天皇家では2000年に渡る近親相姦が原因で
大正天皇は知恵遅れ
昭和天皇は殺人鬼
平成天皇はIQ80 の魯鈍
今の皇太子は知恵遅れ
愛子も精神薄弱
秋篠宮は美智子と入江侍従長の不倫の子供?
秋篠宮 (文仁) 殿下は成長するにつれ、天皇一族とは明らかに異なる特徴を見せつける。 体型、思想、行動の全てである。 皇太子や、黒田清子さんが、一目で陛下のお子さんだと分かるのに比べ、秋篠宮の体型は似ても似つかぬものがある。
雅子様優秀伝説
田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。
アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。
中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。
卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達へのインタビュー。
それでも優良可の良にあたる評価がやっと。
普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。
東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して父のいる外務省にコネ入省。
外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。
仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。
しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。
職場でも父を「お父様」と呼んでいた。
オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
米国、英国、外務省時代に同棲・不倫の噂多数有り。
皇室に入内後は父親の影響が及ばず、すぐに引籠もる。
小和田は未だに外務省を私物化してる。
何故なら、外務省保有の証券を担保に、外国資金を調達し、ギニアの水、環境関係に投資している。
そのため雅子はギニア人がからむ引見や会見だけは、珍しく必ず出席している。
雅子の公務というのは、実家の金儲けの手助けをするときのみ。
しかし小和田もサブプライムローンの影響を受け、金策に困っている。
コンクリ御殿も売りに出している、皇室に伝わる美術品なども、雅子を経て海外にすでに売り飛ばされてる、とも言われている。
雅子のみか一家を上げて皇室から、取れる物は全て取る、という悪辣なやり方。
こんな家から嫁を貰った皇室は、もう終わりだ
★小和田雅子さんの学歴ロンダリング
●ハーバード入学 雅子の父親が1979年から1981年まで客員教授してた。コネ入学。父コネで普通では考えれらない人間に卒論を手伝わせる。当時経団連理財部長と東京銀行の真野調査部長、国際金融情報センターの榊原総務部長
『THIS IS 読売』1993年4月号p51-53、
小和田雅子のハーバード卒論を手伝った一人、糠沢和夫氏本人の寄稿記事
http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20080213163015.jpg
●昭和61年に東京大学外部学士入学
(共通一次、二次試験は受けてない。語学と小論文と面接。
雅子の父、小和田恒が25年間非常勤講師をしてた。
ハーバードというハッタリも効いたろう。
しかも外務省に内定した後、東大の後期授業が開講されてる時に自動車運転免許を取りに行ってる。
http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20071022114246.jpg
10月28日から通いだして年末までには取れていたとのこと。
つまり、この間東大でのお勉強は・・・???
東大の単位を取ろうという意思のナサを感じるエピソードw
東大に何しにきた?ーーーー箔付けと腰掛け。
さらに、皇太子に顔あわせするパーティーに何度も出席、FOCUS取材、NHK出演などしている。
●昭和61年に学士(コネ)入学した雅子さんだったが、昭和62年に東大を中退。
http://www.kunaicho.go.jp/about/history/history02.html
●外務省へ入省。
当時の外務省はコネが物を言う試験だった。
親が外務省の人間なら100パーセント受かる試験。
もちろん雅子の父は外務省の人間。重役職。 誰が落とせるだろうか。
●オックスフォードに留学 (一説に1300万円かかったと言われている)
国費留学組の中で、雅子一人だけ修士を取れず。
父コネのないところでは結果が 出せない。
小和田雅子さんの、日本国内での学歴は実質「 中 卒 」
【雅子の経歴】
①田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
②田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。
③アメリカの公立高校では最低レベルのESLクラスから出られず。
④当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。
⑤卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達へのインタビュー。
それでも優良可の良にあたる評価がやっと。
普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。
⑥東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず1単位も取れずに中退。
⑦父のいる外務省へ。 当時外交官は2世が多く、父がもうすぐ外務次官という娘を、どんなに出来が悪くても落とすことはなかった。
