イエス・キリストもシュタイナーも中村天風さんも野口晴哉さんもお釈迦様も、あの人もこの人も、多くの賢人やプロレスラーの(プロレスラーはまあいい)誰もが口を揃えて言うことは、
「すべてを肯定的に考えなさい」
ということだと思います。
今の時代は恐怖と不安をさえも訓練に活用できる幸福な時代
金融崩壊、経済破壊、戦争、自然災害、環境汚染、食品汚染、人心の荒廃、増え続ける病気、薬害、少子高齢化社会……と、いわゆる懸念とされている問題は山ほどあります。
しかし、冷静に考えれば、これほどネガティブな案件が世に満ち溢れている時代は、そうはないわけで、そこを考えると、肯定的態度の訓練にこれほど適した世の中はないとも言えます。
その観点からは、
「なんて恵まれた時代を生きているんだ」
と思わざるを得ません。
どんな険悪な時代、それはたとえば、そこにもここにも核兵器が落ちまくるような時代に生まれても、
「ああ、素晴らしい毎日だなあ・・・と思え!」
と、先の賢人たちは私たちに「命令」しています。
思える、とか、思えない、とかの選択ではなく、前向きに、明るく、楽しく、勇気をもって、肯定的に考え「なければならない」と私たちは命じられているのです。
根本的に今までの考え方は間違っていたかもしれません。
平和だから素晴らしい。
健康だから素晴らしい。
自然が多くて素晴らしい。
それはそれで良いとしても、では、その逆の状況に放り込まれた時、人はどのように考えるでしょうか。
おそらくは上の「逆」の方向に考え始める。
そして、「思考は現実化する」という概念でいえば、世の中は「素晴らしくない」と感じられる世界になっていく。
さらには、
平和だから素晴らしい。
健康だから素晴らしい。
自然が多くて素晴らしい。
この問題点がどこかおわかりでしょうか。
「《自分の存在の素晴らしさ》を一義的な発想としていない」点です。
基本は、この世は、「自分がいるから素晴らしい」ということ以外では語りにくい面があるかもしれません。
やや考えにくいことかもしれないですが、ここは、お釈迦様を信じてみましょう。
先ほど並べましたような「金融崩壊、経済破壊、戦争……」に対して、一般的に抱く感情はどのようなものでしょうか。
それは、
「恐怖」
だと思われます。
そして、今の世の中は、報道でも、病気の喧伝を含めたメディアなどでも、「恐怖を先行させて広める」ということが一般的であるため、自分の頭で理解する前から、「それは怖い」ということになりやすい社会です。
しかし、「恐怖」という観念がどれだけ「本当の恐怖を人にもたらすか」ということに関して、いくつか、他の方の言っていることを載せてみたいと思います。
これに関しては、多くの人が同じようなことを言いますが、自分の持っている資料の中で、特に「まったく同じこと」を言っているおふたりがいます。
ひとりが自称プレアデスの人である方、もうお一方は、日本で最初のヨガの行者であり、現在までも多くの信奉者を持つ中村天風さんです。
おふたりとも、「恐怖の観念を自分の中に持つことによって、そこに実際に恐怖がやって来てしまう」ということを書いています。
恐れる気持ちこそ最大の敵です。あなたに恐れの気持ちが出てきたとき、あなたの力は失われるということを忘れないでください。
あなたが何かを恐れているとすれば、それは頭上に大きな看板をかかげて、「大歓迎! 私はあなたを待っています!」と恐れているものに呼びかけているようなものです。
恐怖心をライフスタイルそのものにしてしまって、人生を恐れているという気持ちを放送しているかのような生き方をすると、あなたの身体は閉鎖され、生命力は殺されてしまいます。
これがストレスを生み、病気を引き起こし、年をとる原因をつくり出します。
あなたの思いがあなたの現実を作り出します。
恐怖心のなかで生活していると、すべてのものを追い払ってしまいます。あなた自身の力をも追い払ってしまいます。
