事故後,九州電力川内(鹿児島県),関西電力高浜(福井県)の原発計4基が再稼働し,運転開始から40年超の高浜1・2号機さえも,再稼働が近づく。「福島第1の1号機も,40年になる直前で事故になった。老朽化もひとつの原因かもしれない。福島からなにも学んでいない。裁判を通じ,原発政策の問題点も明らかになれば」と期待する。
「原子炉が大地震のせいでエンコしてしまい,オシメの外にまでうんち(放射能)をお漏らしして〔原子炉が溶融して〕いたけれども,これには自分自身が気づいていなかったというのであるから,どこまでも口から出任せの嘘」
恐らくは,東京電力は,民間企業としてというよりも,政府と一体となった独占企業として,政府に向けられるべき批判を背負う宿命にあるのでしょう。そこを政府も上手に利用して,責任を回避しているのでしょうね。
この会社,世紀の記録に残る「原発の大事故」を起こしていながら,つまり,甚大な損失・被害を地域社会とこの住民たちに決定的・大々的にもたらしてきていながらでも,現在もなおそうであるのだが,そうした過酷な事故を惹起させた事実など,まったくなかった出来事(他人事)であったかのように経営活動をしている。
もし彼らが無罪になるのであれば,電力会社が「また原発の事故を起こしてもこの仕組(免責事項)に助けられる」の「だから,安心して再稼働に走れる」。ということで「国民にとっては災厄でも,会社は大丈夫だし,いまの会長も社長も副社長も,きっとダイジョウブ!」
原子力発電事業は,政府が東京電力を利用して強力に推進してきたのであって,まさか,東京電力が政府を利用して強力に推進してきたわけではないでしょう。東京電力は,政府を利用するほどの大物でしょうか。むしろ,政府に利用された小物ではないでしょうか。事実,都合の悪くなったいま,政府から全責任を押し付けられている,惨めで哀れな小物ではないでしょうか。
原発は要らない。現有の全基を廃炉にするにしても,これから半世紀以上か,優に1世紀以上もの時間がその後始末にはかかる。これは,残り火などとはいえない,恐ろしい《悪魔の火》の魔性」
東京電力と国は福島第1原子力発電所において地震と津波の危険度を測りそこなった。コストを節約しようと設備投資を怠り,結果,大きな被害を出した。われわれはいまも事実上国土の一部を失った状態にある。健康被害はのちのちの世代にまで及ぶ。放射性物質は大気や海に放出されたのだから,世界中のすべての人びとに対する責任もある。
あれでもまだ運がよかったということも忘れてはならない。使用済み核燃料プールの水がなくなっていたら,風が首都圏に向かっていたら,被害はもっともっと大きかったはずだ。
安全はつねにコストとの関係にある。無限の安全を求めれば事業はなりたたない。しかし,日常生活でふつうに安全に気を配って暮らしている者の感覚で,あの原発の崩壊を天災ということはできない。危ないところに安全対策に欠けるものを造っておいて,それが壊れた。責任がないはずがない。
原発事故については責任を明確にしない。これが3・11の直後からの国の方針。この前提に立ってことを処理するために「原子力損害賠償支援機構」という組織が作られた。国と電力会社12社が同額ずつ出して東電の賠償費用の一部に充てる。同じような事故が起こったとき,他の電力会社は同じように支援を受けることができる。
一見,電力会社は身銭を切っているようにみえるけれど,それはそのまま電力料金に上乗せされている。彼らにすればまた事故を起こしてもこの仕組に助けられるのだから,安心して再稼働に走れる。国民にとっては災厄でも,会社は大丈夫。
福島事故は損害賠償に6.2兆円,除染と中間貯蔵に3.7兆円,廃炉と汚染水対策に2兆円を要している。それでもまだ原子力発電は安いと政府はいいはる。実際の話,廃炉の費用はどこまで膨らむかわからない。使用済み核燃料の処理はどうするのだ? 六ケ所村はどう畳むのだ?
