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米国はソ連に向け原爆投下を威嚇のために利用した。

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『米国は原爆投下を威嚇のために利用した。日本に向けてではなく、ソ連に向けたものだった』、『こういった野蛮行為は本質的に正気の沙汰ではなく、人類に対する真の犯罪だと信じている。国連を含めた全ての国際機関が関係する方法で、そのように宣言すべきだ』


実は、アメリカは1941年の開戦当初から、ソ連に対して対日参戦要請をしていたようだが、スターリンがようやく対日参戦の時期に言及したのは、1945年2月に開かれたヤルタ会談においてであった。その会談でスターリンは、樺太南部の返還と千島列島の引渡しなどを条件に、ドイツ降伏後2ヶ月または3ヶ月での対日参戦を米英首脳に密約したとされる。

そしてドイツは同年の5月8日に連合国に対し無条件降伏したのが、この時点でアメリカは、ソ連が約束通り8月までに対日参戦することを期待したはずである。

7月15日にポツダム会議に出席したトルーマンは、スターリンから、8月15日に対日参戦する旨の確約を得たのだが、その翌日に原爆実験成功のニュースが伝えられてトルーマンは豹変したという。

「原爆実験が成功した以上、トルーマン、バーンズ、スティムソン*はもはやソ連の参戦を望まなかった。ソ連が参戦すれば、ルーズベルトがヤルタ会談でソ連に約束した譲歩を実施に移さなければならないからだった。7月23日、チャーチルは『アメリカが現段階でソ連の対日戦争参戦を望んでいないのは歴然としている』と述べた。バーンズは『今回の実権が成功したと知った以上、大統領も私もソ連の参戦を望まない』と記している。…トルーマンと顧問たちにとって、これ(日本の降伏)を達成する方法は明らかだった。原爆を落せばよいのだ。トルーマンは述べている。『ソ連が参戦する前に日本は折れるだろう。マンハッタン計画の産物が頭上で炸裂すれば、日本は間違いなくそうすると私は確信している』。」(同上書 p.370)
*スティムソン:陸軍長官

このようにアメリカは、日本を早期に降伏させるために、はじめから原爆を落とすことを考えていた。

1. 原子爆弾の投下目標として、爆撃対象から除外された4都市。
    ・京都市、広島市、小倉市(現北九州市小倉北区、小倉南区)、新潟市
  2. レーダーが作用しにくい地形であるために、夜間や悪天候での爆撃を免除されていた15都市
    ・八幡市、山形市、福島市、会津若松市、郡山市、川口市、瀬戸市、高山市、吹田市、長崎市、布施市、久留米市、若松市、戸畑市、都城市
  3.  北緯39度以北にあるため、硫黄島を基地として使用するまでは目標がサイパン島から遠すぎて攻撃不可能であった17都市。
    ・札幌市、函館市、小樽市、室蘭市、青森市、秋田市、盛岡市、旭川市、八戸市、釧路市、弘前市、釜石市、帯広市、池田町、川内町、能代市、宮古市」

とあり、京都市は原爆投下の最有力候補であったことがわかるのである。


わざわざ原爆を落とさなくとも日本の敗北は必至だったのだが、ではなぜアメリカは軍事的にあまり必要と思われない原爆をわが国に落としたのだろうか。この点については、前掲のオリバー・ストーンの著書がわかりやすい。

「ソ連の指導者は喜ぶどころの騒ぎではなかった。すでに瀕死の状態にある国家を叩きのめすのに原爆は必要ないと承知していたことから、彼らは真の標的がソ連であると結論付けた。アメリカは原爆投下によって日本の降伏を早め、ソ連がアジアの覇者になるのを阻もうとしたと考えたのである。さらに彼らの不安を煽ったのは、アメリカが明らかに無用と思われる局面で広島の原爆を投下したのは、仮にソ連がアメリカの国益を脅かすようなことがあれば、アメリカはソ連に対して原爆を使用することも辞さないという意志の現われと推測できることだった。」(前掲書 p.383-384)

トルーマンもスティムソンも、早期に戦争を終結させるためだけに原爆を用いたのではない。終戦後の戦勝国間において、アメリカがソ連よりも優位な地位に立つことまで考えていたことを理解しなければ、終戦から冷戦に至る歴史を正しく読み取ることは出来ないのだと思う。

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