためだよ」

「そうなんだ・・・、じゃあお爺さん、どうして靖国神社を参拝するの?」
「それはね、中国や朝鮮の人を怒らせるためだよ」

「そうなんだ・・・、じゃあお爺さん、どうして集団自衛権を行使するの?」
「それはね・・・・・、戦争でお前を殺してしまうためだよ!
そんなことさえも分らないのかい! お前たち大衆はいったいどこまで愚か者なんだろうね、ハッツハッハ!」

安倍ジジイがその上辺を脱ぎ捨て、戦争狼の姿を現す日は近い。

   アメリカをも虚言で騙す安倍晋三 1/5 「戦争はなぜ起きるのか」から

今朝の朝日新聞に、国際問題化している安倍晋三の靖国神社参拝に関し、
(よりによって自衛隊を指揮する)小野寺五典が、
ヘーゲル国防長官に電話で釈明を行ったという記事が出ているが、
安倍自民党政府は日本国民や中国人、朝鮮人だけではなく、アメリカ政府をも虚言で騙した。

 小野寺五典防衛相は4日夜、米国のヘーゲル国防長官と電話で協議し、安倍晋三首相が靖国神社に参拝したことについて、「二度と戦争を起こしてはならないと過去への痛切な反省に立ち、今後とも不戦を誓う意味で参拝した、というのが首相の本意だ」と説明した。
 小野寺氏は「中国や韓国の皆さんの心を傷つけるつもりはない」とも伝達。
 防衛省によると、これらの説明に対し、ヘーゲル長官からはコメントはなかったという。
(朝日新聞平成25年1月5日朝刊)
(※ ヘーゲルがコメントしようもないのは当然である。)

何度も書いていることだが、
もし安陪晋三に「二度と戦争を起こしてはならない」という気持ちが少しでもあるのなら、
現在、安倍晋三が「永遠の戦争の放棄」を謳っている世界で唯一至上無二の平和憲法9条を書き換えようとしている、または無力化使用としているという事実とまったく合致しないのである。

小野寺が明言したように「二度と戦争を起こしてはならない」のであれば、
むしろ「平和憲法9条」をどんな手段をもってしても守り抜くはずではないか。

であるのに、「平和憲法を廃止し」「集団自衛権を行使する(戦争する)」と言っている安陪晋三に、反省の気持ちなど微塵もあるわけがない。

中国や朝鮮の人々は、安陪晋三によって日本が再び軍国化し、あの侵略戦争を再開するであろうと考え、
日本が強くなる前に戦争で叩きのめしてしまえと言っているのである。

事実、安倍晋三は軍事兵器の増産と、禁じられてきた武器の海外輸出を再開することを決定した。

安陪晋三は過去の戦争を反省する謙虚な総理大臣ではなく、
日本国民やアメリカ国民を欺いて、「平和」を口では唱えながら、実はしっかりと戦争準備を進めている21世紀のアドルフ・ヒトラーである。

安陪晋三が靖国神社を参拝するたびに中朝の人々の怒りは沸騰し、最後には戦争へと至ってしまうであろう。

安倍は自分でこれらの戦争の種を撒き散らしながら、その責任を尖閣諸島や拉致問題にすり替え、
自身の責任を逃れて、国民の怒りを諸外国へと向けさせる。

国民の増税や原発問題等に関する不満の捌け口は、中朝との戦争へと向けさせられ、どちらかが滅びるまでその戦争は続き、あなたや、あなたの子供や孫が死体となって大地に転がるまで安倍戦争は終わらないであろう。

言葉と行動がまったく逆になっている政治家を信じることなどできるわけがない。

今だけ上手いことを言って税金をばら撒いて国民を騙し、そんも借金を戦争でチャラにしてしまおうとしている安陪晋三や小野寺五典の国民騙しの言葉が、今や海を渡って全世界へと拡散するとき、