⑧外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
⑨通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。
⑩仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。
⑪しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。
⑫職場でも父を「お父様」と呼んでいた。
⑬オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一学位が取れず。
東京サミット晩餐会にて、「ロシア語が堪能」との触れ込みによりエリツィン大統領の隣席に座らされたものの、話が弾むクリントン大統領と紀子妃様をなぜか凝視する雅子。
海外誌は日本では今日、江戸の最下層民と皇室が縁組をするという異常事態と報道。
最下層令嬢が、実家の親とつるんで皇室を我が物にしようとする異常事態。
◆雅子の伝説◆
・天皇が死ぬのを待っていると欧米メディアに書かれたことがある。
・東宮に名産品を献上すると小和田家から丁寧なお礼状が届くことがあるようだ。
・障害者施設を慰問したとき手を差し出され「触らないで!!」と叫んだことがある。 障害者を気持ち悪いものと思っているようだ。
・アラブ圏では「日本の皇太子は何故フィリピーナ(=メイド)のような女と結婚したのだろう」と不思議がられ、
欧米の王族の間では皇室の悪口ばかり言っているので「しつけの悪いメイドのよう (=主人の悪口をペラペラしゃべるメイド)」と言われている。
・レジャー(行啓)の前には公務を入れてバランスを取っているが、楽な公務しかしないので怠惰な性格がバレバレになっている。
・関東近県以外は人外魔境と思っているから滅多に行かない。
・留学時代黒人の子供を堕したのがトラウマになっていて、今でも黒人の大使等との接見や午餐はほとんど欠席。
・アメリカ留学中につきあっていたデビット・カウというBFにセミヌードを撮られた。
雅子入内が報道されるとデビットはそれをタブロイド誌に売り込もうとしていた。
・上記と同一人物が撮影かどうかわからないが、NYタイムズにセミヌードが持ち込まれ宮内庁が慌てて買い取った。
・外務省時代O本氏と交際していたが、雅子入内が決まるとO本氏は外務省をやめさせられた。
今でも外務省から仕事をまわしてもらっている。
O本氏は将来の外務次官と噂の高い有能な人物で事情を知らない人は退職を不思議がっていた。
雅子妃は公のインタビューで2回「O本さんを尊敬してます」と言った。
元妻の佐藤陽子によるとO本氏は床上手らしい。
・入内前に多くの男と付き合っていたのでクラミジアになってしまい卵管が詰まって不妊になった。
そのためゴッドハンドと呼ばれた顕微授精の権威の東大のT医師の治療で愛子を産んだ。
※日本はもうだめかもしれない
対日戦争というのは、野蛮な日本の侵略をこらしめ、平和と民主主義のための参戦だったと欺瞞する。しかし、日露戦争後に、日本との戦争は必至と分析し、ハワイ攻撃を待って徹底的にたたきつぶし、無条件降伏させるという計画を持っていた。ライシャワーなどは、「戦争責任はすべて軍部にかぶせて、天皇を傀儡(かいらい)として利用する」といっていた。日本にかわって中国アジアを侵略するためであり、日本を占領支配するための戦争だった。そして、日本の人民が抵抗できないように、戦地では餓死、病死に追いこみ、内地では原爆投下、全国の都市空襲、沖縄戦でさんざんに殺しまくった。
昭和天皇が2・26事件を起こさせた本当の理由
ねず氏は、天皇は自分の統帥権が犯され、統帥権が奪われようとすることには敏感に反応するのであって、統帥権を断固維持しようと腐心する。これは天皇家の歴史的本能だ、という。
2・26事件は為替相場を不当に操作して儲けるために起こさせたものだった.
2・26事件が起きると、当然のことながら日本の国家信用が落ちて、為替や株価が暴落した.
もし、天皇があらかじめ為替や株価でも儲けを企図し、シナリオを書かせていたとしたら、事件で暗殺される「重臣」たちが青年将校らによって殺されることも計算のうちに入っていた、あるいは気に入らない「重臣」を消すために事件を起こさせたとも考えられる。
青年将校らにとっては、いわば天皇親政によって昭和維新を断行するのだと夢見ていたのだろうが、実際の天皇はそういう人ではなかった。つまり天皇は飾り物にされ、周囲の奸臣・奸官に取り巻かれているから正しい政治が行われないと善意に解釈していたが、そうではなくいわば奸凶は天皇自身だったのである。
2・26事件がおきると、天皇はその40分後には情報を得て、ただちに彼らを反乱軍と断じ、鎮圧を命令している。決起した将校らにしてみれば、天皇にまさかの裏切りにあったのである。しかし、この天皇の裏切りは、「将校らにしてみれば」なのであって、私は彼ら将校は天皇・財閥側が仕掛けたワナにハマっただけではないかと思う。
天皇は、決起将校らを私利私欲に基づくものと激怒したが、当の将校らは無私の心で決起した心づもりだから、まるで話がかみあわない。むしろ、天皇のほうが、私利私欲で自分の資産の運用だけの思惑で動いていたのだ。
なにしろ、戦前の天皇家は世界一の金持ちとも言われるほどの天文学的資産家であった。天皇は、大財閥や主要銀行、大企業などの大株主であったから、国家から予算として年額150万円を支給されていたとは別に、その配当は巨額なものであった。
だから戦争をやれば、こうした大企業が巨利を得ることになり、それがそのまま皇室の持ち株への巨額配当となって返ってくる仕掛けだった。事変=戦争を起こし、植民地で搾取すればするほど皇室の懐が潤う仕掛けである。
だから天皇家は、日本が満州事変、支那事変、大東亜戦争へと打って出ることに反対しなかった。2・26事件の将校を断罪するなら、なんで満州事変や支那事変を主導した軍部を断罪し止めなかったのだ?