政治とはあるところまでは利害の調整であり,つねに倫理的であるとは限らない。予算も時間もかぎりがあるわけだから,時には強引な手法に頼ることもあるだろう。しかし,それでも東電の責任回避は限界を超えているように思われる。
企業は法人である。法的にひとつの人格が認められているわけで,個人と同じく自分の存在を保持し,自分の利にかなうべく行動することが許される。しかしそれと同時に,一定の倫理基準も要求されるはずだ。利潤のため,株主への配当のためならばなにをやってもいいわけではない。国の暴走を憲法が縛るように,企業の倫理逸脱も制限されなければならない。
東電はあの日以来ずっと嘘とごまかしを重ねてきた。5年後のいまごろになって,炉心融解を定義するマニュアルがあったことを白状した。津波の日の3日後に事故の正確な規模を公表すべきだったのに2カ月先まで引き延ばした。正しい情報があればこの間にできたことは少なくなかっただろう。
原発という危険な施設を運転する資格と能力はこの会社にはない。他の電力会社にもない。東電はあの時点で破綻処理すべきだった,と環境経済学の大島堅一さんはいう。ぼくは,日本国民の再度の不幸回避を考えて,これに賛成する。
「汚染水の根源は溶融炉心の冷却にある-毎日400トンの汚染水を生成」
福島第1原発1~3号機の原子炉圧力容器内にあった炉心(燃料部)は溶け落ち,圧力容器の底を破って格納容器の底部にも溜まっているとみなされる。この溶融燃料(デブリ)を冷却するため1日400トンの水が原子炉圧力容器に注がれ,それらは放射能汚染水となり,格納容器を経由してタービン建屋に流れこんでいる。「おそらく地下にも染みこんでいる?」
そこに外から地下水が400トン流れこむため,毎日800トンの汚染水がつくられている。それはセシウム除去装置を通したのち,400トンは炉心冷却用に循環され,残りの400トンはタンクに保管される。直径12m高さ11mあるタンク1基の容量は約1000トンなので2日半で満杯になってしまう。
「技術大国・ニッポン」は,いまごろになって……,『溶けた核燃料はどこだ 福島第1で始まった「透視実験」』註記)などという知恵遅れチックな勉強会をはじめた。
デブリ(溶融した核燃料の塊:象の足)は,格納容器の底を抜け落ちていると観たほうが,より現実的な理解である。地下水汚染の原因としても,より直接的なものではないか。もっとも,この点が実際に視認できたりして判明するのは,いったいいつごろになるのか,この時期の予想すらできない状況に留めおかれている。
まずは! 溶け落ちた核燃料(デブリ)が「ミニ太陽化」している現況の全体を把握することである。
現在,フクシマは水蒸気爆発が連続するなど,状況は「激烈化」している。デブリは,間違いなく臨界状態にある。
大問題は今後,100数十トン(合計400トン~500トン)ものデブリが岩盤をくり貫きはじめ,団子状になって圧縮凝塊したときになにが起きるかである。
安倍晋三が原発事故に関する自己責任をうやむやにするため信じられないような情報隠しをおこなっていた。安倍晋三に福島の復興を語る資格はない。2006年12月に安倍首相(当時)は国会で,「全電源崩壊は起こりえない」と答弁していた。つまり,福島事故最大の責任者であった。ところが,その答弁書が衆議院議事録から削除されていた。
安倍首相の不都合な答弁書が拡散しないように,典型的なリンク切断手法が使われていた。INTERNET というフォルダーを作り,そこに移し,従来のリンク先には「場所を移しました」とだけ記載する。秘密保護法の予行訓練といえようか。
〔以下は昨〔2013〕年9月19日,22日,11月20日にツイートしていた内容とのことで再引用された記述〕。福島視察した安倍晋三首相は,平成〔2006〕18年12月の国会質問に,わが国の原子炉は「外部電力がなくても冷却可能」「鉄塔が倒れても外部電源が供給受けられた例」があり,全電源喪失したフォルスマルクと「同様な事態が発生することは考えられない」と答弁
安倍晋三君のデタラメ話法は,彼が終始(いまの人生において)一貫させている,本来的な基本の作法なのである。はたして,東電福島第1原発事故に関する幹部3名の強制起訴裁判は,どのように進行するか?