「日本人はなんて嘘つきな民族なんだ!」という評判が全世界を多い尽くすのだ。

そして、中朝と日本が戦争になったときには、世界中が日本の味方にはならない。

「安陪晋三は二度と戦争を起こさないといっていたのに、なぜ日本は戦争してるんだ?」

「日本て、70年前まで中国や朝鮮を侵略してたよね、確か?」

「そうそう、それで戦争に負けたくせに、もう戦争しませんから戦後賠償はかんべんしてくださいといったまま、賠償に使う金でじゃぶじゃぶ公共事業を行って、世界第二位の経済大国にまで伸し上がったのよ。ほんとうにこずるいは日本人って~」

「呆れるね。それで二度と戦争しません。憲法で誓いますと世界に宣言しておきながら。
やっぱりほとぼりが冷めたころを見計らって戦争を始めたのさ」

「安倍がいる自民党が公共事業で1000兆円も借金を作ってもう払えきれないからだろ。
戦争で国債を買った国民が死ねば、払わなくともいいもんな!」

「それは世界共通ね」

「国民の間引きだよ。その間引きで国民の財産が国に転がり込んで、戦争という地獄行きが、実は死に掛けた国家の救済になるのさ」

「でも、本当に滅びてしまった国もあるわよ」

「確かに。今度の戦争では世界中の誰も日本になど味方しないから、今度こそ滅びるだろうね」

「唯一の同盟国の、アメリカ政府にさえ平気で嘘を吐くんだから。誰も相手にしないわよ」

「結局、正直者は得をすると言われているように、嘘吐きの総理大臣に政治を任せたインチキ国家が、やっと滅びて世界はすっきりするってシナリオなんだわ」

「そうだね。そういうまがまがしい国は世界にないほうがいいね」

「貧しくとも、正直で正しく、戦争を起こさずに生きてゆくこそ、真の人間の生きる道なのだからね」

「死こそまことの生などと言っている、戦争賛美者のプラトン君に騙された日本人は、一時は豊かに見えたけど、実は世界で最も心の貧しい国民だったというわけか」

「真の財産は土地や金ではなく、人間の正直で素直な心にあるというわけだね」

「イーシャラー」
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 ※ そう、世界はゴロツキ政権の嘘と戦争犯罪の賛美に怒っているだけではない。
 そんな政権を生み出した、日本の国民自体が非常な疑いと違和感を持って見られ始めている。
 日本と中韓の対立で、日本に味方する国などどこにもなくなったのである。
 ゴロツキ政権はさらにエスカレートして、すべてを外国との対立に転化してゆくだろう。

 いつかきた道、孤立と滅びの道へ。 

安倍某の靖国参拝は、国民洗脳工作の進展チェックというNYタイムズ。
 安倍が目指す国家主義の復活は北東アジアの安定に危険な要素である。
 中韓は安倍と会談して立ち向かい、米国は支持しないことを明瞭にすることで、その台頭を阻止しなければならないという。
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   日本で台頭する危険な国家主義  12/27 論説委員会 NYタイムズ 翻訳「星の金貨」氏から

権力の座に返り咲いて1年となる12月26日、安倍晋三首相が、日本の戦没者を祀る神社であり、第二次世界大戦中の戦犯を合祀していることで論争の的となっている神社靖国を参拝しました。

中国と韓国は直ちにこの参拝を厳しく批判、アメリカ合衆国もこれに同調しました。

諸外国が日本の侵略主義、そして植民地支配の象徴とみなす靖国神社への安倍首相の参拝は、すでに緊張関係にあった対中国、対韓国との外交関係を一層悪化させることになりました。
アメリカ合衆国大使館は、「日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに、米国政府は失望している。」との声明を公式ウェブサイトに掲載しました。

問題は、安倍氏がなぜ現在靖国を訪問することを決心したかという点にあります。
前回日本の首相が靖国神社を参拝してから7年が経ちましたが、中国と韓国がともにその存在自体を快く思わない神社に、参拝すれば中韓両国との外交関係に必ず悪影響を及ぼすと解っていながら、なぜ参拝を行ったのでしょうか?