それは昭和天皇が、立憲君主ではなく、実は専制君主であったからであり、実際、戦争に反対するどころか積極的に戦争を押し進めた。
大東亜戦争中は、なんと宮中に大本営を置き、作戦を指揮し、認可していたのが真相である。
2・26事件のときだけ政治的に介入し鎮圧を命じて、あとのときはすべて「君臨すれども統治せず」を貫きとおし、終戦のときだけ仕方なく決断したなんてことがありようか。http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060825
2・26事件が起きることを天皇はあらかじめ知っていたのではないか。財閥から情報が入っていたに違いないのである。というよりも、そもそも天皇と財閥(とその代理人)が2・26事件を仕掛けたと見るべきではなかろうか。
事件発生から終息までの2日間もちゃんと前もって計算されていたのであるまいか。仕掛けた闇の勢力は当然、真崎らがどう動くか、どう終息させるかも読んでいたか、指示していたに違いない。
クーデターが起きれば為替も株も暴落するのは、あらかじめわかりきった話である。それをあえて事前にわかっていながら反乱を阻止しなかったこの不自然さ。
反乱を起こす予定の将校らには財閥から資金が流れていたし、将校らには官憲が張っていたのだ。彼ら将校は六本木第一師団司令部(防衛庁跡地)前の中華料理屋でしきりに会合(飲食?)を開き、談論風発をやって、決起、決起と気勢をあげていた。それが官憲に筒抜けにならないわけがなかろう。それなのに、将校が事件直前に弾薬庫から実包(実弾)を運び出しても黙って通過せているのだから、こんな見え見えの策謀はない。
皇室も財閥も「クーデターによって為替の相場を下落させて、売買の操作によって利を求めるドル買い事件にすぎなかった」この2・26事件を、すべて芝居でやらせたのではなかったか。
つまり、すべては財閥と天皇の書いたシナリオに従っていただけで、すべては企画された事件だったのではあるまいか。
①第二次世界大戦は国際金融資本が金儲けのために仕組んだ。
原爆の開発目途はついていたので、それを使用することが目的のひとつであった。
②その決定で、日英同盟が破棄され、アメリカでオレンジ計画がスタートする。
③日本の最高幹部と海軍は筋書きどうりに戦争を始めた。 陸軍はほとんど関知していない。昭和天皇は命令どおりに動かされただけだ。
④昭和天皇とジョセフ・グルーは、終戦時期について討議したが、原爆を二発落とすまで終戦はさせてもらえなかった。戦争が長引いたのは、原爆の開発が思った以上に遅れたからだ。
⑤広島は昭和天皇が決めた。だから、自分の嫌いな者達を広島に集合させ、見殺しにした。
⑥長崎はクリスチャンの教会が多いことで選ばれ、三菱のドックを目標とした。海軍は三菱にいたアメリカ人の捕虜を事前に救出していた。
⑦日本の情報機関は原爆の開発、投下時期、投下目標をすべて承知していた。もちろん昭和天皇も承知だ。
昭和天皇の代わりに処刑された A級戦犯
天皇の7人の最も「忠実な下僕」が絞首刑に、18人が占領の間中の投獄、そして、天皇自身は皇位から退位もせず、「立派な自由主義的な紳士」となった。
1948年12月22日、絞首台に向かおうとする東条、松井ほか5名の男たちは、全員で天皇に「万歳」――裕仁朝廷の永世を誓う――を唱和した。
その処刑に立合う責を負った連合軍の外交代表は一列となって、死刑判決を受けた者らの冷徹なユーモアとも映る行動を、深い印象と共に目撃していた。
裕仁のみが生き長らえ、そして記憶にとどめられていた。
戦争後の四年間、彼は戦前からの擦り切れた背広のみを着て、人々とみじめさを共有する姿勢を表した。
昭和天皇は何故 対米開戦を決意したか _ 昭和天皇を襲った恐怖とは
日中戦争を開始させた昭和天皇の誤算は,中国の正規軍がいくら弱くても,中国人ゲリラには勝てそうもないという事だった. 今のイラクやアフガニスタンの米軍と全く同じですね.
