あまり知られていないことだが、今回の事故で大活躍した免振重要棟を東電に作らせたのは、
泉田裕彦・新潟県知事である。
「福島の検証なくして再稼働はありえない-泉田裕彦「新潟県知事」記者会見 2014 10 15
日本外国特派員協会」 (阿修羅・赤かぶ 2014/10/17)
http://www.asyura2.com/14/genpatu40/msg/691.html
----(引用ここから)----
2007年新潟県中越沖地震にともなう原子力発電所のトラブルを受けて、それ以降、講 じた措置について泉田知事は次のように説明した。
「緊急連絡を確保する必要があると判ったことから、地震が来てもちゃんとドアが開くよ うな免震重要棟の建設を当時求めました。これはむろん規制基準には ないものですが、( 事故当時)連絡がとれなかったことから、経験則上、必要と言うことで、要請したものです。結果としてつくってもらうことになりまし た。携帯電話があれば十分なのではないかという話もありましたが、これを○○につくってもらうことによる安全確保を優先しまし た。同じ東京電力の原子 力発電で、○○にだけあって、福島にないのはおかしい……ということになって福島にも免震重要棟をつくることになって完成したのが東日本大震災の発生の8ヶ月前です。」
「もし、あのとき、新潟県が免震重要棟の建設を求めなければ、当然、福島にも免震重要棟がなかったですし、結果として、東京にいま人がすめていたかは疑わしい」
2007年の新潟県中越沖地震により、柏崎刈羽原発・本館の対策室の扉が開閉できなくなり、
東電は何と屋外で対策会議をやっていたらしい。
それでは話にならないということで、泉田知事が、地震が来てもビクともしない免震重要棟を作るよう、
東電に強く要請した。
東電はお金がかかるから嫌がったものの、渋々応じて、柏崎刈羽と福島原発に免震重要棟を建設した。
福島原発の免震重要棟が完成したのは、3/11事故のわずか8ヶ月前である。
免震重要棟がなかったらどうなっていたか? 想像するのも恐ろしい。
他の建物は地震と津波でボロボロであり、全員総退却以外になかったはずだ。
冷却はすべて止まり、使用済み燃料プールに保管されている何千本もの核燃料は溶融、燃焼、爆発し、
超高濃度の放射性ガスを大量に放出していただろう。
1-4号機はもちろん、5、6号機も手がつけられない状態に陥ったはずである。
東日本は即刻、避難・移住が必要なほどの恐ろしい汚染に晒され、首都機能も麻痺して、
国家が崩壊していた可能性がある。
東電に免振重要棟を作らせた泉田・新潟県知事は、日本を破滅から救った大恩人である。
日本の歴史上、国家を救った人間がどれだけいるのか知らないが、彼はその筆頭に挙げられるべき人だ。
われわれは、泉田さんに深く感謝すべきだろう。
原子力ムラの連中は東電・吉田所長を英雄視するが、彼が活躍できたのも免振重要棟があったからこそである。
泉田知事は、原発の危険性をよく勉強しているし理解している。頭もいい。勇気もある。
そして何より「常識」がある。
原子力ムラ広報のような、どこぞの知事とは比較にならない。
彼のような人物がリーダーとして存分に活躍できれば、日本は劇的に良い国になっていくだろう。
2015年4月10日 11:03:06 : QfUrfcKGiM
311当時、福一の現場にいた多くのひとが免震重要棟がなかったら、終わりだった
と言ってます。それが311の8ヶ月前にやっとできていたとは。しかもケチの東電
だ、泉田知事がせっつかなければ絶対にやらなかっただろう。
東京がお陀仏になれば、日本経済が死んでいた。巨大な数の人が死に、生き残った人も
発展途上国並みのまずしさと激烈な放射能汚染の中で暮らすことになったろう。
03. 2015年4月10日 13:54:03 : 43n9APMvqg
泉田知事には感謝しています。
↓これも私は忘れません。
▼自民党 新総裁の安倍晋三は、提言された原発事故予防対策を拒否し続けてきた男