中国、そして韓国と日本の外交関係は、2000年代中頃より現在の方が尚悪くなっています。

安倍氏が初めて首相に就任したのは2006-7の間でしたが、2012年2度目の首相になった時から、中国と韓国の指導者は安倍首相との会見を拒否し続けてきました。

ひとつは東シナ海に浮かぶ尖閣諸島をめぐる領土問題、もうひとつは第二次世界大戦中、日本軍兵士の性的奴隷とされた韓国の従軍慰安婦の問題のためです。
逆説的に、中国、韓国がこうした態度を明確にして圧力をかけているからこそ、安倍首相が靖国参拝に踏み切ったという事が言えます。

尖閣諸島問題について中国側が徹底して対決姿勢をとったことは、日本国民に中国の軍事的脅威について信じ込ませるために、日本政府にとっては極めて好都合なことでした。

安倍首相の目標到達点の一つは、どこで領土紛争が発生しても直ちに軍事力を行使できるように日本の軍備の形を変えてしまうことです。
そのために安倍首相はこの一年間中国側が日本に送り続けた様々なサインを無視し続けましたが、中国の『強硬姿勢』を内外にアピールし続けることで、その事実を隠すことが出来たのです。

靖国参拝は、そうした国民に対する宣伝工作がうまくいっているかどうかを確認するための、作業の一部だったという事が言えます。

日本が従軍慰安婦問題に真摯に向き合おうとしない態度に対する韓国側の厳しい批判が延々と続いている事、そしてパク・クネ大統領が安倍首相との会談を拒否し続けている態度は、日本の一般国民に対し、韓国に対する不信感を植えつける事になりました。
それは世論調査の結果、日本人回答者の約半数が、韓国もまた日本に対する「軍事的脅威」であるとする結果に表れています。
日本人有権者のそうした意識は、安倍首相に中国政府や韓国政府の反応にとらわれる事無く、思い通りに振る舞う自由を与える事になりました。

日本の主要な日刊新聞である毎日新聞、朝日新聞、読売新聞の3紙は、安倍首相の就任以来、靖国参拝には否定的な論調を続けてきました。
もっと重要な問題、それは安倍首相やその取り巻きの国家主義者にとって何より大切なはずの存在である今上天皇が、前代の昭和天皇同様、靖国神社参拝を拒否している事です。

安倍首相が最終的に目指すもの、それは現在の平和憲法を書き換える事です。
この憲法は第二次世界大戦後のアメリカ軍による占領期間に交付されたもので、国家の交戦権を禁じています。
そして天皇は憲法の定めにより国政に参加する権限は持っていませんが、今上天皇もまた日本が戦争する事を認めてはいないのです。

安倍首相が靖国神社参拝を行う数日前、今上天皇は80歳の誕生日を祝う席上、「平和と民主主義の大切な価値」を守り続けるため、1945年に平和憲法を制定した人々に対する「深い感謝の念」を表明されたのです。

このような状況を考えれば、中国と韓国は歴史の解釈の問題について、日本国内に賛同者を見つける事は可能です。
中国も韓国も安倍首相と会談する機会を設け、正面から立ち向かうべきなのです。
これ以上会談を拒否し続ければ、安倍首相がさらに思い通りの政策を実現するための口実を与えることになってしまいます。

日本の軍事的な冒険は、アメリカの支持が無ければ可能ではありません。
アメリカ政府は安倍首相のやり方が、北東アジア地区にどんな恩恵も与えない事をはっきりとさせる必要があります。

アジアの建設的な未来は、国家間の信頼関係を築いていく事の中にこそあります。
安倍首相の行動は、その信頼と未来とを次々と破壊していく行為に他ならないのです。



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