あなたの論理的な考えにとって非常に馴染みのない何かに直面するときには、明確な意図、途方もない勇気、そして自分は絶対に安全なんだという気持ちと、平然とした気持ちを持たなければなりません。
中村天風『運命を拓く』より
どんな精神統一の下手な人でも、「おっかないなあ、怖ろしいなあ」と思ったときは、本人自身は気が付いていないかもしれないけれども、その恐怖の程度が深まれば深まるほど、恐怖観念が発動して、その観念は知らず知らずの間に確実に集中されるであろう。
だから、「おっかないなあ」と思った事柄は、どんな物覚えの悪い人間でも、たとえ思った時間は瞬間であったとしても、終生忘れていないであろう。
さあ、そこで考えてみよう。
一生忘れないような深刻な記憶に出来るくらいに、瞬間的でも、観念が集中されたとすると、それが宇宙霊の力を受け入れる”鋳型”が用意されたことになる。
そのとき出来上がっている”鋳型”というものが、良かろうと、悪かろうと、極めて確実な”すがた”が出来上がったことになる。
そうすると、その恐怖している事柄が、やがて事実となって現実化してくる。否、むしろ、そうなるのが当然である。
何はさておき、有意義な人生を活きるには、どんな場合があろうとも、恐怖観念で物事に応接しないようにすることが、本当に戒むべき人生の鉄則である。
感情というものは、その種類が、いかなるものであろうと、我々の肉体や、人格に影響せずにはいられないように出来ているのである。
だから、常に感謝と歓喜という積極的な感情を持っていれば、肉体や人格に積極的な、非常に大きな、良い影響を与えるけれども、反対に、怒ったり、怖れたり、悲しんだりする、消極的な感情や情念は、実に悪い影響を持っている。
中でも、この恐怖というものは、恐ろしいほどの印象力を持っている。印象力を持っているのであるから、早晩、その怖れている事柄が、現実になって、形象化されるのが当然である。
自称宇宙人と中村天風さんは、「上から目線」という点でも共通していますが、それはともかく、特に中村天風さんの言葉というのは、この他にも、いろいろな部分で、よく考えさせてくれます。
中村さんは、「人間は形としては存在しない」ということも喝破されていて、
中村天風『運命を拓く』より
繰り返していうが、人間の生命の本体というものは、形ある肉体ではない。ちょっと考えると、形のある肉体であるかのごとく見えるが、実は形の見えない気の中にあるのである。
だから、完全に、生命を活かす計画の成就は、生命の本体たる霊という気を、完全なる姿で、この生命を確保しなければならない。
ということを何度もおっしゃっています。
それはともかく、中村さんのいう、
> その恐怖している事柄が、やがて事実となって現実化してくる
というのは、生まれつき不安と恐怖観念の強い私は何度も経験しています。
そして、逆の「恐怖がなければ恐怖はやって来ない」ということも、これも、具体的に書くと長くなりますので、今は省略しますが、何度も経験しています。
考えてみれば、私の若い時・・・まあ今も多少そうですが、その趣味傾向といえば、パンクやノイズなどのアンダーグラウンド音楽に、前衛だったりグロテスクだったりするアンダーグラウンド・アートだったり、映画にしても、妙な映画や恐怖映画、グロテスク映画を山ほど見たりといったように、私は、
「ほぼ完全なネガティブ傾向を持つ人間」
であります。
では、世の中から見れば、ネガティブにしか捉えられない、それらの文化や表現が、私たち自身にとってネガティブだったかというと、そんなことは全然ないわけです。
ムチャクチャな表現や音楽を聴いて、心から幸せな気分になったり、「明日も何とか生きよう」と思って過ごせたりしたのです。
人は誰でも、ちゃんと「その人に対応した幸せと肯定的なコトやモノ」が自然と与えられるようになっていると思いましたし、あらゆる人は、目指さなくとも、それぞれが自然とその方向に導かれていくはずです。
それを見逃さないことと、自然に受け入れることが大事だと思います。