「原子炉が大地震のせいでエンコしてしまい,オシメの外にまでうんち(放射能)をお漏らしして〔原子炉が溶融して〕いたけれども,これには自分自身が気づいていなかったというのであるから,どこまでも口から出任せの嘘」
恐らくは,東京電力は,民間企業としてというよりも,政府と一体となった独占企業として,政府に向けられるべき批判を背負う宿命にあるのでしょう。そこを政府も上手に利用して,責任を回避しているのでしょうね。
この会社,世紀の記録に残る「原発の大事故」を起こしていながら,つまり,甚大な損失・被害を地域社会とこの住民たちに決定的・大々的にもたらしてきていながらでも,現在もなおそうであるのだが,そうした過酷な事故を惹起させた事実など,まったくなかった出来事(他人事)であったかのように経営活動をしている。
もし彼らが無罪になるのであれば,電力会社が「また原発の事故を起こしてもこの仕組(免責事項)に助けられる」の「だから,安心して再稼働に走れる」。ということで「国民にとっては災厄でも,会社は大丈夫だし,いまの会長も社長も副社長も,きっとダイジョウブ!」
原子力発電事業は,政府が東京電力を利用して強力に推進してきたのであって,まさか,東京電力が政府を利用して強力に推進してきたわけではないでしょう。東京電力は,政府を利用するほどの大物でしょうか。むしろ,政府に利用された小物ではないでしょうか。事実,都合の悪くなったいま,政府から全責任を押し付けられている,惨めで哀れな小物ではないでしょうか。
原発は要らない。現有の全基を廃炉にするにしても,これから半世紀以上か,優に1世紀以上もの時間がその後始末にはかかる。これは,残り火などとはいえない,恐ろしい《悪魔の火》の魔性」
東京電力と国は福島第1原子力発電所において地震と津波の危険度を測りそこなった。コストを節約しようと設備投資を怠り,結果,大きな被害を出した。われわれはいまも事実上国土の一部を失った状態にある。健康被害はのちのちの世代にまで及ぶ。放射性物質は大気や海に放出されたのだから,世界中のすべての人びとに対する責任もある。
あれでもまだ運がよかったということも忘れてはならない。使用済み核燃料プールの水がなくなっていたら,風が首都圏に向かっていたら,被害はもっともっと大きかったはずだ。
安全はつねにコストとの関係にある。無限の安全を求めれば事業はなりたたない。しかし,日常生活でふつうに安全に気を配って暮らしている者の感覚で,あの原発の崩壊を天災ということはできない。危ないところに安全対策に欠けるものを造っておいて,それが壊れた。責任がないはずがない。
原発事故については責任を明確にしない。これが3・11の直後からの国の方針。この前提に立ってことを処理するために「原子力損害賠償支援機構」という組織が作られた。国と電力会社12社が同額ずつ出して東電の賠償費用の一部に充てる。同じような事故が起こったとき,他の電力会社は同じように支援を受けることができる。
一見,電力会社は身銭を切っているようにみえるけれど,それはそのまま電力料金に上乗せされている。彼らにすればまた事故を起こしてもこの仕組に助けられるのだから,安心して再稼働に走れる。国民にとっては災厄でも,会社は大丈夫。
福島事故は損害賠償に6.2兆円,除染と中間貯蔵に3.7兆円,廃炉と汚染水対策に2兆円を要している。それでもまだ原子力発電は安いと政府はいいはる。実際の話,廃炉の費用はどこまで膨らむかわからない。使用済み核燃料の処理はどうするのだ? 六ケ所村はどう畳むのだ?