そのまま行ったらソ連が参戦してきて日本は占領されてしまう. そして,昭和天皇が中国で行った組織的財宝略奪と それをカモフラージュする為にやらせた(?)大虐殺の黒幕だったことが明らかになってしまう.
昭和天皇は戦犯として処刑され,天皇制は廃止,昭和天皇の悪逆非道な行為は世界中で永遠に語り継がれる事になる.
そこで昭和天皇が考えた(?)起死回生の名案とは:
負けると分かった戦争に突き進み、いくら負けてもやめることはせず、原爆投下になって無条件降伏をした。45年2月、吉田茂(スパイ名「ヨハンセン」)などが関わり近衛文麿の天皇への上奏文がある。それは、米英は国体を守ってくれること、もっとも恐るべきことは敗戦にともなって起こる人民の革命だというものであった。
天皇とその側近がもっとも心配していたのは、国体が護持されるかどうか、自分たちの地位が守れるかどうかだけであった。だまされて死ににいかされた兵隊たちが返ってきたら、反乱を起こし、自分たちの支配の地位が剥奪されるという不安であった。 日米戦争に突き進むとき、すでに中国で打ち負かされており、戦死者は20万人近くになっていた。
ここで支配勢力が心配したことは、中国撤退となると、天皇の権威が崩壊することであり、反乱・革命が起きることであった。そして日米戦争に突き進んだ。
天皇を頭とする政治家、財閥などは、原爆投下を絶好のチャンスとして、アメリカに降伏し、命乞いをした。そして戦争に駆り立て犠牲を強いた人人には何の償いもせず、民族的な利益のすべてを売り飛ばすことでその支配の地位を守ってもらう
道を選んだ。
アメリカは皇居も財閥の工場も攻撃しなかった。国会議事堂も霞ヶ関も残った。
ドイツ戦ではヒットラーが標的になり、イラク戦でもフセインが殺された。対日戦では日本人は虫けらのように殺されたが、天皇は標的ではなかった。変な戦争だ。そして支配層はアメリカの単独占領を歓迎した。
支配層は日本人民が革命をやり、自分たちの地位を失うことを恐れていた。米英に支配の地位を守ってもらうために、戦争で日本国民を犠牲にし民族的な利益をみな売り渡す道を進んだ。
米に負けるため南進 目的同じ日米司令部
最初からアメリカに負けるために南進したのだ。日本人民の経験でも市民は焼き殺すが、軍や三菱は無傷だったというのが実感として語られている。
最近の史料で明らかになったことで、戦前に駐日米大使をしていたグルーなどが「日本の軍需工場を攻撃するな」と主張していた。それがウォール街の共通認識だったという。グルーはJPモルガンの利益代表だが、彼が駐日大使だったときに三菱や住友と深い関係を持ち、アメリカ資本が日本の大企業に相当投資してインフラを整備しており、今から日本の資本主義を段階を画して発達させ、収奪していくんだという狙いを持って戦争に臨んでいた。だからみずからが投資してきた三菱などの軍需工場への攻撃を避けていた。これに対して日本側の三菱などは日米開戦のときに、
「米英はこれまで通り友人だ。だから資産をきちっと守って、戦後も同じようにやっていけるよう、みんなもそのつもりでおれ」
と岩崎小弥太が檄を飛ばしていた。ウォール街の意向と一致している。
「鬼畜米英」といわせながら、日米両方の司令部が同じ目的で動いていたのだ。中国に侵略してひどいことをしたが、日本民族もさんざんに殺させる。そして民族の利益を売り渡すことで自分たちの支配の地位を守る。それが唯一の道だと。日本の支配階級の卑劣さも少少ではない。売国奴、かいらいの道を進んだわけだ。
天皇が原爆を落としてほしかったのだ。8月15日の終戦の詔勅にある「原爆が投下されたからだ」という理由ができた。
武器も食料もなしにどんどん輸送船を出すというのは「殺してください」ということだ。南方にはとり残され、戦争能力がもうないのだから、本当は戦争をやめるほかはない。みんな「おかしな戦争だった」というが他のどの戦争を見てもあんな戦争はない。
戦争なら皇居を狙うのが普通だ。将棋でも王将をとるかとられるかだ。しかし下町ばかりが焼かれた。
ドイツの場合は「ドイツ国民はわれわれと同じ人種で良識ある国民だが、悪いヒトラーをやつけないといけない」というスタンスだった。だからドイツではドレスデン空襲はあったがほとんど空襲はやっていない。
しかし日本の場合は「天皇が敵だ」とはいわず、日本人全体を「ジャップ」といい、野蛮な未開の人間ではないジャップを殺せというのが最初からの姿勢だ。インディアンと同じ扱いだ。
悲しいことに福島ホロコーストが自国政府の手で行われつつあります。