思えば、人生というのは、悲観的になっている部分以外では、実に素晴らしいものだったということが今となってわかります。
「すべてを肯定的に考えなさい」
ということだと思います。
今の時代は恐怖と不安をさえも訓練に活用できる幸福な時代
金融崩壊、経済破壊、戦争、自然災害、環境汚染、食品汚染、人心の荒廃、増え続ける病気、薬害、少子高齢化社会……と、いわゆる懸念とされている問題は山ほどあります。
しかし、冷静に考えれば、これほどネガティブな案件が世に満ち溢れている時代は、そうはないわけで、そこを考えると、肯定的態度の訓練にこれほど適した世の中はないとも言えます。
その観点からは、
「なんて恵まれた時代を生きているんだ」
と思わざるを得ません。
どんな険悪な時代、それはたとえば、そこにもここにも核兵器が落ちまくるような時代に生まれても、
「ああ、素晴らしい毎日だなあ・・・と思え!」
と、先の賢人たちは私たちに「命令」しています。
思える、とか、思えない、とかの選択ではなく、前向きに、明るく、楽しく、勇気をもって、肯定的に考え「なければならない」と私たちは命じられているのです。
根本的に今までの考え方は間違っていたかもしれません。
平和だから素晴らしい。
健康だから素晴らしい。
自然が多くて素晴らしい。
それはそれで良いとしても、では、その逆の状況に放り込まれた時、人はどのように考えるでしょうか。
おそらくは上の「逆」の方向に考え始める。
そして、「思考は現実化する」という概念でいえば、世の中は「素晴らしくない」と感じられる世界になっていく。
さらには、
平和だから素晴らしい。
健康だから素晴らしい。
自然が多くて素晴らしい。
この問題点がどこかおわかりでしょうか。
「《自分の存在の素晴らしさ》を一義的な発想としていない」点です。
基本は、この世は、「自分がいるから素晴らしい」ということ以外では語りにくい面があるかもしれません。
やや考えにくいことかもしれないですが、ここは、お釈迦様を信じてみましょう。
先ほど並べましたような「金融崩壊、経済破壊、戦争……」に対して、一般的に抱く感情はどのようなものでしょうか。
それは、
「恐怖」
だと思われます。
そして、今の世の中は、報道でも、病気の喧伝を含めたメディアなどでも、「恐怖を先行させて広める」ということが一般的であるため、自分の頭で理解する前から、「それは怖い」ということになりやすい社会です。
しかし、「恐怖」という観念がどれだけ「本当の恐怖を人にもたらすか」ということに関して、いくつか、他の方の言っていることを載せてみたいと思います。
これに関しては、多くの人が同じようなことを言いますが、自分の持っている資料の中で、特に「まったく同じこと」を言っているおふたりがいます。
ひとりが自称プレアデスの人である方、もうお一方は、日本で最初のヨガの行者であり、現在までも多くの信奉者を持つ中村天風さんです。
おふたりとも、「恐怖の観念を自分の中に持つことによって、そこに実際に恐怖がやって来てしまう」ということを書いています。
恐れる気持ちこそ最大の敵です。あなたに恐れの気持ちが出てきたとき、あなたの力は失われるということを忘れないでください。
あなたが何かを恐れているとすれば、それは頭上に大きな看板をかかげて、「大歓迎! 私はあなたを待っています!」と恐れているものに呼びかけているようなものです。
恐怖心をライフスタイルそのものにしてしまって、人生を恐れているという気持ちを放送しているかのような生き方をすると、あなたの身体は閉鎖され、生命力は殺されてしまいます。
これがストレスを生み、病気を引き起こし、年をとる原因をつくり出します。
あなたの思いがあなたの現実を作り出します。
恐怖心のなかで生活していると、すべてのものを追い払ってしまいます。あなた自身の力をも追い払ってしまいます。
あなたの論理的な考えにとって非常に馴染みのない何かに直面するときには、明確な意図、途方もない勇気、そして自分は絶対に安全なんだという気持ちと、平然とした気持ちを持たなければなりません。