政治とはあるところまでは利害の調整であり,つねに倫理的であるとは限らない。予算も時間もかぎりがあるわけだから,時には強引な手法に頼ることもあるだろう。しかし,それでも東電の責任回避は限界を超えているように思われる。
企業は法人である。法的にひとつの人格が認められているわけで,個人と同じく自分の存在を保持し,自分の利にかなうべく行動することが許される。しかしそれと同時に,一定の倫理基準も要求されるはずだ。利潤のため,株主への配当のためならばなにをやってもいいわけではない。国の暴走を憲法が縛るように,企業の倫理逸脱も制限されなければならない。
東電はあの日以来ずっと嘘とごまかしを重ねてきた。5年後のいまごろになって,炉心融解を定義するマニュアルがあったことを白状した。津波の日の3日後に事故の正確な規模を公表すべきだったのに2カ月先まで引き延ばした。正しい情報があればこの間にできたことは少なくなかっただろう。
原発という危険な施設を運転する資格と能力はこの会社にはない。他の電力会社にもない。東電はあの時点で破綻処理すべきだった,と環境経済学の大島堅一さんはいう。ぼくは,日本国民の再度の不幸回避を考えて,これに賛成する。
「汚染水の根源は溶融炉心の冷却にある-毎日400トンの汚染水を生成」
福島第1原発1~3号機の原子炉圧力容器内にあった炉心(燃料部)は溶け落ち,圧力容器の底を破って格納容器の底部にも溜まっているとみなされる。この溶融燃料(デブリ)を冷却するため1日400トンの水が原子炉圧力容器に注がれ,それらは放射能汚染水となり,格納容器を経由してタービン建屋に流れこんでいる。「おそらく地下にも染みこんでいる?」
そこに外から地下水が400トン流れこむため,毎日800トンの汚染水がつくられている。それはセシウム除去装置を通したのち,400トンは炉心冷却用に循環され,残りの400トンはタンクに保管される。直径12m高さ11mあるタンク1基の容量は約1000トンなので2日半で満杯になってしまう。
「技術大国・ニッポン」は,いまごろになって……,『溶けた核燃料はどこだ 福島第1で始まった「透視実験」』註記)などという知恵遅れチックな勉強会をはじめた。
デブリ(溶融した核燃料の塊:象の足)は,格納容器の底を抜け落ちていると観たほうが,より現実的な理解である。地下水汚染の原因としても,より直接的なものではないか。もっとも,この点が実際に視認できたりして判明するのは,いったいいつごろになるのか,この時期の予想すらできない状況に留めおかれている。
まずは! 溶け落ちた核燃料(デブリ)が「ミニ太陽化」している現況の全体を把握することである。
現在,フクシマは水蒸気爆発が連続するなど,状況は「激烈化」している。デブリは,間違いなく臨界状態にある。
大問題は今後,100数十トン(合計400トン~500トン)ものデブリが岩盤をくり貫きはじめ,団子状になって圧縮凝塊したときになにが起きるかである。
安倍晋三が原発事故に関する自己責任をうやむやにするため信じられないような情報隠しをおこなっていた。安倍晋三に福島の復興を語る資格はない。2006年12月に安倍首相(当時)は国会で,「全電源崩壊は起こりえない」と答弁していた。つまり,福島事故最大の責任者であった。ところが,その答弁書が衆議院議事録から削除されていた。
安倍首相の不都合な答弁書が拡散しないように,典型的なリンク切断手法が使われていた。INTERNET というフォルダーを作り,そこに移し,従来のリンク先には「場所を移しました」とだけ記載する。秘密保護法の予行訓練といえようか。
〔以下は昨〔2013〕年9月19日,22日,11月20日にツイートしていた内容とのことで再引用された記述〕。福島視察した安倍晋三首相は,平成〔2006〕18年12月の国会質問に,わが国の原子炉は「外部電力がなくても冷却可能」「鉄塔が倒れても外部電源が供給受けられた例」があり,全電源喪失したフォルスマルクと「同様な事態が発生することは考えられない」と答弁
安倍晋三君のデタラメ話法は,彼が終始(いまの人生において)一貫させている,本来的な基本の作法なのである。はたして,東電福島第1原発事故に関する幹部3名の強制起訴裁判は,どのように進行するか?