福島第一事故の原因を作った人間の一人。と言っても過言ではない
泉田裕彦・新潟県知事である。
「福島の検証なくして再稼働はありえない-泉田裕彦「新潟県知事」記者会見 2014 10 15
日本外国特派員協会」 (阿修羅・赤かぶ 2014/10/17)
http://www.asyura2.com/14/genpatu40/msg/691.html
----(引用ここから)----
2007年新潟県中越沖地震にともなう原子力発電所のトラブルを受けて、それ以降、講 じた措置について泉田知事は次のように説明した。
「緊急連絡を確保する必要があると判ったことから、地震が来てもちゃんとドアが開くよ うな免震重要棟の建設を当時求めました。これはむろん規制基準には ないものですが、( 事故当時)連絡がとれなかったことから、経験則上、必要と言うことで、要請したものです。結果としてつくってもらうことになりまし た。携帯電話があれば十分なのではないかという話もありましたが、これを○○につくってもらうことによる安全確保を優先しまし た。同じ東京電力の原子 力発電で、○○にだけあって、福島にないのはおかしい……ということになって福島にも免震重要棟をつくることになって完成したのが東日本大震災の発生の8ヶ月前です。」
「もし、あのとき、新潟県が免震重要棟の建設を求めなければ、当然、福島にも免震重要棟がなかったですし、結果として、東京にいま人がすめていたかは疑わしい」
2007年の新潟県中越沖地震により、柏崎刈羽原発・本館の対策室の扉が開閉できなくなり、
東電は何と屋外で対策会議をやっていたらしい。
それでは話にならないということで、泉田知事が、地震が来てもビクともしない免震重要棟を作るよう、
東電に強く要請した。
東電はお金がかかるから嫌がったものの、渋々応じて、柏崎刈羽と福島原発に免震重要棟を建設した。
福島原発の免震重要棟が完成したのは、3/11事故のわずか8ヶ月前である。
免震重要棟がなかったらどうなっていたか? 想像するのも恐ろしい。
他の建物は地震と津波でボロボロであり、全員総退却以外になかったはずだ。
冷却はすべて止まり、使用済み燃料プールに保管されている何千本もの核燃料は溶融、燃焼、爆発し、
超高濃度の放射性ガスを大量に放出していただろう。
1-4号機はもちろん、5、6号機も手がつけられない状態に陥ったはずである。
東日本は即刻、避難・移住が必要なほどの恐ろしい汚染に晒され、首都機能も麻痺して、
国家が崩壊していた可能性がある。
東電に免振重要棟を作らせた泉田・新潟県知事は、日本を破滅から救った大恩人である。
日本の歴史上、国家を救った人間がどれだけいるのか知らないが、彼はその筆頭に挙げられるべき人だ。
われわれは、泉田さんに深く感謝すべきだろう。
原子力ムラの連中は東電・吉田所長を英雄視するが、彼が活躍できたのも免振重要棟があったからこそである。
泉田知事は、原発の危険性をよく勉強しているし理解している。頭もいい。勇気もある。
そして何より「常識」がある。
原子力ムラ広報のような、どこぞの知事とは比較にならない。
彼のような人物がリーダーとして存分に活躍できれば、日本は劇的に良い国になっていくだろう。
2015年4月10日 11:03:06 : QfUrfcKGiM
311当時、福一の現場にいた多くのひとが免震重要棟がなかったら、終わりだった
と言ってます。それが311の8ヶ月前にやっとできていたとは。しかもケチの東電
だ、泉田知事がせっつかなければ絶対にやらなかっただろう。
東京がお陀仏になれば、日本経済が死んでいた。巨大な数の人が死に、生き残った人も
発展途上国並みのまずしさと激烈な放射能汚染の中で暮らすことになったろう。
03. 2015年4月10日 13:54:03 : 43n9APMvqg
泉田知事には感謝しています。
↓これも私は忘れません。
▼自民党 新総裁の安倍晋三は、提言された原発事故予防対策を拒否し続けてきた男
福島第一事故の原因を作った人間の一人。と言っても過言ではない