中村天風『運命を拓く』より
どんな精神統一の下手な人でも、「おっかないなあ、怖ろしいなあ」と思ったときは、本人自身は気が付いていないかもしれないけれども、その恐怖の程度が深まれば深まるほど、恐怖観念が発動して、その観念は知らず知らずの間に確実に集中されるであろう。
だから、「おっかないなあ」と思った事柄は、どんな物覚えの悪い人間でも、たとえ思った時間は瞬間であったとしても、終生忘れていないであろう。
さあ、そこで考えてみよう。
一生忘れないような深刻な記憶に出来るくらいに、瞬間的でも、観念が集中されたとすると、それが宇宙霊の力を受け入れる”鋳型”が用意されたことになる。
そのとき出来上がっている”鋳型”というものが、良かろうと、悪かろうと、極めて確実な”すがた”が出来上がったことになる。
そうすると、その恐怖している事柄が、やがて事実となって現実化してくる。否、むしろ、そうなるのが当然である。
何はさておき、有意義な人生を活きるには、どんな場合があろうとも、恐怖観念で物事に応接しないようにすることが、本当に戒むべき人生の鉄則である。
感情というものは、その種類が、いかなるものであろうと、我々の肉体や、人格に影響せずにはいられないように出来ているのである。
だから、常に感謝と歓喜という積極的な感情を持っていれば、肉体や人格に積極的な、非常に大きな、良い影響を与えるけれども、反対に、怒ったり、怖れたり、悲しんだりする、消極的な感情や情念は、実に悪い影響を持っている。
中でも、この恐怖というものは、恐ろしいほどの印象力を持っている。印象力を持っているのであるから、早晩、その怖れている事柄が、現実になって、形象化されるのが当然である。
自称宇宙人と中村天風さんは、「上から目線」という点でも共通していますが、それはともかく、特に中村天風さんの言葉というのは、この他にも、いろいろな部分で、よく考えさせてくれます。
中村さんは、「人間は形としては存在しない」ということも喝破されていて、
中村天風『運命を拓く』より
繰り返していうが、人間の生命の本体というものは、形ある肉体ではない。ちょっと考えると、形のある肉体であるかのごとく見えるが、実は形の見えない気の中にあるのである。
だから、完全に、生命を活かす計画の成就は、生命の本体たる霊という気を、完全なる姿で、この生命を確保しなければならない。
ということを何度もおっしゃっています。
それはともかく、中村さんのいう、
> その恐怖している事柄が、やがて事実となって現実化してくる
というのは、生まれつき不安と恐怖観念の強い私は何度も経験しています。
そして、逆の「恐怖がなければ恐怖はやって来ない」ということも、これも、具体的に書くと長くなりますので、今は省略しますが、何度も経験しています。
考えてみれば、私の若い時・・・まあ今も多少そうですが、その趣味傾向といえば、パンクやノイズなどのアンダーグラウンド音楽に、前衛だったりグロテスクだったりするアンダーグラウンド・アートだったり、映画にしても、妙な映画や恐怖映画、グロテスク映画を山ほど見たりといったように、私は、
「ほぼ完全なネガティブ傾向を持つ人間」
であります。
では、世の中から見れば、ネガティブにしか捉えられない、それらの文化や表現が、私たち自身にとってネガティブだったかというと、そんなことは全然ないわけです。
ムチャクチャな表現や音楽を聴いて、心から幸せな気分になったり、「明日も何とか生きよう」と思って過ごせたりしたのです。
人は誰でも、ちゃんと「その人に対応した幸せと肯定的なコトやモノ」が自然と与えられるようになっていると思いましたし、あらゆる人は、目指さなくとも、それぞれが自然とその方向に導かれていくはずです。
それを見逃さないことと、自然に受け入れることが大事だと思います。
思えば、人生というのは、悲観的になっている部分以外では、実に素晴らしいものだったということが今となってわかります。